81話:殺欲と純愛の戦い
「あら、ワタクシの相手はあなたですか?」
「せや、うちやで。と言っても‥‥初対面やな」
ラヴィエルはポンッと拳を手の平に落とす。
「せっかくやし、お互いに自己紹介しようや」
「いえ、いりません。どうせ覚える必要はありませんから」
ディアベルが一歩、足を前に踏み出す。
次の瞬間、ディアベルの姿がノイズのように消えてしまい、気付いた頃にはラヴィエルのすぐ側にいた。
「―――あんた、せっかちとちゃう?」
ディアベルの鎌はラヴィエルに当たる寸前で停止する。
ラヴィエルに止められたわけではなく、ディアベルが意図的に止めたものだ。
すぐに距離を取り、自分の鎌を確かめる。
(これは‥‥)
一瞬の間で、ディアベルはラヴィエルに攻撃することを止める決断をした。何故なら、ラヴィエルの体が異常な熱に覆われていたからだ。
「ふ~む、危なかったですねぇ。ワタクシ自慢の鎌が融かされてしまうところでした」
ラヴィエルの異常な熱にさらされた鎌は、赤熱しており、あと少しでもラヴィエルに近付いていれば、鎌はどろどろに融かされていたことだろう。
「ええ判断やな。分かるで、あんた強いやろ。まぁ、四魔将って呼ばれるぐらいなんやから、当然っちゃ当然か」
「先ほどから口がうるさいですね。縫って差し上げましょうか?」
「いやや、うち、痛いのは嫌いやねん」
(しかし、困りましたね。ワタクシの鎌が融かされてしまうのであれば、そもそも攻撃ができません。‥‥いえ、思いつきました)
ディアベルは口角を上げて、ラヴィエルに見せつける。
「なんや?」
それは、わざと見せつけるような笑みだった。
次の瞬間、ディアベルの姿が消える。
そして――――切断。
「‥‥!?」
ラヴィエルの腕が切り離される。
「な、なんや! 鎌は溶けるんじゃなかったんかい!」
ディアベルの動きはあまりに素早く、ラヴィエルは自身の腕が消えたことを心配するよりも、ディアベルの姿を見失ってしまったことを心配する。
「こりゃ、困ったな。どうしよか」
ラヴィエルが何かを感じて、背後を振り向く。しかし、そこには誰もいない。
何度も、何度も、とてつもない素早さによって生じた衝撃波がラヴィエルの気を紛らわすが、そこからは残像すら見えなかった。
これこそ、ディアベルが思いついたこと。
確かに、高温にさらされた金属は融けてしまう。そうなればディアベルは攻撃の手段を失ってしまう。
それにも関わらずディアベルの攻撃がラヴィエルに通用しているのには、わけがあった。
どれだけ高温のものであっても、その熱が伝わるのには時間がかかる。
ラヴィエルほどの高温であれば、その熱が伝わる時間は一瞬であるが、その一瞬を超えた速さで動けば、ラヴィエルのその高温の体は完全に無効化されるのだ。
そして、それを可能にするのが、ディアベルの常軌を逸した素早さだった。
加速。さらに加速。
そして、切り裂く。
気付いたころには、ラヴィエルの体にいくつもの傷が増えている。
「こりゃ、ちとまずいかもしれんな」
ディアベルは更に加速する。
舞い狂う蝶という表現が似合う。その姿は月光に照らされた”殺しという名の蝶”だ。
「ふふふっ」
笑いだけが残る。
ラヴィエルの腕がもう一本消えて、気付いたころには両足も消えた。
――――そして、頭も消える。
頭部が体から分離して、頭部は生首となる。切り取られた生首はラヴィエルの体から離れた瞬間、燃えくずとなって消える。
そうして、ようやく衝撃波が追いついた。
音速を遥かに超える速さで移動するディアベルの周りには衝撃波が生まれる。その衝撃波は、ラヴィエルの四肢と首が切り取られるという事象が起きてからコンマ数秒後、ようやく伝わり、轟音を生じた。
ディアベルは徐々にブレーキをかけて、速度を落として止まる。そして、胴体だけが残ったラヴィエルを見て、微笑を零す。
「ふふっ、実に滑稽。ですが‥‥まぁ、せめて”殺し合い”にはなれたのではないですか?」
そう言って、嘲笑う。そして、「まぁ、もう聞こえてはいないでしょうが」と更に煽った。
(さて、どうしますか。思ったよりも早く終わってしまいましたねぇ。あいつはどうでもいいとしても、ミリア様に加勢するべきでしょうか‥‥認めるわけではありませんが、大賢者はやっかいですからね)
ディアベルは周囲を見回す。
(邪魔ですねぇ、この結界。このままではミリア様に加勢できませんし、今はこれを壊す方法を考えますか)
そう考えたディアベルはもう一度鎌を構えなおし、力をためる。
ディアベルの外見は人間だった頃の、細く、引き締まった状態で保たれている。これは、彼女が悪魔であり、その体はただの死体でしかないからだ。既に細胞も死んでしまった死体に突然筋肉がついたりはしないというごく当たり前のことである。
しかし、魂は変わる。
表面は変わらずとも、内面は変わる。そのような不可思議なことが、そもそも死んだにも関わらず生きているという、不可思議な存在である悪魔にはありえるのだ。
そのため、ディアベルの外見は”美しい女性”であっても、その中身は”狂気に染まった化物”なのだ。
もちろん、それはディアベルが悪魔になってから、異常なまでにその魂を追い込んで、鍛え上げたからである。
「では、そろそろ力もたまりましたし、壊しましょうか‥‥結界」
ディアベルはためこんだ力を一気に開放する。
「―――あんた、何しようとしとるんや?」
その時、存在しないはずの声がして、ディアベルは結界を壊そうとしていた鎌を止める。
「‥‥あら、変ですねぇ」
ディアベルが振り向く。
そこにはありえない、それこそ”摩訶不思議”という言葉が似合う光景が広がっていた。
四肢と頭部が分離され、胴体だけになっているはずのラヴィエルが喋っている。
その時、その胴体が勢いよく燃え出した。
その燃え上がる炎はその胴体に本来あったはずの四肢と頭部に広がっていき、次第に四肢と頭部の形を模していく。
そして、その炎はラヴィエルの四肢と頭部となり、胴体だけだったはずのラヴィエルは、一瞬のうちで、その体を再生させた。
「‥‥ぬぁ~!」
ラヴィエルは大きく背伸びをして、深呼吸をする。
「ふぅ。いや、久しぶりに死にそうやったわ。まぁ、”死にそう”やったってだけやけどな」
「‥‥あら、また死にたいとは、随分と”マゾ”なのですね。まさか、ワタクシのことを”サド”だとでも勘違いして、興奮したのですか?」
「あはは! 悪魔の冗談はおもろいなぁ。期待に沿えんで申し訳ないんやけど、うちは別にそういう趣味ないで。別に、どっちも否定せんけどな。いわゆる”そういう”のも、れっきとした”愛”! やからな」
ディアベルからは、ラヴィエルの態度は少しふざけているようにも見えた。しかし、あまりに真剣な瞳をするラヴィエルに、そこでようやく、ディアベルはラヴィエルを明確な”敵”として認識し始める。
敵としての認識、それは相手が自分と対等な力を持っているという意味だ。
「まぁ‥‥よいでしょう。腐っても熾天使というわけですから、その程度で死なれても困ります」
「あはは、せやな。丁度いいことに、うちは熾天使の中でも一番”生存能力”が高いんや。やから、いっぱい楽し―――」
ブォン!!!
ディアベルは、ラヴィエルの長話が終わる前に、急接近して、またラヴィエルの首に鎌を振り抜く。
「‥‥せめて喋り終えるまで、待ってほし―――」
もう一度、振り抜く。
「なぁ―――」
もう一度。
もう一度。
ディアベルにとって、ラヴィエルという存在は気に入らない。ただでさえ、熾天使という存在が気に入らないのに、その熾天使が自分と対等に位置しているという、この状況と、それを認めようとしている自分自身に苛ついている。
(まぁ、少しの我慢ですね。あいつとの契約も、この戦いで終わることですし)
先ほどから、”あいつ”、とわざわざ遠回しな言い方をしている相手は、セルシエルだ。
その”契約”とは、セルシエルの計画に協力する代わりに、セルシエルが持つ”地獄の影”を返してもらうというもの。
もちろん、勇者一行として、自分を倒し、その上で魔王から預かっていた地獄の影を奪っていったセルシエルに協力することなど、ディアベルにとっては屈辱でしかない。
しかし、それでもその契約を受け入れた理由は、紛れもない”地獄の影”の存在だ。
そもそも、ディアベルが地獄の穴を開ける理由は、地獄の影によって、地獄と人間界を繋ぐ道を開く権利を与えられているからだ。
逆に言えば、ディアベルは地獄の影の所有者によって、いとも簡単にその力を失うことになる。
だからこそ、ディアベルはセルシエルの契約を受け入れるしかなかったのだ。
だが、問題はそこではない。
「‥‥やっぱりな」
先ほどからディアベルは何度も何度もラヴィエルに攻撃を仕掛けている。しかし、それでもラヴィエルに傷が増えないのは、ラヴィエルがその体の性質を完全に炎にしてしまったからだ。
炎は斬れない。
それはごく自然なことだ。
ディアベルの”殺す”の定義は、あくまで生きとし生ける者全てを殺すということ。つまり、生きていない者、死というものが存在しない者に対しては悉く無力になってしまう。
「あんた、力を縛られてるやろ」
ラヴィエルがそう言った瞬間、ディアベルの鎌を持つ手が少し揺れる。
「契約か? いや、ちゃうな。一方的に封印されとる」
ラヴィエルが言っていることは、セルシエルとの契約とは違う。
それは、そもそもディアベルが異常なまでに地獄の影、それこそ気に食わないセルシエルと契約してまで執着する理由だった。
「おかしいと思っとったんや。あんた、さっきから一切”悪魔の力”を使わんからな」
悪魔の力。
その定義は、悪魔が持つ悪魔固有の魔法だ。その魔法はその悪魔が持つ”欲”が起因している。
ドルマンが支配に関する力を持っているのは、支配欲が強いから。
アーデウスが匂いに関する力を持っているのは、それが淫欲、主にそういうことをするのに向いているから。
そういった欲から生まれた魔力は、欲というイメージを基に作られている。その構造は極めて複雑であり、それを模倣できるのはせいぜいシリウスぐらいだった。
悪魔がその力を扱うのは、至極当然、まさに常識というもので、それこそが、悪魔という種族の強さだった。
もちろん、そのことをラヴィエルは理解していた。
しかし、おかしい。
「初めはその鎌とか、その異常な速さがあんたの悪魔の力かと思ったんやけど、それはちゃうな。鎌は普通の鎌やし、その速さは多分‥‥努力の賜物や」
それは、事実だ。
「まぁ、あんたの戦い方を見ても、悪魔の力には頼らず自分だけの力で! っていうだけかもしれへんけど、せやったとしても、悪魔の力を一切感じんのはちと不自然やからなぁ」
それもまた、事実だ。
本来、悪魔というのは悪魔の力を使う。だから、大抵は人間の姿としてではなく、人間の姿に昆虫が入り混じったような異形の化物の姿となっていることが多い。
もちろん、中にはアーデウスのように人間の姿を好む者もいる。
しかし、ディアベルの場合は、そもそも悪魔として不自然なのだ。
アーデウスは確かに人間の姿をしているが、それでも悪魔であることに変わりはなく、多少なりともその体からは悪魔特有の力が漏れ出ている。
しかし、ディアベルからはその力が全く見えない。
ディアベルの人間擬態が上手いんじゃない、ただディアベルに悪魔としての特徴が無いだけだ。
「せやけど、あんたが人間という可能性は無いしな。せやから、あんた‥‥やっぱり、誰かに力を封印されとるやろ。これは推測やけど、多分その封印を消せる存在が、その封印をしてきたやつか、神に属する魔王しかおらへんのやろ?」
「‥‥少し、口が滑るようですね」
その時、ディアベルは攻撃を止め、同時に足も止める。そして、いつも無理やり作って来た笑顔を崩し、自然な、彼女本来の顔を見せた。
「せやな、無駄話してまうのは、うちの悪い癖や。せやから、終わらせようか」
ラヴィエルはいつになく真剣な口調で、力をこめる。
「うち、あんたのこと好きやで。その戦いに対する真摯な愛。努力できるやつは皆平等に偉いからな。せやけど‥‥うち、あんたを殺さんといかんねん」
「‥‥ほぉ? <殺欲>の悪魔に対して、殺す、とは。冗談にしか思えませんね」
「冗談? ははっ、ええでそれでも。殺すなんて、冗談やった方がええからな」
―――ラヴィエルの体が激しく燃える。
「ほな、いこか」
ラヴィエルが地面に足を強く叩きつけた次の瞬間、炎が辺りを走り回り、ラヴィエルとディアベルを炎の中に閉じ込めた。
「うちは<純愛>の天使。愛っちゅうのは、燃え盛る炎のようなもんや。何度消えようと、何度でも燃え上がる。そこに愛がある限り、燃え尽きることはない」
その時、ラヴィエルの腕が激しく燃え、その炎は次第に弓を形作った。
「この愛、受けてみ」
ラヴィエルは弓を構える。
炎が燃え上がり、それは矢となる。
強く弓を引いて、狙いをディアベルに定める。
=天界の燃え盛る愛=




