23 クモの糸
どこか気だるそうな女性がテーブルについた。
「最近、ちょっと体の調子が悪いというか」
20代くらいの女性は、手を気にしていた。
「病院に行かれたほうがよろしいのでは」
「それはもちろんそうなんですけど、ほら、病院って、行こうと思ってからが長くなるんですよ。わかります?」
「なんとなくわかります」
行ったほうがいいのだろうな、と思ってから、病院までの心理的な距離はなんなのだろう。病院にたどり着いて先生と話しているときの、じゃあもっと早く来ればよかったと思うのはなんなのか。
「甘いものを食べるのは、関係ないですよ?」
彼女は強めに言って、トマトのケーキを食べた。
「ああおいしい。他にこんなケーキないもの」
「ありがとうございます」
他のお店から持ってきているのだが。
それに、トマトのケーキを選ぶあたり、健康を気にしているような気もしなくもない。
「この店がどういう店なのかは、ごぞんじですよね?」
「道具屋と、喫茶店と、スキルの相談ができるお店ですよね?」
「あ、はい。ご存知でしたら、はい」
「それで、これが病気なのか、スキルなのかと思って」
彼女はコップを持った。
手を開く。
落ちる、と思ったが、コップは落下せずに手にくっついている。
いや、ほんのすこし離れて、浮かんでいる。
「手が、なんだかベトベトするんです」
「手が? どのあたりです?」
彼女は左手の人さし指で、右手の、手のひらと手首の間あたりを指した。
たしかになにか、半透明の白っぽいものが、にじむように出ていた。
「できものが潰れたり、なにかなのかと思ってたですけど、特に体調に変化もないですし。でも気持ち悪いんですよね」
「で、病院に行きにくいのでこっちに来たと」
「はい!」
彼女は元気よくこたえた。
まちがえているな。
「皮膚科で診てもらったほうがいいと思いますけどね」
「どうでしょう。なにか気になることはありませんか?」
彼女は無視して言った。そんなに行きたくないのか。
もしくは、すでに行ってなにか嫌な思いをしたのか?
「なにかここ数日で、スキルを伝える声は聞こえました?」
「クモの糸、というのは聞こえた気がします」
「クモの糸ですか……。ちょっと失礼」
僕は彼女の右手を取り、出てきている半透明のものをつまんで、引っぱってみた。
ずるるる、とヒモ状のそれが、出てきた。
「えっ」
彼女がちょっと手を引きかけたが、そのまま耐えて見ていた。
「クモ。クモの糸、なんでしょうかね」
「クモって、おしりから糸を出すんじゃなかったですか?」
「そんな気もしますけど、でも人間ですしね」
「はあ」
糸は切れなかったので、立ち上がって引っぱってみると1メートルくらい出てきた。
「まだまだ出そうなので、いったんちぎりましょうか」
「はい」
根本のところをつまんでみたけれど、切れない。
「切れないですね」
ほとんど伸びたり縮んだりもせず、ただただ頑丈だ。
「クモの糸って頑丈なんでしたっけ?」
「クモを人間に換算したら、相当頑丈かもしれないですね」
「これ、どうしたらいいんでしょう」
彼女が言ったときだ。
すっ、と切れた。
切れた糸は、しばらくすると乾燥したように白っぽさが強まり、それからぼろぼろになった。
「体から離れるともろくなるようですね」
彼女にもう一度出してもらう。
「ゆっくり出すとかできますか?」
ゆっくり出したり、切ったり、出さなかったり。
そういった調節ができることがわかった。
「あなたの意思で、強度や長さを調整できそうですね」
「これ、どうすればいいんでしょう」
彼女のスキルは、この頑丈な糸を出せるという能力のようだ。
「相当頑丈だと思うので、崖を降りたりできるでしょうけど。冒険者、などではないですよね?」
「崖を降りる……」
「なにか?」
「あ、登山に憧れてたので!」
「登山に憧れ?」
「やったことがあるので! 週末には行っているので!」
「うん? はい?」
どうもおかしい。
「どうもありがとうございました!」
彼女は急にケーキを急いで食べると、そそくさと帰っていった。
「アール、そういえば最近知ってるか? クモ女」
数日後、店の片付けをしているときに店長が言った。
「クモ女?」
「ああ。町で暴れてるやつを捕まえたりしてるんだってよ」
「なにがクモなんですか?」
「クモの絵が描かれた覆面をして、手から出した糸を自在に操って、武会とは別に自警団をやってるらしい。建物に糸をつけて、そこから飛びついて、飛びついて、移動したり」
「……なんか聞いたことある話ですね」
「だろう」
クモ女、いやクモの糸スキルの女性を思い出した。
「武会と能力情報を共有したほうがいいですかね」
「だろう。女性だと、命の危険以外にもいろいろ面倒なことになりやすいからな」
「でも彼女、だいぶ使いこなしてるみたいですね」
「そうだな」
僕は、急いで帰った彼女の様子を思い出した。
あのときから正義の味方をやりたかったのだろうか。
僕はそんな使い方は考えなかったので、勉強になる。
「もし会えたら、軽く話しておけ」
「そうですね」




