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28話:悪夢(後編)

 その日から、わたしの平穏な日々は崩れ落ちていった。


「お嬢様、朝でございます」

「う~ん‥‥‥」


 いつも通りの朝がやって来る。なんてことのない朝、いつものようにグレイアがわたしを着替えさせ、髪を整える。何てことない、普通の朝だ。

 そして、いつものように、食卓に向かう。食卓にはお父様とお母様が椅子に座ってわたしを待っている。


「お母様!!」


 お母様を見るや否や、走って抱き着こうとする。そうすれば、いつもお母様はわたしのことを抱き締め、優しく頭を撫でてくれる。そのはずだ。


「ミリア」


 お母様はわたしの肩に手を置き、わたしを止めた。


「もう、十三歳なんだから、子どもじゃないのよ? いつまでもそうやって甘えてばかりいたら、自分にも甘えちゃう人になるんだから」


 わたしはお母様のその言葉を理解できずとも、受け止めた。子どもじゃないということは、逆に言えば、わたしが大人になったということだ。お母様がわたしを大人だと認めてくれたことが嬉しかった。


 そうして、いつも通りの毎日が過ぎていく。いつも通りの日々が、次の日、また次の日と、わたしを意思を無視して過ぎていく。


 日々はあっという間に過ぎていき、気付けば二年弱が経っていた。

 もう、毎朝の食卓でお母様に抱き着くような歳ではなかった。


 カチャ、カチャ、と、食器の音だけが頭の中に響いている。昔に聞いていたような、クラッカー音や、お母様の笑い声は聞こえてこない。


 お母様の笑顔に溢れた顔は、気付けば老けていて、しおれていた。ここ最近表情が変わっていないのか、表情筋が硬く、口もあまり開いていない。


 一週間の終わり。

 以前であれば、お母様が必ずわたしと一緒に寝てくれる日だ。一週間の疲れをものともせず、お母様はわたしに様々な物語を教えてくれた。そうして、気付けばお母様の腕の中で眠っている。朝起きれば、既にお母様はいなくなっているが、この日はわたしが一番大切にしている日だった。


 しかし、そんな日も長くは続かない。十三歳の誕生日を迎えてから、お母様はわたしと一緒に寝てくれなくなった。それは、わたしが大人になったからなのか、それとも、もうわたしと会話することに疲れたからなのかは分からない。どちらにせよ、まだお母様がわたしを愛してくれていると信じることしかできなかった。


 とある一週間の終わりの日のことだった。ただ、それがいつのなのかも覚えていない。物理的には十三歳の誕生日を迎えてから、すぐその後に起きている。しかし、感覚的には、もっと遠く、離れているものに思えた。次第にこれが現実ではないことに気付いてくるが、もう遅かった。


 わたしは悪夢を見た。二重に重なる悪夢が、わたしを襲う。


 また思い出す。大教会で多くの人々がわたしの姿を見て恐れる光景を、何度も見せられる。


 それが怖くて、わたしはグレイアにも告げず独りで長い廊下を歩き、安心できる誰かを探す。そうして暫く歩いた後、一つの部屋に明かりが付いていることに気付き、扉の隙間から覗き込んだ。


「もう耐えられない!」


 書斎で仕事をしているお父様に、いつも笑顔だったお母様は恐ろしい形相で怒鳴っていた。


「何度も何度も何度も!! あの無能共、わたしが社交界に出る度に、”ケガレ”の母親、”ケガレ”の母親ってバカの一つ覚えみたいに言うのよ! わたしが何をしたというの?」

「落ち着くんだ」


 バンッ!! と何かを強く叩く音が聞こえた。


「あなたはこうやって地味な作業ばかりしているから知らないかもだけど、あなた、あの子が何て呼ばれてるのか知ってるの? ”ケガレ令嬢”よ? あの子が魔王の魔法なんて使えるようになったせいで、ランタノイド家の評判はガタ落ちよ。もしかすれば、熾天使も加護を止めるかもしれない。そうなったら、もうわたしたちは貴族ではなくなるのよ?」

「ロリエル様はそのような方ではない。それに、娘に罪はない。きっと、ロリエル様も分かってくださる」

「いつもいつもいつも! そうやって呑気なことしか言わない! わざわざ社交界に出て無能共と交流しないといけないのはわたしなのよ? どうしてわたしまで文句を言われないといけないわけ? わたしがどれだけランタノイド家のことを考えて行動していると思ってるのよ!!」

「それは‥‥分かってる。すまない」

「全然分かってない!!!」


 そんな光景を見て、こう思った。


 わたしのせいだ。


 わたしが闇属性を持って、魔王の魔法なんて使えるようになったから、お母様も以前の笑顔を失った。静かで優しかったお父様も、溜息をつく回数が増えていた。それも全部、わたしのせいだ。


 その時、後ろから小さくわたしを呼ぶ声が聞こえた。


「お嬢様」

「‥‥‥」

「もう寝る時間でございます。お部屋に戻りましょう」


 グレイアはわたしの手を握って部屋に連れ戻した。

 その晩、布団で顔を隠しながら、体を小さくして眠った。そうして、また悪夢の中で夢を見る。


 トントントンッと、扉を叩く音が聞こえる。グレイアがそれに出て、扉の先にいた人物に言われると、部屋を出て行った。

 すると、すぐにわたしの頬に温かい感触が伝わる。落ち着く匂いがしてくる。落ち着く声でわたしの名前を優しく呼ぶ。


「愛してるわ、ミリア」


 そう聞こえると、強ばっていた体が段々緩み、リラックスしてくる。

 呼吸が落ち着き出し、暫くすると、喉に空気が通りづらくなってくる。顔に血が溜まり、顔が赤くなり、じんわりと熱くなっていくことが分かった。そして、何かを察した体が自然とわたしを起こした。


「‥‥ぁ‥‥ぁ‥‥」


 息ができない。微かに目を開ければお母様がわたしの上に跨り、腕に強く力を入れていた。


「あんたなんか産まなければよかった‥‥この‥‥”ケガレ”!!!」


 目の中心が曇っているように見えた。お母様がわたしを初めてそう呼んだ。訳も分からず、ただお母様を見ていた。


「わたしの娘を返しなさい!!! この”ケガレ”!!!!」


 そう聞いた時、初めて気づいた。


 あぁ‥‥わたしは、お母様とお父様の娘じゃなくて、”ケガレ”なんだな、と。


 その後のことはよく覚えていない。何故なら、これは悪夢だから。ただ目を瞑って、終わるのを待っていた。


 =魔王の影=


 肉を引きちぎる音、骨が砕ける音、骨が肉を突き刺す音、落ち着く声の悲鳴が聞こえてきた。




 * * *




 顔の前にある何か柔らかいものに顔を強く押し当てた。落ち着く匂いが広がり、呼吸が整ってくる。

 少し温かい日差しが後頭部に当たり、その感覚から今が現実であることに気付き始めた。


「ふわぁ~~~~」


 聞きなれた声に押し当てていた顔を戻し、見上げる。


「‥‥リーベル?」

「う~ん? あ、おはようミリア。ミリアのベッドってふかふかだね。何だかいつもよりぐっすりと眠れた気がする」


 驚いて飛び上がり、横で寝ているリーベルを見つめた。


「どうしてここに‥‥?」


 その時、わたしの部屋にグレイアが入って来た。


「それは、夜お嬢様がうなされており、その際、リーベル、リーベルとおっしゃられておりましたので、もしかすればと思い、リーベル様をお呼びさせて頂きました」


 グレイアが何を言っているのかあまり理解できない。


「そうだよ、ミリア。グレイアさんに呼ばれて来たら、ミリア、物凄く怯えながら震えてたから‥‥何か、怖い夢でも見ちゃったの?」


 怖い夢‥‥‥

 そう聞いた時、わたしの紫色の瞳がぶわっと熱くなる。

 熱さに溶ける目玉から液体が滲み出るように、それは涙として溢れた。


「ミリア‥‥?」


 自分が涙を流していることに、訳も分からず感情がグチャグチャになり、手で拭っても拭っても、止まらなかった。次第に悪夢の内容を思い出し、それが過去の自分であることに気付いた。


「大丈夫? ミリ‥‥‥」


 ボスンッ!


「わ! びっくりしたぁ‥‥何だか、ミリアは急に甘えてくれるようになったね」


 自分が柄にもないことをしているのに気付いていた。恥じらいもせず、ただ子どものように甘えている。だが、もう恥ずかしさよりも恐怖が勝り、ただリーベルのことを強く抱き締めて、全てを忘れようとすることしかできなかった。


 何かわたしの異変を感じ取ったリーベルは抱き返してくれた。

 わたしの涙でリーベルの服が濡れることも気にせず、リーベルはわたしの顔を自身の胸に強く押し付け、わたしの震えを止めようとしてくれた。


「やっぱり、怖い夢を見ちゃったの?」

「お願い、お願いよ。わたしの目の前から消えないで‥‥‥」

「大丈夫だよ、ミリア。私は何があってもミリアの傍を離れないから。だって、私も独りは怖いもん」


 暫く、思い出したくもない悪夢をかき消すように、リーベルを抱き締め続けた。

 そうして、初めて気付いた。リーベルがわたしのことを抱き締めながら寝るのは、わたしのことを抱き枕と思っているからではなく、わたしが悪夢を見ないようにしてくれているのだと。

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