66話:死
人は死ぬ。
何度でも言おう。
人は死ぬ。
ダンジョンは魔物のたまり場だ。それを分かった上でダンジョンに入っているのだから、いつだって”死”の可能性を考えなければならない。
なのに、勘違いをしている。
人間という種族は、魔王に支配されなかった数少ない種族の一つだから、魔王に支配された魔物たちよりも自分たちの方が格上だと思い込んでいる。とは言っても、それは事実だ。確かに知能の高い人間は比較的強い種族だ。だが、その事実を過信して、他種族との差をまるで神と虫ぐらいあると思っている。
そんな馬鹿が死ぬ。
中階層にオークロードが現れたのが不測の事態だったなんて、そんなことを後悔している暇はない。いや、そんなことできない。死んでいるのだから。
オークは人を喰う種族だ。人間より知能が低いから、そんなことは滅多に起きないが、その可能性は十分にある。0じゃない。そう0じゃないんだ。
だからわたしたちの目の前には、頭のついていない人間だったものが落ちている。
「結構早く出てきたね。‥‥オークロード」
シリウスがそう言うように、死体の先にはひと際大きいオークがいる。ローズの記憶資料で見たオークロードと特徴が一致している。こいつが間違いなくそのオークロードだろう。
周りには十体程のオークに、三体のハイオークもいる。対して人間はこの首無し死体と、今オークロードが手に持っている、腹を指で貫かれてもう数秒で死ぬ、もしくは既に死んでいる何かの二人が確認できる。
恐らく偶然この群れと鉢合わせて、圧倒的な頭数の差に負けたのだろう。
偶然?
少し疑問だ。偶然なんかで死の言い訳ができるのなら、それほど楽なことはないだろう。
「う~ん、囲まれたねぇ。どうしようか」
困ってもいないくせに、困っているシリウスの言う通り、オーク共に囲まれた。そんな状況に嫌気がさす。
だが、仕方ない。こんな時、一つリーベルに聞いておくべきことがある。
「リーベル」
「‥‥‥」
驚きで返事をしないリーベルに、再び「リーベル」と呼び掛けて、意識をこちらに向ける。
「怖いか」
そう単調に問う。だが、心配しているからではない。
「え?」
もう一度、「怖いか」と問う。これも心配しているからではない。心配している時の少し柔らかい言い方ではなく、尖った刃先を向けるように冷たく、喉の震えが伝わるような言い方だ。
「‥‥怖い」
リーベルはそう答えた。
「それでいい。この状況を怖いと思えない程、怖さには慣れるな。これから先、何があろうと、絶対、こいつらみたいに怖さを忘れて死を選ぶな。そんな馬鹿なことをしたら、わたしは怒るぞ」
「‥‥うん」
もう怒っている。少し元気なリーベルなら、そう返してきたかもしれないが、今、彼女にはそんな冗談を言うような余裕はない。
彼女がどれだけ死体から視界を外しても、その死体は脳裏に嫌な程こびりついていて、事実を焼き付けて来る。
それに、わたしが矛盾したことを言っているのにも気付かない。
死を選ぶな、なんて。
そんなこと、これまでわたしがしてきたことを考えたら、自分でもわたしが言うか? と少し呆れてしまう程だ。きっと、シリウスはそれに気が付いていて、その上で何も言わない選択をしている。
だから、リーベルにはこんな風になってほしくない。
わがままだな、わたしは。
「‥‥はぁ」
自分に溜息をついた。次にわたしたちを囲むオーク共を睨んで、こいつらが置かれている状況を理解させる。
「わたしたちを狩るつもりなのかもしれないが‥‥教えてやろう。いったい、どっちが、狩られる立場なのかを」
体に少し力を入れる。
わたしたちを囲むように触手が何十本も生えてくる。
=紛争の影=で触手を刃にする。
「‥‥死ね」
吐き捨てるようにそう言って、刃となった触手を走らせる。
その刃は無慈悲にオーク共を通り過ぎて、その後は考える必要もなく、切り裂かれる。
その後、わたしは少し前に進む。腕を切断されただけで済んだオークロードの前に立ち、自分の三倍はあるその巨体を上から見下ろす。
「最後、お前だけだ」
切断された腕の先を見れば、オークロードの親指が腹に貫通した魔法使いらしき何かが視界の隅っこに入って来る。見たくもないのに、嫌な気分だ。
目を逸らして、奥に目を向ける。すると、もう一人の死体が見つかる。
三人‥‥か。
そう思っても、何も起こらない。
だから、何も考えず、触手を一本、わたしの横に持ってくる。
オークロードの首元に合わせて腕を薙ぎ払うと、それと同期するように刃となった触手も薙ぎ払われる。
オークロードの首が吹き飛び、地面に落ちる。それと一緒にオークロードの体も地面に倒れた。
こんなことは慣れていたはずなのに、今回は二人が一緒にいるせいで少し調子が狂う。
客観的に自分を見てしまって、こんな血生臭い自分を見せたくなかった、そう後悔する。
こんな時ですら自分のこと気にする程、わたしは”死”に慣れている。
疲れていると自分に言い聞かせて、気持ちを落ち着かせる。
「おや、この子、まだ生きているね」
だが、シリウスの発言がそんなわたしを邪魔してくる。
「‥‥は?」
「ほら、見なよ。息をしているよ」
そう言われて、シリウスが指す場所を見ると、オークロードの親指に腹を貫かれていた魔法使いらしき何かは、死体ではなく、死にかけだった。
「自分に回復魔法を掛け続けて、何とか生きているんだろうね。でも、腹に突き刺さったままで出血が酷い。このままじゃ死ぬね」
「わ、私に任せて」
リーベルがそう言って、その死にかけの側に駆け寄る。
「よし、リーベルちゃんがその気ならボクたちも協力しよう。そうだろう?」
シリウスはわたしを見て、同意を求めてくる。
断る理由もなく、わたしはそれに同意した。
「オークロードの親指はケガレちゃんが抜く。その間、リーベルちゃんは回復魔法を掛け続けるんだ。万が一にでも死なないようにね。ボクは痛みでショック死しないように少しだけ麻痺魔法を掛けるよ」
「分かった!」
「‥‥分かった」
触手でオークロードの親指と腕を掴んで、ゆっくりと抜いていく。
悲鳴がダンジョンに鳴り響いた。本当に痛い時、人は痛いと言えないのに、その痛みが表情と悲鳴で伝わってくる。その度に、リーベルが回復魔法を強めて、シリウスが麻痺魔法でその痛みを少しだけ和らげる。
短い時間で終わった。そのはずなのに、何故か酷く長く感じる。伸びる悲鳴がわたしにそう感じさせた。
「さて、よく頑張ったね。リーベルちゃんの回復魔法の効果がとてつもないお陰で、傷は塞がった。もう死にはしないだろうね」
「うん‥‥‥」
いつもなら、褒められて抜けた声を出すリーベルが、額を滴る汗を手で拭いながら溜息と共に返事をした。
「‥‥ぁ」
その時、何とか生き延びた魔法使いが喉を捻ったような声を出す。
「だ、大丈夫?」
心配そうにそう言うリーベルに対して、魔法使いは返事をしない。次の瞬間、魔法使いとわたしの目が合っていたことに気付いた。それと同時に、魔法使いが愕然とした様子で震えながらわたしを見ていることに気付く。
魔法使いはわたしに向かって土下座をした。
わたしがそう命令したわけでもない。そもそもわたしはこいつを知らないはずなのに、わたしを見た瞬間、魔法使いは一切の迷いなくそうした。
「ごめんなさい」
続け様に震える声でそう言う。
どうして謝罪するのか。そんなのわたしを苛立たせるだけだと、わざわざ教えないと分からないのか。そもそも、わたしよりも先にリーベルに感謝するべきだ。
「あの時は、ごめんなさい」
だが、わたしが思ったところで無駄だ。魔法使いはまた謝罪する。
あの時は。
そう言われると、前に会ったのかと自然に記憶を遡ることになる。
「‥‥あぁ、クソが」
自然と暴言が零れる。
この生き延びた魔法使いのパーティ、その構成を見て確信する。
重騎士、魔法使い、そして、剣士。
あぁ、そうか。
道理で、あの時は、なんて言うわけだ。
最悪の気分だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「それしか言うことが無いのか?」
冷たくそう聞く。すると、魔法使いはわたしの顔を見て、わたしが蔑むような顔をしていることに気付いた。
「‥‥あ、あの時。私が止めなかったから、あなたが追放されてしまった。‥‥本当に、ごめんなさい、ごめんなさい。‥‥助けてくれたのに、ごめんなさい」
‥‥クソが。
「わたしが追放されたこと、もうそれはどうでもいい」
「‥‥え?」
「どうして、また”ここ”にいるんだ」
こいつと同じパーティの剣士のせいで、わたしが追放されるきっかけができたことを今でも覚えている。嫌なことは忘れられないものだ。ただ、それはあくまできっかけで、どちらにせよわたしはギルドマスターに何かしらの理由で追放されていただろう。だから、どうでもいい。
ただ、どうでもよくないのは‥‥‥どうしてあんなことがあって、またダンジョンに入ったのかだ。
「言っただろう。あの時も、わたしがいなかったらお前たちは死んでいた、と。ほら、見ろ。死んだ」
事実を突き刺すように、冷たくそう言った。
「ごめんな――――」
そう言いかける。そんな魔法使いの言葉を遮って、わたしは言葉をぶつける。
「死んだ!」
「‥‥‥」
「ほら、見たことか。死んだ、あぁ、死んだ死んだ死んだ。馬鹿みたいだ。あの時言ってやったのに、またこんな馬鹿みたいなことをした。運悪くオークロードに会ったとでも思ったか。そんなことで言い訳できるのなら、死ねよ。死んで、そこから後悔してろよ。また無様に生き延びて、またダンジョンに潜って、それで死ねよ。今回はリーベルが優しいからお前は死んでないんだ。前はわたしが優しいから死ななかった。次はどうする? 誰の優しさのお陰で死なないんだ? 神の優しさか? じゃあ、神に祈ってろクソが」
怒りがわたしを支配している。
単純に機嫌が悪いんだ。多分、ここに来る前にちょっとした喧嘩をしてしまったからだ。どうしてもリーベルにはこんな怒りをぶつけることができないから、今この魔法使いにぶつけている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
まるでそれしか言えないかのように、魔法使いはそう言い続ける。
「もういい。シリウス」
「‥‥はいはい、分かったよ。魔法使いちゃん。キミをダンジョンの入り口付近まで転移するから、ここで会ったことは絶対に喋らないことを条件、いやこれは呪いだ。破るのなら、普通に殺すよ。いいかい?」
一方的な言い方で、シリウスは魔法使いを転移させた。
「さて、まぁこれぐらい言わないと、もし変な噂を広められたら困るからね。その噂が仮にボクらをヒーローと言うものだとしても」
疲れすぎて、細かいことを考えられなかったから、ただ先に進むことにした。
「帰らなくてもいいのかい?」
シリウスがそう聞くが、無視して先に進む。
帰りたい、とは思わない。ただ、ここ最近で一番最悪な気分だった。




