77話:裏切者
セルシエル‥‥?
いや、その名は知っている。<無欲>を冠する熾天使の名だ。
ただ、不思議に思ったのは、どうしてその熾天使が悪魔であるディアベルと一緒にいるということだ。
それに、四魔将<堕天>って、いったい何の事‥‥‥
「突然の訪問に混乱されているでしょう。余が順を追って説明させていただきます」
=天界の槍=
遥か上空から突如として黄金の槍が、一本、流星の如き勢いで降ってくる。
ドォン!!!!
地面に衝突すると、クレーターを作ってしまいそうな勢いで砂埃を上げた。
突然のことに驚き、反射的に両手で前方を庇う。暫くした後、両手の隙間から何があったのかを確認した。
「‥‥まだ、話は終わっていません」
両手の隙間からセルシエルが見える。
セルシエルは突如として降ってきた黄金の槍を片手で受け止めると、細い目をギロッと開けて、槍が降ってきた方向を鋭く睨んだ。
「セル! 今更何をしにきたですの!」
セルシエルが睨んだ方向に視点を移動させると、そこには六枚の翼を羽ばたかせて、珍しく声を荒げるロリエルがいた。
ロリエルはわたしがいることに気付くと、すぐさまわたしの前に降り立って、セルシエルからわたしを守るように前に立った。
「ロリエル‥‥?」
「ミリちゃん! あいつは‥‥あいつは、ダメですの!」
必死になってわたしの問い掛けを聞くよりも前に全てを否定するロリエルに、頭が混乱してくる。
「いったい、何がダメなのですか?」
その時、背後から声が聞こえる。
「‥‥ディアベル?」
その声を知っていて、後ろを振り返ると、誰もいない。
そして、顔を戻すと、目の前にニヤリと笑みを浮かべるディアベルがいた。
びっくりした‥‥‥
「それで、何しに来たんだ、ディアベル。というか、何で熾天使なんかと一緒にいるんだ」
「あら、ワタクシの言葉であれば聞き届けてくれるのですか? それはありがたい」
ディアベル。
彼女なら信頼できる。
「ミリちゃん!」
しかし、ディアベルと普通に会話をしているわたしに、ロリエルは怪訝そうな目を向けた。
「ミリちゃん‥‥どうして、悪魔と‥‥‥」
「あらあら。これは、”チビ”、ではありませんか」
ディアベルはロリエルのことをそう呼びながら、まばたきをする間にロリエルの背後に移動した。
ロリエルはディアベルを酷く警戒しながらも、常に魔法を使う準備をしながらディアベルから距離を取る。
「殺蝶、どうしてあなたがミリちゃんのことを知っていますの‥‥?」
「どうして? ふふっ、まさか知らされていないのですか? かわいそうに、それほど信頼されていないなんて‥‥ワタクシですら少し同情してしまいますよ」
ロリエルはディアベルの言うことを嘘だと思っているのか、動じずにいた。
しかし、気付く。
「‥‥まさか、嘘ですの。本当に‥‥‥」
恐らく、ロリエルはディアベルが嘘をついていないことに気付いたのだ。
それは、ロリエルが<無垢>の天使だからこそであり、嘘をつく者特有の黒さが今のディアベルにはなかったということだろう。
それもそうだ。
わたしはディアベルと仲が良い。
ただ、ロリエルに隠しているつもりはなかった。単に、言う機会がなかっただけだ。
いや、機会があっても誤魔化してたか。
「さて、無駄話はこれくらいにして‥‥‥ミリア様」
「なに?」
「一つ、初めに質問をしておきましょう」
「質問?」
「えぇ、そうですよ。簡単な質問です」
ディアベルはニヤリと影の強くかかった笑みを浮かべて、言う。
「ミリア様は、魔王側か天使側、どちらにつきますか?」
ディアベルの質問の意味は、なんとなく分かる。
ただ、わたしはその質問にすぐには答えられずにいた。
「いえいえ、構いません。こういった場合、お互いにプレゼンをするべきでしょう。どちらの方がミリア様にとって素晴らしいものであるか、それを伝えた上で判断してもらって構いません」
「‥‥‥」
「ですが、一つだけ」
「‥‥?」
「この質問に、必ず答えてもらいます。どれだけ悩んでもらっても構いませんが、これだけは絶対です」
ディアベルは少しふざけながらも、最後だけは真剣な顔つきでそう言った。
「それは‥‥契約か?」
その顔つきに、わたしは確かめるためにそう聞いてみる。
「‥‥ふむ、そうですねぇ。まぁ、そう捉えて頂いても構いませんが、この契約を破ること自体に特別なデメリットが生じるわけではありません。ただ、ワタクシはミリア様が、敵か、もしくは味方なのか、それを知りたいだけですよ」
ディアベルの言い方だと、まるで今から戦争が始まってしまうかのようだ。
戦争。
確かに、前世のわたしは魔王として多くの戦争をしてきたのだろう。それが紛争の影が出来た要因の一つであり、魔王が殺された理由でもあるはずだ。
だが、もうそんな必要はない。
確かに天界に連れて行かれはしたが、あいつが余計なことをしたから、わたしが天界から目をつけられることは無くなった。それに、もう何かをする気も起きない。
「ふ~む。どうやら、ミリア様は少し気分がよろしくないようですね」
「ディアベル」
「何ですか?」
「わたしのことはいいから、放っておいてくれ。わたしは、お前たち側につくつもりはない」
わたしがそう言うと、ロリエルは少し安心して、胸を撫で下ろした。
「だが‥‥天使たちの味方をするつもりもない」
「ミリちゃん‥‥?」
不思議そうに言うロリエルに説明を付け加える。
「わたしは、誰の味方にも、敵にもならない。わたしをお前らの事情に巻き込むな」
「それは無理があるのでは? ミリア様は、”魔王の転生者”なのですよ?」
やっぱり。
ディアベルもそれについて知っていたのか。
「それでもだ。どうしてわたしが前世の罪を負わないといけない?」
わたしがそう言うと、ディアベルは微笑する。
「ふふっ、いえ、構いません。それで問題ない。どちらにせよ、ミリア様は決断しなければならないのですから」
「‥‥?」
ディアベルは再び移動してセルシエルの隣に戻ると、上空に地獄の穴を開く。すると、その穴から何か赤い宝石のようなものが降り注いだ。
「これは‥‥?」
「知っているでしょう? 魔石です。ですが‥‥ただの魔石ではありません。原初の魔石。つまり魔王様の魔力が今でも色濃く残っている、別名”魔物の影”です」
魔石。
それが魔物の影だということは、グラトニスに教えて貰っていたから知っている。ただ、どうしてこんなものが‥‥?
「500年前、魔王様は世界に”魔物”と呼ばれる種族を創りました。そして、その多くは子孫を残し、今はもう生きていない。ですが、一部の者、いわゆる生態強者かつ寿命の長い者に関しては、体内に純粋な魔石を残したまま生きていたのです」
生きて‥‥いた?
「お察しの通り、このように、もう死んでしまいましたが」
「余が殺しました」
突然、セルシエルが口を開いた。
「魔王様。これは、余からあなた様への贈り物です。余の忠誠が今もなお残っていることを、この原初の魔石で証明させていただきたい」
セルシエルは一歩前に移動し、話を続ける。
「多くの魔石は、他の魔力の属性の影響を受け過ぎたせいで、魔王様が手に入れようと、それほど大きな影響はもたらしません。しかし、原初の魔石は闇属性の魔力を今でも色濃く残している。長い時の中で、その影は失われてしまいましたが、魔王様が再び手にすれば、影は回復し、魔王様の魔力の器としてその力を大きく引き上げることができる。そうすれば、魔石本来の力である”魔物の影”の力をより自由に扱えるようになるだけでなく、魔力量が増加することにより、他の魔王の残滓の力もより上手く扱えるようになる」
セルシエルの言うことに偽りはない。
確かに、未開のダンジョンの魔石を手に入れた時と同じように、この大量の原初の魔石を手にすれば、わたしは簡単に魔力量を増やすことができる。
「どうでしょうか? 魔王様、余の忠誠は」
セルシエルはその原初の魔石を見せつけるように手を広げた。
「‥‥その前に、わたしは魔王じゃない」
「いえ、魔王様です」
「違う」
「違いはありません。ほら、そこにおられる」
セルシエルはそう言って、わたしを指差した。
―――いや、違う。
更にその先。というより、わたしの中を指差しているようだ。そもそも、わたしと全く視線が合っていない。
まるで、わたしの影のことを言っているようだ。
――――プルルルルル!!!!
突然、胸ポケットから振動を感じる。
それと同時に、声がしてくる。
‥‥最悪だ。忘れていた。
「やぁ、久しぶり‥‥じゃないね」
不快な声が聞こえる。
わたしは胸ポケットから<影収集機>を取り出して投げ捨てた。
軽い音がして、<影収集機>は地面を滑る。
「おや、もう少し丁重に扱ってほしいね。繊細なんだから」
最悪だ。
これの存在を完全に忘れていた。
これがあるということは、今までのことは全てあいつに把握されてしまったということだ。
そして、わざわざ通話してきたということは、何かある。
「まぁ、そうだね。何かあると思われると、何かあるね」
また思考を読まれた。
不快でしかない。
「さて‥‥久しぶりだね、裏切者」
わたしたちを裏切った分際で、こいつはその場にいる誰かをそう呼ぶ。そして、それに反応したのはセルシエルだった。
「久しい、いつぶりか。およそ500年ぶりであろう」
「そんなことはどうでもいいんだ。キミ、彼女に何をしようとしているのかな?」
「何を‥‥? ふっ、変なことを言う。それではまるで余が魔王様を貴様のように利用しようとしているみたいではないか」
「その通りだ。ボクが言いたいこと、分かるんだろう? 今も多くのことを隠して、全部白状したらどうだい? 自分が、リーベルシアを殺し、勇者パーティを裏切って魔王軍四魔将になった、世界最悪の裏切者だって」




