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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第二章 海に秘密が溶けていく

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爽やかな港の誘惑

 青く澄んだ空、揺れる足元。前方に鮮やかな白に輝く建物。髪を揺らす力強い風。潮の薫り。

 鳶の鳴く声。カモメの群れ。船員たちの掛け声、豪快な漁師たちの仕草。商談する人々のざわめき。雑踏をすり抜けてはしゃぐ子供と犬。照り返す波の光。のんびりと寛ぐ猫。

「アクアマリン領へようこそ、ネリネ」

 旦那様はタラップを降りると、エスコートしている私を振り返って、ふわりと微笑んだ。

「活気があって、良いところですね」

「君の目にもそう映るなら、嬉しいな」

 私たちは、王都を離れて運河を三日、休憩を二日、海路を三日かけて、ようやくアクアマリン伯爵領最大の港街エストレーアに到着した。期待していた通りの、気持ちが良い場所である。

 今日は夕方から港では重要な行事がある日なので、港を任せている者たちからの歓待は、あらかじめ断っている。なので、私たちは、昼間はゆっくりと個人的に過ごせることになっていた。まあ、お忍びでご到着といっても、アクアマリン伯爵家の家紋を掲げた豪華船と、ついでに厳ついウォーターハウスの旗を掲げた護衛艦付きだけどね……。一応新婚新妻初来航なので。でもこういうのは、深く突っ込まないほうが、みんな楽。

 というわけで、この国はざっくりと見れば五角形に近い形をしていて、そのうちの二辺がそれぞれ他国と地続きである。だいたい国の中心にある王都には海がない。北の一辺と南の二辺が海に面している。そして王都から一番近い南の海を持つ領地が、私の実家のウォーターハウス侯爵領だった。ウォーターハウス侯爵領は少々細長く、南の海側の二辺のうちの一片をほぼ独占しているのだ。そして、二辺の角に当たる部分がここ、アクアマリン伯爵領である。つまりウォーターハウス侯爵領とアクアマリン伯爵領は、極一部が隣接している。

 だから、別に王都からアクアマリン伯爵領へ直接来ても問題はなかったのだが、旦那様がせっかくならと、ウォーターハウス侯爵領に寄ってくださり、その後にウォーターハウス侯爵領の港から、アクアマリン伯爵領の港へと渡航してきたのである。

 旦那様、とりあえず私のことは水辺に近づけておけば良いと理解されてるようだった。大正解だ。

 久しぶりの船旅を満喫した私は、もはや軽い飲み比べで旦那様に負けたことすら楽しかった。というか最終的に旦那様が涼しい顔で一人で飲み続けているのを応援していた。まさかの魚が水を飲むようにお酒を飲む人だった。お酒の味はわりと好きみたいなのに、王都では、明日も仕事がとか用事がとか思うと、あまり飲もうという気になれなかったらしい。まったく酔わなくても、羽を伸ばす行為だという感覚があるそうだ。なんというか、真面目な人である。今も全然二日酔いとかしていないみたいなのに。

「ネリネ。昼食はどこかレストランに入って食べる予定だったが、いま食べたいものはあるのか?」

 旦那様にそう聞かれて、無闇にきょろきょろしていた私は食べたい物を探すためにきょろきょろすることにした。

「……あっ、あれは……!」

 視界に飛び込んできたのは、大きくてお洒落な三階建の料亭の側にある、少し年季の入った老舗の小さな看板。

「ああ、あそこは曾祖母が気に入っていたらしい――」

「かの有名なウツボ料理専門店ですね!」

「……そう、だな」

「旦那様の曾祖母様もお好きだったんですね、ウツボ料理」

「すまない、違う。どうやら俺が勘違いしていたようだ」

「あっ、そうでしたか……」

 旦那様でも勘違いすることあるんだ。

「……ウツボ料理にするのか? 見た目はあれだけど美味しいよな」

「うーん、そうですね――あっ、あれは!」

「……。どれだ」

 私は流行店がひしめく豪華な五階建ての建物の、その裏にある小料理屋を指差した。

「ナマコ料理界の巨匠のお店ですよね!」

「ああ、うん。見た目さえ気にしなきゃ美味しいよな、ナマコも……そこにするのか?」

「うーん……」

 ――ナマコか、ウツボか。実に難しい問題である。

 決め兼ねた私は、再び周囲を見回して。

 そして、日陰に佇むソレを見た。

「っ――! あれは、まさか、巷で噂の……!」

「え?」

 旦那様が私のただならぬ様子を見て、私の視線を辿る。

 そして、なぜだか思いきり青褪めた。

「いや待て、早まるな」

「でもっ、ウーパールーパーの」

「唐揚げの話は止めよう!」

「ではその他の多種多様な珍味の話を?」

「すまない見た目で無理な物は無理だあのゲテモノ専門店だけは嫌だ絶対に行きたくない行くなら一人で行ってくれ頼むもう見るのも嫌なんだ侍女も連れて行くな可哀想だから護衛の中で虫を食える奴だけにしてやってくれサバイバルが得意な奴が探せば一人くらいはいるかも知れないいやもういないかも知れないなとにかく無理強いはしてやるな!」

 ……すごい、こんなに息継ぎ無しで喋る旦那様、初めて見た。もしかしてかなり素潜りとかもできる人なのでは?

 私は感動と敬愛の目で旦那様を見た。

 それでもちょっと肩で息をしている旦那様を見ていると、海で拾い食いとかしない人をゲテモノ料理専門店に誘おうとするのは申し訳無いことだと自覚したので、旦那様に落ち着いてもらうためにも、極力ゆっくりと話すことにした。

「ですが、一部の虫も海老も、味は似たようなものだそうですね」

「止めてくれそれ以上は……ぅえっ、……っ!」

 とうとう顔を覆ってしまった旦那様に、再び話題選びを間違えたことに気がついた私は、黙ってそっと視線を逸らすことにした。

 ――余計なことをする奴ってね、よーし今度こそは余計なことをしないで頑張るぞ! なんて張り切ると、必ず余計に余計なことをするのよ! この大馬鹿共! 

 ……十歳の夏。兄と弟と従兄弟と乳母の息子二人と一緒に、熱した砂利の上に正座させられて、従姉妹にものすっごく怒られたことを思い出したのだ。

 あのときは、私だけ同性のよしみで足に痕が残ると困るからと、兄の着ていた薄手の上着(ベタベタしていたのは川の水のせいだったと思いたい)を敷いてもらえたのが、唯一の慈悲だった。……兄は、半裸で正座して太ももに次々と大きな石を積まれて苦悶の声を上げていた。大人に川へ遊びに行くと告げると口うるさく心配されるから、心配されないように今回はこっそり行こう! と閃いた、完全に駄目な年長者だったからね、あれは仕方なかったね。

「……申し訳ございません、旦那様」

「……いや、俺こそ取り乱してすまない」

 旦那様は青褪めた顔のまま、苦しそうに微笑んだ。

「実は、あの店には、若気の至りを発症した殿下を止めきれず、入ったことがあるんだ……その夜は魘された……あのときは、自分が酒に強いことを恨んだよ、俺も殿下みたいに酔って寝て忘れたかった……」

「……まあ……」

 旦那様、目が遠くにいって戻ってこない……。

 ご本人は真面目なのに、腕白な殿下の側近なせいで、たまに行動が面白いことになっていて、心からお疲れ様ですっていう気持ち。

 そして殿下、第二王子だからって自由すぎでは? まあ侯爵嫡子なのに超絶考え無しな兄よりはマシかな。侯爵令嬢だったのに海で拾い食いして死にかけた私よりもマシかな……。

「あっ、忘れていました」

 海といえば、この町には、会いたい人がいるのだった。

 私は、港町の飲食店街で一際目立っている、機械仕掛けの青いザリガニがうごうごしている海側領地によくある大規模チェーン店の巨大看板を示した。

「あちらに寄っても構いませんか?」

「え? この流れで『青いザリガニ』に……? いや、以前から思っていたが、なんであそこは青いザリガニなんて名前なんだ……? 普通赤だろう……?」

 旦那様は、完全に混乱してしまわれた。


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