34話:この世で最も無垢な天使
それは、突然の出来事だった。
わたしは怒りによって制御を失った。その代わりに、このルフェルという上級天使との戦闘の中で、わたしはただこいつを殺すという一点のみに集中し、紛争の影の本質を引き出すことに成功した。
そして、ルフェルにトドメを差そうと、紛争の剣をルフェルに対して振り下ろそうとしたその瞬間‥‥‥
―――――キンッ!!
突然、わたしの剣を持つ手に強い抵抗感が加わり、強制的に動きを静止させられる。まるで、岩でも間違えて斬ってしまったのかと勘違いする程の力。そして、それと同時に聞き覚えのある声が耳に入って来る。
「ミリちゃん。それは‥‥めっ! ですの」
その、背伸びをした幼い少女のような喋り方に、その場には似つかわしくない程の幼く、抜けた声。その持ち主をわたしは知っている。
パステルグリーンの髪色に、十字の模様が入った黄金の瞳。そして何より、全てを証明する、その‥‥‥六枚の純白の翼。
「ロ、ロリエル!?」
わたしは咄嗟にそう呼ぶ。すると、その相手は全ての目を燃やし尽くさん勢いの眩しすぎる笑顔でわたしを見た。
「ミリちゃん。お久しぶりですの! わぁ~、ミリちゃんってば、見ない内に随分と大きく‥‥大きく? う~ん、おかしいですの。どうしてあんまり変わってないんですの?」
‥‥失礼だ。
「あ! でも、昔はあたちと目線が同じだったのに、今は見上げないとミリちゃんのかわいいお顔が見れませんの! じゃあ、やっぱりミリちゃんは大きくなってますの!!」
「な!? ロ、ロリエル様!? な、なぜここに‥‥‥」
ルフェルは自身の痛みを忘れ、ロリエルが現れたことに驚いた。その拍子に傷口が更に開き、再び傷口を強く抑える羽目になる。
すると、ロリエルは何かを思い出すように手を顎に添える。
「う~んと‥‥今日は、ミリちゃんのお誕生日! だから、来たんですの。と、言いたいんだけれど‥‥‥」
その時、ロリエルの様子がわたしでも見たことがないくらいおかしくなる。いつもの熾天使であることを忘れてしまう程の幼い感じではなく、まるで‥‥‥怒った母親のような感じだ。
「あたち、今日は単純にミリちゃんのお誕生日を楽しみたい! って思ってたんですの」
「‥‥‥ロリエル?」
「ですのに‥‥‥どこかのわるぅ~い、天使ちゃんがぁ~‥‥何だか、余計なことを考えているって、知っちゃったんですの」
ロリエルは、ルフェルの目を至近距離で覗き込むように見つめる。
「ね? <天炎>の天使ルフェル‥‥ちゃん?」
まるで深淵まで覗き込むかのような鋭い視線に、ルフェルは震え、その四枚の翼も地面に垂れ下がった。
それでもルフェルは引き下がらず、ロリエルに反論しようとする。
「よ、余は! 何も悪いことはしておりません!! こ、今回余の侯爵が告発したことも、全て証拠のある事実なのです!! 悪魔という部分は‥‥た、確かに少し脚色してしまったかもしれません‥‥しかし! ランタノイド家の悪行の数々は、全て事実です!! にも関わらず、何故ロリエル様はあのような者に公爵の加護をお与えになるのですか!!」
ルフェルの言うことは最もだった。ロリエルの突然の登場もあって、少し頭が冷えたわたしは、自分のこれまでの行いを思い返す。
その時、何を思ったのか、わたしはあの侯爵によって告発されたことについて話し始めてしまった。
「公爵夫人殺害事件。あれは、確かに魔力暴走によるものだった。わたしの”影”が勝手にわたしを殺そうとしたお母様を殺した。けど、元を辿ればお母様がわたしを殺そうとしたのも、わたしが、お母様の娘ではなく、”ケガレ”だから。初めから、わたしはお母様の娘なんかじゃなかった‥‥‥。それに、奴隷‥‥リーベルのことも否定できない。わたしがリーベルを買ったのは事実だ。今さら否定する気もない。最後に、わたしは‥‥流石に悪魔じゃないが‥‥”ケガレ”かもしれない。結局、わたしは周りに不幸しかもたらせないんだ‥‥‥」
ルフェルは弱った態度を取ったわたしに追い打ちをかけるように暴言を浴びせる。
「ほら! 見てくださいロリエル様!! あなたが加護を与えた者は、これほどまでの悪なのです!! そして、あなたはそのことを無視し、放置した。ロリエル様こそが、その悪い天使なのでは‥‥?」
ルフェルはロリエルの純粋さを利用して、ロリエルに罪悪感を与えようとする。しかし、その時、一つの声がそれを否定した。
「そんなことはございません!!!」
「グ、グレイア‥‥?」
グレイアはルフェルに与えられた傷に必死に耐えながら、足を引きずり、こちらに歩み寄って来る。
「ロリエル‥‥様。お嬢様は何も悪くありません。奥様がお嬢様のことを愛せなかったのも‥‥お嬢様のせいではありません。不幸の連続だっただけなのでございます! それに‥‥リーベル様!!」
グレイアの大きな声に、先ほどの戦闘の衝撃で目覚めたばかりのリーベルは混乱した状態の頭で答える。
「え!? わ、私? え~っと‥‥その、話はよく分からないけど‥‥ミリアは、私のこと、奴隷だと思ってるの?」
「それは‥‥‥」
リーベルが心配そうな顔でこちらを見つめる。
‥‥違う。ここで認めてどうする。とうに分かっていたはずだ。考える必要もない。もう、答えは出ているだろう。
わたしは一度の呼吸で全てを言い切れるように息を大きく吸った。
そして、心の中にしまっていた気持ちを全てぶちまける。
「リーベルは‥‥‥わたしの、”友達”だ!!! 奴隷なんかじゃない!!! 出会いがどうであれ、リーベルを奴隷呼ばわりする奴は許さない。わたしの友達に悪口言うな!!!」
こんなことは、リーベルと会った時から既に分かっているはずだった。最初から、リーベルはわたしのことを友達だと思っていた。
思うだけじゃ、相手には伝わらない。そんなこと、わたしが一番分かっているはずだった。なのに、わたしは分かっていなかった。
リーベルはわたしを「友達」だと、そう言った。だから、わたしは知れた。友達というもの、それがリーベルだということ。それを分かっていたにも関わらず、わたしは奴隷などというしょうもないものに囚われ続けて、知っているのに知らないフリをした。
だが、もう知らないフリはしない。
だから、絶対に聞こえるようにわたしは「友達」といった。
顔が熱くて、頭がおかしくなっている。これ以上喋ると、余計なことまで言いそうなので、そこで口を止めた。
グレイアはわたしに向かって優しく頷くと、またキリッとした表情でロリエルに訴えかける。
「ロリエル様。どうか、わたくしと、お嬢様を信じてください。‥‥どうか、お願いいたします」
「グレイア‥‥?」
グレイアは、二枚の翼を地面にべったりとつけた状態で、屈んで片膝を地面につけ、右腕を胸に置いた。
天使の礼儀が分からないわたしでも、それがグレイアのロリエルに対する最上級の礼儀であることは、グレイアの様子から見て取れた。
「ふざけるな!!! この無能共め!!! 何が、不幸の連続だ。そんなものは、ただの言い訳だ。それに、奴隷を買ったという事実がある以上、あの公爵令嬢は悪です! ロリエル様、どうか騙されないでください!!!」
ルフェルは必死にそう訴えかけた。
しかし、ロリエルは取った行動は実に<無垢>の天使らしい、純粋なものだった。
「わぁ~!! すごいですの!! みんな、ミリちゃんのことを信頼して、ミリちゃんもみんなのことを信頼してるんですの!! うんうん、やっぱり、ミリちゃんに公爵家の加護を与えて、正解でしたの」
「‥‥な!? ロ、ロリエルゥゥゥゥ!!!!」
その時、ルフェルは怒りに任せて、格上であるロリエルに攻撃を仕掛けようとする。
=天界の炎=
ボォォォ!!!
「やはり、ロリエル!! 其方は熾天使には相応しくない!! 余こそが、真の熾天使!!」
こいつ、まだこんな魔力が残ってて‥‥腐っても、上級天使か。
「ロリエル。下がってろ、わたしがこいつを‥‥‥」
「ううん、大丈夫ですの」
ロリエルは逆にわたしを落ち着かせるかのようにわたしの進行をその小さな手で防ぐと、ルフェルの強大な魔力に一切臆することなくその六枚の翼を広げ、黄金の瞳で全てを見通す。
「まず、それを決めるのは、あたちですの。あたちは、<無垢>の天使。誰も、あたちの前では嘘をついちゃダメですの。それに、あたちは純粋な心を持った良い子が見える。けど‥‥ルフェルちゃんは、心がとーっても、真っ黒!! ですの」
「黙れぇぇぇ!!! この堕天使がぁぁぁ!!!」
その時、ルフェルはロリエルに向かって火球を投げ飛ばした。
「あ、そうですの。ルフェルちゃん。もう、あなたは上級天使じゃありませんの」
「‥‥は?」
パチンッ‥‥‥
ロリエルが指を鳴らすと、ロリエルの圧倒的なまでの光属性の魔力がルフェルの火球を押しつぶし、跡形も無く消し去った。
ルフェルはその光景に驚きながらも、たった今、ロリエルが放った言葉をどうにか噛み砕こうとした。
「ど、どういうことですか! ロリエル様!!」
「う~んと、ルフェルちゃんの侯爵ちゃんが、その‥‥悪い事をいっぱいしてたんですの。それに、ルフェルちゃんもそれに加勢していたって、あたちの信頼できる天使ちゃんに調べて貰ったら、分かったんですの。だから、もちろんその侯爵ちゃんからは爵位を剥奪ですの! そして‥‥‥」
「ま、待ってください‥‥ロ、ロリエル様!!」
「一緒に悪い事した子も、めっ! ですの」
その時、ルフェルに生えていた四枚の翼の内、二枚が枯れるかのように茶色に染まっていく。
「い、嫌だ! せっかく‥‥せっかく、ここまで来たというのに!!!」
そして、枯れ落ちた。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」
暫く、ルフェルの悲鳴が響き渡った。その様子をロリエルは耳を塞いだまま、静かに見ていた。そして、ルフェルの瞳が虚ろに染まった後、ロリエルは天界への扉を開き、そこから出てきた天使たちに、ルフェルを天界に連れて行かせた。
「じゃあ、ルフェルちゃん。良い子良い子になって、また会いましょう! ですの」
やるべきことが終わったかのように、ロリエルは一息つくと、すぐに振り返り、わたしたちを笑顔で見つめた。
「やっと終わりましたの‥‥‥じゃあ、みんなでパーティ!!!! です、のーーーー!!!!」
あ‥‥あぁ、もう、無理。力を使い過ぎて、頭がクラクラする。
「イエェーーーーイ!!!!」
ロリエルの誘いに、快く応じたのは、リーベルだけだった。
 




