トドの身の丈、ネリネの身のため
そんなわけで、一年後。私、ウォーターハウス侯爵令嬢ネリネ・ウォーターマンあらためアクアマリン伯爵夫人ネリネ・クルーズは、旦那様((仮)は無事に取れた)から、王都の屋敷のとても良い部屋を頂戴した。
由緒正しき伯爵家の伯爵夫人のお部屋である。これは由緒正しき侯爵家の娘部屋より上等である。だって屋敷の中で日中の景観が一番良いお部屋だ。むしろ私のお母様のお部屋よりずっと私好み。内装も良識の範囲内で好き勝手できるし、大窓から良い感じのお庭の池が見える。まあ一人のときにしか日光の当たる窓辺には近づかないんだけど、日当たり良好、立地最高。
そして今の私はトド。長椅子に転がって延々と読書していてもいいし、美味しいお茶とお菓子をあれこれ食べて浮かれてお昼寝していてもいい。もう誰にも気を遣わなくていい。幸せ。
……いや、身の丈に合わないこの世の天国が申し訳なさすぎて、結婚三日目にはちゃんと長椅子から降りてお仕事貰ってきたよ。今までたぶん問題なく回ってきた屋敷の管理を私が一気に取り上げても誰も得しないから、近々行う予定だった慈善業の手伝いからだけどね。その前の二日間で引っ越しの荷物はだいたい片付けたよ。
だって伯爵夫人の地位って、たぶん伯爵の補佐のお仕事の先払い報酬みたいなものだし……。君を愛することができないとされているので子供産む役目もないし……。きっと愛人の子には、旦那様が適宜乳母や家庭教師を付けるだろうし……。そしてお茶会には出ないし、夜会も苦手だって申告したら、重要なの以外は無理しなくていいって言われたし……。
なんかもう、控えめにいって、申し訳なさしか感じないよね。
それなのに伯爵家の使用人たち、みんな思いのほか私に優しい。
特に、長らく不在だった女主人の代わりに王都の屋敷を差配していた侍女長のヘンルーダは、とても気が利く良い人だ。
私の日光を避けるための大つばの帽子ばっかりなクローゼットを見て、
「奥様は、帽子がお好きなのですね」
と、言って、帽子を被るときに合う髪型を提案してくれたし、慌てて私が「外では髪を全部帽子の中に隠したいです、しかも日傘も差します」とだいぶわけのわからないことを言っても、少なくとも表向きは嫌な顔をせずに提案した髪型を取り下げてくれた。
しかも、「奥様の髪はとてもお綺麗ですね」と言ってくれたし、濡れ髪用のふわふわ快適タオルまで用意してくれた。どうやら髪にすごく気を使う人だと思われたらしい。お世辞でも嬉しい。
そして私の髪だが――実はね、日光に当たると、明らかに人間としておかしい変化をする。
通常黒い髪が、色素が抜け落ちるように青やら水色になるのだ。光が強いほど淡くなるし、光が当たらなくなるとすぐ黒髪に戻る。うん、面白すぎる。そういう鉱石あるよね。
いや、私は冗談は好きだけど、本当に冗談じゃない。
これは、私が子供の頃に、海で拾った飴玉――まあ飴玉じゃなくて、おそらく大昔に海底に沈んだ古代帝国製の魔力玉が偶然打ち上げられた物だったらしいんだけど、きらきらの透き通った海色で中に星みたいなのが浮かんだそれを、こんなの間違いなく美味しいよね! と思ってぱくっと食べたらこうなった。それはもう、お兄様たちに見せたら確実にぶん取られると思って即座に食べた。結果は……拾い食いダメ絶対。当時からお転婆すぎても一応侯爵令嬢だったでしょ、ねぇ私。
普通に魔力中毒症状で死にかけたからね? 何度か毒魚を食べて死にかけていた兄弟を笑えない。血の繋がりをひしひしと感じるし私か一番アホな子だった。おかげで魔力は現代人の枠からはみ出すくらいに増えたけど。
でも、異様な髪色になる異様な魔力持ちでは、この世の中を堂々と生き抜くにはちょっと面白すぎちゃうからね。
……まあ、異様な髪だけなら、遠巻きに苦笑されるだけで済んだかも知れないんだけど。
この髪色に付随する異様な魔力は……いくつか特殊な用途を思いつく人もいるだろうし。私の場合、魔力は有っても攻撃魔法の才能も防御魔法の才能もないというだいぶポンコツ仕様なこともあって、絶対に隠していたほうが安全なのだ。
そんなわけで、私はお庭でのお茶会に一切出られなかった。王妃様主催だろうが王女様主催だろうが理由を作って逃げた。侯爵令嬢としてちょっと駄目。というわけで、なにやら様子のおかしい娘と社交界で評判になってしまい、見事に嫁ぎ損ねていたのである。しかも理由が自業自得。むしろ侯爵令嬢じゃなかったら、こんなふうに安全に引き篭もっていられなくて、表社会の片隅にも生き残れてなかったかも知れない。たぶん早々に古代帝国妄執系のカルト集団とかに拐われて一生が終了してた思う。人の髪を見て爆笑していた一族の皆ありがとう。
なので旦那様は救いの神である。
そして私は自分が浜辺で拾い食いして一部バケモノ化してますって旦那様に言えていないので、本当に申し訳無いのである。
だって……言ったら絶対結婚してくれないだろうし。むしろ、万が一私の変な魔力が子供に遺伝してしまう可能性を考えると、愛されないのも好都合かもしれない。
なのにその旦那様は、なんだか申し訳なさそうに日々私を気遣ってくれて、私がいたたまれない。
「不自由はしていないか?」
「いいえ、おかげさまで毎日快適に過ごさせていただいておりますよ」
夕食時。意外にも毎晩きちんと帰ってきて、私と一緒に食事している旦那様が、デザートの前にそう言った。
最初は毎日でも愛人のところに行くのかと思っていたけれど、まったくそんな気配がない。
もしかして領地のほうに住まわれているのだろうか。もしくは、王宮内でお会いしているのか。王宮内ならば、職業婦人よりも、同性の同僚などの可能性が高いのかも知れない。あれ、私が養子を育てる可能性ある……?
それにしても、お相手が王都にいるのなら、君を愛することができないの対象である私は、王都の屋敷ではなく領地の本邸に移動したほうが良いのではなかろうか。
いや、新婚期間にそれも微妙か。あるいは、目の届かないところで好き勝手されるのが嫌なのかな……?
うん。わからない。とりあえず今の部屋はとても気に入っているし、深く考えずに満喫しておこう! と思っているところだ。
だけど旦那様は、今日に限って、本当は深く考えなきゃいけないけど私が嫌なだけの話を振ってきた。
「そういえば、ネリネ。その……君は、本当に庭での茶会に参加できないのか?」
「…………はい」
一気に、がぼぼほっと気分が深海の底くらいまで沈んだ。
……社交ができないということは、伯爵夫人の重要な役割を全うできないということである。
やはり婚姻時にわかっていたからといって、責められないで済むことではなかったのだろう。
憲兵に突き出される五秒前の犯罪者のような居心地の悪さに身を竦めていると、旦那様は困惑を声に滲ませた。
「いや、無理強いするつもりはないのだが、可能ならば理由を教えてほしいと思ってな」
「……ええと、か……髪が、その……日焼けするのが、嫌なので。別に肌は良いのですが。人前で、帽子を脱ぎたくないのです」
「……ということは、皮膚が弱いわけではないのか?」
「はい」
「なるほど。では帽子を取らないなら、長時間でも外に出られるんだな?」
「…………そうなりますね」
あー、このまま医師か心理カウンセラーの問診みたいなのが始まって、私が耐えられるギリギリのラインを探られるのかー。そう身構える。
「そうか。それなら良かった」
が、旦那様は優しい声でそういうと、デザートスプーンを手に取った。えっ、待って、この話もう終わり?
「……あの、なぜそのようなことを?」
いや、嬉しいんだけど、私は嬉しいんだけど、本当にそれだけでいいの? 確かに私よりも目の前に置かれたクレームブリュレのほうが魅力的かもだけどね……? 今の話に、なにか旦那様にとって良いことってあった?
「昨日の大雨の中、君がこの屋敷に来てから初めて街に出掛けたと聞いた」
「ぴゅぇっ」
……さっそくやることやらないくせに面倒な日に豪遊した奴みたいに思われてるぅっ?
「いや、君の行動を特別監視していたわけではないんだ。ただ君がとても楽しそうだったと、特別に皆が喜んで報告してくれただけで。だから、その、君は、本当は外出をしたいのかと思って」
「……それは、そう、なのですが」
私は、本当は途中までどこに出しても恥ずかしいお転婆娘として生育されてきたので、今でもハイヒール脱ぎ捨てて外で走り回りたいくらいに慎みが死んでいるのは間違いなく事実である。いや、今も完全に恥ずかしいな私。
「帽子を取らずに出歩く分には構わないなら、見た目を気にする茶会ではなく、私的な散歩などであれば、問題はないのだろう?」
「え……ええ、そう、ですね」
つまり旦那様は、単純に私が帽子があれば外に出られることに、「それなら良かった」と言ったのか。
…………いやいやいやいや。
むしろ、遊べるのに仕事はしやがらねぇ図々しい奴ですよね、完全に。
なのに旦那様はとうとうクレームブリュレを掬って口に運んでいた。あ、微妙に口角上がってるね。好物なんだね。そりゃ私の話より優先しても当然、いや、本当に待って。二匙目含まないで。
「それだけ、ですか?」
三匙目を楽しもうとしていた旦那様は、私の顔を見て、掬いかけのクレームブリュレ(中心のミントが乗ったところ)に視線を落としてから、もう一度私を見た。……あー、今のは完全に私が悪かった。甘いところ、甘いところ、すっきりしたところ、は連続で食べたかったよね、わかる。
「……いや、そうだな。一つ提案がある」
旦那様はちょっと迷うように、スプーンをお皿に戻してそう呟いた。ごめんなさい。
でも……ほらぁ、やっぱりー。そりゃ絶対に何かあるよねー。この際どんな格好でもいいからたまには茶会に顔を出すくらいはしておけとか、そういう話がー。あるよねー。
是非も無し。
どうやって居直るか悩む私に、はたして旦那様は、「こほん」と謎の咳払いをしてから言った。
「王都やウォーターハウス侯爵領ほどではないが、アクアマリン領の屋敷の近くにも、それなりの規模の屋根付き商店街がある。港の側にいくつも雑多な市場があるから、商店街のほうは高品質な物を中心に揃えていて、君でもそれなりに楽しめる……と思う。君よりも高貴な夫人が誰もいない場所ならば、何をするにしても気兼ねなくできると思う」
……んん?
なんて?
「だから、君も一度領地に来てみないか? 私は、来月から三ヶ月ほど、向こうに戻ろうと思っているんだ。代替わりしてから、まだ一度も戻れていなかったからな」
……んんんん?
なんで?
「……よろしいのですか? 私がついて行っても」
なんか思ってた言葉と違うよ?
え、私、伯爵夫人として許されてる? これで?
あれ、しかも愛人さんは、つまり領地にはいらっしゃらない?
ということは、王都に? あっ、あーっ、もしかして、そのまま私をぽいっと領地に置いてこよう! ということだろうか。
……それはそれでアリだ。アクアマリン伯爵領も、ウォーターハウス侯爵領地と同じで海が近いからね。むしろ港の船がほぼ漁船なウォーターハウス侯爵領と違って、外国との貿易とかでも栄えている場所だから、異国の食材とかもいっぱい入ってきて、独自のお料理が多いし美味しい。
だから旦那様は、なにもウォーターハウス侯爵領に遠慮することはないのだ。まあ確かに国内の岩塩の三割と天日塩の七割を賄っているウォーターハウス侯爵領抜きに王国の食卓はなかなか成り立たないけれど、アクアマリン伯爵領のほうが現状だいぶお洒落である。
うん。実はウォーターハウス侯爵領は、魚介じゃなくて塩の取り引きで成り上がったのだ。王都の一等地の屋敷を真っ白な外観にしたせいで、ソルトマネー侯爵城と陰口を叩かれているくらいだ。表で言ったやつにはもちろん塩対応。
まあ元々、海賊商人の小国家がこの国の建国時に吸収された感じだからね、私の実家の侯爵家。食糧の保存も傷口の消毒も革や布の加工も、なんだかんだ塩でなんとかするし、塩がなければなんともならないよ。
でも、私が個人的に社交をサボることに関しては、物理的に遠くて無理です! のほうが、王都の屋敷でゴロゴロしていながら外出したくないです! よりも当然言い訳としてマシなわけで。わざわざ敵なんて作る必要はないわけで。
「君さえ良ければ、ぜひ領内を案内させてくれ」
「ありがとうございますっ!」
旦那様の現実的で最高の提案に、私は全力で頷いた。
うわぁ旦那様、きっとペットのトドが食欲不振になったら、なんとか食べられる物をって探してくれる人だ……優しい……。
私も感動しながら、ついにクレームブリュレを口にした。旦那様もようやくミントの部分を食べられて、とても嬉しそうだった。




