82話:崩れ落ちる信頼
ラヴィエルの秘技。
それこそが―――天界の燃え盛る愛。
愛の如く燃える紅蓮の炎を、弓に乗せて放つ大技だ。
発動時間が異常に長い代わりに、その火魔法の最上位魔法を凌ぐ。
発動時間の長さも、ラヴィエル自身の異常なまでの再生能力に加えて、辺りを炎の海で覆うことで逃げ場を無くすことで、絶対発動かつ必中である。
つまり、今のディアベルに残された道は、どうにかしてこの炎の海を越えるか、四肢と首を切り離しても再生してしまうラヴィエルを殺すか、その二つに一つ。
「‥‥実に不快ですね」
ディアベルはもう既にその偽りで塗り固めていた笑顔を完全に崩していた。
「ワタクシが、その無駄な自信を完膚なきまでに打ち崩してして差し上げましょう」
はっきり言って、ディアベルは虚勢を張っていた。
彼女はリスクを冒さないタイプだ。
勇者一行と戦った時ですら、自分が敗北してしまう可能性が一ミリでも脳内によぎってしまったが為に、彼女の自由には不可欠である地獄の影を捨てて逃げたほどだ。
常に周りを警戒しており、そのせいかありえないほど鋭い勘を持っている。
それほどにまでリスクを嫌う彼女は、たった今、そのリスクを冒してしまっている。
ラヴィエルは熾天使だ。間違いなく強い。それは、元がただの人間である彼女よりもだ。
そんなことは気付いていたはずだった。
「今なら逃げてもええで。うちは別にあんたを殺したいわけちゃうからな」
その発言にディアベルは眉を寄せる。
「‥‥いえ、構いません」
「そうなん? まぁ、死にたいんやったら別にええけど」
ディアベルは考える。
「死にたい? ふふっ、ご冗談を。そのようなことはありえませんよ。何故なら、もう既に死んでいるのですから」
ディアベルはリスクを冒す。
―――舞え、蝶のように。
飛んで火にいる虫じゃない。そのような愚か者ではない。
勇者一行と対峙した時に逃げたのも、彼女が弱いからじゃない。彼女が賢いからだ。
いつだって言う。
「ワタクシは、愚か者ではありませんよ。猟奇的殺人鬼なのです」
ディアベルがそう言った瞬間、異常なまでの殺気が辺りを覆う。
死なないと思っているラヴィエルに、死というものを教えるように、その殺気はラヴィエルを包み込む。
殺気がラヴィエルの全身をなめまわし、震え上がらせる。
ピリピリと、そしてパチパチと。
緊張感と強い熱が走り抜けるこの状況は、まさに地獄にも似たそれだ。
「‥‥ははっ、やっぱり、おもろいな」
ディアベルは地獄を知っている。何故なら、悪魔だから。
ラヴィエルは地獄を喰らいつくす。何故なら、天使だから。
「さぁ、耐えてみ。そして、うちに見せつけるんや。その熱情を」
ラヴィエルは引いていた弓から手を離す。すると、愛の如く燃える紅蓮の矢が空間を貫く。
紅蓮の矢は次第に形を変えていく。
愛のように燃える炎は、劫火に燃ゆる大鳥となる。
「言ってなかったな、うち―――」
熾天使はその名に相応しい役割を持つ。
―――グランシエルは天界のまとめる。
―――ロリエルは人間界と天界を繋げる。
―――マルシエル、セルシエルは正義として、悪を裁く。
そして、ラヴィエルは―――天界を守護する。
「―――神罰隊のトップやで」
劫火に燃ゆる大鳥。
それは、ラヴィエルの強さの証明。あらゆる炎系の天使を圧倒する火力を持つからこそ、敬意の念から付けられた異名。
=天界の不死鳥=
天界の燃え盛る愛の更に上位の天界魔法。
愛は、次第に不死鳥の姿を取った。
(‥‥なるほど、まだこのようなものを隠していましたか)
天界の不死鳥は世界の終わりを告げるように、ディアベルに向かって一直線に飛んでくる。
「‥‥ですが」
ディアベルは諦めてなどいない。
確かに、ラヴィエルはリスクそのものだ。しかし、そんなことはとっくに知っていた。
「お忘れですか? ワタクシが”この世で最も天使を殺した悪魔”だということを」
ディアベルは、むしろその天界の不死鳥に突進しようとした。
(熱が伝わるよりも先にこの凡鳥を切り抜ける)
そして、ラヴィエルを殺す。
普段のディアベルからは考えられない無茶な考え。これまでの彼女であれば、そのようなリスクが大きすぎることはしなかった。
しかし――――
(あぁ‥‥愉快。やはり、殺戮よりも殺し合い。死が隣にある方が、楽しい)
ディアベルは完全にハイ状態だった。
久しく感じる極限の戦いが、ディアベルの頭をドーパミンで埋め尽くしていた。
今は、リスクよりも娯楽。
そう考えた。
腰を低く据えて、視線を一直線に向ける。
一つのものだけに全神経が集中して、それ以外が真っ暗になったようになる。それだけディアベルは冷静さを欠いていた。
そして、足に力を入れようとしたその時‥‥‥
「――――ディア!!!」
突然、ディアベルの体に軽い衝撃が加わる。
「な、なんや!」
そのことに気付いて、ラヴィエルは咄嗟に魔法を解除した。
天界の不死鳥も、ディアベルとラヴィエルの周りを覆っていた炎も消える。そして、そこには何が起こったのか確認する為に目を凝らすラヴィエルと、何者かに突然抱き着かれて転んだディアベルがいた。
「‥‥は、はぁ良かった。ディア、大丈夫よね‥‥?」
「‥‥‥」
ディアベルはその何者かを目で見る必要もなく、既にその何者かの正体に気付いていた。
知っている声。
知っている匂い。
そして、ディアベルのことを”ディア”と呼ぶ女性。
「‥‥何をしているのですか、アウス」
「え? そ、そうね。ディアが危なそうだったから、助けに来たわよ!」
ディアベルに覆い被さっているアーデウスは自信満々にそう言い放った。
「違います。何故ここにいるのですか」
「え? あ、あぁそっちね。それは――――」
アーデウスは話した。
偶々、地獄でミリアとセルシエルと一緒にいるディアベルを見かけて、何となく付いてきたことを。
つまり、ミリアを連れて勇魔戦争跡地に来る為に、地獄を通ってショートカットしようとしたから、アーデウスにバレてしまった。
ディアベルは普段からアーデウスの領地に訪れる。だから、つい癖でアーデウスの領地に地獄の穴を開いてしまった。
とは言っても、端の方ではあった。だから、誰もいないと思っていた。しかし、その考えが甘かった。
もっと、静かな場所を選ぶべきだったと今更後悔する。
「にしても、大変だったのよ。ディアの後をつけてここに来たら、急に結界が張られるんだから。だからあそこの岩陰で何とか凌いでたのよ」
「はぁ、そうですか」
「そんなことより! あの女、誰!?」
アーデウスが指していたのはラヴィエルのように思えた。しかし、実際にはラヴィエルではなく、セルシエルだった。
「ロリちゃんは、まぁいいとして。その隣にいるのは誰!? ほら、今もあそこにいる女。そっちの燃えてる女は、まぁ戦ってるから敵だとしても、どうしてディアが誰かと協力してるの?」
「どういう意味ですか?」
「だ、だから‥‥あの女と、ど、どういう関係なの‥‥?」
アーデウスの心配に、ディアベルは溜息をつく。
「下らない。一緒にいただけでいちいち面倒なことを想像されても困りますね」
「そ、そうなの? じゃ、じゃあ全然そういう関係じゃないのね? ふぅ、良かったぁ」
「そもそも、あれは女ではありませんが」
ディアベルがそう言った瞬間、アーデウスの顔が青冷める。
「‥‥え?」
「あれは、男ですよ」
その時、アーデウスの悲鳴が響いた。
「嫌! 嫌々! ディアの隣には女の子しかいちゃダメなの!」
「‥‥はぁ」
「ディ、ディア? そんなクソ男に何かされなかった? ディアったら、最強美人だから。ぜ、絶対に下心あるわよ。まぁ、私もあるけど」
「あれは<無欲>を名乗っていますから、そもそも三大欲求が死んでいますが」
「そ、そう‥‥それなら、良くは‥‥ないけど。やっぱり、ディアと同じ空気を吸ってる男がいるって時点で吐きそう‥‥‥」
ふざけているように見えて、割と本気で言っているアーデウスに対して、ディアベルは「それよりも」と話を無理やり変える。
「な、なに?」
ディアベルはアーデウスの頬に手を伸ばして、長い髪を払いのける。そして、顎に手を添えた。
「ふ、ふぇ~?」
アーデウスは変な声を出す。しかし、すぐに状況を理解して、目を瞑った。
(こ、これ‥‥やっぱり、ディアったら私のこと大好きなのね。もう、仕方ないんだから)
そう思って、唇を向けてキスを待つ。
王都にいた時にしてくれたことを思い出しながら、また期待をしている。
しかし、中々やってこない。
(あ、あれ‥‥? もしかして、ディア恥ずかしがってるの? もう! そんなとこもかわいい! 美人でかわいいとか、やっぱり最強ね)
やはり、まだこない。
(そ、そろそろして欲しいんだけど‥‥そういうプレイ?)
「デ、ディア‥‥そろそろ―――」
痺れを切らしたアーデウスは目を開ける。
そこでようやく気付く。
そういうムードじゃない。間違いなく、今のディアベルは怒っていた。
「アーデウス」
喉の奥を貫くような冷たい声で名前を呼ばれる。
「デ、ディア‥‥?」
「もう一度、自分が何をしたのかを教えなさい」
「え? だ、だから偶々ディアを地獄で見かけて‥‥‥」
「違います。何故、ワタクシの邪魔をしたのかを教えなさい」
「‥‥え?」
ディアベルはアーデウスの頬についていた傷を軽く撫でた。
「いたっ!」
その傷は、アーデウスがディアベルを助けようと、無茶にラヴィエルの攻撃に突っ込んだからできたものだ。
「何故、ワタクシを助けるなどという考えに至ったのか」
「だ、だってディアが危なかったから‥‥」
「”ワタクシ”が、あの天使に負けるとでも?」
「そ、そういうわけじゃ‥‥」
もう一度、ディアベルはアーデウスに傷に触れる。しかし、今度は強く押した。
「い、痛いからディア!」
「えぇ、知っています」
「もう! ドSなんだから」
未だにふざけたことを言うアーデウスに、ディアベルは状況を理解させるように、更に冷たい目で、そして暗い声でアーデウスの名を呼ぶ。
「ね、ねぇ‥‥アーデウスじゃなくて、アウスって呼んで」
「この傷は―――」
ディアベルはアーデウスの言葉を無視して、話し始める。
「―――あなたが、ワタクシを助けるなどという愚行によって出来たもの」
「‥‥?」
「実に不愉快です。あの天使が攻撃を止めていなければ、これは傷ではなく、”死”になっていたのですよ」
「そ、そうかもしれないけど‥‥でも、ディアが死ぬ方が私は嫌」
「違う。違う違う。いいですか? ワタクシは、負けません。何故なら、ワタクシは愚か者ではないから。それにも関わらず、あなたが余計なことをしたせいで、この戦いは――――ワタクシの負け、になってしまいました」
次の瞬間、アーデウスの背後に地獄の穴が開く。
「では、さようなら。アーデウス」
そして、ディアベルはアーデウスのその穴に落とした。
アーデウスの「ディア! ディア!」と呼ぶ声が響く。
その時、アーデウスは気付いていた。そして、感じていた。
自分の失態とディアベルからの信頼が崩れ落ちる感覚を―――――
「よかったん?」
アーデウスが地獄の穴に落とされた後、ラヴィエルは何かを確認するようにディアベルに聞いた。
「あら、どういう意味ですか?」
「どういう意味って‥‥分かっとるやろ。あんた、さっきの娘、好きなんやろ?」
「‥‥は?」
ラヴィエルの発言にディアベルは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「悪魔は地獄にいたら不死身やけど、人間界にいたら普通に死ねるからな。それに、悪魔にとっての死は、”魂の完全な消滅”や。せやから、あんな心配しとったんやろ?」
「‥‥何を言っているのやら。やはり、あなたの口は虚言しか吐くことのできないようにできているのですね。ワタクシはただ、あの愚女に邪魔をされたから関係を断った。それだけですよ」
「まぁ、そういうことにしたいんやったらええけど。けどな―――」
ラヴィエルはいつになく真剣な表情を見せる。
「―――自分の愛を偽ると、いつかその身を滅ぼすで」
ラヴィエルの発言に、ディアベルは軽く微笑した後、すぐに暗い顔になり「黙りなさい」と切り捨てる。
そして、激戦が再び幕を開けた。




