49話:<支配欲>の悪魔
深夜、人が静まり返る暗闇の中、一つの悪意が忍び寄る。
<支配欲>の悪魔ドルマン。その名は、かつて支配に溺れた愚かな権力者を示す。しかし、権力者の支配は続かず、その支配は崩れ、そして、堕ちる。
どれだけ名高い悪魔であっても、地獄生まれの貴族悪魔を除き、それはただの死人に過ぎない。だが、死しても尚、その欲を絶やすことなく穢れた魂を持った者だけが地獄に住まう悪魔になり下がるのだ。
ドルマンは死しても尚、支配を続けた。彼が堕ちた当時、地獄を支配していた業魔と呼ばれる穢れた権力者を叩き落とす為に、己が業魔となった。自分以外が支配することなど許しはしない。自分だけがトップに輝き、全ての悪魔を従わせるのだと。その欲という名の野望は日に日に増していくのだった。
しかし、それを見た<殺欲>を冠する業魔は言う。
「あぁ‥‥実に、愚か」
* * *
「‥‥カハッ!!」
ドルマンは首元を掴まれたまま足が地面に着かない程に持ち上げられ、望まぬ形でその目の前にいる者を見下すことになる。
大きな三角帽子から覗かせるその顔は、美しくも狂気に染まった人間とは思えない悪魔の顔をしていた。
「何者‥‥だ」
首を絞められながらも擦れた途切れ途切れの声で聞く。しかし、返答は無かった。相手は彼のことなどただの殺す対象として考えていないのか、ただ苦しむ彼の表情を楽しんでいた。
「待て、ディアベル」
ミリアの声にディアベルは横目で振り返る。
「まだ殺すな。情報がまだだ」
その指示を聞くと、ディアベルは退屈そうに締め付けていたその手をドルマンの首から放した。ドルマンは一瞬だけ自由落下をして地面に落ちると、そのまま倒れ込み、締め付けられていた首を両手で押さえながら咳き込んだ。
何故このような状況になっているのか。それは数時間前にまで遡る。
ディアベルの勘によりドルマンの王都支配計画は今夜実行されると分かった。勘とは言っても、ドルマンの計画内容を考えれば、調査が混乱しているかつ、多くの人間が就寝し、警戒も薄れている今夜こそが最も可能性が高いことは明白だった。
ミリアはディアベルの勘を信じ、そのことを王たちと共に調査を続けているフェシアに伝えた。もちろん、しっかりとした理由などを適当に考えて、かつそれがシリウスの考えだと言えば、フェシアは簡単にそれを信じた。
そして、ディアベルの勘は的中したのだ。フェシアたちによって元々人の出入りが少なく、門番も少ない東門に常駐していた門番がドルマンの手によって支配された形跡があった。門番が機能しないようにした上で、そこから大量の軍勢を送り込む作戦だと考えた王は最新の注意を払い、東門に警戒態勢を敷いた。招集命令によって集まった各地の最高位冒険者たちも東門に配置され、念の為他の門にも多くの騎士たちが配置されることとなった。
王はドルマンにその状況を勘づかれないように、わざと目立たないように立ち回り、ドルマンへの対処は完璧に思えた。しかし、ドルマンは更に裏をかいていたのだ。
東門のことすら囮にし、自身は既に王都に入り込んでいたのだ。しかし、王都内に潜入することに成功したドルマンが初めに見る相手は、他でもない‥‥ディアベルだった。
「‥‥ふんっ」
ディアベルの背後には、別の二人の少女がいる。
ミリアとリーベル。リーベルはエルフだが、シリウスの魔法によってドルマンの目には人間に見えた。そして、ディアベルも悪魔の力を使わなければ、その姿は人間も同然。かつ、シリウスに渡された巨大な三角帽子を被っており、その効果によってドルマンはそれがディアベルだということは気付けなかった。
もちろん、ドルマンはディアベルのことを知っている。悪名高き、地獄の業魔。堕ちた当時、自身の罰を担当した悪魔たちを皆殺しにした地獄ですら罪を起こす最重要危険悪魔。尚且つ、魔王軍の幹部の一人。
ドルマンが警戒するには十分すぎる要素を持った相手だ。だからこそ、もしその女性がディアベルだということに気付いてさえいれば、ドルマンは一度態勢を立て直していたところだろう。しかし、不幸なことに今のディアベルはその姿を偽っていた。
そして、その後ろにいるのもただの人間。しかも、女。全く脅威ではない、ドルマンはそう信じ込んでしまった。
だから、ドルマンは愚かな選択をする。
「女三人‥‥ふんっ、支配して吾輩の物にしてやろう」
=絶対支配=
ドルマンから黒い瘴気のようなものが勢いよく飛び出し、ミリアたちに襲い掛かった。
ミリアはすぐさま触手を出し、リーベルを覆い隠すように守った。しかし、ディアベルは守らなかった。決して、ディアベルを見捨てたわけじゃない。その訳をドルマンはすぐに知ることになる。
「――――な、何故だ!」
絶対支配は、その瘴気に触れた者を自身の絶対支配下に置くという強力なもの。だが、一つだけ欠点を挙げるとすれば、魔法の基本的ルールに基づき、ドルマンが支配することはできないと思われる世界の強者、及びドルマンよりも支配者としての素質を持つ者たちを支配することはできない。つまり、格上には無力だった。
その瘴気は、ミリアの影を突破することはできず、その中に隠されていたリーベルにも効かなかった。だが、それ以上にドルマンが驚きで声を失ったのは、目の前にいる背の高い、血塗られた赤色と闇に隠れるような紫色の髪を持った美しい女性は、その瘴気をもろに受けたにも関わらず、何食わぬ顔‥‥いや、格の違いを見せつけるかのように赤い瞳と狂気的な笑みを暗闇の中から輝かせていたことだった。
「な、何者‥‥ッ!!」
ドルマンがそう聞こうとした瞬間、ディアベルは片足を一歩、前に動かす。その瞬間、ドルマンにはただ一歩前に進んだとしか思えなかったが、ディアベルが移動した距離は明らかに”一歩”ではなかった。
だから、ドルマンは距離感を間違える。奥にいる相手を見るようにしていたが、実際にはディアベルは目の前に立っていた。
「な‥‥ッ!」
ドルマンの理解が追いつかないまま、ディアベルはドルマンの耳元で囁く。
「愚か。だからアウスに妻を寝取られるのですよ」
「何を言って‥‥」
ドルマンが視点を戻そうと、上から見下ろしてくるディアベルを見ようとした。しかし、その瞬間――――
ガシッ!
勢いよく振り上げられたディアベルの手が、ドルマンの首を押さえつけながら空中に持ち上げた。
ドルマンは普通の成人男性のような見た目をしており、もちろんその体重は中々のものだ。華奢な体をした女性が軽々しく持ち上げられていいものではない。しかし、ディアベルにはそんなことは関係ない。男性、女性‥‥それ以前に、生命としての格が違う。ドルマンはそう思い知らされた。
そうして、話は振り出しに戻るのだ。
* * *
さて、ディアベルの狙い通り、というか勘通り、ドルマンが王都内に潜入していた。とりあえずは、逃げないようにするか。
わたしは触手を出し、ドルマンが逃げられないよう、かつ攻撃をしてこれないように壁に貼り付けにした。
「さぁ、拷問‥‥じゃなくて、尋問を始めるか。まず、魔王の残滓はどこだ」
「魔王の残滓‥‥だと? ふんっ、言うわけがないだろう」
まぁ、こうなるのは分かっていた。だが、それを見越してこっちにも秘策がある。
周りに人がいないのを確認して、ディアベルに指示を出す。ディアベルに悪魔であることを明かしてもらえば、それにビビッてドルマンも全て話すだろう。
「ふ~む‥‥‥」
しかし、ディアベルは少し悩んだ様子で、壁に貼り付けにされたドルマンを見ていた。
「どうしたんだ?」
「いえ‥‥‥思ったよりも、弱いですね。この程度の相手にワタクシの鎌を出すのは、失礼というものです。もちろん、ワタクシの鎌に」
前会った時は天使軍団に対して普通に鎌を出してただろ‥‥‥と思ったが、言わないことにした。
いや、逆に考えれば、ドルマンはあの天使軍団以下なのか。あの時の天使軍団は上級天使と下級天使で構成されていた。天使と悪魔の力関係は分からないが、もしかしたら業魔というのは本来上級天使と同じぐらいの強さなのか? 確かにアーデウスにはそれほど戦闘力か無かったように見える。あくまでディアベルが異常なだけなのか。
とは言っても、このままでは何も進まない。仕方ない、わたしの力を貸すか。
=紛争の影=
わたしは手元に影を集中させ、武器を作る。しかし、それはいつも作っている剣ではなく、鎌だ。いつもの剣は紛争の剣と名付けたから、これは紛争の鎌と名付けておこう。
「ほら、これを使え‥‥って重ッ!!」
わたしが扱うこの影は、影という名こそついているが、しっかりと質量がある。まぁ、質量が無ければ触手で相手のぶん殴ったり、刃にして切り刻んでも意味が無いんだが。
普段使っている剣の形態は、わたしが扱えるようにある程度質量を抑えている。剣という比較的小さな武器を選んでいるのも、その為だ。ある程度重くなってしまうと、わたしだけでは支えきれなくなってしまうから、腕自体に影を這わせて、力を補助してやらないといけなくなる。
だから、鎌みたいな重くて大きい武器は本来扱わないんだが‥‥にしても、重い。
わたしはディアベルに紛争の鎌を渡した。ディアベルはその鎌を片手で軽々しく持つと、月夜にかざして、その輝きを確認する。その後は、軽く振り、使い心地を確かめた。
「ふむ‥‥素晴らしい」
ディアベルはニタリと笑った。
「ミリア様」
「何」
「こちら、頂いても?」
「いや、ダメだ。それを出している間はわたしの魔力を消費し続けているから」
「あら、それは残念」
その時、突然貼り付けにしていたドルマンが怒り狂ったように声を荒げた。そういえば、こいつの存在を忘れていた。
「貴様ら!! 吾輩を舐めているのか!!」
「えぇ、はい」
ディアベルは即答した。
「クソが!! 人間の分際で生意気な真似を‥‥見ていろ、こんな魔法、今すぐにでも‥‥‥」
ドルマンは暴れて、わたしの触手を剥がそうと奮闘する。しかし、わたしの触手は微動だにせずドルマンを貼り付けたままだった。
「な、何だこれは‥‥‥」
「無駄だ。お前程度じゃわたしの影は解けない。いい加減観念して、魔王の残滓の場所を教えろ」
わたしはドルマンを責め続ける。その心という壁を無理やり壊すように、脅しかける。絶望的状況の中、ドルマンは下を向いてわたしと目を合わせないまま酷く歯ぎしりをしていた。
そして、ドルマンは突然口を大きく開く。
――――ブチッ!!
何か鈍い音がして、突然ドルマンが動かなくなった。妙だと感じたわたしは、ドルマンに近づき、その俯いたままの顔を覗き込む。
ドルマンの口元からは血が滴り落ちており、その口の中には酷く出血した舌があった。
「こいつ‥‥舌を噛みちぎって死んでる‥‥?」




