86話:堕天
「‥‥そろそろ離して」
「おや、抱き着いてきたのはそっちなのに、相変わらず自分勝手だねケガレちゃんは」
わたしがシリウスから離れようとすると、もう一度彼女に腰を引かれて抱き締められる。
「な!? なにして‥‥‥」
「まぁまぁ、大切な我が子を抱き締めているようなものだよ。それとも、ボクに邪な感情でも抱いているのかい?」
「そんなわけない!」
そう言って、シリウスを突き飛ばすように肩を押して離れた。相変わらずからかってくる彼女にはうんざりする。
「あはは、冗談冗談。安心しなよ、ボクはキミたちの恋を応援してるからね」
「‥‥?」
その”たち”にわたしと誰が入っているのか分かってしまう。これなら、少しは鈍感でいたかった。
‥‥って、そんなことはどうでもいい。今は他の皆がどうなってるかだ。
「ところでケガレちゃん。ボクは思考が読めるからケガレちゃんが最初から何を考えていたのかは分かるけど、その”心”までは分からないから、一度言葉にして説明してくれるかい?」
突然そんなことを聞かれる。
まぁ、何となく気付かれていたとは思っていたが‥‥仕方ない。
「‥‥はぁ。まぁ‥‥そうだな。実を言うと、初めからお前を助けるつもりだった」
「どうしてだい?」
「それぐらいは察しろ。それが心を理解できるようになる練習ということで」
「はいはい」
「とにかく、終わらせる。この戦いを」
それが意味するのは、前世から続くこの魔王の戦いを終わらせるという意味だ。
「セルシエルはわたしの全てを計画してきたと言った。それだと、まるでわたしの未来はあいつに決められていたみたいだ」
「でも‥‥?」
「違う。そんなわけない。いつだって、わたしたちが未来を切り開いてきた。それにセルシエルが関わっていたとしても、その多くはわたしたちが開いてきた道だ。だから、わたしはこの場にいる全員を救う。また誰かが死んで終わるなんて、そんな結末には決してしない」
そして、これは”魔王”の意思じゃない。
「これは、わたしの意思だ。ミリアの意思だ」
そう、最初から決まっていた。
「何度も言うが、わたしは魔王じゃない。ミリアだ」
「―――それは、どういう意味でしょうか魔王様」
突然の悪寒。
強い圧迫感。
生命を逸脱した明らか異常存在。
それは強い違和感であり、わたしをその手中に収めようとしてくる。
「‥‥どういう意味って、どういう意味だ?」
その場に突然現れたセルシエルにそう問う。
「分かっているでしょう。あなたは魔王様だ。決して、”ミリア”という凡人ではない」
やっぱり、こういうことだ。
(分かっているね、ケガレちゃん)
シリウスが突然脳内に話し掛けてくる。だが、慣れてしまって驚きはない。
まぁ‥‥そうだな。初めてこいつと会った時から少し変だとは思っていたが‥‥やっぱりそういうことだったか。
(そうだね。セルシエルは初めからケガレちゃんのことを見ていたんじゃない、”ケガレ”本人を見ていたんだ)
というか、こいつマルシエルと戦っていたはずだよな?
そう思って、マルシエルがいた場所を見てみると、そこには倒れたマルシエルとそれを心配そうに見ているラヴィエルがいた。
ラヴィエルもいる‥‥? ということは、まさかディアベル負けたのか‥‥?
「ワタクシはここにいますが?」
「わぁ!?」
ディアベルも突然現れた。
突然現れるのが最近の悪魔のトレンドなのか‥‥?
「ラヴィエルとの勝負はどうだったんだ‥‥?」
恐る恐る聞いてみる。
「ふふっ」
ディアベルは笑うだけだった。ただ、少し機嫌が悪そうだったからそれ以上は聞くのをやめた。
「‥‥とりあえず、セルシエル」
「はい、魔王様」
相変わらずわたしのことをそう呼ぶのか。
「分かっているだろうが、わたしは魔王じゃない」
「いったい何をおっしゃっているのか」
「わたしはミリアだ。なのに、お前が言っていることは”わたしが”魔王として復活することじゃない」
「当たり前です。余が復活させようとしているお方は魔王であり―――あなたではない」
その時、セルシエルの視線が鋭くなり、わたしを貫く。
「やはり、失敗だ」
「‥‥‥」
「魔王様は正しく、常に正義であった。しかし‥‥一つだけ失敗をした。それは、”記憶を消した”ということだ」
こいつ‥‥やっぱり、おかしい。
「はぁ‥‥あのような高貴なるお方が、何故そのような愚行をしたのか。そのせいで、貴様のような不要な存在が生まれてしまった」
それは、魔王に対する侮辱も同然だ。
「言っておくが‥‥確かにわたしに魔王の記憶なんてない。でも、魔王の行動を基に考えたらすぐに分かることだ」
「余を納得させられるだけのものなら、お聞きしましょう」
「―――魔王は、”普通の幸せ”を望んだんだ」
魔王は神だった。
神というものは、一見全てを超越した存在であり、不自由など一切無いように思える。
だが、わたしは思う。恐らく、神はそれほど自由ではないと。
公爵令嬢であるわたしですら、あまり自由じゃなかった。
わたしはまだ自由な方だったかもしれないが、それでもある程度の縛りがあった。
常に家の為と、習い事をしたり、社交界に参加したり。とにかく、遊ぶ時間なんてものは無かった。
もちろん、公爵令嬢としての自分が嫌いなわけじゃない。ただ、言いたいことは、ただの人間の貴族ですらこれだけ不自由なんだ。
もし、それが神に置き換わったら。その上、世界から”ケガレ”として扱われていた魔王だったら。
そう思ったら簡単な話だ。
魔王はただ、普通になりたかった。リーベルにリーベルシアの記憶が無いのも、同じ理由だろう。
「わたしは知っている。普通がどれだけ幸せなことかを。世界を救うことなんかより、ただ大切な人と過ごすことがどれだけ幸せなのかを知ってる」
「‥‥‥」
「魔王もそれを望んだんだ。もちろん、またリーベルシアと一緒になれたかなんて分からない。でも、大切なリーベルシアだったからこそ、神としてではなく普通のエルフとして新たな命を迎えて欲しかった。その方が、普通の幸せを手に入れられるかもしれないから」
「そんなことは憶測でしかない」
「知ってる。だから言っただろ? わたしは魔王の記憶なんてないって。でも‥‥わたしとあいつは切っても切れない関係にある。そう、この魂の繋がりのように、わたしとあいつは常に隣り合わせだ。お前だって分かるだろ? ずーっと一緒にいる奴の考えは、なんとなく分かるって」
もし、”ケガレ”‥‥つまり、この”影”が魔王だったら。もし、影に意思があって、これまでもわたしのことを助けようとしてくれていたらと思うことがある。
何度か、この影は一人でに動いては、わたしを助けようとした。実際、助けられたことも多い。
そんな身近な存在だからこそ、よく分かる。
「そうだね、ケガレちゃんの意見は同感だよ。そうだろう? セルシエル。キミにだって分かるはずだ」
「‥‥ふん」
「キミの大切な”妹”。ほら、いるじゃないか、あそこに」
シリウスはそう言って、どこかを指差した。
その指先には‥‥マルシエル?
「ちょ、ちょっと待て、マルシエルは男じゃないのか?」
「いや、マルシエルは女性だよ」
わ、わたし何回あいつの性別を間違えたから気が済むんだ? ‥‥いや、そうじゃなくて、初めにあいつを見た時は女性だと思って、その後男性だと知って、そして今女性だと分かるって‥‥ややこしいにも程がある。
「まぁ、それだけ複雑なんだよ。とにかく、分かってるんだろう? マルシエルがわざわざ性別を偽っている理由。彼女は性別を偽っていた、というより‥‥”自分を偽る”、という方が正しい」
「‥‥‥」
「マルシエルはキミを慕っていた。兄であるキミを、それ以上に天秤の剣の次期継承者として」
「‥‥‥」
「でも、そんな最中、キミが勇者パーティを裏切った。マルシエルからすれば、勇者パーティとして世界を救おうとしている自慢の兄が突然そんなことをするものだから、当然困惑したんだろうね。そして、それに追い打ちをかけるように天秤の剣がキミを見限った。その結果、マルシエルは望まぬ形で天秤の剣を継承することになったんだ」
「‥‥‥」
「だからだよ。マルシエルが自分を偽ったのは。キミの妹である”マルシエル”ではなく、人間の最高位冒険者である”マルス”として、兄であるキミがどうしてそんなことをしたのかを調べ出した。その結果、ボクたちに辿り着いて、王都にいた時、ボクたちの後をつけていたんだ」
なるほど、だからあの時マルシエルはわたしたちを監視していて、その後未開のダンジョンで接触してきたのか。
セルシエルの堕天に関係しているであろうわたしたちに。
「まぁ、そんなことは建前だけどね」
「どういうことだ?」
「結局のところ、マルシエルはただ、セルシエルを恨んでいた。だから、兄妹という繋がりを断ち切る為に、姿も性別も種族も、全部偽っていたんだよ」
「―――黙れ」
突然、セルシエルの口が荒くなって、余計な発言ばかりをするシリウスを咎めた。
「貴様にあの子を語る資格などない。だから大賢者は嫌いなのだ。部外者の分際で、余計な口ばかり挟む」
「おや、お怒りのようだね。つまりは、”図星”かな?」
「もう一度言う。黙れ」
セルシエルがまた口を荒げると、シリウスはやれやれといった様子で黙った。
そして、セルシエルは深く溜息をつき、遠くの方へ顔を向ける。
「しかし、残念だ。誰も余の正義を理解していない」
セルシエルは顔をそのままに、視線をディアベルに向ける。
「<殺蝶>、貴様にはうんざりだ」
「あら、何故ここでワタクシに飛び火するのか、理解できませんね」
「貴様は魔王様ではなく、この”人間”を見ている」
その人間というのは、わたしのことだろう。
「魔王様は変わらず存在しているというのに、ただの人間であるその娘が魔王であると思い込んでいる」
「ふふっ、ミリア様と魔王様の区別がつかないとは、よほど目が悪いんですね」
なるほど。
ディアベルとセルシエルは一見協力関係にあるように見えるが、そもそもわたしのことを”魔王”だと思っているのか、”ミリア”だと思っているのか、根本的に考えが違うのか。
「ディアベル、そもそもどうしてあいつに協力してたんだ?」
「どうして? ふふっ、そもそも協力などしていませんよ」
「‥‥?」
「これは、”契約”です。でしょう? <堕天>」
ディアベルはそう言って、睨むような視線をセルシエルに向けた。
「‥‥まぁいい。その”契約”も、ここで終いだ」
セルシエルは突然その六枚の純白の翼を大きく広げた。
「魔王様」
もう一度、セルシエルはわたしをそう呼んだ。しかし、その名が向けれらているのはわたしではなく、この”影”であるということを理解している。
「余の考えは変わりません。これは、己が正義を証明する為の戦いなのです。だからこそ、余はこの正義を貫き通す」
そう言うと、突然セルシエルの顔の横に地獄の穴が開く。
「‥‥貴様、ワタクシの”契約”を破ることが何を意味するのか、分かっているのか」
ディアベルの口調が荒くなり、セルシエルを強い殺気で睨みつけた。
「何を言うのか‥‥そもそも、契約を破ったのはそちらだ。余が復活させようとしているのは魔王様、しかし貴様が復活させようとしているのはその小娘だ。そう、初めから貴様は契約の内容を履き違えている」
セルシエルは地獄の穴から何かを取り出した。その何かが見えた瞬間、わたしの”影”が震える。
セルシエルが地獄の穴から取り出したそれは、小さな水晶のついたブレスレットだった。
あの水晶‥‥見覚えがある。初めてディアベルと会った時にみたあの水晶と同じものだ。あの水晶は魔王の残滓の生成物であり、ドルマンに繋がる証拠としてセルシエルが用意したもの。
つまり、あのブレスレットこそが――――地獄の影。
「余は四魔将<堕天>。しかし、余の種族は未だ天使のまま。何故なら、これは天界の神が余を天使として生み出したから。神が決めたことである以上、種族は決して変わらない。しかし―――」
セルシエルは地獄の影を頭上に持ってくる。
「―――一つだけ、方法がある。神が決めたことなのであれば、神の力で捻じ曲げればいい」
‥‥‥ッ!?
まずい、あいつがあの力を手に入れるよりも先にわたしが‥‥‥
「余は正義となる為なら、”堕天使”になろう」
わたしは触手を出して、その地獄の影を奪い取ろうとする。
しかし、遅かった。
――――パリンッ‥‥!!
セルシエルは地獄の影を強く握った。地獄の影は割れ、その中からこの世で最も黒い”影”が溢れ出てくる。
影がセルシエルを覆い、吸収されていく。
その黄金の瞳は、血塗られた赤に染まる。
その聖なる魔力は、暗澹たる闇へと姿を変えた。
そして、純白の翼は――――堕天に染まる。
「‥‥クソッ」
遅かった。
セルシエルが地獄の影を持っていることは分かっていたのだから、対策できたはずだ。でも、こんな使い方をするとは思っていなかった。
まさか、堕天して悪魔になるなんて‥‥‥
「では、始めよう。終焉の時間だ」




