5話:蹂躙
ガタガタガタガタガタガタ
一台の馬車が舗装された道を走る。その馬車には、馬を操る御者の他に二人組の大柄な男と、縛られたエルフが乗っていた。
「ははっ! こんな簡単な仕事で500万だってよ。俺、今最高に幸せだぜ」
「静かにしろ相棒。お前が手こずったせいで、もう朝だ。この時間なら誰かが通ってもおかしくない」
「あぁ!? 俺のせいかよ。お前だってあの魔女の罠に引っ掛かりそうになってたじゃねぇか」
「むー!」
口を縛られたエルフは、必死に声を出そうとして助けを求めた。
「無駄だぜ、声が出せねぇようにきつく縛ったからな。俺の魔法<バインド>は一瞬で相手を縛れる。これに相棒の魔法<インビジブル>が合わさりゃ、拉致なんて楽勝楽勝。にしてもこのエルフ‥‥綺麗だなぁ‥‥へへっ」
片方の男がエルフの顔をまじまじと見ながら舌なめずりをする。
「むー!!」
「よせ、依頼主は傷をつけるなと言った。それに今回の依頼主はあのプロメチウム伯爵だ。裏には上級天使がついてる。依頼を失敗しようものなら、俺たちの評判が落ちるどころか、地獄に堕ちるぞ」
「分かってるって、俺もそんなバカなことはしねぇよ」
男たちは貴族邸に着くのを今か今かと待ちながら、馬車に揺られている。
ガタガタガタガタガタガタ‥‥‥ガタンッ!!
その時、突然何かが引っ掛かったように馬車が急停車し、その衝撃で乗っていた全員が馬車の前部に強くに打ち付けられた。
「何だ! 何が起こった」
男二人組はすぐさま馬車を降りた。
そこで見た光景は、二人に巨大な魔物にでも襲われているのかと勘違いさせる程だった。車輪に黒い何か触手のようなものが絡まり、馬車を止めていた。
「何だこれ‥‥‥」
「おい、この触手‥‥聞いたことがある。確かこんな魔法を使うやつ‥‥確か‥‥‥!!」
次の瞬間、背後からおぞましい殺意を感じ取る。脳内で自分の死を連想させる程の恐怖に、男たちは振り向かざるを得なかった。
そして、振り向いた先には黒髪の少女が一切目を離さず、こちらにゆっくりと近づいてきている。男たちは剣を腰から抜き、警戒の意味も込めて、少女に剣を突き出した。
「止まれ、何者だ貴様」
男たちはその少女の正体を一目では見破れなかった。何故なら、その少女の髪は短く切り整えられており、まるで別人のようになっていたからだ。
「何だぁ? どこかの貴族のお嬢様か? へへっ、何だ? 悪いやつ見つけて正義ごっこでもしたいんでちゅか~?」
片方のお調子者な男がその少女にそう言い放つ。汚れ一つ付いていないその綺麗な髪には、気品すら感じさせる。だが、それが余計に男たちの警戒を緩めさせた。
「そうだ! 思い出した‥‥あいつ‥‥ケガレつきだ」
その時、もう片方の冷静な男がその少女の正体に気付く。
「ケガレつきって、あの最高位冒険者のか? けどあいつ犯罪をしてるってバレて冒険者から追放されたって聞いたぜ。そうか! あいつもこっち側なのか。なんだ、俺たちと協力したいんだな。いいぜ、元最高位冒険者なら、役に立ちそうだ」
「馬鹿言うな! ‥‥殺されるぞ」
少女が前に出ると、冷静な男は後退する。そんな状態にうんざりしたお調子者な男が少女に向かって走り出した。
「おい馬鹿! 軽率な行動はよせ!!」
冷静な男の呼び止めを無視して、お調子者な男は無鉄砲に突き進むと、その少女に向かって手を伸ばした。
「はっ! こんなガキに何ができるんだよ! 知ってるぜ、こいつ悪い噂しかないんだろ? なら、最高位ってのも何か裏があるんだろ! じゃなきゃ、こんなガキが最高位冒険者になれるわけなんてねぇ!! <バインド>!!!」
そう叫んだ時、お調子者な男の手先から勢いよく縄が飛び出る。その縄は少女を一瞬で縛り付け、身動きが取れないようにした。
それを確認した上で、お調子者な男は少女に剣を振り下ろす。
「おらぁ!!!」
勢いよく振り下ろされた剣は少女を両断する勢いでそのまま地面まで振り抜かれた。
お調子者な男はニヤリと笑い、その少女の無残な姿を確認しようと顔を上げた。
「‥‥は?」
しかし、少女はまるで何事も無かったかのようにお調子者な男を見下ろしている。その顔には一切傷が付いていなかった。そして、お調子者な男は自分が剣を握っていないことに気付く。
そのまま見上げると、そこにはその男の剣を握りしめている触手があった。そんなことを理解する間も無く、少女のまた別の触手がその男を叩きつけ、そのまま道端にある木に打ち付けられて失神した。
「このケガレやろうがぁーー!!!」
次の瞬間、少女の背後からもう片方の冷静な男が剣を握ったまま飛び出してくる。
その男は魔法で自身を透明化し、背後からの奇襲を狙った。しかし、無残にもその作戦は無に帰す。
少女は背後の男を横目で見ると、溜息をついた。その瞬間、また別の触手がその男を縛り付け、そのまま鞭の要領で投げ飛ばす。
ドオォン!! と強い衝撃音がする。その音を聞けば、その男がもう意識を失っていることは明白だった。
まさに一瞬の出来事。大柄の男二人組がたった一人の少女に制圧された。少女は魔法によって身動きが取れなかったにも関わらず、余裕そうな態度で触手を操る。その光景は傍から見れば、ただの蹂躙だった。
少女は自分を縛っている縄をいとも簡単に引きちぎると、馬車の中に乗り込んだ。
「御者は‥‥ちっ、逃げたか」
少女は縄に縛られたまま目に涙を浮かべているエルフを見ると、すぐに縄を解いた。
「エルフ‥‥その、ごめん。わたしのミスだ。もっと気を付けるべきだった」
「うぅ‥‥グスッ」
エルフは泣き出した。エルフは縄から解放された瞬間、その少女に飛びついた。少女の服を自身の涙で汚しながら、強く抱き締める。
少女は突然のことに驚きつつも、その抱き締める手の震えを感じ取ると、そのエルフの震えが止まるようにエルフの後頭部を覆うように抱き寄せた。
「怖かった」
「‥‥‥‥」
「あの時と同じ‥‥里から出た時に、知らない人間に連れ去られた時と‥‥同じ。どうしてこんなことをするの? 私が魔物だから? 人間なら魔物に何をしてもいいの? どうして‥‥私、何も悪いことしてないのに‥‥」
少女は、自分に泣きつくエルフをどうすればいいか分からず、ひとまず頭を撫でた。すると、エルフは少女の服を更に涙で濡らしながら、より一層激しく泣き始める。
エルフが泣けば泣く程、少女は対応を間違えたのかと困惑するが、それでもエルフは泣き続けた。こういった状況の対処法を知らない少女は、エルフの涙で服がびしょびしょになっていることを気にする余裕すら無く、エルフの頭を撫で続けた。
暫くしてエルフが落ち着いた後、少女はエルフを連れて家に帰ることにした。その道中、エルフは少女の手を離さず強く握りしめていた。
「‥‥名前」
「‥‥え?」
「私は‥‥リーベル。あなたは?」
「別に、重要じゃない。どうせお前もすぐに故郷に帰るんだから、今知ったところで‥‥」
「名前‥‥」
悲しそうな目で見つめてくるリーベルに、少女はまた泣かれても困るため、こう答えた。
「‥‥‥ミリア」
リーベルはその名を聞くと、ミリアに微笑んだ。
「ミリア! 私、リーベル」
「‥‥‥」
「リーベル!」
「‥‥‥」
「リーベル!!」
「‥‥‥分かったから。もう帰る。疲れたから」
リーベルは依然としてミリアの手を離さなかった。ミリアは少し照れくさそうにしながら、帰路に就いた。
* * *
一方、リーベルを誘拐した馬車の御者は、依頼主である貴族邸に辿り着き、そこで伯爵に依頼が失敗したことを伝えた。
「何をしているんだこの無能が!!!」
「ひぃ!! す、すみません」
伯爵は顔を赤くするほど怒鳴りつけ、今にもその御者を極刑に処す勢いだった。
トンッ トンッ
その時、伯爵のいる書斎のドアをノックする音がした。
「誰だこんな時に‥‥ッ!!」
ドアが開かれる。
そこには、明らかに人間ではない者がいた。
それは、魔王すら支配することができなかった、全種族の上位に立つ者。純白の翼を掲げ、天界に住まう者達。
その名も――――天使。
「エスタル様!! いつからこちらに‥‥‥」
「いえいえ、少し‥‥”依頼”について聞きに来たのですが‥‥この様子を見るに‥‥失敗、したのですねぇ」
「も、申し訳ありません。どうやら噂のケガレつきが現れたようで‥‥すぐに別の者を向かわせてあのエルフを‥‥」
「構いませんよぉ‥‥そこまでしなくても。これ以上あなたに頼ったところで‥‥無駄、ですからねぇ」
「‥‥も、申し訳ありません」
「アハッ!!」
天使は四枚の翼を広げ、全てを掌握するかのように拳を握って頭上に掲げた。
「大丈夫‥‥この将来有望‥‥いや、間違いなく熾天使になるこのワタシに任せておけば‥‥全て問題ない。ケガレつき? ただの人間であることには変わりませぇん。アッハッハッハッ!!」