78話:全ては500年前から始まっていた(前編)
「裏切者」
「そうだろう? まさか、忘れたなんて言わないよね?」
裏切者。
それは、セルシエルに向けられた言葉だ。
かつて、勇者パーティの一員として魔王を討伐する為に行動していた。にも関わらず、現在、魔王軍四魔将<堕天>としてこの場に立っているのは、彼が裏切者であるなによりの証拠だった。
セルシエルは、溜息にも思える微笑を零す。
「いいだろう。大賢者、貴様の考えは分かる。余の印象を悪くして、魔王様からの信頼を奪おうとしているのだろう」
その通り、それがシリウスの狙いだった。
「しかし、無駄である。何を言おうと、事実は変わらない。それは、余が裏切者であることが変わらないように、貴様が裏切者であるということも変わらないということだ」
セルシエルは、シリウスが自分と同じように”裏切り”という行動で、ミリアの信頼を失っていることを嘲笑うように言った。
そして、目線をミリアに移す。
「魔王様」
依然として、セルシエルはミリアのことをそう呼んだ。
「確かに、余は勇者パーティを裏切り、このように魔王軍四魔将となりました。もしそれが魔王様の信頼を失うようなことなのであれば‥‥話しましょう。全ての真実を。なによりも、これは、魔王様への償いの計画なのですから」
セルシエルは話した。
それは、500年前、いや、それよりも少し前の話。
とある予言から、その物語は始まった。
『神からのお告げがありました。世界に影が降り立ち、その影はいずれ世界に大きな波乱を生むと。その影は四魔将と呼ばれる”種族の鎖を壊す者”たちを引き連れ、この世界に絶対的な平等をもたらすと』
当時の聖女が祈祷によって得た”答え”は、一瞬で各地に広まり、人間たちはその”影”を恐れるようになった。
そして、その予言に真実味を持たせるかのように、その予言の後、各地に強力な存在が観測されるようになった。
一、それは蝶のように舞い、そして殺しの花を咲かせる。殺しを吸って生きる蝶。
二、それは人間の姿をした異形の化物。複数の種を歪に組み合わせた偽りの龍。
三、それは生命の祖とも呼ばれた種族。神域に住まい、人々に邪をもたらす巨悪の邪龍。
残り一体は観測されなかったが、これらの凶悪な存在が次々に生まれたことにより、その観測されなかった一体と合わせて、四魔将という存在は人々の恐怖の対象となった。そして、その四魔将が崇拝する王のような存在である”影”もまた、同じように人間の恐怖そのものとなり、暫くして”魔王”と呼ばれるようになった。
そう‥‥”恐怖”になってしまったのだ。
―――”勇者”
それは突如として現れた。
勇者の剣を握る少女、彼女は勇者となったのだ。
それはあまりにも重すぎる運命だった。
何故なら、もともと勇者の剣はその少女を守る為にリーベルシアから与えられていたもので、決してその少女に魔王を殺す運命を背負わせる為のものではなかったからだ。
しかし、人間たちの魔王と四魔将に対する恐怖は、勇者の剣を持った少女を”勇者”ということにした。そうすることで、恐怖に傾いた天秤のもう片方に”希望”を置いて吊り合うようにしたのだ。
そして、当時の天秤の剣の所有者であったセルシエルはグランシエルの頼みによって、その勇者セレスティアに修行をつけることになったのだった。
それと同時に、王国に突如として現れた未来の偉人とも呼べる存在―――大賢者。
彼女を勇者パーティの一員として引き入れ、大賢者の推薦によって、更にもう一人が勇者パーティに加わった。
その新たに加わった二人と、勇者、そしてその師匠であるセルシエルで構成された”勇者パーティ”は人類の希望となった。
「あの時のことを、今でも鮮明に覚えている」
その”あの時”とは、勇者パーティが四魔将<殺蝶>を討伐‥‥討伐と言ってもセレスティアは殺しを拒んだため、今もその<殺蝶>はディアベルという名で生きているが、問題はその後だった。
次に勇者パーティが目指したのは、神域に住まう<邪龍>だった。
何故なら、<魔人>はどこかの森に隠れており、見つけることが困難だったからだ。対して、<邪龍>の居場所はよく分かっていた。
しかし、分かっていたにも関わらず、一切人間たちがその<邪龍>に手を出せずにいたのは、その<邪龍>が偽りない本物の”龍”だったからだ。
「説明を付け加えてあげるけど、龍はこの世の最高位種だよ。全ての生命の祖とも呼ばれる存在。それこそ、人間界における神と言ってもいいね」
実際、<邪龍>はとてつもない力を持っていた。
熾天使であるセルシエルがいるにも関わらず苦戦を強いられるほどだった。
その時、大賢者が大きな傷を負い、そこで初めて勇者は気付いた。
殺すなんてかわいそう。そんな考えは、甘すぎるのだと。
勇者はその剣を握り、邪龍を討伐した。それは、殺したという意味だ。
「問題はここからだ。せっかくだし、ボクがキミの思考を映像として投影してあげるよ」
「‥‥構わない。魔王様の信頼を得る為なら、余は全てを受け入れよう」
シリウスの魔法により、セルシエルの思考、もとい記憶が映像として空中に投影された。そこに全員の集中が集まる。
それはセルシエル視点の映像だ。
* * *
「シリウス! だ、大丈夫‥‥?」
目の前には勇者がいる。
「あはは‥‥大丈夫だよ、セレス」
大賢者はそう言っているが、その傷は深かった。大賢者自身も、自分に回復魔法を掛けながら、麻痺魔法で感覚を飛ばすことでなんとか意識を保っているような状態だった。
「ちょ、あんたマジでやばそうじゃん。どどどどどうすんの!?」
もう一人、ひと際焦っている少女がいた。
「もう、うるさいなぁ相変わらず。このまま回復してれば問題ない‥‥うっ」
「やっぱダメじゃん!」
大賢者の横腹から血が溢れ出す。
その度に大賢者は苦しむ声を上げて、麻痺魔法を強めた。
「見ろ、セレス。貴様が殺すことはかわいそうなどという甘い考えを持っているからだ。これは戦いだ。戦いはどちらかが正義を証明することで終わる。それは、どちらかが死ぬまでは終わらないという意味だ」
「‥‥うん、分かってる。師匠」
<邪龍>の巨大な死体の前で、沈黙が続く。<邪龍>は死んだ。だから、この戦いは勇者パーティの勝利だ。しかし、一名の負傷が”敗北”の二文字を臭わせていた。
セルシエルは溜息をつき、その嫌な臭いを振り払い、<邪龍>の死体に目を向ける。
「やはり、あったか」
セルシエルが見つけたのは、他の何でもない、”魔王の残滓”だ。
それは以前、<殺蝶>と対峙した際にも見つけたもの。恐らくは、魔王が自身の力を四魔将に与えていたものだと考えられていた。
「黒い宝石」
セルシエルはそう言って、<邪龍>の死体から見つけたそれを眺めていた。
それはミリアも見覚えがある。そう、”紛争の影”だ。
実際、<邪龍>はこの紛争の影を使って、自分の翼を刃にしたり、扱う黒炎を武器の形にしたりして戦っていた。
「師匠!」
突然、背後から勇者の声が聞こえる。その声に振り向くと、先ほどまで勇者と苦しむ大賢者と焦る少女しかいなかったはずの場所に、もう一人、何者かがいた。
それは、天界を統べる者。
黄金に輝く巨大な二枚の翼。
光輪を頭上に掲げて、全てを見通す黄金の十字に刻まれた瞳。
そして、何よりミリアもよく知っている、リーベルそっくりの顔。
「‥‥リ、リーベルシア様!!」
そこには、天界の神がいた。
天界の神は大賢者の側に寄って、手をその深い傷にかざす。すると、強い光が辺りを包んで、一瞬で傷が癒えた。
「‥‥こ、これは‥‥すごいね」
「リーベルシア様! なぜこちらに‥‥?」
大賢者の傷が癒えたことに安堵する一行とは違い、セルシエルはこの場に天界の神がいることに驚いていた。
「‥‥ん? あぁ、えっと‥‥たしか、セルシエル‥‥だっけ?」
「は、はい‥‥余は、<無欲>の天使セルシエルでございます」
「そっか。まぁ、誰でもいいけど‥‥」
天界の神はゆっくりと歩いて、<邪龍>の死体の前に立つ。
「これ、あなたたちがやったの?」
天界の神は<邪龍>の死体を指差しながらそう言った。
その問いは、誰が<邪龍>を殺したのかというもので、言い方から考えても、天界の神がその死を望んでいるようには思えなかった。
「リーベルシア様‥‥?」
「これ、あなたたちがやったの?」
天界の神はもう一度そう聞く。そのあまりの威圧感に、セルシエルは「‥‥はい」とみすみす認めた。しかし、すぐに違和感を覚える。そもそも、四魔将である<邪龍>を殺すこと自体、間違いはなく、なによりも”正義”であるはずだ。
「そっか。なんで殺したの?」
「何故‥‥それは、その龍が四魔将であると‥‥そもそも、その答えを与えたのは、あなた様では?」
「うん、したよ」
セルシエルの脳内は謎で包まれる。
「”皆、良い子たちだって”」
その時、謎が解かれる。
初めから、リーベルシアは魔王たちのことを世界の悪ではなく、新たな希望として答えを示していたのだ。
そこで、セルシエルはようやく気付いた。
(魔王が‥‥悪じゃない?)
予言と現実に明らかな相違点がある。
―――違う。初めから、予言は間違っていたのだ。
決して、予言では魔王を悪とはしていなかった。にもかかわらず、魔王が悪になってしまったのは、魔王という理不尽にも思える強大な力が人間たちにとっては恐怖だったからだ。
そのせいか、予言は本来意図していたものとは明らかにかけ離れたものになった。
それなら、魔王を悪にした人間が悪いのか?
いや、それは分からない。セルシエルはどこに悪があるのか分からなくなってしまった。
「それなのに‥‥どうして争うの? どうして殺すの? 争いの後にあるのは平和じゃなくて、支配だって。争うのはダメだって言ったはずだよ?」
終戦は平和じゃない。
争いが終わった先に存在しているのは、全ての者が平等に生きることのできる世界ではなく、勝者が敗者を従える不平等な世界だと、天界の神は言う。
「で、ですが‥‥」
「ね? セルシエル。私が創った天秤の剣を持ってるのなら分かるよね? その剣は、平和の為に、皆が平等である為の”正義の基準”だから」
セルシエルの正義が揺らぐ。
「その前に、お聞かせください‥‥」
「なに?」
「世界の影とは‥‥いったい何者なのでしょうか?」
「その呼び方はよく分かんないけど‥‥多分、彼女のことだよね?」
彼女。天界の神が愛しくそう呼ぶのは、考えるまでもなく魔王のことだ。
「彼女は‥‥私の、”大好き”」
天界の神は恥ずかしそうにそう言った。しかし、それと同時に理解する。
天界の神は、初めから魔王側の存在なのだと。
「‥‥なるほど。あなた様が‥‥唯一観測されていなかった最後の”四魔将”」
「四魔将? そういえば、彼女がそんなこと言ってた気がする。かわいいよね、その方がかっこいいからって、”友達”のことをそう呼んでるの」
天界の神は魔王のちょっとしたことに微笑んで、もう一度<邪龍>の死体を見る。そして、大賢者にしたように手をかざす。
「な、何を‥‥‥」
「ん? 何って、この子も蘇らしてあげないと」
「そんなこと、できるわけが‥‥‥」
「できるよ。私だけじゃ無理だけど、彼女が私に‥‥確か、生命の影? をくれたから。これがあったら生命の生死を決める権利が手に入るから、私の光属性の魔力で蘇らせることができるようになるの」
ゆっくりと詳しく説明をされる。しかし、問題はそこではなかった。
何故、当然のように悪である<邪龍>を蘇らせようとする?
その時、決断する。
セルシエルは、天秤の剣を強く握った。
天界の神の力は絶大だ。<邪龍>という巨体ですら、一瞬で蘇らせてしまうかもしれない。
だから、許された時間は一瞬だ。
「――――え?」
天界の神は、自分の胸を貫通するその剣を見た。
何が起こっているのかを理解するよりも先に、その剣が抜かれる。
「なん‥‥で‥‥」
「これは‥‥正義だ」
神を殺す。
それを可能にするのは、神が創った神器のみ。
幸いにも、セルシエルはその神器を持っていた。
「あなた様は、天界を裏切った。それは、悪だ。だから、これは正義の行い」
天界を裏切った。
この事実は天秤の剣で測ったとしても、絶対的に悪としてみなされ、事実、天秤はセルシエルの方に傾いた。
天秤の剣は裁きを与える時、圧倒的な力を持つ。
その力は、神を殺す威力すらあった。
そして、天界の神は静かに息を引き取った。




