80話:悪となる決意
「魔王様。余は全てを話しました。大賢者が魔王様を利用したのと同じように、余も魔王様を利用している。ただ、それは余の変わらぬ忠誠によるものであると、どうか信じて頂きたい」
セルシエルはそう言って、再び原初の魔石をわたしに見せる。
「それを踏まえた上で、もう一度ご決断をお願い致します。どうか、魔王として、我らをもう一度導いては頂けないでしょうか?」
セルシエルは腰を低くし、片膝をつけながら丁寧にそう願う。
その願いは、間違いなくわたし‥‥いや、違う。その願いは、わたしに向けられたものじゃない。
こんな、何もできずにいる公爵令嬢であるわたしではなく、魔王として全ての迷える者を導くだけの力と心を持ったわたしに願っているんだ。
「ミリちゃん!」
その時、ロリエルがわたしに訴えかける。
「ミリちゃんが辛いことは、あたちも知ってますの! だけど‥‥それは、それだけは、ダメですの。ミリちゃんは、ミリちゃんであって、魔王じゃないですの」
そう、わたしは魔王じゃない。
「お嬢様。お願いします。もう‥‥自由になっても、いいのではないでしょうか?」
囚われるな。この魔王に。
「‥‥‥」
お父様は相変わらず何も喋らない。だが、その瞳はわたしが間違わないように、そう訴えかける瞳だ。
誰もが、わたしが”魔王”ではなく、”ミリア”として生きることを望んでいる。
それに気付くと、そちらに手を伸ばしたくなってくる。もしかしたら、それが正しいのかもしれない。その方が、きっと楽なんだと、そう思う。
「‥‥リーベル」
「なに?」
今から言おうとしていることに溜息が出てしまう。ただ、言わなければならない。
「‥‥‥ごめん」
「‥‥?」
「リーベルは関係ないのに、巻き込んでしまった。初めから、あいつはわたしを利用するだけでよかったのに、わたしがお前を巻き込んだ」
「ミリア、待って‥‥」
「前世のわたしがそうなるようにしたし、実際、セルシエルがそうなるようにしていた。結局、わたしとお前はどうせ出会う運命にあって、それは奇跡でもなんでもない。ここまで歩んできた道筋も、意味なんて最初からなかった」
「ミリア‥‥何を言ってるの?」
「だから」
だから。そう、だからだ。
「わたしは、このくだらない物語に終止符を打たなければならない」
「ミリア‥‥」
「元を辿れば、わたしが始めた物語だ」
だから。
だから。
だから。
「だから、わたしは魔王になる」
触手を出して、原初の魔石を砕く。
砕かれた魔石は全てわたしに吸収され、わたしの力となっていく。
原初の魔石はわたしの体内を駆け巡り、それは新たな”影の器”として機能し、魔王の残滓の力をより引き出す。
その時、<影収集機>が強く反応し始める。何に反応しているのか? そんなことは、すぐに分かる。
原初の魔石の影は既に失われている。そして、この場に他の魔王の残滓は存在しない。ただ、一つを除いて。
「‥‥なるほどね、ついにキミから影が溢れ出してしまったんだね」
わたしが壁となって、影を体内に保管していた。その壁は厚く、わたしの体内にある影には<影収集機>が反応することはなかった。
しかし、たった今、<影収集機>はわたしに反応している。
それほどにまで、わたしは”影に近づいている”。
「いいのかい? 本当にそれで」
「黙れ」
「黙らないよ。どれだけボクがキミの為に動いてきたか。そもそも、そうならない為にボクがいるのに」
「もう一度言う。黙れ。今さら保護者面をするな」
「はいはい」
こいつは、「それなら」と最後に一つ言葉を付け加える。
「この物語を終わらせたいのなら、それこそ最後の戦いを始めよう。500年前から続くこの戦いに終止符を打つためにね」
「‥‥‥」
「”勇魔戦争跡地”。その名の通り、勇者と魔王が戦い、そしてお互いに朽ち果てた場所だ。そこで終わらせよう。なにせ、そこから全ての物語は始まったんだからね」
わたしはその提案に頷かない。ただ、こいつの提案を受け入れることが癪なだけで、その提案自体に不満は無かったから、沈黙で了承する。
触手を伸ばして、<影収集機>を破壊する。
「聞いたか。この物語の終着点は、そこだ」
「かしこまりました。魔王様」
「ふふっ、ここから面白くなりますよ」
ディアベルは地獄の穴を開き、そこを経由してわたしたちは勇魔戦争跡地に向かうことにする。
―――その時、後ろからわたしの名を呼ぶ様々な声が聞こえてくる。
少し、振り向く。そこにはミリアを取り戻そうとする皆がいる。
でも、わたしはもうミリアじゃない。
魔王だ。
だから、振り向いた顔はすぐに戻して、地獄の穴に入った。
一度地獄の穴に入って、また人間界に戻れば、その間の移動を短縮することができる。
そうして、わたしたちは勇魔戦争跡地に着いた。
初めに目に入ったのは、巨大な渓谷だ。まるで巨大な剣に大地が切り裂かれたかのように、その歪な割れ目は続いている。
「ミリア様。驚かれるかもしれませんが、こちら、勇者が魔王との戦いで作った”大地を斬った跡”なのです」
「そうなのか?」
「えぇ、ワタクシの知る限り、魔王様に匹敵する力を持つのは、それこそ神か、勇者のみですから。それでも、魔王様はそれらとは比べ物にならない力を持っていたのですが」
「どういうことだ? 魔王に匹敵する力ってことは、魔王ぐらいのやつがいたにはいたんだろ?」
「ふ~む、言葉の綾でしたね。確かにそう言いましたが、それはあくまで”力を失った魔王様”に匹敵する力を持つ者が、という意味です」
「‥‥余計によく分からなくなってきたが」
「そうですねぇ‥‥魔王様はワタクシたち四魔将や、一部の信頼できる者に魔王の残滓を渡していましたから。先ほど、こいつが言っていたでしょう? 勇者一行として活動していた際に四魔将から魔王の残滓を回収していたと」
ディアベルはそう言って、先ほどから静かにしていたセルシエルを指差した。
そういえば、そうだった。セルシエルが四魔将から魔王の残滓を回収していたから、セルシエルはわたしに魔王の残滓を渡すことができていたんだ。
にしても、ディアベルの口が少し厳しいのは、以前セルシエルたち勇者一行に敗北しているからなのか。じゃあ、どうしてディアベルはセルシエルに強力しているんだ? 少なくとも、仲が良いようには見えないが‥‥‥
「じゃあ、セルシエルにも魔王の残滓を渡していたのか?」
「はい。余は魔王様から戒めの為、紛争の影を渡されていました。紛争の影は余が天秤の剣を使えなくなったからでしょう」
「‥‥そうか」
その時、ディアベルが言葉を付け加える。
「魔王様はリーベルシア様が死んでから、変わってしまいましたからね。より能動的に動くようになり、一年で、人間、天使、悪魔、龍を除く全ての種族を支配し、魔物にしてしまいましたから」
「そうなのか‥‥。そういえば、お前たちに力を預けていたのなら、グラトニスとかまだ魔王の残滓を奪われていない奴から、一度返してもらった後に勇者と対峙した方がいいんじゃないのか?」
「それもそうですが‥‥分かりません」
「分からない?」
「えぇ、魔王様は四魔将に魔王の残滓を渡しても、まだその力は有り余っていたはずです。ですが、その余っていた力を捨てるかのように、魔王様の親に渡してしまったのです。それはまるで、勇者に殺されることを目的としているかのようですね」
ディアベルは勘が良い。
恐らくは、その結論もディアベルの鋭い勘から導き出されたものだろう。わたしもそう思う。
魔王は、多分、勇者に殺されることを望んでいた。
天界の神と来世で会う為、自分を殺すことのできる勇者に殺されようとした。
そして、転生して、わたしになった。
そんな気がする。
「ミリア様」
突然、真剣な声でディアベルが呼んでくる。
「どうした、急に」
「ワタクシを恨みますか?」
「本当にどうした、急に」
「いえ、ワタクシもミリア様が魔王様の転生者であることを、こいつに知らされていましたからね。実際、ワタクシはミリア様とあの日に出会う前から、ミリア様のことは知っていたのです」
「‥‥?」
「ミリア様が生まれた年、その翌年にこいつから魔王様の転生者について知らされました。ですので、久しぶりにアウスからミリア様の情報を貰っていたのですよ」
そういえば、アーデウスの店に行った時、ディアベルは十六年前に訪れていたと言っていた。
あれは、わたしの情報を手に入れる為だったのか。
「‥‥まぁ、そのぐらい、どうでもいい」
「あら、そうですか?」
「なんだ? まさか、そのぐらいでわたしからの信頼が消えるとでも思ったのか?」
「ふふっ、ミリア様はご冗談が好きなようですね」
少し珍しい感じのディアベルに、せっかくだからからかってみたが、ディアベルが動じることはなかった。しかし、「信頼は、やはり大事ですからね」とボソッと言った。
「さて、着きましたよ」
「ここが‥‥勇魔戦争跡地」
「まぁ、ここまでもそうでしたが、大賢者が指定した場所はここでしょうね。聞かれる前に答えましょう。こここそが、勇魔戦争跡地にある、”勇者と魔王が死した場所”ですから」
そこは勇者と魔王の争いの跡だからか、草木も生えていない更地が広がっていた。そして、その奥にいる者たちにすぐに目がつく。
「あら、もういましたか」
わたしたちと向かい合うように、そこには三人の見知った顔のやつらがいる。
「おや、久しぶり。あ~あ、結局<影収集機>壊しちゃうんだから」
未だに冗談を言うそいつの隣には、マルシエルとラヴィエルがいた。
「‥‥クソ」
「‥‥マルシエル。久しいな」
「うるさい、黙れ」
セルシエルはマルシエルと知り合いなのか?
それも少し気になるが、まぁ、今はそんなことどうでもいい。
「じゃあ、始めようか。‥‥その前に、もう少し”ラストバトル”っぽくした方がいいかな?」
そう言って、あいつは指を鳴らす。すると、周りに結界が張られると同時に、わたしたちは特定の場所に転移させられる。
「まぁ、せっかくだから、ある程度因縁のある相手と”話し合い”できた方がいいよね」
周りを見る。
ディアベルとラヴィエル。
マルシエルとセルシエル。
そして、わたしと‥‥こいつ。
「ははっ、こいつって‥‥ま、いいよ。安心して、結界を張ってお互いの”話し合い”を邪魔しないようにはしたからさ」
さぁ、ついに始まる。
これで、全部を終わらせられる。
これは、500年前から始まってしまった物語を終わらせる為の、新たな始まりを迎える為の戦いだ。




