9話:結婚式の影
「よくぞ帰ってきてくれた! 我が愛しの娘よ」
「うん‥‥ただいま、パパ」
彼は‥‥彼女の父親、つまり現在のエルフの王か。
彼女、寝言で母親に会いたいとは言っていた割には父親と再会してもあまり嬉しくはなさそうだ。
父親の様子を見る限りそれほど悪い奴には見えないが。まぁ、娘が父親と仲良くしづらいのは理解できなくもない。
わたしは今、この結婚式の調査をしている。
闇魔法で自ら影となることで影の中に紛れ込み、彼女の後をつけ今に至る。あまりいい事ではないが、そんなことは今更だ。もちろん、何もないのならこのまま帰ることにする。
「パパ‥‥ママはどこにいるの?」
「アイベルかい? そうだね‥‥すまないけど、その前にもう婚約者が挨拶しに来てくれていてね」
王は扉の方に呼び掛ける。すると、部屋の扉が開かれて、そこから一人の若いエルフの男性が入ってきた。
「こちら、キミの婚約者のイシュタルテ君だ」
「初めまして、リーベル様。イシュタルテと申します」
このイシュタルテという青年、澄んだ瞳を持っている。
決して悪い奴には見えないが、わたしが引っ掛かったのは”初めまして”という挨拶だった。
「‥‥どうも」
彼女はイシュタルテから目を背けたまま返事をした。
「リーベル! イシュタルテ君に失礼だぞ!」
「僕は大丈夫です王様。きっと、リーベル様も緊張されているんです。今は、ゆっくりとさせてあげましょう」
「イシュタルテ君がそう言うのなら構わないが‥‥」
イシュタルテは突然声を張り上げる王をなだめて、彼女の方に目を向ける。
緊張している、というよりただ困惑しているだけにも見える彼女に優しく微笑みかけると、落ち着いた口調で話し始める。
「リーベル様、その‥‥お気持ち、お察しします。こんな時に挨拶するべきではないと思ったのですが‥‥その、お父さん‥‥じゃなくて、長老が行けとうるさくて‥‥あはは、これだと言い訳ですよね」
この青年、長老の息子なのか。いよいよきな臭くなってきた。
とは言っても、これぐらいならよくあることだ。そもそも、長老は彼女を女王にして扱いやすくしたいのだから、自分の息子を彼女と結婚させること自体は合理的だ。
それ自体が気分の良い事ではないのは間違いないが。
それよりも、また一つ引っ掛かることがあった。
”お察しします”
その言葉は、奴隷となってしまって怖い思いをした彼女を慰める言葉のようにも思えるが、先ほどからずーっと残っている違和感が別の考えをもたらしてくる。
それは嫌な予感となって、わたしを動揺させた。
そして、その嫌な予感は的中した。
イシュタルテの挨拶が終わった後、王は彼女をとある場所に連れて行った。
そこは‥‥墓だった。
墓碑にはアイベル・リュミエールと書かれている。
「‥‥ママ」
彼女は膝から崩れ落ちた。膝を引きずりながら墓石に触れた瞬間、その冷たさが彼女に母の死を告げるようだ。
彼女は悲しみよりも絶望が先行してか、涙すら流せずにいた。
違和感。先ほどから何故か彼女の母親、つまり女王が出てこないということだ。
親切なエルフの”今は女王がいない”という言葉を聞いた時から妙だとは思っていたが、死んでいるなんていう嫌な予感は現実になって欲しくなかった。
「あぁ‥‥リーベル。その、すまないね」
王の軽い口から発せられた謝罪は、彼女に対して謝るべきことがあるにも関わらず、何に対して謝っているのか分からない身勝手なものに聞こえた。
‥‥はぁ、この父親。あれだ‥‥クズだ。どう考えても、彼女にもっと早くこのことを伝えるべきだったのに結婚の挨拶を優先した。それを勧めたあの長老も‥‥‥
その時、わたし自身も人のことを言えた立場ではないことに気付いた。
ほんの短い間でも、彼女が母親に会いたがっていたことは知っているはずだった。今の彼女の反応もそれを示している。
それにも関わらず、大切な母親を亡くしたばかりの彼女に対してわたしが里を出る時に取った態度は、この父親の利己的な行動とそう変わらないことだと思い知る。
失敗をした。彼女ともう少し居てあげるべきだった。
今更そんなことに気付いてしまった。
少なくともわたしのことを友達と呼ぶぐらいには信頼してくれていたのなら、もう少し側にいてあげればせめて彼女に支えの言葉をかけてあげられたはずなのに‥‥‥
分かっていたはず、そのはずだった。孤独がどれだけ苦しいか、そんなことは誰よりも知っているつもりだったのに‥‥わたしはちっとも彼女の心を理解していなかった。
いや、今は後悔している暇なんてない。
わたしは唇を噛み締めて未だ後悔という逃避をしている自分に戒めを与えた。
魔道具の指輪に、魔王の残滓‥‥この結婚に対して、この父親と長老。間違いなく何かある。もう少し、この二人について探るか。
「‥‥もういい、今日は帰る」
彼女は泣く気力すら無かったのか静かにそう言い捨てて帰って行った。
「リーベル様!」
「イシュタルテ君。今は一人にしてあげてくれ」
「‥‥分かりました」
深夜、辺りは更に暗くなり、誰もいない夜は沈黙した。
さて、そろそろだ‥‥‥
今回の場合、里のエルフたちは結婚式について何も不思議には思っていなかった。つまり、やつらはかなり慎重ということだ。仮に秘密の話をしているとしたら、それはこの夜のような誰もいないと確信できるような時間‥‥そして、場所。
王の後をつけていると、王は途中で長老と合流し、初めにわたしたちを迎え入れた応接間に向かった。
――――なるほど。
応接間にいた者を見た瞬間、全てを理解する。
「おや、おやおや‥‥遅かったですねぇ。このワタシを待たせるとは、なかなかいい度胸をしている」
応接間には先客がいた。純潔を意味する美しい四枚の白い翼、頭の上には光輪が輝き、金色に輝く瞳でこの世の真理を覗く種族。
――――天使
天使は500年前の魔王の侵略を凌ぎ、支配を逃れた数少ない種族の一つ。その背中には天使の証拠となる翼が生えており、下級天使、上級天使、熾天使の順番で、二枚、四枚、六枚と増えていく。
人間の貴族たちは例外なく天使を崇拝しており、爵位の高い貴族ほどより高位の天使を崇拝し、天使の加護を受けている。逆に言えば、天使の加護を受けなければ貴族になれない。
そして今回の場合、四枚の翼、つまり上級天使ということは、伯爵か侯爵のところの天使だ。
しかし、何故ここに天使が?
天使は人間の味方ではあるが、魔物のことはかなり敵視しているはずだ。魔物であるエルフの元に現れたということは、間違いなく何かある。
「エ、エスタル様‥‥‥申し訳ありません。娘が少しグズッてしまいまして‥‥‥」
「言い訳は聞きたくあーりませぇん。いいですか? ワタシはあくまであの”指輪”があるからあなたたちのような下等種族と協力してあげているだけで、あなたたちが下等種族であるということは変わりないということを、その心に留めておきなさい」
「‥‥‥はい、かしこまりました」
指輪‥‥やっぱり関係している。ということは、指輪の魔王の残滓が狙いである可能性が高い。天使なら魔王の残滓のことも把握しているはずだ。
「それで、エスタル様。今回の計画が成功すれば、本当に‥‥本当に‥‥私にあの光属性を与えてくださるのですよね?」
「えぇ、もちろん。ワタシは気高き天使、しかも”上級”天使。約束を破るなど、下劣な悪魔がする行為です。安心しなさい、光属性の魔法はもとより我ら天使のもの。あなた一人に与えることなど造作もない」
「おぉ! 感謝いたしますエスタル様」
‥‥‥なるほど、王はそれが狙いか。つまり、王は天使の計画の協力をして光属性を手に入れ、この里を支配する純粋な王族になりたい。そして、長老は彼女を女王にして、扱いやすくしたい。最後に、天使は魔王の残滓で‥‥‥
「さて、その前に‥‥‥先ほどから、無礼にもワタシたちの話を盗み聞きしているネズミがいるようだ」
な!? まさか気付かれて‥‥‥
=天界の光=
天使の光輪が輝き、辺りを強く照らす。
「見つけましたよ」
光で影が消えて‥‥‥!!
「何者だ! 長老、その者を地下牢へ」
「かしこまりました」
長老はわたしを魔法で拘束し、そのまま地下牢まで連れて行った。
――――ガンッ!!!
いて‥‥はぁ、もうちょっと丁寧に運んでほしいものだ。
「アッハッハッハ!! まさか、ケガレつきが掴まるとは‥‥‥あぁ、なんてワタシは幸運なんだ。‥‥はぁ、お前たちはもう行っていいぞ。このアバズレの面倒はワタシが見よう」
天使の命令に従い、王と長老は去って行った。
それを確認し、その重そうな翼を揺らしながら振り向いてわたしの方に体を向けると、天使とは思えない悪魔の形相でわたしを見つめた。
「さて、ケガレつき。貴様のことは覚えているぞ」
「どうした、やけにイライラしてるみたいだ」
「言葉を慎め! 下等種族が。貴様が邪魔をしなければ、ワタシの手下があのエルフを連れ戻していたというのに‥‥‥貴様、貴様のせいで! わざわざこのワタシが出向く羽目になった」
そうか、こいつ彼女を拉致しようとした貴族の天使なのか。道理でさっきからイライラしているわけだ。
ひとまず、こいつから情報を引き出すために鎌をかけてみるか。
「それで? 天使。あの魔王の残滓を使ってどうするつもりだ?」
「ほぉ? その言葉を知っているとは。だが知っていたところで何だ?」
まだだ、もっと情報が欲しい。
「魔王の残滓、あの力は絶大だ。もし、あの力を我が物にできれば”熾天使”になるのも夢じゃない‥‥‥」
これでいけるか?
熾天使。その名を口にした瞬間、その天使の目つきが変わった。翼を羽ばたかせながら、興奮した様子で拳を掲げた。
どうやら、成功だ。
「そうだ! 熾天使‥‥あぁ、何て素晴らしい響き。ワタシもあの方たちと肩を並べたい。そして、このワタシにはその資格がある! 間違いない、必要なのは機会だけだ。あのエルフの小娘が指輪をはめれば、魔王の残滓があの小娘に流れ込む。だが‥‥‥ただの小娘ではその力には耐えられまい。あの小娘は消え去り、魔王の残滓だけが残る。そして、その力をこのワタシが手に入れれば、ついにワタシの悲願が叶う‥‥‥あぁ、何と素晴らしい計画」
ただ調子者なだけなのか、それともそれだけの自信があるのか、それは分からないが計画の全貌を話した天使に微笑が零れる。
「何だ、何がおかしい」
「いや、お前‥‥自分で指輪をはめればいいものを、そうしないということは‥‥あの指輪を起動できるほどの力がない、ということだろう?」
少し指摘してやる。そうしたら、天使の顔が歪み、わたしを更に強く睨んだ。
=天界の槍=
ドォン!!!
「黙れ、下等種族。それ以上口にしたら‥‥‥殺す」
荒れる天使の槍はわたしと天使を隔てる檻を壊し、そのままわたしの顔ギリギリを掠める。
「そう‥‥‥攻撃を当ててから言え、傲慢天使」
天使はわたしと会話するのが不快になったのか、その場を去った。
さて‥‥‥この程度の拘束魔法でわたしを止められると思うな。
バリンッ!!
何が結婚式だ。誰も彼女のことなんか考えていない。いや、それはわたしもか‥‥‥だが、もう同じ愚行は繰り返さない。
この世界、わたしも含め悪ばかり。なら、全部壊す、壊し尽くす。悪には悪の制裁を‥‥‥だ。




