43話:聖女の部屋
宿に向かおうとしていた最中、突然見知らぬ‥‥というわけでもないが、とある者から逃げる少女と遭遇した。そして、その少女を追っていたのは他でもない聖女フェシアだった。
そうしてわたしたちは今、フェシアさんにその少女を捕まえてくれたお礼と言われ、王城の一室である聖女の部屋に泊まらせてもらうことになった。
聖女の部屋‥‥あそこにあるのは祈祷台か。とは言っても、聖女らしい部分はそれだけ。他は殆どが本棚とそれにぎっしりと詰まった魔導書だったり、普通の小説だったりが部屋を占めている。
聖女という身分の高さもあってか、これだけの人数が入ってもまだまだ有り余っているぐらいには部屋が広い。
わたしたちが円形の机を囲むように椅子に座っていると、フェシアさんが台所から緑茶を入れてわたしたちの前に置いた。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
フェシアさんは恥ずかしそうにそう言いながら、奥の本棚で物語小説を探している一人の少女を少し睨んだ。
少女は「見つけた」と小声で呟くと、その少女は手に一冊の小説を持ってこちらに近づいてきた。
「ほら、見て見て。この本面白んだよ? 一人の魔女が死した旧友に会う為に、禁忌の魔法を探し求めるお話なんだけどね――――」
少女の話が物凄く長くなりそうな雰囲気を感じ、わたしはその本を少女の手から半分強引に奪い取った。
「えぇ、知ってるわよ。”王女様”、どれだけこの本をわたしに勧めたら気が済むのかしら?」
「え‥‥?」
わたしはかつての記憶を思い起こさせるように、わざと令嬢らしい喋り方で話した。
わたしが少女をこの紫色の目で覗き込むと、少女もまたその銀色の目で覗き返した。
少女は暫く考えた後、ハッと驚いたように口に手を当て、息を大きく吸い込んで声を出した。
「アミリアスちゃん!!」
ようやく気付いたようだ。
先ほどからフェシアさんやわたしが彼女のことを”王女様”と呼ぶのは、文字通り、彼女がここグランシエの王女―――アリシア・シエル・セラフィスタその人だからだ。
アリシアと出会ったのは、まだ幼い頃、お父様の仕事の関係でお母様に連れられて王都に訪れた時のことだった。
その時の社交界でわたしがいつものように一人で並んでいたスイーツを口に運んでいると、突然アリシアに話しかけられた。当時、アリシアと年齢が近い令嬢がわたしぐらいしかいなかったこともあってか、妙に気に入られ、会っていたのはお父様の仕事の期間である数週間程度だったが、いつの間にかその数週間を共に過ごしていた。
アリシアはわたしに気付くと、手を大きく広げてわたしに抱き着こうとしてきた。しかし、フェシアさんがアリシアの襟を掴んで阻止した。
「アミリアスちゃんがどうしてここにいるの?」
「それはまぁ、色々と事情があるが‥‥そこにいるフェシアさんに聞くのが一番だろ」
アリシアがフェシアさんの方を見ると、フェシアさんは観念したようにわたしに関することを話した。
アリシアはわたしが冒険者であることや、予言の件で王都に訪れていることを知ると、目を輝かせながら聖女の部屋をまるで自分の部屋であるかのように紹介し始めた。
リーベルは部屋のことが気になっていたのか、アリシアの話に聞き入っていた。それに気付いて、わたしはリーベルに、アリシアの話は長いが面白くはある、と勧めてアリシアの相手をしてもらうことにした。決して、自分がアリシアの相手をするのは疲れるという理由ではない。
残されたわたしとディアベルはファシアさんに出された緑茶を楽しみながら、団欒の一時を楽しむ。
「あら、中々良い緑茶ですねぇ」
ディアベルはその深みのある緑色のお茶を目元に持ってきて香りを嗅いだ後、丁寧に一口流し込み、そう評価した。
「は、はい! 実は自家製の茶葉を使っていまして‥‥‥」
「そうですか、普段は‥‥ふふっ、紅茶を嗜むのですが‥‥まぁ、たまにはこういったものも悪くはありません」
何故だかディアベルと話すフェシアさんには少し緊張が見える。緑茶を持ってくる時に持っていたお盆を抱えたまま、ディアベルがその緑茶を飲む反応を待っていたかのようだった。
「あ、あの! シリウスさん!」
その時、突然フェシアさんがディアベルにそう話しかけた。少しややこしいが、そういえば今はディアベルはシリウスということになっているんだった。
ディアベルは嘘をつき慣れているのか、シリウスと呼ばれたことにも一切動揺しない様子で、緑茶を飲みながら横目でフェシアのことを見た。
「じ、実は‥‥私は学術院の卒業生で、魔法科学を専攻していて‥‥あなたの後輩なんです!」
「あら、そうだったのですね」
学術院は、おそらく魔法学術院のことだ。
‥‥ん? 待てよ、シリウスは学術院の卒業生だったのか?
「私はあなたと喋ったことも無ければ、会ったことすらありません‥‥ですが、私はあなたの研究を見て、一目であなたという存在の偉大さに気付いたのです」
フェシアさんの様子は徐々にヒートアップしていく。
「あなたの研究、まるで大賢者のように画期的でした。科学と魔法を融合した新たな技術は、まさに新時代の技術と呼ぶに相応しいもので、それこそ世間に広まれば、ほんの数年にして数百年‥‥いや、数千年の歴史を動かす程の大きな力を持っていたと私は思います!!」
息を荒くしながら興奮した様子のフェシアさんからは、如何にシリウスのことを尊敬しているのかが伝わってきた。
そんなフェシアさんを見ながらシリウスの振りをしているディアベルは、緑茶の入ったティーカップを置き、椅子から立つと、フェシアさんの肩に手を置いた。
「ふ~む、そうですか。フェシアさん‥‥でしたか? いえいえ、実に素晴らしい目を持っていますねぇ。だからこそ、このような素晴らしい緑茶を入れられるのでしょう」
「は、はい!!!」
フェシアさんはシリウスではなくディアベルに認められただけだが、勘違いして、興奮がそのお盆を持つ手にも表れているようだった。
にしても、よくここまで他人の振りができるなディアベルは。まぁ、最初にディアベルのことをシリウスと嘘ついたのはわたしだが。
シリウスがわざわざディアベルに自分のギルドカードを持たせたということは、こういった状況もある程度想定していたように思えるのは何故だろうか?
「それで、シリウスさん」
「あら、なんでしょうか?」
「シリウスさんは魔法学会に入ったと聞いていたのですが、私が学会に入った時には既にシリウスさんはもう抜けたと。あなた程の才能を持っている方が、何故そんなにもすぐに学会を抜けてしまったのですか?」
シリウスは魔法学会にも入っていたのか。そういえば、会議の時にシリウスの名を出したら、どこからか”魔法学会の異端児”という呼び名? が聞こえてきた。
話の内容から察するに、魔法学会に入ったにも関わらず、ほんの数年で学会から抜けて冒険者をやっているからそう呼ばれているのだろうが、もしや魔王の研究をしていたことがバレて学会から追放されていたりしないか心配になる‥‥‥
ディアベルはその質問に少し考え込んだ後、少し憎たらしい笑顔を浮かべた。
「ワタクシを縛るものだから」
「え‥‥?」
「それが答えですよ」
フェシアさんはその回答を頭の中で噛み砕くと、自分なりに解釈したのか「なるほど‥‥」と呟いた。
「分かりました。そういうことなら、私はシリウスさんの意志を尊重します」
何が分かったのかは分からないが、とにかく何か分かったようだ。
そうして、暫く団欒をしていると、突然フェシアさんの背中にアリシアが飛びついた。
「わ! 王女様‥‥突然後ろから飛びつかないでください」
アリシアはフェシアさんの肩の上から顔を出した。
「ふふふっ、アミリアスちゃん。フェシアのお話はどうだった? フェシアったら、いつもお話が長くなっちゃうんだけど、いつも面白いお話をしてくれるから大好きなの」
それはアリシアも同じでは? と思いつつも、更にその後ろに目を向けると大量の本を腕全体を使って抱えているリーベルがいた。
今にもリーベルの腕から零れ落ちそうになっているその本を支えようと、彼女の元へ駆けつける。アリシアの長話を聞いて疲れていないかと心配したが、すぐにそんな心配は不必要だったと気付いた。
「ミリア! 聞いて! この本面白くてね、開くと―――」
ボンッと、本が開くと中から立体的な絵が飛び出した。
「―――ね? 面白いでしょ?」
「‥‥はぁ。はいはい、分かったから。それだけ本を持っていてもどうもできないでしょ?」
リーベルに読みたい本以外を本棚に戻させた。
その後も暫くリーベルとアリシアを入れて、緑茶や茶菓子を食べるなどして時間を潰した後、フェシアさんはアリシアを自身の部屋に戻るように言った。
「えぇ~、今日はこのままお泊りする流れなんじゃないのぉ?」
「はぁ、今日はお客さんも来ているので、勘弁してください」
「だからこそなのに」
フェシアさんはアリシアの部屋から出させると、扉を背にもたれて再び溜息をついた。
「毎日こうやって部屋に入ってこられては困りますね。今日も突然、お買い物に行こう! と私は魔法の研究がしたかったのですが、無理やり連れていかれて‥‥なのに、帰ろうとしたら逃げる始末で‥‥」
そんな愚痴を零していると、扉の向こうから「ふふっ」という笑い声が聞こえてきた。フェシアさんはその声に気付くと扉を開け、そこにいたアリシアを睨みつけた。
「もう、夜、です! 王女様は、寝る、時間、です!!!」
「はぁ~い」
アリシアは気の抜けた返事をしながらようやく自分の部屋に戻って行った。
フェシアさんは再び扉を閉めると、今度は微笑みながら溜息をついた。しかし、わたしたちの視線に気付き、慌てた様子でわざと咳をして誤魔化した。
「すみません、何度もお恥ずかしいところを‥‥‥」
「ふふっ、仲良しなんだね」
リーベルがそう聞くと、フェシアさんは一瞬目を丸めて驚くが、すぐに砕けた笑顔を見せた。
「そう‥‥ですね。ありがたいことに、そうさせていただいています。実は、名も無い魔法使いである私が聖女になれたのも、王女様が私を見つけてくれたからなのです。きっと、そうじゃなきゃ今も私は一介の魔法使いとして、面白味の無い生活をしていたんだと思います」
そうして、夜も遅かった為、寝る準備をしていた時、突然ディアベルが口を開いた。
「それで、何故わざわざワタクシたちをこのような場所に連れて来たのでしょうか?」
フェシアさんはディアベルのその問いに驚いたように目を見開いた。
「‥‥流石はシリウスさんですね。やはりその目は欺けません‥‥いえ、騙そうとしていたわけではなく。明日言うつもりだったのですが‥‥そうですね、今言っておきます」
「‥‥ん? 何か用があったのか?」
「はい。簡潔に言うと‥‥‥王に頼まれてあなた方をここに連れて来たんです」
 




