06 苦悩する剣聖
テーブル席にやってきた男性客はとても大きな体をしていた。
あまり来ないタイプの客だ。部会の兵士の、濃い緑色の制服を着ている。
さっき注文した、オレンジのお茶を飲みながらオレンジタルトを食べていた。
兵士の間では、喫茶店で甘いジャムのお菓子を楽しむことを、軟弱であるととらえる人間が多い。だから敬遠している人が多いのだが。
「すみません」
彼が手をあげた。
「はい、なにか」
「いちごのケーキと、お茶をもう一杯いただけますか」
「はいただいま」
さっきから丁寧な言葉づかいと、あまり食器の音も立てない食べ方で、僕は好感を持っていた。
兵士という先入観による好感であることは自覚していたが。
「どうぞ」
「どうも」
彼は深くため息をついた。
「すみません、なにか商品に、お気に召さない点がございましたか?」
僕が言うと、彼はブルブル首を振った。
「いえ、とんでもない。素晴らしい味で満足しています」
「それはよかった」
「……ここでは、スキルに関する相談をしていただけると聞いたのですが」
小声になった。
「ええ」
「実は、スキルを消すかどうか、迷っているんです」
僕は席についた。
彼はジェフと名乗った。
「武会の方ですよね?」
「はい。兵士をやっています」
「戦闘に関するスキルですか?」
「剣聖スキルです」
ジェフさんはあっさり言った。
それは本当のことだった。
剣聖スキルは、非常にレベルの高いスキルで強力なものだ。
剣技に関する膨大な無数の知識が頭に入り、実際に使うためにはどうしたら良いのか、コツは、といったことを理解している。また、新しいことでも従来の知識に照らし合わせ、多角的に検証し、すぐに理解ができる。
頭の中でデータベース化されていて、自由に検索したりすることもできるようだ。
おまけとして、体を鍛える方法も知っている。
「スキルの中でもかなり強力な部類で、兵士に最適だと思いますが」
「はい。3ヵ月前に得たスキルなのですが、それを使って、いまではこの町の武会最強と呼ばれるまでになりました」
「それはすごい」
ジェフさんは首を振った。
「……なんだかズルしているみたいで」
「そんな」
「それに自分は、町の人が平和で暮らせるように努力をし、たまに甘いものを食べ、いずれは愛する人と家族をつくり、平和に暮らす。それが望みです」
「いいですね」
「ですが今回、王都に行くことになりました。世界最強を目指し、貴族の美女と結婚し、名声、権力、富を得ていく、そういうことを目標に持つようにしなければならないそうです」
「あまり、気がすすまないようですが」
ジェフさんは、ため息をついた。
「日々、助けを求めている人がいます。そういう人を自由に助けるためにはそれなりの地位に立つ必要があります。兵士は自分の思う通りには動けないんです。さらに、後進を育てる必要もあります。やらなければならないことはたくさんあるんです。自分は武会に命を救っていただきました。だから、やらなければならない。でも、やりたくない……」
「なぜでしょう」
「自分はそんな力を持っているはずの人間ではないのに、スキルを手にしただけで、こんな、割り込みをするような成長をしてしまって。自分はなんてことのない、どこにでもいる、ただの人間なんです」
ジェフさんは首を振った。
「このお茶はいかがですか?」
「えっ」
ジェフさんは顔を上げた。
「ええ、とてもおいしいです」
「店長は、その方面のスキルがないのですが、工夫と研究をして、おいしいいれ方を調べ、実践しています」
「素晴らしいです」
「ときには、スキルを持っている人よりもおいしいお茶をいれられることもあるそうです」
「努力のたまものですね」
「スキルというのは、それだけで完結することはありません」
僕はお茶を飲んだ。
オレンジの清々しい香りがした。
「剣聖を持っていても、剣を振らない者は強くなりません。技を知っているだけでは使えるとはいえません。あなたは相当努力をしているはずです。聞いた話ですが、肉体強化効果などは、ないはずです」
「はい」
「例えるならば、あなたは素晴らしい師匠に毎日見てもらっている。それだけです。あなたの力は、あなたの努力です。もうすこし、自分のことを認めてあげてもいいんじゃないでしょうか」
「自分は……」
彼は、すっかり止まっていた手を動かし、ケーキを口に運んだ。
「おいしいです」
「よかった」
「ケーキくらい、好きに食わせろと思った日を思い出しました。スキルに目覚める前です。努力して、教官から初めて一本を取れました」
「王都には、化け物みたいな剣士がたくさんいるそうです。それこそ、なんのスキルも持たず、努力だけで成り上がったような。剣聖スキルを持たずに一番の力を手に入れたような」
「そんな人が」
「まだ、なにも始まっていませんよ」
ジェフさんは、また来ます、と帰っていった。
「剣聖か。すごいな。また来るかな。寄付とかしてくれないかな」
「店長」
「冗談だって」
「……来ると思いますよ。剣士として、かどうかはわかりませんけど」
「あれ? やる気出しそうだったけど、辞めそうなのか?」
「というか、あの人剣聖スキルじゃないですよ」
僕はお茶を飲んだ。
「武聖ですね。僕も初めて見ました。剣に限らずあらゆる武器、もしくは素手での戦い方を知っているみたいですよ。いまは剣聖って言われてるから剣のことばかり考えてるんでしょうけど」
「教えてやらなくていいのか。ほら、いつもみたいに、剣以外でも強い、ってことに気づくように誘導してやってさ」
「うーん」
「面倒か?」
「そうじゃなくて、誰か、師匠的な人が管理してるかもしれないじゃないですか」
彼は、剣聖、というだけでも、自分では扱えないと持てあましているくらいだ。
もっとスケールの大きいものだと教えたら、それこそせっかくの才能が消えてしまうかもしれない。
「彼ひとりの人生っていうだけじゃなくて、町が救われるかどうか、みたいな重要な話になるかもしれない。僕が扱える範囲じゃないですよ」
「要するに面倒なんだな?」
「責任が重すぎる話は、協会と武会でお願いしますってことですよ」
「要するに、面倒なんだろ?」
「まあ、あとで状況を確認するくらいはしてもいいですけど」
「面倒か」
「うるさいなあ! 面倒くさがってるのは店長でしょうが。第一、またお茶の仕入れに行かなかったでしょう」
店長が目をそらした。
「だって、もうあのお茶飽きたから」
「お客さんに出すんだよ! あんたが飲むんじゃないんだよ!」
「そういえば新しいお茶のいれかた考えたんだ。飲んでみてくれ」
急にカウンターに行くと、大きなビンを持ってもどってきた。中には濃い緑の液体が入っている。
コップに出された。
「いや、こんなもの出されても」
「まあまあ」
「いやだから、は? うっま。え、うっま」
甘酸っぱいフルーツのような味わいだが、それは最初だけですっと消える。
香りも、いくつものフルーツを感じるのだが、それも消えるのだ。
「だろう?」
「水出しですか? でもそのわりに、はっきりと、濃い」
「うまいだろー?」
「はい。あれ、でもこれ、だいぶお金がかかってません?」
僕がお茶の味を確かめていると、店長は姿を消していた。
「店長!」