4話:面倒事
「あはははははははは!!!! ま、まさか‥‥ははっ、ケガレちゃんのことを男の子だと思ってたなんて」
シリウスは机を叩きながら、衝撃の勘違いを笑った。
地面に転がり落ちたかと思えば、腹を抱えながら転がって笑い、一瞬止まったかと思えば、再び笑い転げる。そんなことを暫く繰り返して、ようやく落ち着くと椅子に座った。しかし、まだ微笑が零れている。
「いや‥‥ははっ、ごめん。ま、まぁ仕方ないね。ケガレちゃんってばずーっと髪を切らないから。お風呂入ってるから汚くはないにしても、伸びすぎだもん。そ、それに‥‥くふっ、せ、背が低いから‥‥まったく顔が見えないもんね」
「それ以上笑ったら‥‥殺す」
「‥‥ご、ごめんなさい」
「別にお前には言ってない。この魔女に言ってる。というか、わたしの声を聞いたら分かるだろ」
「えっと‥‥その、子どもだと思ってたから‥‥」
その返答に苦笑すると後ろからまた笑い声が聞こえた。咄嗟に振り向くが、シリウスは何もなかったかのような笑顔でこちらを見つめている。顔を戻すと、また笑い声が聞こえた。
「まぁ、ボクもそろそろケガレちゃんの髪を切ってあげようと思ってたから、丁度いいね」
シリウスは手を自分の口の前に持ってくると、軽く息を吐いた。すると、その息は渦を巻く風となり、手の上に小さなハリケーンを作り出した。そして、シリウスはそのハリケーンを握り潰し、圧縮すると、ハリケーンは小さな刃となってわたしに飛んでくる。
「うっ‥‥何する」
「おぉ、いいね。似合ってるよ‥‥ケガレちゃん」
地面を見るとわたしの長かった髪が落ちていた。
何か嫌な予感がして、慌てて鏡の前に向かう。鏡に映るわたしは、長かった黒髪が短く首元で揃えられ、しっかりとした前髪が作られている。まさしく、鏡に映っていたのは幽霊のように長い髪の間からかろうじて顔が見える不気味な人物ではなく、年相応のかわいらしさ? を兼ね備えつつ、まるで貴族の娘のように気品のある小さな女の子だった。
「か、かわいい‥‥」
エルフは鏡に映るわたしの姿を見ると、そう言った。実に不思議な感想だ。かわいい? そんなわけがない。そんなもの、とっくの昔に捨てた‥‥というか、自分のことをそんな風に思ったことはない。
「う~ん! くぁわいいよぉ、ケガレちゃぁん」
こいつ、絶対に馬鹿にしてる。そもそも、わたしの許可なく勝手に髪を切るなんて‥‥‥
仕上がりを見て、まぁいいか、と思ってしまう変な頭を振り払い、過ぎてしまったことは諦める。
そんなことをしているとすっかり夜だ。今日は色々とあったし、そのことを忘れられるように早く寝たい。
わたしはふかふかな布団を取り出して床に敷く。一方でシリウスはいつも通りソファの上に寝転がった。それが普段の夜だった。
そんな時、一つ問題が起きた。
「あの‥‥私、どこで寝れば‥‥」
「あぁ、どこで寝てもいいよ。好きなところ‥‥で‥‥」
シリウスは眠そうな声で軽く返事をし、その後すぐに眠ってしまった。
静かに時が流れる夜、一切の明かりを消した小さな家の中はより一層暗く感じる。
「‥‥はぁ、今日は床で寝るから、お前は布団で寝ればいい」
「で、でも‥‥」
わたしが布団から出ようとすると、エルフは咄嗟にわたしの手を引き、そのまま布団に潜り込んだ。
わたしが逃げようとしても、彼女はわたしの手を離そうとしない。暫くしても状況が変わりそうになかったから、そのまま小さな布団の中でぎゅうぎゅうに詰められながら寝ることになった。
そして、エルフはわたしをぬいぐるみだとでも思っているのか、抱きしめたまま眠ってしまった。
「ママ‥‥‥」
彼女は寝ている間、何度もそう呟いた。寝ている間も涙が目から頬へと滴り、その度にわたしを抱きしめる力が強くなる。それと同時に彼女の震えが伝わってきた。
はぁ‥‥やっぱり、彼女は故郷に帰すか。
そう考えながら目を閉じて、眠れるのを待った。
不思議とすんなり眠れた。それに、悪夢もみなかった気がする。
* * *
翌日。隣を見るとエルフがいなくなっていた。
驚き、飛び起きても、やはり隣には誰もいない。
突然のことに焦っていると、シリウスが起きて何事もなかったかのように顔を洗い始めた。
「シリウス! あのエルフは‥‥どこに?」
「あぁ、あの娘なら‥‥拉致されたよ」
シリウスはさも当然のことかのように言い放った。
そんなシリウスに沸々と怒りが腹の底から溢れ出す。
「ど、どうして‥‥どうしてそんなに平然としてるの! 拉致されたって‥‥あの娘に何かあったらどうするのよ‥‥」
焦りを隠せない。
ダンジョン探索をしている際に一度も焦ったことはないが、突然の出来事とシリウスの淡々とした態度に不安を掻き立てられる。
「ケガレちゃん、言ったよね。別に奴隷のエルフを連れて来ることに関してはどうでもいいけど、面倒事は増やすなって。ボクはね‥‥面倒なことが嫌いなんだ。ボクの興味があること‥‥好きなこと‥‥守ること‥‥それらを邪魔する面倒事が‥‥大嫌いなんだよ」
シリウスはわたしの目をまるで目の奥底にある心まで見透かすかのごとく、鋭く見つめた。
それがシリウスの答えだった。その無責任な考えに依然として怒りを抑えられなかった。
「いいかい? 面倒事は自分で解決する。もちろん、今回はキミが持ってきた面倒事だ。なら‥‥キミが解決する。分かったかい?」
シリウスの諭されて、落ち着きを取り戻した。未だ怒りは収まらないが、シリウスの言い分も理解できる。
実際、あのエルフを勝手に連れて来たのはわたしの方だ。その上で泊まらせてくれたシリウスにはむしろ感謝するべきだった。
「‥‥分かった。それでいい。もとより、お前とはそういう関係なのは知ってる」
「うんうん、分かったならそれでいいよ。流石ケガレちゃん、理解が早くて助かるよ」
シリウスはいつもの笑みで塗り固めた顔に戻り、わたしの肩を軽くトンッと叩くと、椅子に座って魔導書を読み始めた。
わたしは一人であのエルフを探すことにする。
探し方は簡単だ。エルフを誘拐したのは貴族。恐らくは、あのオークションに参加していた内の一人だろう。そして、遠くからやって来た貴族である可能性は低いことを踏まえれば、犯人は自ずと絞れる。
この街の近くに住んでいる貴族は一つだけだ。それ以外は数日掛かる。そして、その貴族が住んでいる貴族邸に繋がる道は一本。ほら、簡単。
まぁ、仮に推理が間違っていたとしても、片っ端から全部調べ上げてやる。
彼女を故郷に帰す。そう決めた以上、それを壊す輩は許さない。わたしの考えを否定するなら‥‥全部ぶち壊してやる。