73話:一つ、提案をしよう
天秤の剣による正義の証明は、リーベルの勝ちだ。
勝ち切る前に逃げられてはしまったが、それでもリーベルの勝ちに代わりはない。そして、リーベルが勝ったということは、こちら側の勝ちということだ。
マルシエル本人が言っていた、天秤の剣は絶対という言葉。これをそのまま受け取るとするのなら、既に裁判は決着がついていて、わたしたちが裁かれることはない‥‥はず。
「それでは、判決を言い渡します。マルシエル、よいですね?」
グランシエルはマルシエルに確かめるが、マルシエルは沈黙を貫いた。
マルシエルの天秤の剣を握る手は強く震えていて、強くこちらを睨みつけてくる。正直やつ当たりにしか思えないし、なにより理不尽だ。
グランシエルはマルシエルの沈黙を黙認とみなし、判決を言い渡す。
「被告アミリアス、リーベル、並びにシリウスは、魔王を復活させ、世界を混沌に導こうとした世界転覆の罪で、魂流転の刑に処す」
――――は?
訳が分からない。
魂流転の刑、言い換えれば、死刑だ。
魂にして、恐らくは強制的に流転させる。もちろん、体も変わる。姿も、性別も、魔力も、家族も、この思い出も、全てがリセットされる。
そんなの理不尽だ。
歯を強く噛み締める。そのままグランシエルを睨んだ。
「何か?」
分かっているはずなのに、わざわざ聞いてくるグランシエルに更に怒りが湧き出てくる。
「何か? 何かあるって決まってるだろ」
「そうですか」
本当にくだらない。
「ミ、ミリちゃん‥‥?」
隣でわたしを心配するロリエルを無視して、わたしの口は腹の中に溜め込んでいた感情をぶちまける。
「やっぱり、天使なんて大っ嫌いだ」
どす黒い感情は、隣で見守ってくれていたロリエルすら入っていた。隣で「ミリちゃん‥‥」と微かにわたしの名前を呼ぶ声がするが、そんなことはお構いなしにわたしの口は動く。
「何が正義だよ。世界のルールに則ってるみたいな言い方をして、結局は自分たちの都合のいいようにやってるだけだろ」
「そんなことはありません」
「そんなことある。今だって、あの剣はリーベルが正しいと言ったのに、結局わたしたちに罪を押し付けてきている」
「”祈祷”、それが答えです。神があたくしに答えを示してくれた」
「あの剣も神の代物だろ。じゃあ、どっちが正しいのかハッキリとしろよ」
「あなたには関係ありません。これ以上の言葉は不要です」
やっぱりだ。
またこうやって理不尽を押し付けてくる。
追放された時も、母親にケガレと呼ばれた時も、全部が理不尽だ。
外的要因に変な罪を押し付けて、何故かわたしたちが不幸になる。
こんなの不公平だ。世界が不公平なように、今の世界である”天界”がわたしたちに対して不公平だ。
なにより、わたしだけじゃなくて、わたし”たち”が不幸になるのが‥‥くだらない。
「その罪、受けるならわたしだけでいい」
「その祈祷は受け取れません」
「知らない。せめてリーベルは無しだ」
「もう一度、その祈祷は受け取れません」
何度もそう言うグランシエルに、わたしのトリガーが完全に壊れる。
「なら、無理やり受け取ってもらう」
=紛争の影=
手元に影を集中させ、剣を形作る。
そして、更に、更に、影を送り込む。
=紛争の剣=
グランシエルに突き付けた。
剣と共に、この固い意志を。
剣、それも”紛争”の名を冠する剣を相手に向けた意味。それは語るまでもない。
「それが意味すること。承知した上で、依然としてあたくしにその剣を向けますか?」
「無論。分かってる」
決めたんだ。
”守る”
この言葉だけに全てを賭けることにした。
この力も、この体も、この魂も、何かもを賭けて、わたしは天界を敵にする。
「ミリちゃん! それだけは‥‥‥」
ロリエルの呼び止める声、それを無視してわたしは剣を握る。
「やはり、ダメだ。貴様らは信用できない。即刻、正義の下で処刑する」
先ほどまで静かにしていたマルシエルが天秤の剣をわたしに向けて、正義を押し付けてくる。
「やめなさい、マルシエル」
「ですが‥‥」
グランシエルはマルシエルを沈黙で大人しくさせ、またわたしの方に顔を向ける。
「分かりました。被告、アミリアス・リヒト・ランタノイド。あなたの”祈祷”、受け取りましょう」
後悔は無い。
これは、わたしと天界の戦いだ。
リーベルは関係ない。
それに、大丈夫ではあるだろうが、シリウスも関係ない。
わたしの”祈祷”は受け取られた。つまり、この先どんな結果がもたらされても、わたしのせいで彼女たちが傷つくなんてことは無くなった。
そう、これでいい。
「それでは、帰りなさい。既に裁判は終わりました」
グランシエルはそう言い捨てて、帰ろうとする。
「――――待った。いや‥‥意義ありだね」
しかし、その声に呼び止められる。
「まだ何か?」
その声に振り向いた彼女は、それが誰なのかに気付いて溜息をついた。
わたしもその声に振り向く。しかし、既にそれが誰なのかは分かっていた。
「異議ありだよ。あはは、ボクまだなんも言ってないんだけどね。まさかもう終わるつもりなのかい?」
シリウス‥‥?
「えぇ。裁判は終わりました」
「まだ終わってないよ」
シリウスの自分が全て正しいという物言いに、グランシエルは少し顔をしかめた。
「発言があるのなら、早く言ってください」
「いやいや、ごめんね。‥‥でもね、一つだけ、いや本当は結構言いたいんだけど‥‥」
「なんですか?」
「こういう場で、”嘘”はよくないんじゃないかなぁ?」
嘘。
この言い方では、既に天界が真っ赤な嘘をついているとでも言っているようなものだ。
「シリウス? 突然なにを言ってるんだ?」
わたしがそう問い掛けると、シリウスはニヤリとした笑顔を返す。
「ケガレちゃん。このままでいいのかい?」
「‥‥?」
「残念だけど、今のケガレちゃんの立ち位置はかなり危うい」
「そんなの‥‥分かってる」
「分かってて全部丸く収まるのなら、問題はないね」
相変わらず簡単に言い伏せてくるシリウスに少し腹が立つ。
ただ、その腹の中にある怒りの矛先は、二割ぐらいがシリウスに向けられたもので、残りは自分に向いているものだった。
もちろん、それに気付いていた。
「【魔王復活計画】。これはね、ケガレちゃんだけのものじゃないんだよ」
「シリウス‥‥‥」
少し感動してしまう。
シリウスにも、こういった時、一緒に責任を負おうとしてくれる優しさがあることに。
いや、前からこんなやつではあった。
「ケガレちゃん」
感動しているわたしに、シリウスは冷たい声でわたしの名を呼ぶ。
「申し訳ないけど、今はそんな呑気に構えている時間じゃないよ」
「‥‥?」
頭に疑問符を浮かべているわたしに、シリウスがとある方向を見るよう目配せをした。
わたしはその方向を見る。
そこにはリーベルがいた。
どうしてリーベル‥‥?
そんな風に思う。しかし、そんな風に思ってしまっていること、それは、その時点で愚かなのだと、すぐに思い知る。
「ねぇ‥‥ミリア」
「リーベ‥‥」
最後まで言い切れなかった。言い切るよりも前に、状況の深刻さに気付いてしまった。
「私って‥‥そんなに信頼できないかなぁ‥‥」
震える声。
それに加えて、少し潤んだ目でそう言うリーベルに、心を締め付けられる。
”信頼”
それはなんだろう。
今更、リーベルに言われて考えているわたしは愚かだ。
「ミリア」
そう思っているわたしにリーベルが声を掛ける。
「私ね‥‥確かに、ミリアとかシリウスみたいに強くないし、すぐに泣いちゃうし、変に怒っちゃうし、それなのに我が物顔で付いてきて、面倒くさいって、自分でも分かってるの」
「そんなこと‥‥‥」
記憶を辿って、リーベルとの記憶に辿り着く。
面倒くさいなんて。
思ったことはある。その上で一緒にいるのだから、それは許容できる面倒くさいで、決して邪魔に思ってるわけじゃない。
なのに、深刻な表情をしているリーベルを見ていると、”そんなことない”、たったそれだけの言葉は意味を持たないように思えてしまった。
「私さ、理不尽なの。ミリアはいつも私を守ろうとしてくれてるのに、それでミリアが変な方向に行って、傷つこうとしているのを見て、それでね、私、ミリアが私のことを信頼してないんじゃないかって思っちゃうの」
「‥‥‥」
「変だよ、私。知ってるし、気付いてるもん。なのに、ミリアが私に向けてくれる優しさをね、信頼してない、こんな馬鹿みたいなことで片づけようとして、理不尽に理解しようとしてるの。そんなの絶対におかしいって、ミリアの優しさを裏切ってるって、分かってるのに‥‥‥」
その場に崩れてしまうリーベルに駆け寄ろうとする。しかし、わたしの意思に反して、体は今の彼女に手を差し伸べるほどの勇気が付いてきていなかった。
何度か手を差し伸べては、引っ込めて、泣いているリーベルに心が苦しめられる。
そんな時に、シリウスがわたしの耳元で囁く。
「ケガレちゃん。キミが償うべき罪は、【魔王復活計画】なんかじゃなくて、これだよ」
脳内で言えばいいものを、わざわざ口で、更に一度名前を呼んでからもう一度代名詞で釘を打つように言ったのは、その囁きに強い意味があることを示していた。
馬鹿だ。それに、我が儘だ。わたしは。
「さて! 話が逸れちゃったね」
シリウスはすぐに声色を変えて、再びグランシエルに話し掛ける。
「構いません」
「ありがとう。やっぱり天使は優しいね」
「御託は止めなさい。早く、あたなの祈祷を話しなさい」
「はいはい」
シリウスは面倒くさそうに返事をして、今度は真剣な表情をする。
「一つ、提案がある」
「それを話しなさい。全ての祈祷を、あたくしは聞き入れます」
「急かさないでよ。相変わらず面倒くさいな~。まぁ、いっか」
「‥‥‥」
「それで、提案なんだけどね‥‥‥」
シリウスは少し溜める。すると、その光景を見ていたマルシエルが痺れを切らしてシリウスを急かした。
シリウスはわざわざ何度も、何度も溜めて、そして、口を開く。
「勇者を、この世に蘇らせる」




