21話:舞い狂う殺蝶
「ど‥‥ど‥‥どうして!! どうしてこうなった!!!!」
恐怖。それは、生きていれば誰しもが持つ感情の一種。
そして、たった今天使たちがこの舞い狂う殺蝶に感じているものだ。
理解する為に思考を巡らせるよりも前に、その思考する為の脳みそが殺蝶によって体から分断される。
その死を予見する鎌は、月夜に照らされながら舞うように振り抜かれる。その度に、この月夜に天使の生首を飾るのだ。
吹き出る黄金の血しぶきは、彼女の狂気に染まった顔を”恐怖”でメイクし、更に悪魔らしさを助長する。その光景は、まるで殺戮という名の演目だ。
「さぁ! ワタクシと踊りなさい。哀れな蝶たちよ」
殺蝶の狂気的な笑い声に天使たちの恐怖の悲鳴が混じり合う。一部の天使は死ぬことを恐れて戦いを放棄し、逃げようとした。
「い、嫌だ! た、隊長‥‥たすけ‥‥」
ザクンッ!!
誰も逃げられない。逃げようとすれば、後ろから笑みを浮かべた殺蝶が容赦なくその鎌を振り下ろす。
「じ、陣形を組みなおせ! 重騎士隊が奴を囲むんだ! 鎌では重騎士の鎧を斬ることはできまい!」
数人の重厚な鎧を着た天使が盾を構えながら、殺蝶を囲った。
じりじりと距離を詰めながら、殺蝶を追い詰めていく。
「あぁ‥‥何て‥‥何てことでしょう。何て‥‥無様」
殺蝶は顔を赤らめながら、頬に手を添えて興奮した様子で笑った。
その時、一人の重騎士の天使が殺蝶に剣を振り下ろす。
ドォン!! という激しい音と共に、衝撃が地面に伝わる。地面に巨大なヒビが入るほどの衝撃だったにも関わらず、殺蝶を斬った感触は無い。
殺蝶は華麗に攻撃を躱し、その一瞬で‥‥‥
「残念です。少し、遅すぎるのではありませんか?」
殺蝶は重騎士の天使を飛び越え、その首元に鎌を置いた。そして、引き抜く。
鎌の刃が鎧の隙間を縫うように切り裂き、黄金の血が吹き出す。その血が地面に落ちてから、ようやく自分が死んだことに気付いて、死人らしくその場に倒れた。
「‥‥ふふっ」
殺蝶が不敵な笑みを浮かべた瞬間、他の重騎士の天使たちが殺蝶に襲い掛かる。
しかし、重騎士の天使たちはそれが無謀な行動だったことをすぐに理解させられた。
バリンッ!! と、殺蝶はわざと見せつけるように鎧と共に重騎士の天使たちの肉体を切り裂いた。
その重い鎧を切り裂く程の力を持っていないように思わせておいてのこの所業。まさに、悪魔の所業だった。
「な!? ‥‥クソッ!! 弓隊! 何をしている! 矢を放ち続けるのだ!!!」
「弓隊など、いったいどこにいるのですか?」
「‥‥へ?」
血が吹き出て、ノイズになる。
隊長の天使が隣を見ると、先ほどまで弓を引いていた天使たちの首から上が消えていた。
隊長の天使は耳元で不安を煽るように囁いた殺蝶に対して腕を振り回したが、既に殺蝶は距離を取っていた。
あまりの速さに、一切間合いの管理ができず、一方的な殺戮が続いていることに隊長の天使はようやく気付き始める。
だが、もう遅い。
「クソクソクソ!!! 何故、何故だ!!! 何故こうなった‥‥」
それは自らを戒める為の問いだったが、殺蝶は不敵な笑みを浮かべながら、答えた。
「元より、あなたたちは失敗しているのです」
「はぁ‥‥?」
「この‥‥ワタクシと殺し合いをするというのに、まるでその緊張感が無い。その上、ザコを並べたばかりの兵士でワタクシに挑もうとしている。‥‥ふふっ、実に滑稽。せめて、熾天使の一人でも用意しておけば、この殺戮はまだ、殺し合いになれたというのに」
その余裕な態度に、隊長の天使はまるで不安を押し付けられるような感覚に陥る。
「何者だ‥‥何者なんだ貴様は!!!」
「あら‥‥もしや、認知症にでもなってしまったのですか? それとも、500年前にワタクシが与えた恐怖は、既に天使たちからは消えてしまったのでしょうか?」
その時、殺蝶と月が重なる。
「‥‥あぁ、あぁぁあぁぁ、ああああああああ!!!!」
隊長の天使は何かを思い出したように、頭を抱えながら瞳孔が震える程に動揺した。
体の奥底に眠っていた、恐怖。それが隊長の天使の体を這い上がるように思い出させる。
月という黄金に輝く風物詩を血で赤く染めあげることのできる存在。そんなものは、この世にたった一人しかいない。
それは、歴史上最も多くの天使を殺した悪魔。
天使に恐怖という二文字を植え付けた恐怖の化身。
またの名を‥‥‥
「四魔将<殺蝶>!!!! 貴様ぁぁぁぁぁ!!!!」
焦りで恐怖に染まった顔を向ける隊長の天使に、殺蝶は「ふっ」と鼻で一笑する。
=天界の天馬=
隊長の天使はペガサスを召喚する。
その上に乗ると、震える手で槍を構え、殺蝶に突進する。
「貴様を生かしておけるか!!! この命に代えてでも、貴様を殺したやるぅ!!!!」
雄叫びを上げながら、隊長の天使は殺蝶との距離を詰めていく。
「ふ~む‥‥いいですねぇ。ですが‥‥もっと、面白くなりますよ」
「ぶっ殺してやるぅ!!!!」
――――パチンッ‥‥!!
「へ‥‥‥?」
「では、行ってらっしゃい。‥‥地獄へ」
殺蝶が指を鳴らすと、地獄へ繋がる穴が開き、そのまま隊長の天使はその穴に落ちて行った。そして、すぐに穴の中から悲鳴が聞こえてくる。
「な、何をする!! やめろ!! 翼をもぐなぁ!!!」
ブチッ‥‥ブチッ‥‥!!
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!! やめろぉ!!! 死にたくない!!! ああああああああ!!!!」
穴の中を殺蝶は興奮しながら見つめていた。
満足すると、穴を閉じた。殺蝶はまるで誕生日プレゼントを貰った子どものように純粋無垢な笑顔を浮かべていた。
* * *
そんな光景を、わたしは若干、いやかなり引きながら見ていた。
「うぅぅぅ~~、ミリアぁ~、何も見えないよぉ」
「見たらダメだ。こんなの‥‥教育に悪い」
こんなのリーベルが見て悪い子になったら困るから、リーベルの目を触手で覆った。
そんなことをしていると満足した様子のディアベルが戻って来た。
「さぁて、全て丸く片付きましたね。ふ~む、少し”掃除”が面倒かもしれませんが‥‥まぁ、仕方ありません。楽しませてもらいましたし、しっかりと後片付けもしなければなりませんしね」
「あ、あぁ‥‥‥」
「どうしたのですか? ミリア様。随分と気分が優れないようですが‥‥?」
「いや‥‥何でもない。お前が悪魔だということを思い出しただけだ」
ディアベルは疲れたわたしを見て、更に不安を煽るように笑った。
その後、ディアベルはルーティーンだからか手慣れた手つきで地獄の穴からモップ等の掃除用具を出して、いつもの”アレ”を始めた。そう、”掃除”だ。
そうして、ディアベルはいつになく上機嫌に”掃除”を終えた。
色々とあったが、とりあえずこいつには聞かないといけないことが、一つある。
「ディアベル。お前‥‥やっぱりか」
「‥‥やっぱり、とは? あぁ、ワタクシが魔王軍の幹部、四魔将の一人だということですか?」
ディアベルはあっさりと正体を明かした。
「そういえば、ミリア様たちは四魔将を探していたのでしたね。というわけで、ワタクシがその幹部の一人です。どうぞよろしくお願いします」
こんなあっさりと認めるとは‥‥わざわざ隠していたのだから、もう少し粘るのかと思っていたが、意外にそうでもなかった。
「えぇぇぇぇ!!!! ディアベルさんが私たちの探してた魔王軍の幹部だったのぉ!!!!」
何となく分かっていたわたしとは対照的に、隣でわたしの触手に目を覆い隠されていたリーベルはド派手に驚いた。
「ふふふっ、リーベル様は毎回反応が面白くて、実に好ましいですね」
‥‥まぁ、とりあえず見つかった、ということでいいのか。はぁ‥‥少し無駄な手間を‥‥いや、色々と情報が手に入ったのは事実か。
もしかして、ディアベルはわざとわたしたちをアーデウスに会わせて情報を教えた? このディアベルの余裕さを見せられると、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。
「どうしたのですか、ミリア様。ワタクシの顔に何か付いていますでしょうか?」
「いや‥‥とりあえず、何で正体を隠していたのかは聞かないでおく」
「‥‥? いえ、別に聞くのでしたら、答えますが」
わたしの配慮を踏みにじったディアベルにイラッとくる。
「‥‥じゃあ、どうして隠していたのかしらぁ???」
「そうですねぇ、ワタクシもミリア様たちの計画に賛成だから、というのが答えになりますね」
「賛成‥‥? やっぱり、魔王軍幹部としては、魔王が復活してほしいのか?」
「えぇ、まぁそうですね。先ほど、ワタクシのこの”地獄と人間界を行き来する力”は、魔王様がワタクシに授けたものだと言いましたが、これはミリア様の言う、”魔王の残滓”による力です」
「魔王の残滓!? まさか‥‥今、持ってるのか?」
つい声が出てしまったが、よくよく考えると、<影収集機>がディアベルに反応していない時点で、その可能性は低いか。
「いえ、持ってはいません。魔王様は、その力を”地獄の影”と呼んでいましたが、どうやら地獄に関する権限を執行したり、任意の相手に与えたりすることが可能なようです。その為、ワタクシはこのように”契約”無しでも、人間界に来ることが可能になっているのです」
地獄の影‥‥何故だか、わたしの”紛争の影”という名付けとセンスが似ているのは気のせいだろうか。
いや、そんなことより、道理でディアベルは他の悪魔に比べて明らかに異質だったわけだ。魔王の幹部、それだけでも世界の歴史に残るような存在だ。
「人間界に来れば、ワタクシのような悪魔は行動範囲も広がりますし、何より”自由”になれます」
「つまりは、お前は魔王が蘇ることで他の悪魔たちも自由に人間界を行き来できるようにしたいのか?」
「いえ、別に他の悪魔たちはどうでもいいです」
即答される。
そうだった。こいつはそういう悪魔だった。
「じゃあ、どうして‥‥‥」
「ワタクシは、熾天使を‥‥天界で呑気にしているあの怠け者どもを、このワタクシを地獄に幽閉するなどという愚行を行った愚か者を、引き釣り下ろし‥‥殺したい。それを可能にするのは、魔王様のみ。だからですよ」
ディアベルの野望に賛同はしないが、とりあえず「なるほど」とだけ言っておいた。
「にしても、わざわざこんな回りくどいことをしなくてもよかっただろ」
「それは‥‥少し、ミリア様を試させて頂いたのです」
「試す?」
「えぇ、その魔法、それに闇属性の魔力。それは、間違いなく魔王様が持っていたものです。もちろん、魔王様”だけ”がです。それを持っているということは、ミリア様には何か特別な意味があると感じまして。魔王軍幹部であることを明かしてしまうと、ミリア様の性格上警戒されてしまうかもしれませんしね。悪魔にとって‥‥”信頼”以上に大切なものはありませんから」
‥‥なるほど。やっぱり、ディアベルはわたしのこの魔力を見て、魔王を感じていたのか。
「分かった。じゃあアーデウスに会わせて情報を掴ませたのは、純粋にわたしたちの計画の手伝いをする為か?」
「えぇ、そうですね。それに、今回アウスは中々悪くない情報を提供しましたし、流石はワタクシの”友人”ですね」
「悪くない情報? 確かに<支配欲>の悪魔に関する情報は興味深かったし、水晶のことも気になるが‥‥‥」
疑問を浮かべるわたしを見て、ディアベルは片手を口に添えながら驚いた様子を見せると、情報を付け加える。
「あら、気付いていなかったのですね。仕方ありません。あれはワタクシぐらいでしか気付けないでしょう」
「ん? 何に気付いたんだ?」
「あの水晶の中に入っていた魔王様の魔力、あれは間違いなく本物です。これは推測ですが、あれは魔王の残滓による作成物です。まぁ、恐らくは魔王様の力を記念として残しておきたかったのでしょう。何故、そのようなものがただの小娘の手に渡っているのかは知りませんが」
‥‥ん? 待て、それってつまり‥‥‥
「どうやら、気付いたようですね。そうです、あの水晶は間違いなく魔王の残滓の影響を受けたものであり、そしてそれを行った可能性の高い”<支配欲>の悪魔”こそが、魔王の残滓を持っている可能性が非常に高い、ということになります」