97話:貴族領
「アーデウス‥‥アーデウス」
わたしの後ろで怯えているアーデウスに聞こえるように呼び掛ける。
「よく見てみろ。ほら」
アーデウスにバウセルの姿を見るように提案してみるが、アーデウスは「い、嫌よ」の一点張りで、完全にバウセルのことを男だと思い込んでいるらしい。
これ以上は埒が明かない。だから、わたしは触手でアーデウスの顔を掴んで、無理やりバウセルの方に向かせた。
「ほら、よく見たら分かるだろ?」
「‥‥Cカップ」
いや、そこじゃない。
ま、まぁある意味そこでも分かるかもしれないが‥‥‥
「そうじゃなくて、中性的な顔はしてるが、声からも分かるように‥‥女性だ」
アーデウスはバウセルが女性だと気付くと、安心したように溜息をつく。そして、わたしの後ろから出てくると、いつもの元気を取り戻した。
「あ、なんだなんだ。イケメン女子ね」
‥‥はぁ?
「でも私、イケメン女子は好みじゃないの」
「なんだ貴様。先ほどから無礼を通り越しすぎているぞ」
ごもっともだ。
とにかく、アーデウスが元気を取り戻したようで良かった。
そういえば、さっきバウセルはわたしのことを呼んだと言っていたような気がする。
当たり前だが、わたしとバウセルは初対面だし、いったい何の用なんだ?
「それで‥‥バウセル様。わたしに用とのことですが‥‥どのようなご用件でしょうか?」
相手は悪魔の貴族だから、一応丁寧な口調でいってみる。
「ふむ、貴様に頼みがあるのだ」
「頼み?」
「貴族悪魔連続殺魔事件」
連続殺魔事件?
殺魔‥‥つまり、殺人事件ということだろうが、どういうことだ? 全く話が見えてこない。
「近ごろ、貴族領の一部地域で立て続けに殺魔事件が起きている。地獄にいる悪魔は死なないが故に被害は出ていないが、だからといって見過ごせるわけではない」
「その事件の調査をして欲しい‥‥ということでしょうか?」
「そうだ」
事件自体も謎ではあるが‥‥それ以上に謎なのは‥‥‥
「どうしてわたしに?」
もう一度確認しておくが、わたしとバウセルは初対面だ。バウセルが人間なら、わたしの噂を知っていて頼んだのかもしれないが、バウセルは悪魔。もちろん、わたしのことは知らないはずだ。
「まさか、吾輩が貴様を知らないとでも?」
「‥‥?」
「ランタノイド家の令嬢。元最高位冒険者。現ギルドナイト。そして‥‥”魔王の転生者”」
‥‥ッ!?
ま、まさかそこまで知っているとは‥‥全部お見通しというわけだ。
だが、いったいどうやって知ったんだ? 天魔人条約のせいで、貴族悪魔は人間界には踏み入れられないはずだが‥‥‥
「しかし、そんなことはどうでもいいことだ」
「‥‥?」
「丁度困っているのだろう? もし、吾輩の依頼を受けるのであれば、貴族領に入ることを特別に許してやるが‥‥どうだ?」
流石は悪魔だ。
悪魔らしい‥‥契約。
「‥‥分かった」
少し心配もあるが、ディアベルを探す為だ。仕方ない。
それに‥‥憶測かもしれないが、この事件の犯人はディアベルな気がする。どうしてそんなことをしているのかは分からないが、むしろそれを知る為にも今回のバウセルの依頼はわたしたちにとって都合が良い。
「契約成立だ」
バウセルは暫く事件の詳細について話した後、わたしたちの後ろにいた悪魔たちに指示をする。すると、わたしたちはその悪魔たちに連れられて、別の場所に移動した。
そして、着いたのは‥‥巨大な穴?
目の前にあるのは、底が見えない暗闇で包まれた巨大な穴だった。
まさか、ここが貴族領への入り口?
次の瞬間――――
ボンッ‥‥
「‥‥え?」
巨大な穴の底を覗き込んでいると、突然後ろから軽い力が加わった。そして、わたしたちはそのまま穴に滑り落ちる。
何が起きたのかを頭で整理する時間も無く、一瞬で辺りが暗闇で包まれる。
ただ、落ちているという感覚だけが残り、他の感覚は奪われてしまった。
穴に落ちて暫く、恐らく十秒ほど落ちてからようやく視覚を取り戻す。
暗闇を抜けてからは一変して、強い明かりが刺激してくる。その明かりに目を細めるが、瞼の隙間から見える景色は、高級住宅街のような、それこそ貴族が住んでいそうな家々が立ち並ぶ美しい街だった。
‥‥って、今は景色に感動してる場合じゃない!
今、わたしたちは落ちている。それも物凄いスピードで。
すぐ横を見れば、悪魔にも関わらず神に祈っているアーデウスと、少し楽しそうにしているリーベルがいた。
「あぁ、神様。助けてください。私、まだディアのおっぱいも見てないんですぅ!」
「わぁ、お空飛んでるみたい!」
いくらなんでも自由過ぎる。
そろそろ地面が見えてきた。
わたしは地面に衝突する前に地面から触手を出して、落ちるわたしたちを包むと、そのまま落下速度を緩めながら下ろしていった。
そうして、わたしたちは九死に一生を得たのだった。
「あ、危なかった‥‥‥」
「あぁ、神様。この命に感謝感謝‥‥」
いや、わたしに祈るな。
にしても、あの悪魔‥‥次会ったらぶっ叩いてやる。多分、地獄の悪魔は死なないから、これだけ落ちても問題ないとでも思ってるのかもしれないが、わたしとリーベルは全然悪魔じゃないから普通に死んだかもしれないのに‥‥‥
「ミリア!」
突然、リーベルに名前を呼ばれて、そっちを見る。
「助けてくれてありがとう」
いつもみたいに何か見つけたからそれをわたしにも見せようとしたのかと思ったが、ただ「ありがとう」とだけ言われた。だから、「どういたしまして」と返す。
「とにかく、バウセルに教えてもらった場所へ進むぞ」
「うん」
リーベルに手を差し出すと、その意図を察してくれたのか手を重ねてくれる。
そうして手を引きながら、わたしたちは進んでいく。
バウセルによれば、今回の事件が起きているのは四大悪魔の”天鳥の悪魔シエスタ・エンゼル”の領地らしい。
そもそも貴族領は階層ごとに分かれており、それぞれを四大悪魔が管轄しているとのこと。
先ほどまでいたところがバウセルの管轄している堕命層で、そこよりも深い場所にあるのが貴族領ということだ。
そして、今わたしたちがいるのは貴族領の第一層で、四大悪魔の”夢羊の悪魔シェエプ・ドリーム”が管轄しているところ。わたしたちが目指しているのは第二層になる。
「―――うげぇ、半分ぐらいおとこ‥‥‥」
アーデウスが周りにいる男性の悪魔に怯えながらそう言うが、そもそも男女率は普通一対一であり、半分が男なのは当然のことだ。どちらかといえば、女性しかいないアーデウスの領地の方がおかしい。
「最近気になったんだが、女性が好きなのはいいとして、どうしてそんなに男性が嫌いなんだ?」
「そんなの、考えるまでもないじゃない」
わたしが質問をすると、アーデウスに嫌な顔をされる。
そして、当然かのように言われて唖然としてしまう。
まぁ、人の趣味にあれこれ言うのは良くないか‥‥と思いつつも疑問が出てくる。
「こっちから誘っておいてなんだが、どうして付いてきたんだ? お前の領地を離れたら、男性がいるのは当たり前だぞ?」
「そんなの分かってるわよ」
アーデウスの表情が途端に暗くなる。
それを見て、この話題を避けるべきだったと後悔したが‥‥‥
「でも、そんなことで二度とディアと会えなくなる方が嫌よ」
そんなことを言われてしまって、納得をせざるを得なくなった。
「よし、じゃあとっととディアベル見つけて温泉行くぞ~」
少し気合を入れる為に、リーベルと手を繋いでいない方の手を「お~!」という掛け声と共に伸ばす。リーベルも同様にして気合を入れて先に進むが‥‥‥
「え!? 温泉!?」
アーデウスがその単語に引っ掛かる。
「そういえば言ってなかったね」
そういえばそうだった。
「温泉‥‥温泉‥‥ふ、ふふふっ」
うぐっ、なんか嫌な予感がする。
「っしゃあ! 温泉温泉!」
アーデウスの気合がめちゃくちゃ入った。
まぁ、その理由はなんとなく分かるが‥‥考えないことにした。
そんなこんなでわたしたちが今向かっているのは、シェエプがいる邸宅だ。
どうしてかというと、エンゼルの管轄している領地、つまり第二層に向かう為には第一層を管轄している悪魔の了解が必要だからだ。
わざわざ面倒な‥‥とも思うが、バウセルによれば貴族領のセキュリティを上げる為とのこと。
貴族悪魔自体、地獄が誕生してから存在しているかつ、72体しか存在しない非常に高貴な存在である上に、第一層、第二層、そして更に第三層を抜けた先にある最下層には、王が住んでいるらしい。
そして、この王は言い換えると―――”神”ということになる。
「―――よし、着いたな」
目の前にはどすんっと大きな邸宅が立ち構えている。
「ところで、なんて言えば入れるんだ? 普通にエンゼルの領地に行きたいからでいいのか?」
「さぁ? 流石に私でも知らないわよ?」
どうしたものかと悩んでいると、リーベルが「ねぇ」と言って提案する。
「このお家のシェエプって悪魔さんはアーデウスのお得意様なんでしょ?」
「そうね。シェエプはよく私の作品買ってるわよ?」
「じゃあ、アーデウスがいるって言ったら入れてくれるよ!」
そう言って、リーベルは間髪入れずに門についてあったインターホンを押す。
本当にそれでいけるのかと思いつつも、ピンポーンと鳴ってしまったものは仕方ない。
「はい‥‥です」
以外にも、応答があった。
「どちら様、です?」
「アーデウスいます!」
質問に対してよく分からない回答を元気よく言うリーベルに、当然向こうは「ん?」と微妙な反応になる。
「え、えっと‥‥エンゼルの領地に行きたくて‥‥」
もう正直に答えることにした。
「あ、分かりましたです。では、門を開くから、入るです」
その言葉通りに門がギィィと金属音を鳴らしながら開いて、わたしたちは中に入る。
にしても、この邸宅少し変だ。
貴族、それも四大悪魔と呼ばれるような存在の邸宅に庭師の一人もいないのはおかしい。お客が来たのにメイドも執事も出迎えてこないし。
まぁ、人間とは多少常識は違うだろうから、仕方ないのかもしれないが‥‥どちらにしても、静かすぎる。
「ミリア‥‥」
「‥‥?」
覇気のない呼び掛けに振り向くと、ふらふらとしたリーベルがいた。
「リーベル?」
リーベルの揺れは段々と激しくなっていって、そのまま‥‥パタンッ。倒れてしまった。
「リーベル!」
リーベルの元に駆け寄って支える。
「‥‥? これ‥‥寝てる?」
その時、隣からもパタンッと倒れる音がして、今度はアーデウスが倒れた。
目を凝らしてよぉくアーデウスの方を見ると、アーデウスも寝ていた。
「これ、何が起こって‥‥」
その時、ぐわぁんと視界が揺れた。
頭がぼやけてきて、瞼が異常なまでに重くなってくる。
そして、ぷつりと意識が途絶えた。




