10話:紛争の影(前編)
教会の鐘が鳴る。
新たな女王と新たな王を祝福する喝采が巻き起こる。
純白の翼を持つ小鳥も二人を祝福するように歌を歌った。
壇上に長老が司祭として立ち、誓いの言葉を二人に投げかける。
「新郎イシュタルテ、あなたはいついかなる時も、新婦リーベルを愛し、支え、そして慈しみ事を誓いますか?」
「はい‥‥誓います」
「新婦リーベル、あなたはいついかなる時も、新郎イシュタルテを愛し、支え、そして慈しむ事を誓いますか?」
「‥‥‥」
司祭の言葉にリーベルは言葉を濁らせた。
彼女の父親はそんな彼女を鋭く睨む。その視線に無理やりこじ開けられるように、偽りしか吐かない口を開こうとする。
「わ、私も‥‥ちか‥‥‥」
――――バンッ!!!
その瞬間、勢いよく教会の扉が開かれる。まるでその結婚ちょっと待ったとでも言いたげに扉の先にいたのは‥‥ミリアだ。
* * *
わたしは教会の扉をわざと勢いよく開け、偽りだらけの結婚式を邪魔する。
結婚式への乱入は犯罪だって? 知ったことか‥‥わたしは、悪だ。
「ミリア‥‥?」
「貴様! 長老の魔法で拘束したはずでは‥‥コホンッ、衛兵、その者を捉えよ」
王の指示に従って、武装したエルフの衛兵がわたしの前に立つ。
わたしを捉える? やれるならやってみろ、このクソ王が。
足で地面を強く踏みつける。
すると、地面から触手が勢いよく生えてきて、一瞬の内に衛兵たちを蹴散らしてしまった。
すぐに教会の至る所から悲鳴が聞こえてくる。そして、教会にいたエルフたちは教会から我先にと逃げ出してしまった。
とはいっても、これは狙ってやったことだ。王と長老はどうでもいいが、流石に罪のないエルフたちを傷つける程わたしは堕ちていない。
「さぁ! 恐れろ、このわたしこそ、悪名高い”ケガレ”つき!! わたしを止められるものなら、止めてみろ」
「クソッ‥‥衛兵、衛兵!! な!? もう誰もいないのか‥‥‥」
わたしは悪らしく、その忌まわしい名を口にする。自分から名乗る趣味はないが、この方が簡単だ。
「ミリア! 何してるの‥‥?」
「リーベル! あんなやつのことは気にしなくていい! ほら、早く指輪のはめるんだ!」
「パパ‥‥?」
こんな時でも、王は彼女に指輪をはめることを強要した。それ程にまで欲に溺れ、醜くなった父親が彼女にはどう映っただろうか。
そんなの、分からなくていい、分かる必要なんてない。分かったところで傷つくだけだ。もう、そんな必要はない。
もう一本触手を生やして、王に向ける。
「や、やめろ! こっちに来るな!」
触手の矛先が自分に向いていることに気付いた王は、恐怖でそのまま後ろに倒れ込む。
「く、来るな!」
わたしは触手を王に向けたまま、じりじりと距離を詰めていく。
その度に、王は後ろ後ろへと後ずさりしていく。
「安心しろ。殺しはしない‥‥が、それでもそれ相応の痛みを伴う」
その脅しに王は恐怖の表情を浮かべた。
わたしは手を前に出し、触手を勢いよく飛ばす。そして、触手が王に辿り着こうとしたその時‥‥‥
=天界の槍=
ブォンッ!!
鈍い音が空気を貫く。
それと共に感じた強い殺気に振り向いて、わたしは触手を壁にして咄嗟にその攻撃を防いだ。
黄金の槍‥‥疑うまでもない、あの傲慢天使のものだ。まぁ、どうせ来るとは思っていたが。
「ンフフフフフフフ、アハハハハハハ!!! ここに来るのは分かっていたぞ‥‥”ケガレ”。天界の槍に貫かれて堕ちろ!!!」
傲慢天使は魔法で大量の槍を生み出し、こちらに飛ばしてきた。
わたしを攻撃するならまだしも、後ろにいる彼女たちのことは一切考えていないようだ。
わたしは触手を前方に固め、盾としてその大量の槍を防ぐ。
「リーベル様、逃げましょう。ここは危険です」
「でも‥‥ミリアが」
依然としてわたしを気にする彼女に、判断を促す。
「いいから! わたしのことは気にするな。早く逃げろ」
もう、わたしに構う必要はない。
ほら、見てみろ。わたしと関わったから、こんな状況になってるんだ。
結婚式を邪魔すれば、王と長老の悪事も明るみに出る。そうすれば、もう彼女が苦しむ必要もなくなる。その、イシュタルテ? とかいう青年。そいつも長老に利用されただけの哀れな被害者だ。だから、そいつなら‥‥お前を、傷つけることは‥‥‥
「―――いや」
‥‥?
「リーベル様‥‥?」
「逃げない。どうして逃げるの? ミリアを、私の大切な友達を置いて逃げることなんてできない」
未だ天使の攻撃が止まず、わたしの影の盾が無ければ彼女たちも危ないという状況で、彼女は引き留めようとするイシュタルテの手を振り払い、わたしの元へ走り出す。
「‥‥は?」
彼女の訳の分からない行動に、こっちの気が散らされる。
やめろ。そんなことしただけ無駄だ。
わたしなら、この天使にも勝てる。わざわざお前の助けが無くても問題ない。お願いだから、計画の邪魔だけはしないでくれ。
何より、そんなことでまた自分を傷つけようとするな。
次の瞬間、「リーベル!!」と彼女の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
その声は低く、そして鋭い。まるで彼女の行動を愚かだと切り捨てる言葉を放ったのは、王だった。
「指輪をはめるんだ! 早く!!」
続け様に王はそう言う。
王にも少しは父親として娘を心配する気持ちがあるとでも思ったのが間違いだった。
結局、心配しているのは自分の計画だけ。
「何だ‥‥全部ゴミみたいだ」
自分にしか聞こえないような声量でそう呟いた。
変な話だ。どうしてわたしは全く関係ないこいつらに”怒り”を覚えているのだろうか。
「パパ、そんなことよりも、今はミリアを‥‥‥」
「こうなったら無理やりにでも‥‥」
王は用意されていた指輪を無理やり取ると、そのまま彼女の腕を強く掴んだ。
「離して!」
「離すものか!! お前が、お前さえ指輪をはめれば‥‥私は真の王族になれるというのに!!」
「やめて!」
「クソッ! 抵抗するな、このバカ娘が!!」
激しく揉み合う両者。もちろん、力の弱い彼女が劣勢だった。
王はもう片方の手を振り上げると、拳を握り、実の娘である彼女に向かって振り下ろす。
――――ドンッ!!!
「‥‥‥?」
王の手が届くよりも前に、わたしの拳が王の顔に届く。そのまま王は壁まで吹き飛んだ。
あぁ、何をしてるんだかわたしは。
「わたしの‥‥わたしの‥‥」
「ミリア‥‥?」
「わたしの友達に手を出すな! このクソやろう!!」
更には変なことまで言っている。
まずい、少しずつこの変な感情に体が支配されつつある。そのせいでこんな冷静さに欠ける言動をしているんだ。
=天界の光=
その時、強い光がわたしを包む。
「‥‥ッ!?」
その光はわたしの影を包み込み、消し去る。
=天界の槍=
続け様に黄金の槍が放たれる。
その槍は空気を貫く重苦しい音を立てながら、わたしに接近する。
そして、光で”影”を消されてしまったわたしにはそれを防ぐ術が無かった。
―――――ドオォォォオン!!!!
槍がわたしを壁まで吹き飛ばす。
壁に当たった瞬間、頭にキーーンという不快な音が鳴り響いて、そのままズレ落ちながら地面に叩きつけられる。
口から血が溢れ出てくる。お腹の辺りからじんわりと熱い。手で触れると、手にはべっとりと血がついている。それを見て、槍がわたしの腹を貫いたのだと理解した。
わたしの影が勝手に防いだのか、致命傷は免れている。だが、その痛みは死にたいと思わせる程だ。
「ミリア!!!」
感情任せに叫ばれるわたしの名前と共にリーベルが走って来て、壁にもたれかかりながらお腹を押さえているわたしを支えた。
その美しい瞳は、涙を浮かべ、まるで大切な友達が亡くなる前かのように泣いている。
‥‥そうか、わたしはリーベルのことを友達だと思ってるのか。
道理で、さっきから変な言動ばかりしてしまうわけだ。そのせいでこんなザマなんて、笑い話にもならない。
―――いや、そうじゃない。
リーベルは、わたしにはもったいないほどだ。
笑い話とかそういうことじゃない。そんな言い方、まるで彼女のせいでわたしが傷ついたみたいだ。
そんなわけない。初めから、彼女はわたしのことを友達だと言ってくれていたのに、わたしが変な意地ばかり張って、彼女の優しさを無視ばかりしていたから、こうやって天罰が下っているんだ。
死に際ですらそんな下らないことを考えていると、次第に意識が薄れていく。
目の前が暗くなって。
呼吸が遅くなって。
耳が遠くなっていく。
ただ聞こえるのは、微かなわたしの呼吸音と‥‥‥
「ミリア!! ミリア!!」
必要に何度もわたしの名前を呼ぶ、リーベルの声だけ。
「ンフフフフフフフ、アハハハハハハハ!!! 無様、無様だ!! 所詮は人間、下等種族に過ぎない‥‥あぁ、慈悲をやるぞ、ケガレ。せめて、最後は苦しませずに堕としてやろう」
=天界の槍=
天使がニタニタと笑っていることくらい、見なくて分かる。
槍がわたしに届けば‥‥わたしは、死ぬ。
「アハハハハハハ!!! あぁ、やはり簡単、簡単だ。初めは余計が手間が増えたと思ったが‥‥こんなにも気分が良いなら、むしろウェルカムだ。あぁ、感謝するぞ‥‥ケガレ‥‥?」
天使は勝ち誇ったように笑い声をあげた。それと同時に、わたしも死を悟る。
せっかく貯めていた老後のお金をリーベルを買う為に使ってしまったのが、運の尽きだ。いや、丁度良かったのかもしれない。主人であるわたしが死ねば、彼女はもう‥‥‥自由だ。
わたしは死を覚悟して、目を瞑った。
せめて最後は苦しまずに死にたいと思っていたが、十分痛いな。これがケガレつきの末路なのだとしたら、お似合いなのかもしれない。
槍が放たれる。
その前に触手を動かして、リーベルを守る。もう自分も守る力は残っていないし、もう‥‥助かるのは、彼女だけでいい。
ドォン!!
槍の衝撃で散乱したものが視界を埋め尽くす。綺麗な自然をテーマにした装飾が舞って、これがわたしの最期の景色になる。
「―――ミリアは、私の初めての友達なの」
その時、リーベルの声が聞こえてくる。その声が届いて、光に照らされるように目を開いた。
ふと顔を上げると、わたしは光の壁に囲まれていた。
「リー‥‥ベル‥‥?」
「私が攫われた時、私を助けてくれた。奴隷として売られた時も、いっぱいお金を使って助けてくれた。それに、私のこの髪を綺麗だって褒めてくれた」
違う、わたしは‥‥そんなことができるほど、綺麗な人間じゃない。
「だから、失いたくない。パパが望むなら、結婚をしてもいい、奴隷になってもいい、でも‥‥大切な初めての友達だけは、失いたくない」
そう言われた時、救われた気分になってしまう。
リーベルは、わたしを許してくれた。
これまで生きてきて、わたしを許したやつなんていなかった。
冒険者たちを助けると、魔石が無い、お前のせいで大損だと、わたしを悪にした。
大好きだった母親は、わたしを”ケガレ”だと、産まなければよかったと、そう言った。
誰も、わたしを許そうとしたやつなんていなかった。友達なんて、そんなやついなかった。
でも、リーベルはわたしのことを許してくれた。わたしを友達だと言ってくれた。わたしを”ケガレ”じゃなくて、”ミリア”と呼んでくれた。でも‥‥‥
「もう、無理だ」
「ミリア‥‥?」
「出血が‥‥酷い。もう‥‥意識が‥‥」
既にわたしからは多量の血が失われ、意識は完全に消えつつあった。
頼りは、「ミリアミリア!」と呼び続けるリーベルの声だけだった。




