88話:復活
――――ここは、どこだ?
何かに気付いた瞬間、わたしは初めにそう思った。
セルシエルが地獄の影を使って堕天した。
普通、種族が変わるなんてことはありえないが、魔王――つまり神の力を使えば可能らしい。確かに、魔物という種族を生み出している時点で、わたしは既にその可能性に気付いていたんだろう。
ただ、そのあとから、ぷつり、と何かが途切れてしまったかのように記憶が無い。
「―――ここは、地獄です。魔王様」
欠如した記憶を埋めるように、目の前にいるセルシエルはそう言った。
「地獄‥‥?」
いや、疑問符を浮かべる必要はない。わたしはディアベルに連れられて一度地獄へやって来ている。それに、セルシエルは地獄の影を持っているのだから、地獄へ繋がる穴を開けられることも納得だ。
だが、一つだけ納得できないことがある。
わたしはいつ‥‥地獄へ来たんだ?
「余は堕天し、天使から悪魔となりました」
「‥‥ちょっと待った」
「何でしょうか」
流石に情報が無さ過ぎだ。
「どうやってわたしをここに連れて来た? それに、他の皆は?」
「連れて来た方法‥‥ですか」
「そうだ」
「簡単な話です。”あなたを殺しました”」
―――は?
「具体的には、魔王様ではなく、ミリアという小娘を殺しました」
訳が分からない。
「人は死ねば一度天界へ向かいますが‥‥今回は、地獄の影を使ってその過程を飛ばしたのです」
わたしは‥‥死んでるのか?
「安心してください。魔王様は死んでいない。死んだのは、ミリアという名の邪魔者だけです」
‥‥納得はできた。
わたししか死んでいないのだから、他の皆はいないのだろう。
だとしても、どうしてわたしは普通でいられているのだろう?
今のわたしは魂だけの存在。そこに意思などはあるのだろうか?
わたしは―――何者なのだろう。
「まぁいい。それで? ここは地獄のどこなんだ?」
「ここは余の領地です」
「お前の?」
「はい」
「お前、地獄に領地を持っているのか? 天使だったのに?」
「確かに余は天使でしたが、魔王様の下についてからは悪魔として振舞っていました。地獄の影で地獄へ行き、天使ではあるものの悪魔として暮らす。そうして、余は<無欲>の悪魔と呼ばれるようになり、このように領地を手に入れたのです」
なるほど。
悪魔ごっこが好きなようだ。
「ここは虚無の地。何も存在しない。悪魔はどれも欲深い者ばかり。しかし、余は違います。欲を持たず、誠実に生きることこそが、余の掲げる美なのです」
「そうか」
至極どうでもいい。
「ところで、わたしをこんなところに連れて来たからには、何か理由があるんだろ?」
「はい。魔王様」
「じゃあ、早く言え。時間がもったいない」
とはいえ、わざわざ聞かずとも分かっている。
だから、セルシエルの発言に上から重ねることにした。
「余は―――」
「お前は―――」
「「―――魔王を殺しにきた」」
やっぱり。
変な話だ。魔王を復活させようとしているくせに、魔王を殺そうとしているなんて。
「まぁ、理由は分かる。もう二度と、あのような惨劇を繰り返さないためだ」
「‥‥はい」
「それで、わざわざこんな回りくどいことをした理由は? 普通にミリアを殺せば終わる話だ」
「それは違います。その小娘の魂は、あくまでその小娘のものです。魂が流転した前と後では、全くの別物」
「つまり?」
「つまり、あなたを完全に復活させてからでなければ、あなたを殺すことはできない」
そういうことらしい。
「まぁ、そうだな。正しい。恐らくミリアを殺しても、影は残る。影はこの世界に新たな惨劇を生み、また悪が生まれ、それを消し去る為の正義も生まれる。それが新たな影の循環を生み出してしまう」
それが絶対に起こらない方法というのが一つだけある。
「世界から影を消し去る方法は、わたしを殺すことだ。何故なら、わたし自身が影だから」
「はい。その通りです―――”魔王様”」
不思議な話にも思えるだろうが、わたしは影という”概念”だ。
だから、わたしの死、それは影が世界から消えるということを意味する。
「それで、ミリアを殺して、魔王の残滓を渡して‥‥はぁ、面倒くさい方法を取ったな」
「それほどにまで、長い物語だったのです」
「―――それで、どうする? わたしを‥‥この魔王を殺すか?」
セルシエルは勘違いしていないだろうが、この体の持ち主が勘違いをしている可能性があるから、ここではっきりとさせておこう。
「セルシエル。お前の計画は成功に近づいている。どういう意味か―――”魔王が復活した”という意味だ」
ミリアの記憶が混在しているせいで初めは混乱していたが、ようやく理解できた。
そう、わたしは魔王だ。
ミリアじゃない。
あの時だ。魔物の影をミリアが取り込んだ時、影がミリアという器から溢れ出た。その時点で復活の準備は整っていたんだ。そして、その器が壊れたことで、こうやってわたしという影が姿を現してしまった。
「つまり、わたしを殺せば世界から影が消える」
ミリアが死んだ今、この魂は影に支配された。つまり、わたしに支配されたんだ。
ミリアという存在に染められていた魂は、一変してわたし色に染められた。これは、前世の記憶を思い出したなんていう単純な話じゃない。
もう、ミリアではなく、魔王がこの魂の所有者になった。
「ところでお前‥‥分かってるのか? わたしを殺すということ」
「もちろんです」
「言っておくが‥‥わたし、普通にお前を殺すからな」
何か勘違いしているかもしれないから事前に釘を打っておく。
「わたしが誰も殺さないようにしていたのは、わたしの愛するリーベルシアがそれを嫌がったからだ。今、その彼女がいない以上、わたしは普通にお前を殺す‥‥というか、殺したい」
「‥‥‥」
「お前‥‥よくもまぁ平然とわたしの前に立てたな。下らない。本当に下らない。無礼極まりないぞお前」
「‥‥‥」
「わたしのリーベルシアを殺しておいて、わたしがお前を憎んでいないとでも思ってたか?」
「そのようなことは‥‥」
「思ってるだろ。じゃなきゃ、こんな風に会話なんてしてない」
あの時は仕方なかった。
リーベルシアが死んで気が動転していたし、それに、あれ以上あの世界で生きる必要なんてないと思った。もし、わたしに死者を蘇らせることができたとしても、わたしはあんな理不尽だらけの世界にリーベルシアを置いたりなんかしない。
ただ、今は違う。
憎たらしい仇が目の前にいる。今はそうとしか思わない。
「じゃあ、そろそろ始めるか」
「‥‥‥」
セルシエルは黙って身構えていた。
―――まぁ、そんなことはどうでもいい。
そもそも、魔王の残滓三つならわたしに勝てるなんて思っている時点で、神が何たるかを分かっていない。
=魔物の影=
わたしがその力を使うと、赤い光が辺りを覆った。
「こ、これは‥‥‥」
「魔物の影。つまり、魔石の力だ。この力の本質は”支配”。もう、分かるだろ?」
「‥‥ッ!?」
セルシエルは体の自由が利いていないようだ。
当たり前だ。たった今、わたしはセルシエルの体を支配して、手中に収めた。
「お前はもう魔物だ。そして、魔物はわたしに抗うことができない」
―――動くな。そう呟いた。
「‥‥動けない」
「そうだろうな。わたしがそう言ったから」
まぁ、これ以上の会話はいらない。会話する気にもならない。
「終わりだ。セルシエル」
わたしは触手を出して、セルシエルに向ける。
パチンッ、指を鳴らすのと同時に紛争の影を使って触手を尖らせる。
そして、触手に力を込めて、一気に解き放つ。
それは音速を超える。
ソニックブームが発生し、衝撃音がするころには、既に触手はセルシエルの顔を潰している―――はずだった。
「‥‥殺さないのですか? 魔王様」
その問いに溜息が出る。
「‥‥殺したい。でも、やっぱり無理だ」
「‥‥何故?」
「もう彼女はいないが、それでも彼女の考えを否定するようなことはしたくない」
きっと、ここでこいつを殺したら、彼女に幻滅されてしまう。
それだけは嫌だ。好きな相手に拒絶だけはされたくない。
「‥‥あぁ、最悪だ」
最悪の気分だ。
殺したいのに、殺せない。
それに、思い出してしまう。彼女との日々を。
もう一度、キスをしたい。
もう一度、その手で触れられたい。
甘い声の中で夜を過ごして、温かな朝を迎えたい。
―――そんな願いは、もう叶わない。
「それに、セルシエル」
「何でしょうか」
「お前の計画、失敗だ」
「‥‥そうですか」
「残念ながら、わたしは復活できなくなった。何故なら、リーベルがミリアを蘇生したからだ」
そうだよな。
リーベルは、彼女の転生体なのだから、ミリアの生命の影を使えば死者蘇生ぐらいできるはずだ。
それに、その方がいい。
「ミリア。聞こえてはいないかもしれないが、言っておく。”この体は、この魂は、お前のものだ。わたしはもう既に死んでいるし、お前の邪魔をするつもりもない。―――ただ、強いて何か言うのなら、そうだな‥‥‥わたしに普通を教えてくれて、ありがとう”」
じゃあ、これで終わりだ。
* * *
「ミリ‥‥ミ‥‥ア‥‥‥ミリア!」
その声に目を覚ました。
「‥‥リ、リーベル?」
まだ記憶がぼんやりとしている。しかし、次第にハッキリとしてきた。
「どうしてここにリーベルが‥‥?」
ハッキリとした意識で再びその光景を確認すると、やはりおかしい。
リーベルが何故かこの場にいる。それに、手に持っているのは‥‥勇者の剣? どうして?
それに、奥の方に目を向けると他にもロリエルやグレイアがいる。
「ミリア!」
突然、自分が何者であるかを教えるかのように強く名前を呼ばれた。
「な、なに‥‥?」
「どうして、私を置いていったの‥‥?」
震える声を聞いて、ようやく気付いた。
リーベルは‥‥泣いていた。
「私の知らないところで傷つかないでよ。私は怖いよ。私の知らないところでミリアが傷ついて、独りになっちゃうのが」
‥‥‥
「私が嫌いなら、嫌いって言ってよ。言葉にしないと分からないって言ったのはミリアだよ」
‥‥‥あぁ、そうか。
わたし、リーベルにそんなことを言わせてしまったのか。
「嫌いなんて、そんなわけない」
「じゃあ、独りにしないでよ、ミリア」
独り‥‥そうか、そうだよな。
わたしは独りが怖くて仕方ないのに、リーベルを独りにしてしまったのか。そんなの、完全に悪だ。
「‥‥ごめん」
悪なのは分かっているのに、口から出てくるのは表面的な謝罪だけだった。
「ただ‥‥一つだけ教えて」
「‥‥なに?」
そう、ずっと聞きたかったことがある。
それは、初めて出会った時から、ずっと、ずっと、ずっと。
「リーベルは、どうして計画に参加したんだ?」
それが、ずっと聞きたかったこと。
わたしやシリウスと違って、リーベルには計画に参加する理由が無いはずだ。それにも関わらず、リーベルは計画に参加した。
別に、リーベルが邪魔というわけじゃない。
ただ、この計画が原因でリーベルを多くのことに巻き込んでしまった。その中には危険なものだってあったし、それが原因でリーベルが傷つくことは望まない。
だから、それ相応の理由が欲しかった。
「‥‥そんなの」
「そんなの?」
「聞くまでもないよ」
‥‥?
その時、強く腰を引かれて、リーベルとの距離が近くなる。
そして、涙で顔を濡らしているリーベルは、笑顔で答えた。
「大好きな人と一緒にいたいって思うのは、変なこと?」




