語られもしない英雄
『死にたくない』
あの日、そう強く願ったのを今でも嫌なほど覚えている。
あの姿、あの影、あの恐怖、あの‥‥あぁ、もう思い出したくない。全部が怖くて怖くて仕方がない。
今から500年以上前。私はこの世界にやって来た。
いわゆる‥‥”異世界転生”というやつだろうか。いや、前世で死んだ記憶はないから、”異世界転移”かもしれない。
前にいた世界から、姿形も変わっていないし、性格も同じだし、記憶も残っている。だから、世界を渡って来たっていう表現が一番正しい。
どうして500年前のことを今更思い出しているのか、その原因は目の前にいる彼女だ。
「あはは、そうかもね」
特に連絡もせず、前触れもなく表れた彼女は、私が一人になったこの時間を狙ってわざわざ訪れたような気がする。
「まぁ、正解かな。サプライズだよ、サプライズ」
大きな三角帽子から覗かせるその瞳をよく知っている。
「ていうか、やっぱり前のあいつはあんただったんだ」
「前の? あぁ、あの時のね。そうだね、あの時は少し特殊な帽子を被ってたからね」
変なものばかり開発している彼女は、前回会った時もその発明品で私からの”認識”を隠していた。そのせいで、前は気付けなかった。ただ、記憶の中に彼女の似た誰かがぽっと現れたような気がしただけだった。
けれど、今日は違うらしい。今回着けている帽子は普通のようで、特段変な効果はついていなさそうだ。
「まぁまぁそんなことはどうでもいいじゃないか。せっかく久しぶりに会ったんだし、昔話でもしようか」
* * *
脳が暑さでヒートショックを起こしてしまいそうな、猛暑。
猛暑は残念ながら学校が休みになる理由にはならないから、今日も私は学校に向かう。
「おや、おはよう」
教室に入って席につくと、いつも前の席にいる彼女はそう言った。
少しカールの巻いた茶髪に、碧眼は、どう見ても日本人じゃないようだけど、彼女は日本語を話す。どうやら、ハーフらしい。
ハーフに対する勝手なイメージで、美形がある。そして彼女は紛れもなく美形で、クラスメイトからかなり人気があった。
よく話しかけられているし、その度にその独特な口調で会話を展開している。
ボク、という一人称は、日本の女子が言うには普通に考えて痛すぎるけれど、彼女はハーフだから許されていた。
そんな彼女は、特段目立つわけでもない私によく話しかけてくる。
「今日は随分と熱いね。ボクは依然イギリスにいたんだけど、日本と比べて寒暖差があんまりなかったからしんどいよ」
「へぇ、あっちだと夏も快適なの?」
「まぁね。そもそも、日本はいくらなんでも暑すぎるね」
酷く同感だ。
日本は暑い。暑いにもほどがある。そのくせ冬は寒い。
この寒暖差はどうにかならないものかと、よく考えては無に帰していた。
「そういえば、キミにおすすめされた本、読んだよ」
そう言って、彼女は一冊の本を取り出した。
それは依然、私が彼女におすすめしたもの。よくある異世界もので、異世界に転生した主人公が頑張る! みたいな、そういう話。
「どうだった?」
「読んだんだけど‥‥なんていうか、上手くいきすぎじゃないかい?」
「そりゃそうでしょ。異世界に行ったらすごい特典を貰って、それで無双するんだから」
「特典ね。神から渡されるようなものなんだから、そりゃとてつもないんだろうけど。でも、ただの人間に神の力を上手く扱えるとは思えないけどね」
彼女はいつだって現実的な気がする。
こういう話は、上手くいくからいいのに。
「それはそうかもだけど、そんなの言ったら神がそんな特典を渡してる時点でおかしいし」
「まぁ、それはそうだけどね。いつだって思うよ、神が世界のバランスを崩すような力を部外者に渡すのは、なんでだろうってね」
「はぁ、つまりは‥‥面白くなかったってこと?」
「いや、面白かったよ」
意外だった。結構ボロクソに言うものだから、てっきり面白くないと言うのかと思っていた。
「とても、希望の持てる話だった。確かにおかしなところはあったのかもしれないけれど、こういう面白い世界がどこかにあるのではないかと想像させるような、そういう意味ではとても良い物語だったと思えるね」
「へぇ‥‥へぇ?」
「あはは、表現が少し難しすぎたかな」
「いや、この作品を読んでそんな感想述べるやつ、世界中のどこ探してもあんただけだろうなって」
「あはははは」
とはいえ、確かにとは思った。
おかしくたっていい。明らかに矛盾してたっていい。ただ、こんなに希望に満ち溢れたものが、どこかにあるんだって思わせるようなものは、今のつまらない世界には必ず必要なものだと思う。
* * *
「懐かしいね。この世界にやってくる日は、キミとそんなことを話していたような気がするね」
「なに? もう忘れたの? たったの500年前なのに」
「あはは、たったの、ね」
* * *
どうやってこの世界にやってきたのだろうか。
死んではいない。ただ、何でもない日々に、今目の前にいる彼女と下校していた時だった。
「ああいうのを読むってことは、キミも異世界に行きたいのかい?」
その日、的外れな質問を彼女にされたこと覚えている。
「はぁ?」
「いや、異世界に行きたいのかなってね」
「別に。普通に日本でいいよ。異世界とか怖そうだし‥‥って、普通そんなこと聞く?」
「そうかい? ボクはいたって普通の疑問を投げかけただけだと思うけど」
「いやいや、そんなことないでしょ」
「そうかな~。誰だって、子どもの頃は絵本を読み聞かされた時に、その絵本の主人公に感情移入するはずだ。プリンセスになったり、勇者になって魔王を討伐しに行ったり。そういったものに感情移入するということは、素直にそういう世界に行きたいってことだろう?」
「そんなわけ。感情移入したからってその世界に行きたいわけじゃないでしょ」
「なるほどね。感情移入をするのは、都合が良いんだね」
私は彼女との会話に慣れているからそれほど何も思わないけれど、他の誰かだったらきっと今頃彼女が何を言っているのかわからなくなっているところだろう。そういう誰かがいるのなら、アドバイスをしておく。
彼女の話を理解しようとはしないこと。
「例えばゲームの世界に入るとする。そのゲームのシナリオは、勇者が攫われた姫を助ける為に魔王を討伐しに行くというよくあるものだとする。その時、ゲームのシナリオでは、勇者が負けることはないし、負けたとしても、それはただのイベントの一環で、そのあと勇者は覚醒だったりなんだったりをするんだろう」
「えぇ、急に何?」
「例えばだよ。こういうゲームをする時って、やっぱりプレイヤーは主人公である勇者に感情移入するものだろう?」
「まぁ、そりゃね」
「でも、自ら勇者になろうとはしないんだよ」
「そう?」
「そうだね、間違いない。だって、感情移入する分には、シナリオが変わることなんてありえない。だから、きっと待ち受けているのはハッピーエンドだ。でも、自ら勇者になってしまうと、きっと、いや間違いなくシナリオは変わる。何故なら、ボクたちは勇者ではないからだ」
「は、はぁ?」
「ボクたちと勇者の間にある、無視できない差というものは絶対に埋まらない。ボクたちは神に選ばれたわけじゃないから、勇気を持っているわけじゃないから、きっと勇者と同等の力を持っていたところで、そのゲームのシナリオに従えるほどのものは持ち合わせていないんだろうね」
やっぱり、彼女の言っていることは全く分からない。
相変わらず変なことばかりを言う彼女に頭を悩ませていた時、パッと全てが変わった。
―――ここは、どこ?
あまりに突然の出来事で、状況が上手く呑み込めない。
つい先ほどまで、私たちはなんてことのない街路にいたはずだ。家々を四角の道で囲んだような、そういうよくあるやつ。
ただ、たった今いるここは‥‥分からない。
理解すらできない場所。真っ白な空間に閉じ込められているような、ただそんな感じの認識にされているだけのような‥‥‥直感的に感じたものを言葉にすると―――私たちは、”無”にいた。
「おや、ここはどこだろうね」
隣にいる彼女は、酷く落ち着いているように見えた。
「う、うううう嘘。どこ、どこどこどこ」
「まぁまぁ、落ち着きなって」
「無理でしょ! どうやって落ち着くのこれ!」
「いやまぁそうかもだけど、もしかしたらボクたちは夢の中にいるのかも、なんてね」
そうだ。夢。夢だ。これ、夢で間違いない‥‥‥はずだ。そうあってほしい。
その時だった。目の前に―――”それ”は現れた。
明らかに人知を超えた化物。
生命と呼べるのかすら怪しい。
ただ、化物というには、あまりにも神々しさを漂わせすぎているそれは、ファンタジーの世界でしかみないような存在だった。
私たちが蟻んこに思えてしまうような巨体。
何百枚もの、神々しさを放つ翼と、それと対になるような邪悪さを醸し出す悪魔のような翼。
顔面はその大量の翼に覆われていて、到底ご尊顔をお目に掛かれるような状態ではなかった。ただ分かることは、それが人型であり、明らかに人では無いということだけだ。
ただ、すぐに思った。というより、思わされた。
これ―――”神”だ。
なんでそう思ったのかなんて分からない。ただ、その神々しさの中にグロテスクを混ぜ合わせたようなそれは、見たこともないのに神だと認識させてくるのだ。
「おやおや、これはまたすごいね」
彼女は酷く冷静‥‥ではなかった。
流石に、この状況には彼女も驚きを隠せていないようだった。
その時、どこからともなく”声”が聞こえた。
(調和。崇高なる始まりの神の子らよ、我が世界の希望となることを望め)
その声は、直接頭に入り込んでくるような、それも日本語とは到底かけ離れているような言語だった。
それなのに、私はその言葉を理解できた。まるで、無理やり翻訳されているような。
「あ~、え~っと、ここはどこかな? そこのキミ」
彼女は目の前に”神”を指差し、問い掛けた。
「ちょ、あんた‥‥そんな普通に」
「いやだって、勝手に連れてこられたんだし、あちらはボクたちに説明する義務があるはずだけどね」
「それはそうかもだけど‥‥‥」
また言葉が聞こえてきた。
(是。我が世界に”混沌”が降り立った。安定、それこそ子らに望むもの)
「あはは、何言ってるか全然分からないね」
あんたが言うかそれ。
ただ‥‥なんだろう。そもそも、この神の話す言語は知らないはずだし、言い回しに関してもややこしいんだけど、なぜか‥‥分かる。分かってしまう。
「あんたの世界に予期せぬ存在が生まれたの?」
(是)
「おや、あいつが何言ってるのか分かるのかい?」
「逆にあんたは分からないの?」
「ふ~む‥‥どうやら、呼ばれたのはキミの方みたいだね」
彼女の言い回しもよく分からない。けれど、神は言葉を続けた。
(安定、望め。混沌は調和を乱す)
「つまり、私たちにその予期せぬ存在を倒して欲しい‥‥いや、違う? どちらかというと、その予期せぬ存在が乱した天秤を正す、みたいな?」
「おやおや、何を言ってるんだろうね」
「さぁ、私もさっぱり」
なんていうか、不思議な感じだ。
とにかく、その神の所有する世界では、影が現れたことで世界の天秤が大きく傾いてしまっているようで、私たちがその世界に行くことでその天秤が吊りあうようにしたいようだった。
それで、その”影”がなんなのか、当時は知らなかったけど、今なら分かる。―――魔王だ。
* * *
「今思えば、キミには”神の言語”を知る才能があったのかもね」
「どういうこと?」
「ボクにも才能がある。世間的にはギフテッドと呼ばれるやつで、それはある種神からの贈り物として捉えられている。それと同じように、キミには”神の言語”を理解できる才能があったんだよ。残念ながら、人間として暮らしていてそれが活きることなんてなかったから、その才能に気付けなかったんだろうけどね」
「はぁ、何言ってるのかもうちょっと分かるように話してよ」
「あはは」
* * *
その次の瞬間だった。
私たちは狭い道にいて、そこから抜けると見知らぬ地に足を踏み入れていた。
「え‥‥‥」
「おや、またまたここはどこだろうね」
明らかに日本じゃない。どちらかというと中世? ヨーロッパ? そんな感じの、それこそ剣と魔法の世界という言葉が似合うような雰囲気を、不思議と感じた。
おそらくそんなことを感じるのは、よく私がそういう物語を読んでいたからで、その物語の世界とたった今いるこの世界が強く結びついたからだと思う。
「いや、いやいやいや」
「ふ~む。どうしようか」
「やばいって~~~~!!!!!」
叫んだ。叫んだけれど、どこにも届くことは無かった。ただただ、周りからの冷たい視線だけが私を貫いた。
神というものは、あまりにも理不尽だと思う。
相手の了解も得ずに、突然こんな場所に送り込むものだから、もはや神って馬鹿なのか?
ただ、不幸中の幸いは、今いるここが”街”だったということ。
街? 王都? そんな感じの場所だった。
「とにかく、散策でもしようか」
こいつ、どうしてこんなに冷静なんだろう。
「まぁ、焦っていても仕方ないしね。まだ夢の可能性も捨てきれないし」
‥‥?
「どうしたんだい?」
ば~か。
「えぇ? なんだい急に」
あほ。
「いやいや、本当にどうしたんだい?」
‥‥なにこれ。
「いや、こっちのセリフだけどね」
「そうじゃない」
「?」
「さっきから私、何も喋ってないんだけど」
「えぇ? 何言ってるんだい。じゃあどうやって会話したと言うのかな?」
私の口を見て。
「えぇ? まぁいいけど」
彼女はじっと私の口を見た。それを見計らって、いろいろと考え事をしてみる。
ばか。あほ。まぬけ。変態。
「‥‥‥‥なるほど」
どうやら理解したようだった。
「はぁ、なんとなく分かってしまったよ。キミに貸してもらった本でもそうだったけど、どうやらボクたちも”特典”とやらを貰ってしまったようだね」
「たち?」
「あぁ、もしかして気付いてないのかい? そうか、これはボクにしか見えないものなんだね」
「いや、どういうこと?」
「”ステータス”」
彼女はにっこりとした顔でそう言った。
「こう言えば、分かるんじゃないかな?」
「もしかして‥‥見えてるの?」
「うん、どうやらそうらしいね」
ステータス。よくゲームとかで見るような奴だ。そのキャラの様々な情報が詰まっているもの。
ゲームだけじゃなくて、異世界系の物語とかでも見ることがある。たまに、ゲームの世界じゃないのにどうしてステータスがあるんだろう‥‥と思うことはあるけれど、ステータスはステータスで一つの魅力だから、まぁいいかとなるやつだ。
そんなステータスを、どうやら彼女は見ているらしかった。
「面白いねこれ」
「いや、なんで私には見えないの? 不公平じゃん」
「どうやら、神がボクに渡した特典は、これのようだね。名付けるのなら、”真理の瞳”かな」
「うわ、痛すぎ」
「あ、はは。‥‥とにかく、この瞳のおかげで、キミが貰った特典も分かったよ」
少し、高揚した。
これが夢だとしても、あまりにわくわくする夢で、少し期待感がある。
「”真実の口”」
「は?」
「今名付けたんだよ」
「いや‥‥そんな、イタリアのローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にあるあの彫刻みたいな名前付けるなーーー!!!」
「おや、やけに詳しいね」
とにかく、私にも特典があるらしい。
その能力は、その口に乗せた全ての言葉を真実にするというもの。
試しに、そこらへんにあった屋台の売り物に「これは無料です」って言ったら、本当に無料になった。
どう考えても無料なわけがないけれど、私がそう言ったから、それが真実になったようだった。
少し悪いことを‥‥いや、まぁ悪いことをしたのは間違いないけれど、あの時はただの夢だと思っていたし、仕方ない。
* * *
「そういえば、キミの口調があんな風になってしまったのは、やっぱり”真実の口”のせいかな?」
「いや、その名前やめてよ。‥‥まぁ、それはそうだけど」
「じゃあ、ボクに対しては普通に喋っているのはどうしてだい?」
「あんたは最悪の場合が存在しないじゃん。それに、今はある程度制御できるようになったから」
「そっか。なら良かった。とはいえ、ボクの瞳がある以上、その考えは知っていたけどね。確かに、あの口調なら、言葉自体にそれほど意味が持たせずに済むからね」
* * *
何日ほどが経った頃だろうか。
私は段々と気付き始めた。―――これが、夢じゃないことに。
「ママ、パパ‥‥‥」
「おや、奇遇だね。キミもママパパ呼びなんだね」
いつも寝泊りしている宿で、隣に座って来た彼女がそう言った。
「うるさい」
「この歳、と言ってもまだまだ若いけれど、親のことをママパパなんて呼ぶと笑われることが多いからね~。なぜだか、ボクはそれほど笑われないけど」
「それは、あんたがハーフだからでしょ」
「そうかもね。なぜだか、日本語訳された海外ドラマを見ると、いい歳をした娘が母親のことをママと呼んでいるシーンはよく見るしね。なんでだろうね」
彼女はよく、なぜ、なんで、どうして、みたいなことを言う。世界には気になることがたくさんあるようで、そのせいで授業の進行が度々止まっていたことを覚えている。
「とにかく、少なくとも死んではいないんだから、どうにかなるさ」
「よくもまぁ、そんな呑気でいられるよね」
「そうかい? 意外にもこう見えて結構焦ってるんだよ。ただ、それ以上にこの世界のことが気になって仕方なくもあるかな」
「気になる?」
「そうだね。例えば、どうしたボクたちはこの世界の言語が理解できるのかとか。その上、この世界の言語はどれだけの種類があるのだとか。あとは‥‥”魔法”って、なんなのか、とかね」
「そんなの、どうでもいい。私は帰りたい」
「う~ん、まぁ‥‥それは同感かな」
* * *
「そういえば、あの時に言ってた気になることは解決した?」
「いやぁ? まだまだかな。むしろ深まったまであるよ。一応分かったことは、この世界にはなぜか一種類の言語しか存在しない、ということかな。人語以外にはまともの対話が存在していないような気もするね。それこそ、神ですら人語を話しているし。いや、むしろ逆かな? 神が話した言葉を、全ての生命が話している、という方が正しいように思えるね」
「あっそ」
「興味ないかい?」
「まぁ、難しすぎるし。そういうのはある程度都合が良くないと」
「まぁ、そういうものとして捉えるのも悪くないね」
* * *
そのあとの出来事は、多分、王都の図書館とかで適当に<勇者物語>みたいなやつを読めば分かるかな。
とは言っても、そこに登場するのは、勇者と、賢者と、熾天使だけ。
「そうだね。キミだけは、ボクたち勇者パーティの記憶にしか残っていないからね」
「まぁ、私は違うから」
「う~ん? キミは勇者パーティじゃないって意味かな」
「そう」
「そうかな。ボクはそうは思わないけどね」
「そう?」
「そうだよ。誰よりも、キミは勇気があった。下手したら、あの勇者よりもね」
「そんなわけないよ」
「あるよ。決して、あれは”逃げ”とは言わない。あれを逃げた、たったそれだけで表現してはならない」
あはは。
よくもまぁ、そんな昔のことを覚えているもんだ。
「忘れないさ。そう、あの時‥‥初めて、ボクたちが”彼女”と出会った時だ」
* * *
蹂躙とは。
それは、両者間の力関係が明らかに傾いていた時に起こる、圧倒的なまでの理不尽だ。
彼女‥‥いや、魔王は、たった一人で勇者パーティを蹂躙できるほどの力を持っていた。
『お前は何を知っている? わたしが誰かを殺したか? そもそも、誰かを殺すことは罪なのか? どうしてすぐに人間の尺度でわたしたちを測る? どうして、人間が魔物を殺すことは罪にならないのに、わたしたちが人間を殺すことは罪になる?』
そう言う魔王の瞳には、強い憎悪が渦巻いていたのを覚えている。
そのあとに起きたのが、紛れもない蹂躙だったのも覚えている。
最終的には、パーティの一人、あの熾天使が私たちを裏切ったことで事態は収まりはしたけれど、その出来事は、強い不安と恐怖を私にもたらした。
「きっと、魔王は私たちを殺そうとはしていなかったと思ってる」
「そうだね。あれだけ怒りに吞まれようとも、決して愛した者を裏切るようなことはしなかった」
「でも‥‥あはは、あぁ‥‥なんていうか、あれは‥‥”怖かったな”」
「‥‥‥‥」
「それこそさ―――」
復習をしよう。
私の真実の口は、その口に乗せた全ての言葉を真実にするというもの。
今ではある程度制御できるようにはなっているけど、当時は全く制御できていなかった。
ただ、その力はあまりに強力で、私があのメンツの中でもなんとかやれていたのは、この力のおかげだと思っている。でも‥‥‥‥‥
「―――死にたくないって、つい口にしちゃうぐらいには」
そう言った時、目の前にいる彼女は、クスッと笑た。
別に馬鹿にされているわけじゃない。むしろ、それぐらいの反応の方が、私としても良い。
「あはは、まぁそうだね。ボクも、ついうっかり不死身になっちゃったよ」
「うっかりって」
「まぁでも、おかげでこうやって今でもお話できてるんだから、ある意味良かったこともあったよね」
* * *
私は、逃げた。
魔王が怖くて、本当に怖くて怖くて仕方が無くて、とにかく逃げた。
全部を投げ出して、あのパーティからも抜けて、誰もいないところでただ一人暮らすことにした。
その結果、勇者が残した英雄伝説的なものに、彼女は大賢者として残ったけれど、私は何も残らなかった。
でも、後悔はしていない。それが、私の選んだ、それこそ望んだ道だから。
* * *
「おかげで、好きな人とも出会えたのかい?」
彼女はからかうように言った。
「はいはい、そうですよ~だ」
「ふふっ。‥‥‥良かったね」
「‥‥うん」
彼女は「そろそろ行かないと」と言って、それほど多くもない荷物をまとめると、部屋の扉の前に立った。
「じゃあ、また」
「うん、またね―――」
私は、少しいじわるな笑顔を彼女に向けた。
「山田」
「‥‥えぇ?」
「ふふっ、じゃあね」
「はぁ‥‥はいはい。―――じゃあ、また―――花山 美香」




