52話:魔法を使う理由
死者は死なない。何故なら、もう既に死んでいるから。こんなことは、少し考えれば分かることだ。しかし、人間というものは思考する機会が無ければ何も分からない。
死者が突然動き出すなど、誰も考えたことが無かった。だからこそ、ドルマンの作戦は王都の人々に致命的な打撃を与える可能性を秘めていたのだ。
「魔法を止めてはいけません! もう一度、構え!」
フェシアは焦っていた。
相手はゾンビの軍勢。ゾンビという魔物は確かに存在する。一般的にゾンビと呼ばれる魔物は、微生物が死んだ人やその他の生物などの神経器官に寄生することでその死肉をあたかも生きているかのように動かすというものだ。
あくまで寄生しているだけなので、その寄生元である生物を破壊することで簡単に対処できる。そして、大抵の生物は火が弱点であり、ゾンビの弱点が火というのは必然なのだ。
だからこそ、フェシアの選択は正しかった。そのはずだった。
今回は相手を見誤った。相手はただのゾンビではない。その正体は微生物などという生物学的なものではく、魔王の残滓という超常現象だったのだ。
そして、そんなものはフェシアが持つ膨大な知識の中には無かった。魔王という、500年前に存在していた超次元的存在のことは、現代では殆ど神話扱いだからだ。そのどれもが、現代の魔法や科学では説明できないほどの超常現象ばかり。”魂”などという概念は、魔法と科学を融合した学問である魔法科学を専攻していたフェシアには、前提から存在しないものだった。
それに加えて、もう一つの誤算があった。最高位冒険者が全く機能していなかったということだ。
フェシアは今回の予言を受けて、各地の最高位冒険者の冒険者番号を全て頭に入れる程には調べ上げていた。各地の冒険者ギルドからかき集めた大量の所属冒険者に関する文書を読み漁っては、その文書をヨダレで濡らす程には何度も、何度も読み漁ったのだ。
しかし、その結果がこれだ。最高位冒険者はいとも簡単にドルマンの支配に掛かった。辺境の最高位冒険者が比較的弱いことなど知っていた。とはいえ、これ程とは予想外だった。だが、そんなことは聖女であって冒険者ではないフェシアには知る由も無かった。
そして、頼りにしていた実力のある最高位冒険者はいない。ケガレちゃんも、シリウスもいない。マルスに至ってはそもそも現場にすら来ていなかった。
(ミリアさんたちは王都内の警戒に回っている。しかし、今頼れるのは彼女たちだけ。きっと、シリウスさんなら私たちの状況に気付いて駆けつけてくれるはず。なら、今はそれを信じて時間を稼ぐのみ)
そうして、フェシアは何度も何度もその不死の軍勢に魔法で生み出した火球を降り注ぎ続けた。そう、何度も、何度も。だが‥‥‥全て無駄だった。次第に不死の軍勢が立ち上がる間隔も短くなっている。単純な話、こちら側の魔力が消費され続けていることで、魔法の威力が落ち、そして相手側も段々と火に対する耐性を持ち始めているからだ。
ドルマンもそれを分かっているのか、わざとゆっくりと距離を詰めて来る。まるで、じわじわと恐怖を植え付けるように、その不死の軍勢を率いて前に前にと、その進行は止まることを知らない。
――――と、まぁ今はこういう状況だね。
ふ~む‥‥こうやってまとめてみると、実に興味深い。にしても、ケガレちゃん遅いな~。まぁ、見た感じ、どうやらアーデウスという子が少し時間を食っているみたいだね。あの光景は‥‥ふふっ、ケガレちゃんたちにはまだ少し早かったかな?
とは言え、正直今回はケガレちゃんたちが来たとしても、状況はあまり変わらないだろう。ディアベルちゃんが得意とするのも、あくまで生きた人間を殺すことだからね。死んだ人間は専門外だ。
だからこそ、今回はボクが手を貸してあげないと‥‥こう見えても、ボクはしっかりと行動するタイプなんだ。それに‥‥今回の魔王の残滓、興味深い。
「ハッハッハッハッハ!!! 無駄、無駄だ!! あぁ、全部無駄だ。そのような小さな火ではこの軍団を消滅させられん! さぁ、もっとその無様な姿を吾輩に見せろ!!!」
うん、随分と調子に乗っているね。魔王の残滓を手に入れたことがそんなに嬉しかったのかな?
さっきからずーっと箒に乗って遠くの空から見てるのに、ニタニタとした笑いが間近に見えるようだよ。
(こんな時、シリウスさんなら‥‥‥)
あの子、またボクのこと考えてる。はぁ、仕方ない。ボクのファンにサービスをしてあげないとね。
ボクは箒の穂を手で軽く二回叩く。すると、箒はゆっくりと降下し始める。
ちなみに、箒に乗っていて落ちないのか? と思うかもしれないけど、そこらへんは問題ないよ。この箒には自動重心調整機能が付いているからね。転げ落ちそうになっても自動で支えてくれるんだ。それのお陰で箒に跨がずとも、腰を掛けるようにして乗ることだってできる。
え? どうして箒なのかだって? そんなの、ボクが魔女だからに決まってるだろう? とまぁ、箒の紹介はこれぐらいにして‥‥はぁ、こうやって暇な時にすぐ魔道具のことを考えちゃうのは、ボクの‥‥”良い所”、だね。
ボクは箒から華麗に降り立ち、スタスタと甲高い足音を立てながら歩く。箒はボクが手を離しても自動的にボクに付いてくるようになっているから、まるで生きているみたいにボクの後を付いてくる。
そして、ボクの足音に気付いたのか、フェシアは振り向いてボクの姿を見た。
「え‥‥?」
フェシアはボクの姿を見ると、茫然とした様子で時が止まったように立ち尽くしている。
もちろん、こんな反応になる。まぁ、彼女はボクのことを知らないからね。今はディアベルちゃんをボクだと勘違いしているようだし。
(シリウス‥‥さん? でも、服装が違う。いや、でも同じ帽子? ‥‥え? 着替えた?)
かなりパニックになっているようだ。
「え、えっと‥‥シリウスさん?」
フェシアは相当頭が回っていないのか、ボクの姿を見てそのように認識した。つまりは、ボクをシリウスの振りをしているディアベルと勘違いしているってことだ。まぁ、ボクがそのシリウスなんだけどね。あははっ、変な話だね。
「どうした! 魔法の手が止まっているぞ~? もう力尽きたのか? ハッハッハッハ!!!」
下の方からドルマンの舐め腐った笑い声が聞こえてくる。
実際、フェシアの魔法部隊は虫の息だった。フェシアを除いた魔法使いたちは、魔力切れを起こしている。人間は魔力切れを起こすと、著しく判断機能が欠如すると共に、身体的疲労を併発し暫く動けなくなってしまう。
そして、フェシアがボクのことを勘違いしたのも、恐らく魔力切れの初期症状だろう。彼女は他の魔法使いと比べて、魔法の扱いが上手く、魔力効率が良い。だから未だに正気を保ててはいるけれど、このまま彼女一人で魔法を使い続けては、危険だ。
その時、フェシアは息を切らしながら崩れ落ちるようにその場に倒れる。
「おや、大丈夫かい?」
倒れそうになったフェシアを支えた。
もう限界かな? と思った時、フェシアはボクに軽く会釈をして再び立ち上がる。魔法の杖に全体重を乗せながら、一歩、また一歩と前に進んだ。元々の冷静な彼女であれば、こういった状況ではボクに頼っていただろう。だけど、もうそんな冷静な判断ができるほど、彼女の脳のリソースは余っていない。ボクが来たことによって、フェシアの中で緊張が解けてしまい、余計に冷静な判断ができなくなっているようだった。
だから、今回のフェシアのこの判断は、間違い。
フェシアは城壁の下にいるドルマンを強く睨みつける。ドルマンもまた、城壁の上にいるフェシアを確認すると、嫌味な笑いを浴びせながらわざと魔法を打たせようとしている。
もちろん、それこそがドルマンの狙いなのは明白だった。だけど、フェシアは魔法切れを起こしかけているにも関わらず、魔法の杖を掲げる。
さて、流石にそろそろ止めようかな‥‥‥
(まだ‥‥‥)
‥‥ん?
フェシアの杖の先に辺り一帯の魔力が吸い寄せられるように集まっていく。
(まだ‥‥‥)
更に、更に、フェシアの勢いは止まらない。
(まだ‥‥‥)
彼女は、心の中でそう呟き続けた。
(まだ‥‥‥まだ‥‥‥まだ‥‥‥まだ‥‥‥まだ!!)
フェシアは確かに冷静な判断をできていない。だから、魔力切れのことなど考えずこんなにも魔力を使ってしまっている。
魔力というものは、個人が体内に持つ体内魔力と、自然に存在している自然魔力の二種類がある。もちろん、両者の属性は異なり、魔法使いが自然魔力を利用するには魔法の杖などを用意て一度属性変換をしなければならない。一度、無属性にしてから、今度は体内魔力と混ぜ合わせることで属性を合わせる。この工程を踏んでようやく魔法を放てる。
何故このような面倒くさい手順を踏まなければならないのかというと、体内魔力だけでは魔力量が少なすぎるからだ。ケガレちゃんのように体内魔力だけであれほどの芸当ができるのは稀。闇魔法の魔力効率が良すぎるっていうのもあるけどね。
とにかく、魔法使いはそうやって自然魔力を利用して魔法を放っている。だけど、どのような方法を取ったとしても、必ず体内魔力は消費される。体内魔力が無くなれば、先ほど言った通り魔力切れを起こしてしまう。
体内魔力は体内器官のようなもの。だから、体内魔力を消費したとしても、細胞がその量を覚えていて、時間が経てば元に戻っている。だけど、その分体内魔力を増やすことは難しい。仮に十年程修行をしたとして、増えてもせいぜい下級魔法一回分程度。あまりに非効率的だ。そして、更に数年もすれば、そもそも魔法使いとしての寿命が訪れてしまう。それだけ魔法使いというものは、残酷なものなんだ。
だけど‥‥‥‥
(こんなところで、終わってはいけない。シリウスさんばかりに頼ってはいけない。フェシア、どうしてあなたは聖女になったの? そんなの‥‥‥彼女が‥‥‥アリシアが、私を見つけてくれたから。じゃあ、どうしてあなたは魔法を使うの? そんなの‥‥‥アリシアを、アリシアが私に届けてくれたあの日々を、守る為でしょう!)
フェシアの杖の指す先には、巨大な渦巻く火球が燃え上がっている。
フェシアは今回の魔法で、とっくに魔力切れを起こしていた。それでも彼女が魔法を使うのは何故か。そんなことは、彼女の心がとっくに答えを示している。
人が体内魔力を使い切れば、魔力切れを起こす。そんなことは当たり前だ。魔力切れを起こせば、全身を苦痛が襲い、立っていられなくなる。後遺症だって残る可能性がある。
だけど、それでもフェシアは魔法を使っている。そして、これこそが魔法使いとして更に高みを目指す唯一の方法。自然魔力の属性を一度変換しなければならないのは、そのまま体内に入れてしまうと体内魔力が拒絶反応を起こすから。だけど、その体内魔力が無くなっている状況では、拒絶反応は起きない。もちろん、並の魔法使いでは魔法を使うどころか、立つことすら叶わない状況だけど‥‥‥フェシア、彼女は違うようだ。
魔力切れを起こしても尚、心を強く保ち、杖を握り続けたものが辿り着く魔法使いの境地。それこそ―――”魔力覚醒”。
辺りの自然魔力を吸いつくし、己のものとする。だからこそ、体内魔力の総量は一気に増え、そして――――
今日は‥‥‥雷だね。
ゴオォォォォォ!!!!
=ファイアーボール=? いや、違うね。彼女が持つ本来の火属性に、雷という自然魔力が合わさる。そして、彼女は雷属性をその手の中に収め、適応する。
たった今、ボクは”魔力覚醒”を見ている。うん、いいね。やっぱり、心の綺麗な魔法使いこそが、最強だ。
フェシアは杖を大きく振り被り、その火球を放つ。だが、それはただの火球ではなかった。
それは、二属性を持つ、世にも珍しい複合魔法。
=ボルトヘイズ=




