96話:月狼の悪魔
「こ、これ‥‥あとどれくらいかかるんだ?」
わたしたちは貴族領に向かうため、堕命層の領主である貴族悪魔で”四大悪魔”の一人、月狼の悪魔バウセル・ドージに会いに来ていた。
だが‥‥バウセルの邸宅の前には、底なし沼のような果てしない暗闇へ続く長蛇の列があったのだ。
人間界であれば天翼の紋章を見せることで列に並ぶことなく進めるが、ここは地獄。もちろん、天翼の紋章は意味を成さない。
そのせいか、列に並んで既に三時間は経っているような気がする。いや、実際は十分も経っていないはずだが、単に列に並び慣れていなくて疲れてしまった。
その間、アーデウスから貴族悪魔に関する情報を聞いていたから、お陰でバウセルに会う前からもう既にある程度詳しくなってしまった。
「はぁ、どうしてこんなに並んでるんだ」
「仕方ないわね。ドージ邸って、お家ってよりも市役所みたいなものだから。堕ちてきた人間の管理とか、新たに悪魔になった者たちの住民票の発行とか‥‥まぁ、とにかくいろいろとあるの」
なるほど。
つまり、この長蛇の列ができている原因は、いろんな奴がいろんな目的を持っているからか。
「だとしても並びすぎだろ。もう少し業務の効率化とかないのか?」
「今は繁忙期だから」
「どうして?」
わたしがそう聞くと、アーデウスはクスッと笑う。
「勇魔戦争でどれだけ人が死んだと思ってるの♡」
アーデウスは冗談っぽく、わたしの鼻につんっと触れてそう言ったが、内容は全く冗談じゃない。
少なくとも戦争から500年は経っているはずなのに、それでもまだまだということは、本当にそれだけの命が犠牲になったんだろう。そう思うと、やはり心が痛い。
「まぁまぁ、気軽に行きましょ。そのためにもほら」
そう言って、アーデウスは一冊の小説を渡してきた。
タイトルは『サキュバスさんは私のことが好きすぎる!』。
タイトルはまぁいいとしても、表紙が‥‥なんというか、際どい。
物凄く‥‥ふ、ふくよかで際どい服を着た悪魔の女性が小さな女の子を抱き締めている表紙だ。
「これで暇つぶしよ」
ま、まぁいいか。
先ほどから隣にいるリーベルも、アーデウスに貰った小説を熱心に読んでいるし、わたしもこれを呼んで暇つぶしでもしてるか。
ふむふむ。ある日、独りぼっちで暮らしていた主人公の夢の中に、突然サキュバスが現れる。そして―――キス!? をされてしまう。
その日から、主人公はサキュバスのことが頭から離れなくなってしまい、毎晩毎晩夢の中にそのサキュバスが出てくるのを待つようになる。
そんな日々が続いて、主人公は次第にそのサキュバスに会いたくなってしまう。しかし、悪魔であるサキュバスに会うことは叶わず、それでも夢の中で出会えることが嬉しくて‥‥‥
その時、わたしの瞳から、ぽつり、と一滴の涙が落ちた。
「―――ん? ど、どうしたの!?」
「うぅ」
「な、なんで泣いてるの?」
わたしが泣いている理由を聞いてくるリーベルに、今読んでいた作品の素晴らしいところを熱心に説明した。
「そ、そんなに感動的な話だったんだ‥‥てっきり、ギャグ作品かと思ってた」
「そうよ。主人公は死んだらサキュバスに会えるって言うけど、サキュバスは主人公に死んで欲しくなくて、でも会いたくて‥‥グスッ」
「そうよね。私もそこがこの作品の一番いいところだと思ってるの」
アーデウスには感謝しなければならない。
こんないい作品に巡り合わせてくれたことを。
「どう? 良かったでしょ」
その問いに、もちろん「うん」と答えようとすると、アーデウスが「私の作品」と付け加えてきやがった。
‥‥作者お前かよ。
そんなこんなしていると、ようやくドージ邸に着いた。恐らく、百時間は待たされたと思う。‥‥いや、実際は一時間ぐらいしか並んでいない。
ドージ邸に入ると、その中ではまた別々の列に分かれており、わたしたちは、貴族領に関する物事を処理する受付窓口に並んだ。
そうしてまた十分程度並んで、ようやく待ち時間が終わった。
「今回のご用件は?」
「貴族領に行きたくて」
貴族領に行きたい‥‥こんな簡単な言い方でいけるのだろうか?
「では、こちらの書類に滞在目的と滞在期間などを記入してください」
アーデウスのところのあのカウンターの悪魔とは違って、窓口の悪魔は丁寧に書類を渡してくれた。
まぁこうなるか。
とはいえ、この書類さえ書くことができれば貴族領に入れるのか。思ったよりも楽ちんだな。
書類には、様々な項目が並んでいて書くのに少し時間がかかるが、特に問題はなかった。ただ、滞在目的のところになんと書けばいいか悩んでいたら、アーデウスが「愛を探すため」とよく分からないことを書いた。
「あ、愛を探すため‥‥とは、なんですか?」
もちろん、窓口の悪魔に突っ込まれる。
「言葉通りの意味よ」
「そ、そうです‥‥か。わ、分かりました。こちらで受領いたしますので、バウセル様の承認をお待ちください」
‥‥ん?
また待たないといけないのか?
「その承認っていうのは、どれぐらい‥‥‥」
「えっと、早くて一か月ほどになります」
な、なんだと‥‥‥
それは困る。わたしたちは温泉に誘いに来ただけなのに、それだけ時間を掛けるのはいくらなんでも無理だ。
どうにか早くできないかとドギマギしていると、アーデウスが手を貸してくれる。
「こ、れ」
「はい?」
そう言って、アーデウスは窓口の悪魔に一枚のチケットを渡した。
「なんですか?」
「私の店の割引券よ」
「‥‥なるほど。賄賂ですか‥‥」
少し苦い顔をする窓口の悪魔にアーデウスは笑顔で答える。
普通に賄賂はまずいが、相手も悪魔だからかそれについてはあまり言及されなかった。それよりかは‥‥‥
「こんなもの、いりません」
「えぇ!?」
きっぱりと断われてしまったアーデウスはどうして!? と言わんばかりの表情をしている。
「あなたのお店に行く趣味はありません! そんなことより、アーデウスさんは上司として私の妹に家に帰るよう言ってください!」
「え、えぇ?」
「ここ数週間、あの子ったら家にも帰らずあなたのお店で寝泊まりしてるんですよ!? 私はずーっと帰りを待ってるのに‥‥‥」
なんだか話がズレていっているような気がする。
ただ、どの方向にズレているのか分からないから、話についていけない。
「あ、あぁ! あなた、うちの受付の子のお姉ちゃんね」
「そうですよ!」
え!? この受付の悪魔、カウンターの悪魔の姉なのか?
なんだその情報は‥‥‥
「わ、分かったから。帰るように言ってあげるから」
「絶対ですよ」
受付の悪魔はアーデウスに何度も「絶対」と言って釘を打つ。
その時、後ろの方から「早くしろ~!」と急かす声がして、わたしたちは結局待つことになってしまった。
「―――はぁ」
側にあった椅子に座って、どうしようかと溜息を零した。
「はぁ、困ったわね」
「というか、賄賂はダメだろ、賄賂は」
「そう? いけると思ったんだけど。この世に女の子が好きじゃない女の子なんていないから」
流石に偏見が過ぎるだろ‥‥‥
「まぁ、仕方ないわね。確かあの子、ド級のシスコンだから」
「‥‥は?」
意味の分からないことを言うアーデウスに呆れていると、リーベルがパタンッと本を閉じた。
「ふぅ、面白かった」
「もう読み終わったのか?」
「うん」
リーベルはつい先ほどアーデウスに貰った小説をもう読み上げたらしく、わたしに感想を述べた。
「い、一応聞いておくが‥‥その、”いけない”シーンとか無かったか?」
「いけないシーンって何?」
「いや、無いならいい」
わたしが読んだやつは、感動的な内容ではあったが、少し‥‥え、えっちだった。
まぁ、アーデウスの書いたものなのだから当たり前かもしれないが、だからこそリーベルが呼んだやつにもいけないシーンが無かったか心配になってしまう。
「ふふっ、心配しなくても、エルフちゃんに渡したのにセックスシーンはないわよ」
アーデウスがストレートに言うものだから、恥ずかしさでわたしの体が少し火照った感覚がした。
「その作品、書いたのは私だけど、原作は私じゃないの」
「どういうことだ?」
「う~んと‥‥昔、好きだった物語があって‥‥それを思い出す為に書いたものなのよね。もちろん、そのまま売ったら盗作になっちゃうから、非売品なんだけど」
珍しくアーデウスが遠い目で、少し悲しそうな表情を浮かべている。
いつもは感情の爆発に任せるように泣き喚くアーデウスとのギャップが妙な真剣さを醸し出していていた。
「あ、あの!」
その時、突然窓口の悪魔がわたしたちのところにやってきた。
「お三方、申し訳ありません」
え? もしかして、やっぱり「愛を探すため」なんていう意味の分からない滞在目的じゃ、バウセルに見せるまでもなく却下ということになったのか?
「その‥‥バウセル様がお呼びで‥‥‥」
「‥‥え?」
そう言う窓口の悪魔の背後には、二人の身分の高そうな悪魔が立っていた。
そして、わたしたちはその悪魔たちに奥の部屋へ連れていかれた。
そうして暫く移動し、一つの豪勢な部屋の前で待たされる。
悪魔たちは部屋の扉をノックし、返事があることを確認すると、部屋の扉を開いた。
そして、扉が開かれていき、部屋の内部が次第に露になると同時に、その中にいる圧倒的な存在を感じ取る。
そこには、灰色に線のように混ざった黒色の髪を持ち、暗闇から覗いているような黒の瞳。そして、見た目だけで言えば狼の獣人族のようにも見える、頭と腰に生えている大きな耳と尻尾。
間違いない‥‥こいつが、月狼の悪魔バウセル・ドージ。
「いやぁぁぁぁぁ!!!!」
な、なんだ!?
その時、突然アーデウスがわたしの背中に隠れる。いや、どうしてわたし? 小さいわたしよりかはリーベルの方が‥‥って、そんなことはどうでもいい。
どうしたんだアーデウスは‥‥‥いや、待て。なるほど、そういうことか。
「お、おおおおおとこよ」
深淵のように深い溜息をついた。
「いや、知らなかったのかよ」
あれだけ貴族悪魔に詳しいみたいな感じだったから、てっきりバウセルが男性だと分かった上で来ているのかと思ったが、全然そんなことなかった。
「だ、だだだって‥‥女の子じゃないなら、それほど詳しくは調べないわよ」
そんな当然みたいに言われても困る。
だが、先ほどから酷く震えていて‥‥ここまでくると、流石に心配になるな。
「貴様」
その時、バウセルが口を開いた。
「先ほどから無礼だぞ。吾輩を誰だと思っている」
「ひぃ!」
ま、まぁ失礼なのはごもっともだが、わたし個人としてはアーデウスの味方になってやりたいし、ここはわたしが‥‥って、待てよ。
「ふん! 貴様、業魔のアーデウスか。いくら業魔であろうと、貴族悪魔である吾輩には敬意を払う必要がある」
アーデウスは怯えていて気付いていないようだが‥‥‥この声の高さ。
「元より、アーデウス、貴様を呼んだのではない。吾輩はその黒髪の娘を呼んだのだ。これ以上無礼な真似を続けるようなら、追い出すぞ」
間違いない。
バウセルは‥‥女性だ。
 




