偏光色の海
会場の前方付近にいた殿下は、私と旦那様を見つけるとご機嫌そうに近づいてきてくださった。ちなみにキラキラの白地に金の正装で輝かれているので、こちらからもとても見つけやすい。
「アクアマリン伯爵夫人。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます、エマニュエル第二王子殿下」
入場してすぐにちゃんとしたご挨拶は済ませているので、そんなに気を張らずに頷いて、案内された席に向かう。
……おお、殿下の隣に旦那様、その横に私。丸テーブルが幾つか並んでいる中で、中央最前列にある最上位の良席である。第二王子の楽しいお誕生会って、陛下たちや王太子である第一王子殿下はメッセージやプレゼントのお届けくらいで参加は差し控えるから、参加者の平均年齢がめちゃくちゃ若いんだよね。他の夜会ではこうはいかない。
「今日の料理はウォーターハウスの良い塩と海鮮を使ってるからな! 今回も夫人の口に合えばいいんだけど」
「お気遣い感謝いたします。とても楽しみですわ」
「ああ。盛大に、俺の誕生日を祝ってくれー! って呼びつけている身としては、どうにか楽しんでいってほしいからな!」
殿下は明るく笑って、まだ時間があるな、と他に近づいてきた人に視線を移す。
代わりに「レナート」と、旦那様が近くにいたフォンテイン子爵に声をかける。頷いた彼は、赤茶色の髪をしっかりと整えて、グレーに濃い赤の差し色をさらにシャンパンゴールドの差し色で和らげた正装でこなれた雰囲気を出していた。
さすが、旦那様に引けを取らない見栄えの良さである。殿下はちょっと輝度が違うんだよね。
「ご機嫌よう、フォンテイン子爵」
私が挨拶をすると、数日ぶりにお会いした子爵は優雅に礼を返してくれた。
「お会いできて光栄です、アクアマリン伯爵夫人」
そう言って、後ろで控えめに立ち尽くしていた、陶製の人形のように清楚な少女を振り返る。
「こちらは私の婚約者である、ミルテ侯爵家のジゼル・ヴァルデス嬢です」
紹介を受けた少女、ミルテ侯爵令嬢は、桃色のプレーンなドレスの裾をほんの少しだけ揺らして、おずおずと一歩だけこちらに動いた。
「……ご機嫌よう、アクアマリン伯爵夫人」
「ご機嫌よう、ジゼル様。お久しぶりですね」
友人の知人くらいの顔見知りではあるのでそう言ってみる。が、こくりと頷くだけで終わられてしまった。
どうやら以前よりも人見知りが酷くなっているらしい。まあね、十八歳くらいの頃っていろいろあるときはあるからね……私も外に出たくなくて引き籠もって……あっ、今もか……。
――海辺で拾い食いしてからそろそろ十年経つ。そんな事実に一瞬意識が飛びかけたけれど、まああの当時の絶望感からすれば、かなり幸せになれている。たとえ旦那様に愛人がいようとも。
だって妻に隠れて酒池肉林とか、自称愛妻家の束縛家とか、いろいろあるらしいもんね……。
「それにしても、本当に仲が良さそうだな」
フォンテイン子爵が旦那様と私を見比べる。そのときに私の喉元で一瞬目が留まった。そうそう、見てみてこの可愛い名札! 大っきいアクアマリンのネックレス! 旦那様から貰ったやつ!
お気に入りの石を持ってるラッコの気分(今日はさすがに私も可愛いからね)でいると、フォンテイン子爵は「素敵なネックレスですね。アクアマリンですか、ノアと揃いのドレスともよくお似合いです」と褒めてくれた。
ええ、旦那様は深い海の色と白い砂浜のようなバイカラー、私は淡い空がゆっくりと海の色に染まるようなグラデーション。調子に乗って着てきた、すごく素敵な衣装です!
そんな話をしているうちに殿下がお戻りになられて、美味しいお食事の時間が始まる。
「これはレナートが隣国から取り寄せてくれた完熟ベリー! いやぁ、ようやく向こうと仲良くなってこれたな……長かったらしいもんな、戦争……こんなフルーツサラダ、お祖父様が見たら卒倒するかもしれん……」
「これはウォーターハウス侯爵領産の鮪の大トロステーキ! 瞬間冷凍魔導便で昨晩届いて今日解凍したものだ! ……すごいよな、魔導具で瞬間冷凍して、王都まで数日かけて生で持ってくるって……」
「で、これはノアのアクアマリン伯爵領の港に着いた新しいスパイス! 山葵と言って魚にも肉にも合うんだ! ……食べ方に気をつけないとツーンとするから気をつけろよ……」
――などなどの会話に、私は優雅に微笑んでうんうん頷きつつ、どんどんカトラリーを動かしていた。だって美味しいからね。会話に参加するふりをしつつ、お上品にいっぱい食べておきたい所存。ウォーターハウス侯爵家が王都に美味しい海鮮で殴り込むべく努力を重ねた瞬間冷凍魔導便、まだまだめちゃくちゃ送料高いからね……最高級鮪の大トロステーキを王都で食べられるのは貴重過ぎるよ。基本的にはウォーターハウスに遊びに来てくれた人が優先だし。
「……ジゼル様は、何かお好きなものがございますか?」
とはいえ、隣であまりにも食べていないミルテ侯爵令嬢のことはさすがに気になって、口直しのソルベが運ばれてきた頃合いを見計らって、控えめに話しかける。
「スープにも魚料理も手を付けられておりませんでしたが……お疲れですか?」
ミルテ侯爵令嬢、ドレスのコルセットを締めすぎちゃって食べられないというオチでないのなら、細すぎるんだよね……ドレスを着るって体力仕事だよ? 何か食べよう? 鮪の大トロステーキって味がゴツい? 一口も食べたくない? そっか……。
私もお節介向きの性格ではないのでどうしたものかと悩んでいると、ミルテ侯爵令嬢は、か細い声で呟いた。
「……お魚をいただくのは、可哀想で……」
あっ、そういうこと?
目を伏せて悲しそうな表情の少女の姿に、私は理解した。そういえばスープもホタテのポタージュだったね。
「でしたらお野菜かフルーツか何か、持ってきていただきますか?」
「……いいえ。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
ミルテ侯爵令嬢は小さく頭を振って、新しく届いた牛フィレ肉のローストの端を小さく切って、一口だけ食べた。
あれっ? お肉は食べられるの……?
いや、いいけど、菜食主義というわけではなく……単にお魚が苦手なだけなのかな?
私は内心首を傾げながらも、しっとり柔らかなお肉を口にした。うん、美味しい。ベリーソースの味わいが、このあとのデザートまで期待させてくれるね……。
――でもミルテ侯爵令嬢、以前にお会いしたときは、お魚も普通に食べていたような? 私、お魚を食べてもらえないと、ちょっとだけカルチャーショックを受けて脳に刻まれる体質のはずなのに、そんな覚えがない……。
「ネリネ? どうかしたのか? もしかして、二段構えで魚料理のほうが良かったとか?」
隣から旦那様の不思議そうな声がして、私は慌てて否定した。
「えっ? いいえっ、そんなうちの実家みたいなことを望んでいるわけではありませんわ! お肉料理はちゃんと美味しいですわ!」
王宮でそんな文句つけませんよ! 怖いし。
ウォーターハウス侯爵領が、ムニエルのあとにテルミドール、アクアパッツァのあとにパエリア、アヒージョのあとにブイヤベース、サーモンパイのあとに牡蠣のシチューと――海鮮に命を懸けているだけで!
「それなら良いけれど……もしもまた体調が悪くなったら、早めに言ってくれ」
旦那様はあまり納得いなかった様子で眉を寄せている。心配させてしまったらしい。
「ありがとうございます。今のところ、デザートまで楽しみにしていますよ」
コルセット? ちゃんと緩めで付けてきたよ! エジェリーに、もうご着用なさらないほうがコルセットの厚み分が減るのでは? って言われたくらいにね。
でも、もし時間があればフォンテイン子爵に、ジゼル様がお魚を食べなくなった理由に心当たりがあるか、それとなく聞いたほうが……良いのだろうか?
他所の家のことを根掘り葉掘り聞いていると思われるのは、困るんだけどね……。




