51話:不死の軍勢
王都の東門。
王の指示によって警戒態勢が敷かれており、現在そこは聖女や各地から集められた最高位冒険者たちなどで固められている。
いくら辺境の最高位冒険者とはいえ、並の冒険者よりは強い。それに数も揃っている。だから、戦力としては十分だと考えられていた。
ミリアたちが王都内に潜入していたドルマンの皮を被った偽物と対峙していた時、東門では別の異変が起きていた。
王は自ら城壁の上に立ち、少しの変化も見逃すまいと、滅多に誰も通らない東門を監視していた。深夜ということもあり、ただでさえ静けさに加えて寒風が王の顔を撫でている。王の側にいる護衛騎士は王が体調を崩さないように何度もお湯を届けた。しかし、王はお湯に手をつけず、煌びやかな装飾の付いたカップの中のお湯は少しも減っていなかった。
一般的に、貴族たちの考え方は己を神格化するものだ。天使に選ばれた生まれながらの才能の持ち主、人間の勝ち組。それこそが貴族たちの考え。
しかし、王は違う。王は考えるのだ。我らが天使の祝福を得られたのは、人間たちを導く為。民を救い、平和を目指す。それこそが、己が王となった理由であり、熾天使グランシエルが己に期待していること。だからこそ、後ろでただ自分の部下が身を粉にして働くのを見守るのではなく、自ら前に立つ。戦争が起きれば、戦場に赴く。それこそが、王としての責務。
「王よ」
その時、王の元に聖女フェシアが訪れた。
「聖女か」
「何か異変はありましたでしょうか?」
「いや、何も無い。相も変わらず静かなままだ」
それ以外に会話の内容は無い。何故なら、王は未だフェシアのことを信頼できていないからだ。
決して、フェシアの才能を疑っているわけではない。しかし、王としてはやはり先代の聖女が常に脳裏に浮かんでしまう。
聖女に年齢制限は無い。しかし、魔法使い自体の寿命は短い。年を重ね、体が衰えていくのと同じように、魔法も衰えていく。だから、魔法使いは全体的に若い傾向にあり、高齢の魔法使いは賢者のような魔法研究者としての道を歩むことになる。そして、それは聖女も同じだ。時が経てば、次第に天界への祈りも届かなくなってしまう。
先代の聖女は齢四十で聖女から身を引いた。それでも、歴代の聖女と比べれば長い方だった。
そして、王は先代の聖女を高く評価していた。誰よりも魔法の才に溢れていたが、決しておごりたかぶることはなく、常に冷静沈着で、常に優しかった。きっと、そんなところに惹かれたのだろう。今では女王だ。
だが、ある日のことだ。新たな聖女をどうするか悩んでいた時、自身の娘である王女アリシアが一人の少女を推薦した。その少女の名はフェシア。はっきり言って、聞いたことの無い名前だった。
聖女となるには魔法学会から認められなければならない。しかし、魔法学会が挙げた聖女候補者の中にはフェシアの名など無かった。
アリシアは他の息子二人と比べても、少し変わっていた。特別何かの才能を持っているわけではないが、彼女にはまるで不思議な力でも持っているのかと思わせる程の掴めなさがあった。ただ遊んでいるだけのようにも見えて、いつも何か考えを持っている。
従者たちはアリシアのことを”元気な女の子”と表面上では言っているが、裏を返せばそれは元気なだけの子。兄たちと比べて才能があるわけじゃない。
もちろん、従者たちはそんなことを言わないが、恐らく心の内では薄々そう思っていただろう。
しかし、王の目にはこのアリシアという我が娘は、まるで内に悪魔でも飼っているのかと思わせる程の策略家に見えた。そして、それを世間一般的には”カリスマ”と呼ぶことを王は知っていた。
「時に聖女よ」
「はい」
「アリシアについてどう思う」
「‥‥はい?」
王の突然の質問にフェシアは頭を悩ませた。
失礼のないような返答を考えていると、王はそれを察したのか、側に置かれていたお湯を一杯口に流すと、白い息を吐いた。
「少し質問が悪かったな」
「いえ、そのようなことは‥‥‥」
「あの娘は、もう十五だと言うのに未だお転婆娘だ。きっと、其方を何度も困らせているだろう」
王のその質問にフェシアは否定しようとしたが、頭の中に王女アリシアとの日々が浮かんでくる。
突然部屋に入って来ては、買い物に付き合わされる。
天界に祈りを捧げていても、容赦なく部屋に押し入って本棚を漁り始める。
聖女という激務に疲れてベッドに入った時には、何故か先にアリシアがベッドの中に入っていた。
そのどれもが、聖女であるフェシアからすれば、迷惑極まりなかった。もちろん、何度も困らされた。だがしかし、そんな日々を思い出したフェシアが見せた表情は、他の何でもない‥‥‥笑顔だった。
王は横目でその笑顔を見た。何よりの驚きは、あの王女アリシアが誰かを笑顔にしたことだった。
アリシアは他人に対して全く興味を持たない。それは、自身の父親に対してもだった。婚約者の存在をアリシアに告げた時の、全てを軽蔑するかのような彼女の目を今でも忘れなかった。
王として、いやただ単純に父親として、娘の為に婚約者を用意しただけだった。
相手は騎士都市の貴族、剣の実力もあり、優しい心を持つと評判の青年だった。きっと、彼ならアリシアの興味を引けるだろうと。しかし、そんなことは無かった。
父親である王ですら、アリシアの友達を知らない。思いつく限りでも、ランタノイド公爵家のアミリアス嬢ぐらいだった。だが、そんなアリシアがこのフェシアという若い聖女とはいつ何時でも一緒にいた。メイド達の間で噂になり、王である自分の耳に届く程には。
「ふっ」
王は声にもなっていない軽い笑いを零した。それを聞いたフェシアは自身が王族に対して失礼極まりない態度をしてしまったことに気付き、恥ずかしさで寒さを忘れる程に顔を赤らめた。
その時、突然一人の見回り兵が護衛たちを振り切って慌てた様子で王の元に訪れた。
「何事だ」
「お、王よ! お、おおおおお」
その見回り兵はここまで走って来たせいで息を切らしているのか、声が途切れ途切れになっている。
「お‥‥お‥‥お、う」
――――違う。王はすぐに異変に気付いた。その時、見回り兵は突然王目掛けて襲い掛かってくる。
「王!!!」
フェシアは突然のことに驚きつつも、王を守ろうと魔法を構えた。しかし――――
ドォン!!!
王は一瞬でその見回り兵を地面に叩きつけた。そして、見回り兵は地面に倒れ込んだまま動かなくなってしまった。
「まだ息はある。そこの護衛」
「は!」
「この者を医療班の元まで連れていけ」
「かしこまりました!」
明らかな異変。その時、フェシアは空を指差した。
「王よ! あれを見てください」
「ん‥‥?」
王がフェシアの指差す方向を見ると、そこには巨大な穴が開いていた。中から赤黒い光のようにも、闇のようにも見えるものが漏れ出ていた。
それが何なのかを理解しようとしたのも束の間、すぐに穴の中から何かが雨のように大量に降り注ぎ、山のように積もっていく。
「何だあれは‥‥‥‥」
しかし、すぐに気付いた。
気付いた瞬間、酷い嫌悪感が顔の表面を走り抜けた。フェシアはあまりの不快さに吐き気を催し口を手で塞ぐ程だった。
その大量に降り注いだもの。それは、”死体”だった。
「なるほど‥‥なるほど‥‥」
王は怒りを噛み締めるように、強く顎に力を入れるながらそう呟くと、突然声を張り上げた。
「命を何だと思っているのだ!! 絶対に、悪魔を許してはならぬ」
王の逆鱗に触れた。何よりも王の怒りを搔き立てたのは、その死体の多くが騎士の鎧を着ていたことだ。それと、騎士都市での出来事が重なる。その死体は、明らかに騎士都市で犠牲となった者たちだった。
その時、空に空いた不自然な穴の中から最後に何者かが出て来る。しかし、それは死体ではない。
その者は昆虫の羽根のようなものを広げながらゆっくりと降下すると、降り注いだ死体の山の頂上に立った。
「我は最高位冒険者たちを連れて向かう。聖女はここで魔法の準備をして待機しろ」
「はい!」
王は最高位冒険者を連れて急いで城外のその死体の山の元に向かった。
近くに着くと、視覚でそのおぞましさが分かる。一部の死体は四肢が破損し、鼻を抑えても貫通してくる程の異臭を放っていた。
次に、王は死体の山の頂上に立っている異形の化物に目を向ける。
昆虫のような透き通った羽根、額から生えている豪壮な構えの一本角。まるで人と昆虫が融合したかのような異形の姿は、その者が悪魔であることを物語っていた。
「これは、いったい何のつもりだ」
王は必死に怒りを抑えながら、その悪魔に対して言い放つ。すると、悪魔は王の言葉に反応して、頂上から王を見下ろした。
「貴様‥‥王、か」
「我の質問に答えよ。これは、いったい何のつもりだ!」
王は依然として強い態度を突き通す。しかし、悪魔は王の言葉を無視した。
「其方、悪魔であるな。これはいったい何だ。尊き命の上にそのように乗るなど、人間‥‥いや、全生命への侮辱だ!」
王の怒った物言いに、悪魔は一笑した。その様子に、王は更に怒りを高める。そして、ついに悪魔が口を開いた。
「我が名はドルマン。全てを支配する悪魔。貴様のようなちっぽけな存在がそのように叱っていい相手ではない。だが‥‥まぁいいだろう。どうせ、貴様らは吾輩に支配される運命にあるのだ」
「‥‥ッ!!」
=絶対支配=
ドルマンと名乗る悪魔から黒い瘴気が放たれる。その瘴気は死体を覆い、すぐ近くにいた王や最高位冒険者たちにも襲い掛かった。
「くっ! 何だ!」
暫くして瘴気が消えた後、王が目を開くとそこには異様な光景が広がっていた。
先ほどまで死体の山だったはずのものが、気付けば立ち上がっている。それも、一目で百は超えていると分かる程の数。
ドルマンが手をかざすと、まるで指揮を執っているかのように、死体たちも動き出し整列する。
綺麗に並んだ後、ドルマンは死体の軍勢たちの前に立った。
その光景に言葉を奪われた王は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。しかし、長い王という責務の中で培ってきた冷静さを取り戻し、側に居る最高位冒険者たちに目を向ける。
「――――な!?」
しかし、王は驚愕した。何故なら、最高位冒険者たちまでもが、ドルマンの瘴気によって我を失っていたからだ。まだ抵抗はしているようだったが、憑りつかれたように叫びながら、味方であるはずの王に襲い掛かってきた。
「ふん! 貴様は耐えたか」
王はその瘴気の効果を一瞬で理解する。
(もう一度あれを使われてはならん)
そう素早く判断し、王は瘴気の影響を受けてしまった最高位冒険者たちが自身を襲う為についてくることを利用して思いっきり門まで走った。
案の定、最高位冒険者たちは我を忘れてただ王の後ろを追って来た。そして、王は城壁の上にいるフェシアに合図を送る。
門に辿り着いた後、騎士たちが最高位冒険者たちを取り押さえた。そして、それを確認したフェシアは城壁の上で待機していた魔法部隊たちを指揮して、一斉に魔法を放つ。
=ファイアーボール=
相手はゾンビ。ゾンビに対しては火属性の魔法が有効だと、フェシアは知っていた。だから、その魔法を選択したのだ。
しかしそこで、フェシアは一つ違和感を感じ取る。ファイアーボールは見事命中した。それ自体はいい結果だ。だが、何故かドルマンはその攻撃を容易く受け入れた。全く抵抗もせず、ただ炎の球を受けたのだった。
そして、大量の火の球がドルマンとその軍勢に降り注ぎ、空に煙が舞った。
暫くして、そこに残ったのは焼け焦げた死体だった。ドルマンもまた、火の球で傷を負っている。
フェシアは死体を攻撃することに心を痛めたが、それでもやはり違和感が取れなかった。
ドルマンの表情、それはまるで余裕と言わんばかりだったのだ。確かに傷は負っている。大量の軍勢も意味を成していない。しかし、何故かドルマンが依然として余裕そうだった。
――――その時だった。突然、地面に倒れ込んだ死体たちが再び立ち上がる。そして、ドルマンの傷はあっという間に癒えていた。
「フッフッフッフ‥‥ハッハッハッハッハ!!!」
ドルマンの煽るような笑い声が響いた。
「無駄、無駄無駄無駄。あぁ、実に愚かだ。やはり人間はこうでなくてはなぁ‥‥」
ドルマンは遠くにいる者にも聞こえるような声で話し始める。
「貴様らが何度我らを攻撃しようと、死体は死なん! そんな当たり前のことにすら気付けぬとは、実に愚かだ。さぁ、始めよう‥‥支配の時間だ」




