74話:シリウス(前編)
「勇者をこの世に蘇らせる」
シリウスのその言葉は、突拍子がなく、そして本来の彼女の計画からは明らかに逸脱した内容だった。
―――――勇者
それは、英雄の名。
それは、世界を救った者の名。
それは、魔王を殺した、絶対正義の名。
そんなことは誰でも知っている。人間だけでなく、魔物ですらその名を知っている。
もし、神を除いて、世界で最も有名な存在の名を答えろと言われたら、殆どの者が”勇者”、そう答えるだろう。
勇者は、それだけ有名なのだ。
しかし、シリウスの【魔王復活計画】は、その名の通り、勇者ではなく魔王を蘇らせるというものだ。
ましてや、魔王の対局に位置する勇者を蘇らせるなど、根本から破綻している。
「‥‥何を言っているのですか?」
当然、グランシエルはそのような反応をした。
「聞こえなかったかい? なら、もう一度言ってあげようか」
「―――待て!」
わたしは変なことを言うシリウスを呼び止める。
「はぁ‥‥そろそろ最後まで人の話を聞くことを覚えた方がいいと思うけどなぁ」
シリウスは溜息と共に、冷たい目を向けてきた。
まるで、赤の他人のようだ。
シリウス! 何を考えてるのか教えてくれ。言ってくれないと、わたしには分からないから。
多分、何か考えがあるんだろ? お前がわたしに話を最後まで聞くように言うのなら、こっちも、そろそろ自分の考えを共有することを覚えた方がいいって、そう伝えておく。
頭の中でそう呼び掛ける。
しかし、シリウスからの返事は無い。
シリウス?
その‥‥悪かったわよ。別に、自分のことを全て話せって言ってるわけじゃないから。わたしだって、黙ってたことはあるから。
だから、せめてものお願いだから、少しでいいから‥‥わたしを安心させて。
まただ、シリウスからの返事は無い。
何度も、何度も呼び掛けて、何度も、何度も無視される。
そんな状態が続いて、わたしの心は段々と萎縮していく。
今はただでさえリーベルのことで頭がいっぱいで、シリウスのことまで考える余裕が無い。
(ケガレちゃん)
ようやく、シリウスから返事があった。
その返事に下げていた顔を上げる。
「今。たった今だ。この世の全てを明かす」
「‥‥‥は?」
シリウスは、頭の中でわたしを呼んでおいて、わざわざ口でそう言った。
* * *
「さぁて、話を戻そう! グランシエル、ボクの提案、変だとは思ったけど、気になりはしただろう?」
ついにシリウスはミリアを完全に無視して、話を続け始めた。
「気になる‥‥えぇ、確かにインパクトはあります。ですが‥‥それは机上の空論です」
「それはつまり‥‥ボクなんかにそんなことができるわけないって、言いたいのかな?」
「えぇ」
グランシエルの声は段々と、暗く、そして冷たくなっていく。
「馬鹿げています。勇者を蘇らせる。そんなこと‥‥勇者が、あの子が死んでから500年。その間、天界がどれだけの労力を注ごうと成しえなかったことを、あなたのようなただの人間にできるわけがありません」
グランシエルのいう”天界”という言葉は、そのまま天界を指しているというよりは、まるで自分自身のことを指しているようだった。
「まぁ、そう思うのも無理ないよね。でも、その言い方だと、やっぱり勇者を蘇らせたいんだね」
「何度も言わせないでください。それは机上の空論に過ぎません」
「やっぱり、大切な我が子にもう一度会いたいよね」
シリウスがグランシエルの話を無視してそう言うと、すぐに「黙りなさい!」と、取り乱したグランシエルの声が返って来る。
「‥‥すみません。ですが、これ以上馬鹿げたことを言うのなら、侮辱罪として、極刑に処します」
「じゃあ、ボクが言っていることが馬鹿げたことなんかじゃないって、今から証明するとしよう」
グランシエルの警告を無視して、シリウスは話を押し通す。
「まず、生命の蘇生、つまり魂の状態から再び体を取り戻す方法だ」
空気を読まず、話を続けようとしているシリウスに、グランシエルは呆れ、その場から退場させるように近くの熾天使を含めた天使たちに指示をした。
「おっと、だから最後まで話を聞くことを覚えた方がいいって、言ったよね? それに、グランシエル。キミは”祈祷”の天使なんだから、せめてボクの祈祷を聞くぐらいはするべきなんじゃないかなぁ?」
シリウスの煽りにも思えるその舐めた言い方に、グランシエルは「分かりました」と、シリウスの近くにいる天使たちに手を引くよう指示をした。
「よしよし。じゃ、話を続けるね」
シリウスはそう言うと――――
パンッ! と突然手を叩いた。
すると、空中に人間の形をした真っ白な模型が現れる。
「これは?」
「今からこれを使って説明するんだよ」
シリウスがそう言うと、その人間の模型の胸の中心辺りに、紫色に燃える火の玉が現れる。
「これは、人間、もしくはそれに類ずる種族を表した模型だ。そして、この胸の辺りにあるのがいわゆる”魂”というやつだね」
次の瞬間、シリウスはパチンッと指を鳴らす。すると、白い模型が消えて、魂を模した火の玉だけが残った。
「そして、これが死んだ状態だ。人間が死ぬと、魂は体から分離する。どれだけ悲惨に体が吹き飛ぼうと、絶対に魂は消えない。そもそも、ボクたち”生きる者”が、魂に干渉することは不可能だからね」
シリウスはもう一度指を鳴らす。
今度は、その火の玉の周りに白い鳥が現れた。
「そして、人間は死した後、天界に行く」
シリウスがそう言うということは、白い鳥は天使を模しているということを暗に意味していた。
「実は、全ての魂は必ず天界に行くんだ。生前、どれだけ悪いことをしてもね。ただ、ここはまだ”天国”ではない」
次に指が鳴らされると、天秤が現れる。
「これは、”正義の天秤”」
そう言って、シリウスはマルシエルが手に持っている天秤の剣を指す。
「その剣の柄にある天秤と似たようなものだ。もちろん、天使なら知っているだろう? ま、ケガレちゃんとリーベルちゃんの為に説明をすると、この天秤はその名の通り正義を測る」
そう言って、シリウスは手の平に魔力を集中させる。すると、手の平に一枚の純白の羽根が生成される。それを天秤の片方に乗せた。
「この羽根は、あくまで模したものではあるけれど、本来はここに”純魂の羽根”が置かれる。純魂の羽根は、純粋な魂と全く同じ重さを持つ特殊な羽根だ。言い換えると、この世で最も純粋な存在である天界の神の羽根だ」
そして、今度は魂を天秤のもう片方に置いた。
「そして、測る。その正義性をね。魂には必ず不純物が付いているんだ。それは、罪という意味じゃない。単純に、記憶だったりだね。そして、純粋な魂と全く同じ重さを持つ純魂の羽根と重さを比べる。ただ――――」
シリウスが指を鳴らすと、魂が真っ黒に染まる。
「こんな風に、罪であったり、あまりよくない、つまり正義性のない不純物が付いていた場合‥‥‥」
天秤が純魂の羽根側に傾いた。
「こんな風になる。けど――――」
またシリウスが指を鳴らすと、今度は魂が真っ白に染まる。
「こんな風に、思いやりの心だったり、とてもいいもの、つまり正義性のある不純物が付いていた場合‥‥‥」
今度は、天秤が魂側に傾いた。
「まぁ、こんな感じだね。この正義の天秤は、正義の重さを測ることができる。それで、生前に正義を重ねていると、魂はより重くなる。逆に、正義からかけ離れていればいるほど、魂の正義性は失われて、本来の魂よりも軽くなってしまうんだ。こうやって魂を審判して、純魂の羽根より重ければ天国へ、軽ければ地獄へと、そんな風に分かれるんだよ」
そう言った後、シリウスはもう一度パンッ、と手を叩く。
すると、全てがリセットされ、また魂だけの状態になる。
「さて、話を戻そう。ここまでは前提知識のようなものだからね。もちろん、ここから本題に入る」
どうやって、勇者を蘇らせるのか、いつの間にか、魔王が入るべきだった部分は、その名にすり替えられている。
「天国へ行こうと、地獄へ行こうと、変わらず魂は本来の純粋な状態に戻される。魂にこびりついた記憶だったりは、天国、もしくは地獄で完全に魂から分離させられる。それこそが、天国と地獄が存在する意味だ。だって、そうしないまま魂を流転させてしまうと、流転先に変な影響をもたらしてしまう可能性があるからね。例えば、記憶が残ったり、そのまま魔力の属性が引き継がれてしまったり」
次の瞬間、シリウスはポンッ、と手の平に拳を乗せて、何かに気付いたような素振りを見せた。
「じゃあさ、その魂にこびりついた記憶だったりなんだったりを一切分離せずに流転させれば、記憶も何もかもを引き継いだ、いわゆるクローンを生み出せるんじゃないかな?」
その考えを聞いて、周りの天使たちはザワついた。熾天使ですら、その考えに納得してしまう程、シリウスの考えに抜け穴は無いように思えた。
しかし、たった一人、グランシエルだけはその考えを聞いても、一切表情を変えなかった。
「そんなことは‥‥あたくしが、何度も試そうとしています。ですが‥‥‥」
「そう! 無理だ」
グランシエルが答えを言う前に、シリウスは答えを被せた。
「何故無理か。理由は単純。世界、言い換えれば神がそれを許さないからだ」
「‥‥‥」
「神は世界に絶対的なルールを設けている。その一つに、死者の蘇生が存在しているんだ。つまり、神がそれを許さない限り、絶対に死者を蘇生することはできない」
自分で説明したのにも関わらず、シリウスは自分の考えを否定した。
しかし、「だけど」と加えて、話を続ける。
「それを可能にする存在が、一人、存在していた」
続け様にシリウスはとある名を出す。
「魔王」
その名が出てきた瞬間、ついにグランシエルも顔を歪めた。
「魔王。彼女が持つ力の一つに死者を蘇らせるというものがある。ただ、これだと少し解釈に違いがあるんだ。確かに、魔王は理論上死者を蘇らせることができる。ただ、それはそういった”能力”があるという意味ではなくて、そういった”権利”を持っていたという意味だ」
そして、シリウスは「魔王の残滓」の名を出す。
「魔王の残滓。これは最近分かったことだけど、というより、やっと分かったことなんだけど、魔王の残滓は、どちらかというの”神の権能”というのに近い。神が決めたルールを破って、実行することができる権利を得る。魔力と非常に特性が似ているせいで中々気付けなかったけれど、そういう表現が一番似合うね」
そう言って、シリウスは「そもそも、魔王の種族は、敢えて言うのなら”神”だからね」と付け加えた。
「‥‥分かりました。あなたの祈祷。魔王の力を利用して、勇者を蘇らせるということですね」
「うん、そうだね」
その時、隣から「待て!」という声が聞こえてくる。
「‥‥どうしたんだい、ケガレちゃん」
「どういうことだシリウス! その言い方だと‥‥まるで‥‥まるで‥‥」
わたしを利用していたみたいだ。
ミリアはそう言う前に、シリウスの顔を見て、気付いてしまった。
「そうだよ。利用していただけ。キミが、魔王の魔力を持っているから、ボクの計画にはとても都合が良かった。ただそれだけだよ」
「‥‥嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だ!」
嘘だと言い切るミリアを無視して、顔を背けた。その瞬間、ミリアは完全に気付く。
裏切られた。
そんな事実には様々な感情、その様々に何が入っているのかは分からないが、それらが混ざり合って、感情がぐちゃぐちゃになる。
「ところで‥‥‥」
「どうしてボクがそんなことを知っているのか? って聞きたいんだよね」
「はい」
「いいよ、答えよう」
シリウスは被っていた帽子を脱いで、投げ飛ばす。
帽子が宙を舞って、その軽くカールを巻いた茶髪が揺れる。
そして、その碧眼をグランシエルに見せた。
「なるほど‥‥‥」
「う、嘘ですの‥‥‥」
「嘘やん‥‥‥」
「‥‥‥ふざけるな」
熾天使全員が驚く相手。
帽子に付与されていた認識阻害の魔法が解けて、その正体が明らかになる。
「大賢者、やはり生きていましたか」
 




