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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第一章 陸で迷子の海獣たち

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夜会キラキラ魔法

「ネリネも、魔力はあるだろう? 魔法は使えないのか?」

 旦那様に聞かれて、私は曖昧に微笑んだ。ウォーターハウス侯爵家は歴史ある名家だ。当然、私が個人的にやらかしたせいで有り余っていることは置いておくとしても、一族全員魔力はある。

 両手のひらを上向きに広げて、ふう、と大きめに呼吸する。

 ぱっと庭先の空中に、青いイルカ型の光が輝く。それはすぐに花びらとして散って、霧散する。

「……イルカ……? 花?」

 旦那様が困惑した様子で呟く。

「綺麗でしょう? これだけです。私は魔法で光る花びらが出せるんですよ」

 娘が有益な魔法の使い手であれば、婚活市場ではオプション価格として開示されていることが多い。当然ながら、ウォーターハウス侯爵は、旦那様に私の魔法の有無を告げなかった。特別交渉材料になる魔法ではないからだ。

「……いや。ネリネらしい魔法だ。さっきのは何の花だったんだ?」

 しかし、酷く楽しそうな声が聞こえて、私は旦那様のほうを見られなくなった。あまりにも優しい気配をしているから――私らしいって、特に役に立たないところがですか? なんて、聞けなくなったのだ。

「デルフィニウムです」

「ああ、だからイルカの姿に?」

「はい」デルフィニウムの花のつぼみは、イルカの姿にちょっと似ているのである。

「花びらはいろいろ出せますから、友人の結婚式では、多少は有効活用されたんですよ? 薔薇とか……普段は、魔法が使えますなんて名乗れませんけど。ちょっとした余興係にはなれます」

 手慰みに薔薇の花びらもパラパラと撒いてみる。それは一瞬だけ風に乗って、ふわりと光の粒になって消えていく。

「いや、目くらましにも、目印にもなるし……ああ、だが、そうやって使う機会はないほうが良いな。うん、楽しい魔法だ。力のある魔法は素晴らしいものだが、それで友人たちを祝福できるわけではないからな」

 もう夏が近い暖かな夜風が、結い上げた髪を僅かに揺らす。その感触をやけに新鮮に感じながら、私は旦那様を見上げた。

「ネリネの花も出せるのか?」

「……まあ、一応は」

 そりゃね、練習はしたよね。魔力量も普通だった小さな頃は、素直で可愛い弟が喜んでくれたしわかりやすい魔法だったから兄も褒めてくれて、調子に乗って見せまくっていた。

 イルカだって本当は連続で出せるから、昔は四コマで水中に潜って飛び跳ねるように見える順番に出していた。

 でも今は――それを領地の子供たちに見せびらかしたところで、その子たちが使えるように教えられるわけではない。誰かを楽しませようとすれば魔力が有り余りすぎて、どこまでが普通の頑張りの範囲なのかがわからなくなる。そうしたら身内に迷惑をかけるかもしれない。そんなことばかりを考えて、特別な使い道なんてない力だと思い込んでいた。

 深く息を吐いて、ネリネの花を出す。これだけは、茎から葉から花まで全部創り出せる。

 キラキラと咲く私の花が、私の手のひらの中に生まれる。

「……一番、綺麗だ」

 まるで感嘆のような声が、私の耳に届いた。

 それから、それが慌てたような言葉に変化する。

「あ……いや、違う。イルカもネリネらしいと思ったし、薔薇も素晴らしいと思ったんだ。だが、ネリネが一番綺麗だと……ああ、今は花のほうの話をしているが、君のことも綺麗だと思っていて……」

「……ありがとうございます」

 私は微笑んで頷いた。すごく気遣われていることがわかる。うん、最愛の推しがいても、別にこっちもけっこう綺麗だなってなること、あるよね。私もネリネの花が一番好きだけど、薔薇もアルメリアもアンスリウムもデルフィニウムもユリもなんでも綺麗ー! ってなるし。

「そういえば、フォンテイン子爵様も魔法をお使いになられるのですよね? いったいどんな魔法なんですか?」

「……なんでここでレナートの話に」

「え?」

 あれ? できる女として、私の話よりももっと楽しいであろうご友人の話を振ったのに、不満そう?

「いや、なんでもない」

 しかし旦那様はすぐに首を横に振って呟いた。

「レナートの魔法は……まあ今度会ったときにでも、実際に見せてもらうといい。アイツは喜んで披露するはずだ」

「わかりました」

 良かったー、振る話題間違えてなかった!

 私はこっそりと胸を撫で下ろした。

「あの……そういえば、どうしてバルコニーに連れてきてくださったんですか?」

「……あっ?」

 旦那様が思いっきり動揺したような声を上げた。急に話を巻き戻されると思っていなかったらしい。ごめんなさい。でもね。

「私は、カッコいい旦那様が注目されるのが面倒になってバルコニーに逃げてきたと思っていたんですけど……もしかして、私のことを、見せたくなかったんですか?」

「……それは」

「ええと、私がその、綺麗だと、不都合があったんですか?」

 もしも妻が綺麗なら、本来なら貴族の男性にとってはステータスだ。美しい妻を娶り、財力で維持する。あるいは美しく若い愛人を金で得る。男性自身が箔をつけて着飾るのと同時に、美しく着飾った同伴者もまた権力の簡単な証明になる。

 だから、もしも私のことを綺麗だと思ってくださるなら、人前に連れ回すのが社交界の道理だ。

 それなのに、どうして今さら隠したのだろう。

「不都合は……」

 途方に暮れたような顔で、旦那様は深くため息をついた。

「その……すまない。ネリネが注目されて、俺が釣り合わないと思われることが怖かったんだ」

 ――……んー?

 いま旦那様、言葉回しを間違えたよね? さっきの発言だと、私が旦那様に釣り合わないのが嫌で隠したいとかじゃなくて、旦那様が私に釣り合わない可能性が怖かったって意味になってなかった?

「勝手なことをして悪かった」

「へ、あ、いいえ、こうやって旦那様とお話できてちょうど良かったです……!」

 私は挙動不審になりながら叫んだ。

 お母様からいただいた『レディ・ユーグレナに捧ぐ淑女の心得』本には、旦那様に勢いよく持ち上げられて、落下タイミングがわからないときの事例なんて書いてなかった。正解なんてわからない。

「あっ、ここにいたのか、ノア。アクアマリン伯爵夫人も。そろそろラストダンスだから、踊ったほうがいいぞ」

 そのときタイミングよくフォンテイン子爵がバルコニーに出てきてくださって、私たちは助けを求めて同時にフォンテイン子爵を見た。

「……えっ何?」

 怖がられてしまった。

 しかし私はフォンテイン子爵が一人でいることが気になって首を傾げた。魔法について聞くのは後日でいいとして――

「あの、ジゼル様はどちらに?」 

「ああ……」

 フォンテイン子爵は、ヴァルデス侯爵令嬢が立っていそうな斜め後ろを振り返り、困ったように肩を竦めた。

「人混みで疲れたらしくて、帰ったよ」

「そうですか。明日以降、お見舞いのお手紙を差し上げても良いのでしょうか?」

「あー……」

 フォンテイン子爵がちらりと旦那様のほうを見て、それから首を横に振る。

「軽い症状だと言っていたから、今回は大丈夫かな。気遣いは嬉しいんだけど、ジゼルはけっこうそういうのを負担に感じてしまうタイプなんだ」

「そうでしたか……」

 たしかにヴァルデス侯爵令嬢は、あまり社交が得意ではない印象である。さほど親しくもない歳上の伯爵夫人に見舞いを貰っても、困るだけかもしれない。

「今度会ったときに、また良くしてやってくれると嬉しいな」

「ええ、もちろん」

 私は旦那様をチラッと見上げた。先ほど私が告げ口してしまったヴァルデス侯爵令嬢の発言については、ここでフォンテイン子爵に聞くべきではないと判断されているようだ。そしてその通りで、会場の照明が完全に絞られて、中央スペースだけになる。

「……じゃあ、俺はしばらく仕事と踊ってくるよ。二人は楽しんでくれな!」

 フォンテイン子爵は軽い調子で手を挙げて、颯爽と人混みに消えていった。

「ネリネ」

 旦那様に呼ばれて、私は顔を上げた。

「――最後の一曲を、俺と踊っていただけますか?」

「はい、ぜひ!」

 即答した。

 で、調子に乗って――私は、殿下の楽しいお誕生会の脇で、ラッコのごとく回転しまくったわけである。

 後で「爽やかながら情熱的なダンスでしたね」って、あんまり知らない人に拍手されたよ。


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