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91話:最後のハグ

 シリウスの転移魔法で、実家まで帰った。


 街と勘違いしてしまいそうなほど大きな庭園を抜けた先には、これまた巨大な邸宅が立ち構えている。

 ここが実家なのだから、感じるのは安心感のはずだ。実際にわたしは安心しているし、またこうやって無事に帰れたことを喜ぶべきなのだろう。


 それなのに、まただ。


 ―――寂しい。


「ミリア‥‥」


 低く、そして弱々しい印象の声。よく知っているその声を発したのは、他でもないお父様だった。


「ミリア!」


 どうやらお父様は邸宅の前でずーっと待っていたらしかった。

 お父様はわたしを見つけた瞬間、支えにしていた杖を放り投げて、ゆっくりと加速しながらこちらに走ってくる。


 段々と距離が近づいてきた。

 お父様はわたしとの距離がある程度近くなったところで、手を大きく広げて、そのままその中にわたしを包み込んだ。


 強く抱き締められて、顔がお父様の胸にぴったりとくっつく。


 ドクン ドクン


 波打つお父様の鼓動が顔に伝わってくる。


 速いな。


 それは、お父様が久しく走ったからというより、酷く心配していたからだろう。


「すまない‥‥すまない。わたしは‥‥無力だ」


 きっと、怒らせてしまっただろうと思っていた。

 あの時、シリウスを助ける為とはいえ、あの決断をしたことはお父様にとって酷いストレスとなったことだろう。

 お母様が死んで、家族がわたししかいないのにそのわたしが死を選ぶようなことをしたのだから、お父様は怒っているはずだと、そう思っていた。


 しかし、お父様は怒るどころか、自分は無力だと、むしろ自分自身を責めるようなことを言うのだ。


 こういうところ、やっぱりお父様は優しい。


 思っていた以上に長い時間抱き締められて、お父様の体温が伝わって来る。

 リーベルに抱き締められる時は、いつも温かいという感想が残る。ただ、お父様からは温度を感じづらい。その理由は、お父様とわたしの体温が近いからで、温度を感じるには温度差が必要だからだ。


 だから、今感じているこの”冷たい”は、お父様が冷たいというより、わたしが温かくなっているということだろう。

 原因は、恥ずかしい?

 それとも――――


「お父様‥‥‥」

「あぁ」

「‥‥わたしは‥‥」


 わたしはお父様を強く抱き締め返した。


「‥‥怖かったです」

「そうか」


 震えて、泣いて。

 恐怖に支配された心が、今解き放たれた。それによって生じた安心とのギャップが、更に恐怖を自覚させる。


 ―――そうだ、怖かった。


 まだ十八年弱しか生きていないのに、――”500”、この年月は長すぎて、そして重すぎる。

 何度も言う。わたしは魔王じゃない。でも、魔王の魂を持って生まれてきてしまったから、この運命を背負わなければならなかった。


 今分かった。

 ただ、それを怖く感じていた。


 公爵令嬢という身分は世間的に高いかもしれないが、それでもわたしはただの少女に過ぎないのだ。だから、だからだ。


「お父様‥‥‥」

「あぁ」

「怖い。怖かった」

「そうだな。わたしもお前を失うのが怖い」


 幼児退行して、馬鹿みたいに泣くわたしをお父様は抱き締め続けた。

 その時になって、懐かしい感覚を覚えた。

 おかしい。お父様がわたしを抱き締めてくれたことなんて、わたしが赤ん坊の時以外は無いはずなのに、この歳になって懐かしさを感じている。


 きっと、恐怖に支配された心は、年齢なんて関係ないのだろう。

 だから、今のわたしは年齢なんて関係なく、生まれてから感じてきた全てを懐かしく感じてしまうのだ。




 * * *




 夢を見た。


「おい、起きろ」


 夢の中なのにそんなことを言われる。


「起きろ」


 また言われる。

 いい加減うざったく感じて、わたしは目を開けた。


「‥‥はぁ、やっと起きたか」

「‥‥‥」


 誰? という感想は一瞬だけ出てきて、刹那に消えていった。

 シリウスの魔法で姿を知っていたということもあるが、恐らく知らなくても気付けていたと思う。


「‥‥魔王」

「そうだ。わたしがお前たちの言う魔王。とは言っても、自分でそう名乗ったことはあまりない。ただ、わたしの名前はお前と似ていてややこしいから、今は魔王でいい」


 あまりに自然に語り掛けてくる魔王に、ここが夢なのか分からなくなってくる。

 夢にしてはやけに意識がはっきりしているような気もして、ただ死んでいるはずの魔王がいるから夢のような気もする。


「その悩みを解決してやろう。そうだな‥‥ここは、精神空間」

「精神空間‥‥?」

「そうだ。まぁ、ちょっと変わった夢だとでも思っておけばいい。実際、わたしがお前の思考を覗けているのも、わたしがお前の中に入り込んでしまった”記憶”に過ぎないからだ」

「‥‥?」

「順を追って説明してやろう。ただ、長くなりすぎると夢から覚めてしまうから、短めにだ」


 魔王は話した。


 どうやら、地獄の影を取り込んだことで影が強まり過ぎてしまい、魂から消していた”魔王の記憶”が蘇ってしまったらしい。そして、その記憶こそが今目の前にいる彼女だと。


「正直に言うと、これはあまり良くない結果だ」

「どういうことだ‥‥?」

「今はまだ問題ないが、このまま影が強まり過ぎてお前を完全に呑み込んでしまうと、わたしが復活して、お前を殺してしまう」


 殺してしまうというのは、あくまで比喩のようだが、事実でもあった。


「わたしとお前は同じ魂を持ってはいるが、全くの別物だ。魂を構成するものに記憶がある。記憶はその者の人格を創り出し、ある意味では記憶こそがその者自身だと言える。だから、わたしの記憶がお前の記憶を侵食してしまうことは、わたしがお前を殺してしまうということだ」


 少し、意外に思える。

 魔王が復活するということは、彼女にとって自由になるということだ。わたしがこれまで培ってきた”普通の日々”を今奪ってしまえば、彼女の望んだものが現実になる。


「それ‥‥本気で言ってないよな」


 まぁ、冗談だ。


「とにかく‥‥分かっているとは思うが、わたしはそんなことを望んでなんかいない。今、こうやってお前と話しているのも―――ただ、お前に謝る為だ」


 謝る。

 そう言った魔王は、その言葉通り頭を深く下げた。

 その後に頭を上げた魔王の表情は、魔王と言うには純粋すぎる少女のようだった。


「わたしはとっくに死んでる。それにも関わらず、お前という未来を望んでしまった。それが生んだ結果は、お前に多くの不幸をもたらした。いろいろ謝るべきことはあるが‥‥一番は、お前の母親を殺したことだ」


 ‥‥‥‥


「魔力暴走は、ハッキリ言ってわたしのせいだ。お前がわたしを制御できなかったからじゃない。お前に”影”という危険因子を渡したにも関わらず、本来それを制御するべきのわたしが記憶と共に消えてしまったから、その責任は全てわたしにある。―――悪い。わたしのせいだ」


 責任は全て自分にあるという魔王は、わたしには無責任に映ってしまった。

 今更そんなことを言われたとて、もう戻ることはない。

 そうだな――――


「お前のせいで、わたしの人生散々だ!」


 魔王に会ったら言おうと思っていたこと、それを言ってもすっきりはしない。


「お前がわたしに影なんか渡さなかったら、お母様は今でもわたしの側にいてくれた。お父様だって、あんなに溜息をつく必要も無かった」

「そうだな」

「お前のせいで、わたしはセルシエルの計画に巻き込まれて痛い目を見たし、死にかけた‥‥いや、死んだこともある」

「そうだな」

「お前のせいでわたしはケガレつきになってしまったし、お前のせいで‥‥お前のせいで‥‥‥」


 わたしの不幸は、全部こいつのせいだ。

 他責思考にも思えるが、事実だ。彼女もそれを自覚している。

 それなのに――――


「お前の”おかげ”で‥‥わたしは、孤独じゃなくなった」

「‥‥‥」

「まず、シリウスに会った。彼女のおかげで、家族と同じぐらい大切な人を知れた。彼女が誰よりも心がボロボロだということにも気付けた」

「‥‥‥」

「ディアベルとアーデウスに会った。彼女たちのおかげで、悪い奴らばかりだと思っていた悪魔が案外いい奴なことを知れた」

「‥‥‥」

「そういえば、グレイアもそうか。彼女のおかげで、わたしは家族を知って、自分が孤独じゃないことを知れた」

「‥‥‥」

「アリシアとフェシアさんに会った。元から会えたかもしれないが、それでもシリウスの計画が無ければあれほどお互いを知ることはできなかった。彼女たちのおかげで、わたしは大切な愛を知れた」

「‥‥‥」

「グラトニスにも会った。彼のおかげで、わたしは守ることを知れた。それに、魔物と人間の関係を考え直すきっかけにもなった」

「‥‥‥」

「熾天使たちとの思い出は最悪かもしれないが、それでも会えたのはお前のおかげだ。それに――――」


 その時、強く抱き締められて、続こうとしていた言葉を止められる。

 わたしと同じ身長に、似たような顔をした魔王に抱き締められて、まるで鏡の中の自分に抱き締められたかのような不思議な感覚だ。

 ただ、ここまで近くにきて分かる。


 ―――やっぱり、別人だ。


「そうだな。わたしとお前は確かに似てはいるが、それでも全くの別人だ。きっと、わたしがこの魂を転生させていなくとも、ミリアという存在は生まれていた。そういう運命なんだ。それなのに、わたしが割り込んでしまったから、わたしはお前をめちゃくちゃにしてしまった」


 違う。

 きっと、魔王がいなければ、わたしはそもそも存在していなかったはずだ。

 お父様とお母様の子はわたしではなくて、他の魂を持った他の誰かだったはずだ。


「お前は、つくづく優しいな」


 その時、抱き締める力が強まった。


「ややこしいことはどうでもいいから、わたしの”おかげ”なんてやめてくれ。この世で、お前だけがわたしを悪にしていいんだ。だから、わたしを悪にして、わたしを消し去ってくれ。その方がいい」

「わたしは‥‥‥」


 また抱き締める力が強くなる。

 わたしが何かを言おうとするたびに、その抱擁はわたしの口を塞いでくる。


「もういい。それ以上その優しさをわたしに向けるな。その優しさは、お前が出会った大切な誰かに向けろ。その方がいい」


 魔王はわたしの離すと、またどこか寂しそうな顔を向けてくる。


「最後に一つだけ教えてくれ。リーベルのことだ」


 さっき抱き締められて言えなかった最後の”魔王のおかげで出会えた大切な誰か”のことを切り出された。


「セルシエルも聞いていたが、お前はどう思う? お前はわたしのおかげでリーベルに会えたと思うか?  リーベルはリーベルシアの転生体だから、そういう運命にあったと思うか?」

「‥‥それは」

「言っておくが、わたしはお前の人生を決めたわけじゃない。お前自身、セルシエルの計画の為だけに生きてきたわけじゃない。それは、お前自身よく分かっているはずだ」

「‥‥‥」

「だから、教えてくれ。お前は、その人生で出会ってきた全ての大切が、全部わたしが決めたものだと思うか?」


 その問いに答えが詰まってしまう。

 喉の奥に引っ掛かった答えは、すぐに出せるようなものではなかった。どうしても感じてしまう魔王との繋がりが、わたしの人生を偶然的なものではなく必然的なものにしたのだと思わせてくるのだ。

 だが、魔王はわたしの人生はあくまでわたしのものであって、偶然の連続が生んだわたし自身の”物語”だと言う。

 わたしは、魔王がそう言っているのだと捉えた。


「わたしは‥‥‥」

「いや、やっぱりいい」


 どうにか捻りだそうとした答えを、魔王は聞き入れようとしなかった。


「この問いの答えは、わたしが知るべきじゃない。まぁ、時期に分かる」


 魔王は適当にはぐらかすと、もう一度わたしの前に立って、抱き締めた。


「これが最後のハグだ」




『ハグはね、お互いの心を近づけて想いを伝える為にするんだよ』




 そんな知っているようにも知らないようにも思える声が聞こえてきた。


「彼女が教えてくれたハグの意味。今回は、わたしの謝罪という想いを伝えた。そして、この最後のハグでお前に伝えたい想いは――――」




「”ありがとう”」

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