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君を愛することができないって言われたからペットのトドとして暮らそうとしてるんだけど、旦那様けっこう構ってくれる  作者: 鶴川紫野
第一章 陸で迷子の海獣たち

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そうだ、ペットのトドになろう

※本作には、性に関するデリケートな内容、生物の繁殖に関するネタ、夫婦関係を巡る率直な描写などが含まれます。

直接的な性描写はありませんが、苦手な方はご注意ください。

「――俺は、君を愛することができない」

「………………。あっ、はい」

 初めての顔合わせ。

 あとはお若いお二人で……いやもうお前も若くはないかガハハ! と、それでも私の倍以上の年齢なのに、大人の気遣いがちょっと足りてないお父様たちが退散したあと。

 目の前の、おそらく私の旦那様になるであろうアクアマリン伯爵ノア・クルーズ様は、ものすごく申し訳なさそうな顔で、そう言った。

 そして呆けた顔をした私を見て、神妙そうに秀麗な眉目を顰めた。

「……その。言った意味を、理解してもらえたか?」

「ええと、はい。そのつもりですが……。一応、確認致しますね。つまりアクアマリン伯爵様は、私に我が儘や贅沢を許さず、屋敷内の女主人としての立場も保証せず、しかし夜の生活を求めることもなく、法律上の伯爵夫人として、最低限屋敷に置いてくださる、ということでよろしいですか?」

「……? 何の話を……? いや、贅沢品などに関しては、今後伯爵家が傾かない限りは、平均的な伯爵夫人としての生活を保証する。ご実家よりも少々質は下がるかも知れないが、善処する。屋敷内では女主人として振る舞ってもらって構わない。ただ、その、こちらの事情で……君を愛することは、できない……」

「……わぁ」

 ……やったぁ。これ行かず後家としてほんのちょっとだけ肩身が狭い今の実家より、ずっと贅沢なやつ……! 降って湧いた幸運がすごい……!

「すまない」

「いいえ。私はまったく問題ありませんよ」

 にんまりしないように気をつけて、お上品ににっこりしておく。

 アクアマリン伯爵様は、私より二歳上の二十二歳の新米伯爵様だ。ご両親はかなり昔に亡くなられているそうで、一ヶ月ほど前に、先代伯爵様だったお祖父様もご病気で身罷られてしまった。

 そして現アクアマリン侯爵様、つまり旦那様(仮)が若くして爵位を引き継がれ、伯爵ともなると独身では不都合も多いことと、そもそも適齢期でもあることから、条件にあう伯爵夫人を見繕うことになったらしい。

 ただ……と、私は旦那様(仮)を見る。

 ……悲しいことだが、肉親がいらっしゃらない新米伯爵というのは、妻と妻の実家にとってはどう考えても優良物件である。

 しかも旦那様(仮)は、お顔立ちも大変整っていらっしゃる。理想的な卵型の、荒々しさのないすっきりとした頬のラインに、凛とした眉と鼻筋、穏やかそうに少し垂れた目と長い睫毛は、いかにも上品な貴公子然としている。ふわりと波打つミルクティー色の髪は健康的な輝きがあり、ごく僅かに緑味を帯びた鮮やかな青い瞳は、まさにそのまんまアクアマリン。

 学生時代は学業成績もすこぶる良く、現在はご学友だったという第二王子殿下の側近を務められ、それらに驕ることもない温厚な人柄で、ついでに今では使える人がほとんど居ない魔術も使えるらしい。

 私はお話を頂いてから軽く調べた程度だが、つまりは社交界でもかなり評判の良いお方である。

 なので、なぜ私のような……一応侯爵令嬢といえど、普段は地味な黒髪なのに日光に当たるとちょっと面白すぎて人に見せられないことになる髪のせいで、全力で引きこもって行き遅れている、自分で羅列していてまあまあ悲しくなってきた存在に、婚約を打診してきたのか……今の今までさっぱりわからなさすぎて、何かの罠かと思っていたくらいだったけれど……なるほど。

 つまり旦那様(仮)には、おそらく伯爵夫人には据えられない恋人がいて、きっとお飾りの妻を欲していたのだ!

 知ってる! 最近流行りの恋愛小説で何度か読んだことあるやつ!

 そのため結婚適齢期の無茶振り即却下なご令嬢ではなく、家柄は良いのにちょっと問題があって行き遅れている私に白羽の矢を立てたのだろう。

 私、さては察しが良すぎて天才かな?

「……そうか……。恩に着る」

 旦那様(仮)は、頷いて、寂しそうな顔になった。きっと恋人にも肩身が狭い思いをさせていて、そちらを思い出したに違いない。

「ただ、一つ疑問があるのですが」

「なんだろうか」

 私は旦那様(仮)を見て、首を傾げた。

「隣人愛や博愛、あるい情なども、一種の愛ですよね? つまり私をきちんと伯爵夫人として置いてくださるということは、私は、夏休みに息子が川で拾ってきて三日で飽きたから母が餌を与えてたまに水槽も清掃しているペットの亀くらいに愛されているのでは?」

「は?」

 旦那様(仮)は私を見て、首を傾げて言った。

「……いや、その……。は?」

 もう一度言われた。

「ええと、実質、息子ではなく母のペットの亀のことですね。なけなしの愛情というか慈悲を与えているのも母です、この場合。平民ではわりとよくある話らしいですよ。ちなみに実家でも、兄と弟と乳母の実子二人が連れ帰ってきた子が三匹ずついます。計十二匹。一応侯爵家なので乳母のペットの亀でしたが」

 ちなみに私の乳母は別の人だったが、ややこしいので乳離れしてから兄たちと纏めて面倒を見てくれた兄の乳母のほうを、私も乳母と呼んでいた。私の乳母は、領地の別荘の管理人の妻なので、基本的に主屋敷にはいなかったのである。ちなみにそちらの実子も男の子だったけど、川でも湖でも海でもひたすら食材を獲っている、なんというか非常に経済的な子だった。

 まあ彼のことは今はどうでもいい。つまり、私が伯爵夫人としてペットの亀くらいには愛される場合、旦那様(仮)の恋人は、ペットとしてちょっぴり愛される亀(正妻)の存在を気に病まれたりしないのかと問いたかったのだが……わかりづらかっただろうか。

「……乳母のペットの亀が十二匹……」

 旦那様(仮)は呆然と呟いた。

「小さな子達でしたよ、最初は」

 今はちょっと岩。

「そ、そうか……いや、君はそれでいいのか?」

「はい、亀に囲まれた生活も悪くありませんでしたよ? 乳母を手伝って餌をあげていると、けっこう顔を覚えてくれますし。私も十二匹ちゃんと見分けがつきます。顔より甲羅でですけど」

「そうではなく。亀の話ではなくて。君は、そのような愛で本当に良いのかと……いや、すまない、俺が出した条件だったな……」

 旦那様(仮)は頭を抱えてしまった。

 うーん? やっぱり湧き水からドブ川から深海までを駆け回る我が一族周辺でありがちなペットの亀の喩え話は、たぶん瀟洒な港っ子であろうとしている旦那様(仮)には伝わりにくかったのかも知れない……。

 私が内省していると、旦那様(仮)は軽く頭を振って立ち直ったように私を見た。

「……その、なんだ。いくら私でも、さすがにペットの亀くらいには君を愛せると思う」

「ありがとうございます。では、不束かなペットの亀ですが、よろしくお願い致します」

 やったぁ! とりあえず結婚できたぁ! という気持ちを抑えて、私は極力上品に微笑んだ。

 しかし旦那様(仮)は、再び難しい顔をした。

「……やはり熱帯魚くらいにしておかないか?」

「ぴぇっ?」

 うわしまった、間違っておかしい感じの声がでてしまった。酷い、なんて声を出させるんだ。

 旦那様(仮)がびっくりした顔になったが、それどころではない。私がグッピーならもう死んでたよ。

「な、なな長生き禁止ですか……?」

 だって熱帯魚って、小型だと一年から三年くらいで死ぬ。中型で頑丈でやっと十年の世界である。

 つまり私も、数年で伯爵夫人の座とこの世から御暇しやがれよ、ということ――?

 急にオロオロしはじめた私を見て、旦那様(仮)もちょっとオロオロした。

「は? いやっ、いや、違う! 寿命は、ゾウガメでも構わない。普通に健やかに生きてくれ!」

 あ、百年以上生きても良いらしい。安心した。

「いえ、雌のアリゲーターガーくらいで良いですよ」

「急に落ち着いたな」

「もっと焦ったほうが?」

「いやそのまま落ち着いていてくれ」

「わかりました。あの、もしかして亀はお嫌いですか?」

「そうではないが……」

「わかりました。嫌いではないが、思うところはあるのですね。ちなみに今後の参考までにお聞きしたいのですが、ピラルクとアロワナってどちらがお好きですか?」

 せっかくだから、旦那様(仮)の好みを聞いておこうと思い、そう口にする。

 旦那様(仮)はものすごくぎゅっと眉を寄せて難しい顔をして、ぽつりと呟いた。

「……カワウソ」

「それ全然違う哺乳類ですよ」

「わかっている。だが、なぜ淡水古代魚から選ばなくてはならないんだ? 綺麗でも可愛くもないだろう……?」

「えっ、そんな古代魚愛好家を敵に回すような発言はお控えになったほうがよろしいですよ?」

 簀巻きにされて、ピラニアの餌にされますよ?

 いえ大多数の古代魚愛好家は、もちろん真っ当で理性的だと思いますがね、従兄弟がそんな感じの奴でして。兄が一度危なかったです。侯爵家の嫡男じゃなかったらたぶん駄目でしたね。

 旦那様(仮)は、なんとも言えない表情で私を見た。

「だが、君も例えられるなら、エレファントノーズよりもペンギンなどのほうが良いだろう?」

「まあ確かに、私も、君ってあの象の鼻みたいな下顎の長さの魚に似てるよな! と言われるのはさすがに、率直な罵倒かな? とは思いますけどね……」

 でも、エレファントノーズ自体は可愛いし、ペンギン顔の嘴人間もべつに可愛くはないかも。

 いや、旦那様(仮)が、そのまま顔の造形的な意味で言っているわけではないことくらいは、わかるけれど。

 それでも、やっぱりペンギンは、駄目だと思うのだ。

「その……君はペンギンに似ているね、などは……かなり、愛しているみたいでは?」

「……えっ? ……そ、そうだろうか……?」

「はい」

 だって、例えば実家が最近王都に建てた水族館では、ペンギンのご飯の時間が大人気である。とてとてと短そうで実は短くない足で、餌のバケツを持つ飼育員さんを執拗に追い回し、ゆすりたかり仲間割れ強奪突き飛ばししている姿には、小さなお嬢様からご年配のご婦人まで黄色い声が止まらない。

 あるいはカワウソが巣の中で、兄弟を踏んづけながらもみくちゃになってお昼寝する姿には、妙齢のお嬢様が、連れてきてくれた貴公子様をそっちのけで魅入られている。そして貴公子様も、お嬢様のエスコートを忘れて一人でカワウソの水槽の周りをうろうろと回っていたりする。

 だからその次の通路の簡易お土産屋で、ハートを抱えたカワウソのペアマスコットキーホルダーを売るように私が進言したのは、彼らの破局防止のためだ。別に小金稼ぎじゃないってば。

 まあつまり、奴らは犯罪的に可愛いのだ。一部の特権階級にしか許されない所業も許される。

 そんな可愛い彼らを、君を愛することができないな相手を例えるのは、絶対にぜったいに駄目だと思うのだ。

 そう、私だって本当はちゃんとわかっている。世間一般的にポリプテルス(魚)よりも、カワウソやペンギンのほうがずっと可愛い。だから、カワウソやペンギン(可愛い)に例えるのは、愛することができる可愛い恋人(つまり可愛い)だけにしておいたほうがいいのだ。ちなみにオオカワウソは……うん。昔に見た、アデリーペンギンの雛が成鳥たちに苛められていたときの光景よりは可愛い顔だよね。

 だけど、旦那様(仮)が、屋敷でプロトプテルス(魚)を飼う気にはなれないというのなら。

「……でしたら私のことは、お屋敷の片隅の一室で毎日優雅にソファーでゴロゴロしながらお菓子摘んでお茶して娯楽小説を読んでばかりのトド、ということでいかがでしょうか?」

 いやトドはたぶん私よりちゃんと毎日頑張って生きているけどね、イメージがちょっとゴツくて重くてね、ごめんトド。

「……トド」

 旦那様(仮)は不思議なものを見る目で私を眺めた。

「はい」

 私は上品で明朗で素晴らしく淑女なお返事をした。

「……アザラシでは駄目なのか?」

「駄目ですね」

 ヤツは一度なぜか王都の川に現れて人気者になった実績があるので。

「……ラッコ」

「駄目ですね」

 ヤツも水族館の人気者の一角なので。誕生日などには嬉々として高級海老を貪っているくらいだ。仲間に盗られないようにくるくる逃げていて、やはり可愛い。しかも寝るときには流されないよう海藻を巻きつけたり仲間とおててを繋いだり、貝を割るためのお気に入りの石を隠し持っていたりする、推しポイントの宝庫である。

 だから申し訳ないが、君を愛することができない旦那様(仮)には、愛してしまうべきペットは飼わせてあげられないのだ。可愛いペットの皮を被った私の魅力()で泥沼化とかは万が一にも嫌である。

 私は海藻サラダが大好きだけど、私自身が海の藻屑にはなりたいわけじゃないんだよ。

「うーん、では妥協点でセイウチは如何でしょうか?」

「……妥協点の意味について論じるのは止めておくとして、牙はないほうが好みかな」

「ではトドか、あとはオットセイかアシカあたりですかね? でもオットセイとアシカはわりと芸達者が多くて私ではとても」

「もうトドで構わないよ」

 それとなく必死にトドになりたがる私に、旦那様(仮)はようやく諦めたらしく、曖昧に微笑んで頷いた。

「ではネリネ嬢。すまないが、これからどうかよろしく頼む」

「あっ、はい」

 えっ、結局普通に名前で呼ばれるんですか、私。

 トドって響きもわりと可愛いかもって思っていたのに?


ネリネは基本的にこんなテンションです。

よろしくお願いします。

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