98話:夢羊の悪魔
ここ‥‥どこだ?
目を開けたはずだが、なんとなく覚めてはいないような変な感覚だ。
そのせいか、ここが夢だと気付けた。
ふわふわとした感覚で、いつもより体が軽いような気もするが、同時に頭もふわふわとしていてぼやける。あまり物事が正確に認識できない。
だが、次第に感覚がはっきりとしてきて、現実と遜色ない感じになってきた。
「ミリア?」
背後から突然名前を呼ばれて振り返ると、そこにはリーベルがいた。
「わぁ、ミリアだ!」
え? なに?
リーベルはそう言うと突然抱き着いてくる。
そのままぎゅっと抱き締められて息ができなくなった。
顔全体がリーベルの香りで包まれる。ここは夢のはずなのに匂いがするなんて、おかしい。
「すご~い。夢なのに本物のミリアみたい!」
「‥‥?」
次の瞬間、リーベルの手がするりとわたしの服の裾から侵入してくる。
「‥‥ッ!?」
そのまま横腹を撫でられてくすぐったい。
リーベル、な、なにして‥‥‥
リーベルの手は横腹から更に上へ上へと移動してきてくる。そして、辿り着こうとしている場所は‥‥‥
「リーベル!」
そこに触れられる前に、止めるように強く呼びかけた。すると、リーベルの手が止まる。
「もう! どうして止めようとしてくるの!」
おかしい。
何故かリーベルは手を止めようとはせず、わたしの呼び掛けを無視して更に上へ上へと移動させてくる。
やっぱりおかしい。
確実に胸を触ろうとしてきてる。
いや、どうして?
わたしはリーベルの手を掴んで、それ以上先に進ませないようにする。すると、何故かリーベルは不満気な顔をした。
「むぅ、どうしてこういうところまでリアルになっちゃうの。夢なんだから私の言うこと聞いてもいいじゃん」
「‥‥?」
ちょっと待てよ。
まさかリーベル‥‥この夢が”自分だけ”のものだと勘違いしてるのか?
「―――イチャイチャするな、です」
突然声がして、そちらに振り向くと‥‥誰?
そこにいたのは、少しクセッ毛のパステルパープルの髪に、焦点がよくわからないぼやけた瞳。少し‥‥む、胸を強調したメイド服に身を包み、特徴的な巻き角を持った‥‥悪魔? がいた。
「もう、今度は誰? ここ夢だよ?」
「正解です。でも、正解じゃないです」
そう言って、その悪魔はパチンッと指を鳴らす。
すると、一瞬にして辺りの風景がぼんやりとしたものから、しっかりとした普通の部屋に変わった。
悪魔はその場にあった椅子に座って、わたしたちも側にあった椅子に座る。
「えっと‥‥どちら様?」
「シェエプは、シェエプ・ドリーム‥‥です」
この悪魔がシェエプ・ドリーム?
ということは貴族悪魔。それも四大悪魔ということだ。だが‥‥どうしてメイド服?
「な、なるほど‥‥あ、わたしはミリア」
「リーベルです。もう伸ばし棒はこれ以上伸ばさないって決めました」
「‥‥?」
シェエプはそのまま本題に入ろうとしたが、それよりも前にこの状況が気になる。
「―――夢、なのです」
今がどういう状態なのか聞いてみると、そう答えられた。だが、つい先ほど夢ではないと言われたような気がする。
「詳しく言うと‥‥夢の世界なのです」
「夢の世界?」
「ここは、シェエプが作った夢の世界なのです」
そういう能力ということだろうか?
「だから、ここは夢だけど夢じゃないなのです」
大分ふわふわとした説明だが、納得はできた。
「それで、もう一人、ピンク髪の悪魔がいたと思うんだが‥‥‥」
「あぁ、アーデウス先生です?」
「先生‥‥?」
そういえば、シェエプはアーデウスのお得意様なのか。
「アーデウス先生はまだ寝てるです。というか、あなたたちが早く起きすぎ、です」
「どういうことだ?」
「普通はもっと寝てるです。シェエプは強いってアネラしゃまが言ってたです。だからもっと寝てないとダメです」
いや、知らないが‥‥‥
「ま、まぁそれはいいとして‥‥わたしたち、エンゼルの領地に行きたいんだが‥‥」
「分かった、です」
「え? それだけでいいのか? 書類とか‥‥」
「めんどくさいです」
えぇ‥‥‥
「ふわぁ‥‥」
その時、アーデウスが大きな欠伸をしながら起きた。
「あら? あらあら? これ、どういう状況?」
「あ、起きたのか。と言っても、夢の世界だから起きた‥‥でいいのか?」
「?」
アーデウスが起きたところ申し訳ないが、正直ここでやるべきことは終わってしまった。
「じゃ、じゃあ‥‥‥」
「わ!? おっぱいおっき!?」
‥‥はぁ。
「な、なんです?」
「いやぁ、おっぱい大きいなって思っただけ」
「‥‥アーデウス先生って、こんな悪魔だったです‥‥」
こうなるならアーデウスは起きなくてもよかったような気がする。いや、その方が良かった。
シェエプのアーデウスに対する評価が下がったところで、シェエプはもう一度指を鳴らす。すると、またぐわんっと不思議な感覚が暫く続いて、わたしたちは目を覚ました。
目を覚ますと、そこは寝る前の場所で、わたしたちは邸宅の庭で寝そべっていたのだった。
「うぅ‥‥こう何度も起きたり寝たりを繰り返すのは単純にしんどい」
「あ、おはようミリア」
隣で寝ていたリーベルに「おはよう」と返す。アーデウスはまだ寝ているから触手で掴んで運ぶことにする。
そして、エンゼルの領地へ向かう為、わたしたちはまた足を運ぼうとするが‥‥‥
「あれ? どこ行くの?」
リーベルは足を止めて、邸宅の方を指差す。
「まだ何もしてないよ?」
「え?」
「え? じゃなくて、次の層に行く了解が欲しいから来たんだよね? 流石に私でも分かるよそれぐらい」
「いや‥‥は?」
「あれ? もう、ミリアったら忘れっちゃったの? おっちょこちょいさん」
いや、本当に何言ってるんだ?
ま、まさか‥‥‥
「リーベル‥‥まさかさっきのこと、本気で夢だと思ってるのか?」
「‥‥え? な、何言ってるの? 確かに寝ちゃってたけど‥‥だからこそだよ」
「じゃあ、どうしてわたしたちは眠らされたんだ?」
「そ、それは‥‥わ、罠! 罠だよ!」
流石に言ってることがめちゃくちゃだ。
いくらリーベルとはいえ、普段はここまでじゃない。
なんとなくだが‥‥リーベルは、さっきのことを夢だと思おうとしているような気がする。
「‥‥リーベル、夢の中でわたしにあんなことしてたんだな」
そう言うと、リーベルの顔がじわじわと赤くなっていって、全てを誤魔化すような笑顔をした。
だが、そんな笑顔をしたところでもう遅い。
‥‥なによ。現実では何もしてこないくせに。
「うみゃあ!?」
その時、アーデウスが奇妙な声を上げて起きた。
「な、なに? い、いやぁ」
アーデウスは「くふふ」と変な笑い声を上げながら、わたしの触手の中で暴れる。
仕方ないので触手から解放すると、突然――――バッ!!
アーデウスの服の中から、何かもふもふとした黒いものが出てきた。
そして、それは「にゃあ」と鳴いた。
「ね、猫‥‥?」
アーデウスが「ふひぃ」と疲れたように息を吐く。
そんな疲れを引き起こした原因は、真っ黒な毛並みが特徴の黒猫だった。
しかし、その黒猫‥‥少しおかしいところがあるとすれば‥‥‥
”尻尾が二又”だった。
「猫? 猫なのかこれ?」
わたしがその黒猫を抱き上げると、黒猫はぶら~んと宙吊りなってその伸縮性の高い体を伸ばしている。
‥‥かわいい。
「そ、そいつ‥‥メスよね?」
アーデウスが探るように聞いてくる。
そこまで気にするのかと少し呆れたが、「メス」だと答える。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
猫‥‥通常野生で存在している猫は、もちろん魔物なので見た目のかわいさに反してかなり凶暴だ。
すばしっこく、結構強い。
だが、この猫は何故だかわたしたちに敵意を持っていないようだ。そもそも、尻尾が二又な時点で本当に猫なのかも怪しいが‥‥地獄にいるわけだし。
「‥‥‥」
「ミリア?」
「ん~~~!!! もう無理!!!」
わたしはぶら~んと垂れ下がっている黒猫に思いっきり顔を押し付ける。
鼻で腹を撫でるように、何度も何度も押し付けて、その匂いで体内を埋め尽くした。
「にゃ」
黒猫はそう鳴くと、わたしの両目がその愛らしい肉球で押された。
なんて愛らしい‥‥こんなのご褒美だ。
とはいえ、こうやって肉球で押し返されているのは、嫌がられているのだと気付いている。
その時、黒猫がわたしの抱擁を抜けて、頭を足場にしてそのまま跳んだ。
華麗なジャンプは綺麗な弧を描いて、リーベルの元に辿り着く。
「わ!? なに?」
リーベルは跳んできた黒猫を抱きかかえると、黒猫はそのままリーベルの腕の中でリラックスした。
‥‥うらやましい。
「ゴロゴロ」
「わぁ、かわいい」
そんな風に喉を鳴らす猫。
それを抱きかかえるリーベル。
不思議なことに、わたしの中には猫を抱けることと、リーベルにかわいいと言われること、その二つの”やきもち”が存在していた。
そんなことをしていると、猫というものはやはり気まぐれで、リーベルの腕の中からもすぐに出て、どこかへ行ってしまった。
「はぁ‥‥とりあえず、行くか」
溜息をつきつつも、わたしたちは先に進む。
シェエプからの許可もあり、エンゼルが治める貴族領の第二層に辿り着いた。
貴族領に入る時とは違って、緩やかな坂を暫く下っていくと、先ほどとは少し雰囲気の違う街並みが見えてくる。
全体的にモダンな雰囲気なのは同じだが、住んでいる貴族悪魔たちの階級が上がったのか、オーラが違う。
というかこの貴族悪魔とかいうやつら‥‥あまりに強くないか?
流石に熾天使レベルは四大悪魔ぐらいしかいなさそうだが、それ以外の貴族悪魔たちのレベルは明らかに上級天使を超えている。
戦ったわけではないから、これまでの経験則でしかないが、貴族悪魔は最低でも上級天使クラスで、それ以上がゴロゴロといる。まぁ、数が少ないから意外と天界と地獄のパワーバランスは取れているのかもしれないが。
「とにかく、聞き込みだな」
おさらいすると、バウセルによれば殺魔事件が起きているのはエンゼルが治めているここ、貴族領の第二層だ。
というわけで、三手に分かれて、わたしたちは周りの貴族悪魔たちに聞き込みまくった。
その結果―――何も得られなかった。
「ど、どうして‥‥‥」
一度皆で集まって、報告会を始めるが、結局誰も成果を得られなかったようだ。
「何かよく分からないけど、事件のこと聞いたら全員‥‥し、知らない‥‥みたいな感じだったよ?」
リーベルが恐れる貴族悪魔の真似をするように、実際わたしの方もそんな感じだった。
「アーデウスは?」
「私? そうね、あそこのグラマラスなお姉さまがEカップだってことは分かったわよ」
自信満々に謎の報告をするアーデウスに、何を聞き込みしてるんだ‥‥‥と呆れつつも、状況を整理する。
「これは大事件の香りがするね‥‥」
「ま、まぁそうだな」
「やっぱりここは私たち調査員の出番だよ!」
どちらかというと探偵の出番な気もするが、生憎探偵はいないからわたしたちが探偵になるしかない。
とはいえ‥‥流石に疲れた。そもそもアーデウスとディアベルを温泉に誘いに来ただけなのに、ディアベルを探す羽目になって、更にはこんなにめんどくさいことになって‥‥まぁ、とりあえず休もう。
わたしの提案に二人も賛成してくれて、わたしたちは近くにあったホテルに入った。
だが、このホテル‥‥どちらかというと、”高級”ホテルって感じだ。そもそも、貴族領なんかに平民が一夜を凌ぐようなちんけな宿屋など無かったのだった。
チェックインを済ませて、ひとまず腹ごしらえにとホテルの中にあるレストランに入る。そして、席につくと、ウェイターの悪魔が料理を持ってきてくれて、それを口に運んでいく。
こういった場所でのマナーというものは、公爵令嬢であるわたしにとっては造作もない。完璧な所作、それこそ一枚絵のようなわたしの姿に、周りの悪魔たちも目が釘付けのようだ‥‥なんて。
「うぅ、量が少ないよぉ。お腹空いたのに」
リーベルはぐぅぐぅとなるお腹を押さえてながら、質を取り過ぎて量を捨ててしまったその高級料理を見る。
「ふふっ、見てこれ」
アーデウスは、グラスにワインを注いで、目の前に掲げると「君の瞳に乾杯」と澄ました感じで言った。
「わぁ、大人の女性だ!」
「でしょ~」
‥‥なるほど、先ほどから周りの悪魔たちからの視線が熱いと思ったら、これのせいか。
料理を食べ終え、お会計を済ませる為に伝票を確認する。
「え~っと‥‥‥ん?」
なんだこれ。ゼロが終わる気配が無い。
そう思って、ようやくゼロが終わってから再度確認をする。
‥‥流石は高級と言ったところか‥‥‥
「待て‥‥これ、なんの通貨だ?」
そこには見知らぬ通貨が書かれていた。
「あぁ、それは地獄の通貨よ」
「地獄の‥‥」
「そうよ? どうしたの? ‥‥あ」
アーデウスは何かに気付いたようだ。
そうだ。ここ、地獄じゃないか。
それで‥‥りょ、両替とかできるだろうか‥‥‥
「まぁまぁ、私に任せなさい!」
「え?」
アーデウスは胸元からすっ‥‥と、財布を取り出す。
「お、お前‥‥!!」
「ふふふっ。私、結構お金持ちなのよ?」




