21 述べる
「小説を書くスキルというものを手に入れたようなのですが」
今日は50代男性がやってきた。ノベルさんという。
きっちりした身なりで、公的な職業なのではないかと想像する。
甘いものが好きなようで、ケーキをぺろりと食べていた。
「具体的にいいますと、こう、思っているだけで、紙に書けていくんです」
ノベルさんは、持参した紙にすらすらと文章を書いた。
「これはおもしろい。でも、書くスキルとはちがうんですか?」
「仕事で使おうと思ったこともありましたが、どうも、そういう使い方はできないようです。ただ、小説ってなんなのでしょうか」
「は」
思わぬ質問だった。
「わたしが書けるのは、こんなふうな、昨日食べたものや仕事に行ったこと、帰りに一杯、お店で飲んだことなどです。これって日記ですよね? 小説なんでしょうか」
「たしかに」
言われてみればそのとおりだ。
彼の書いていることはそういった、特にどうということはないものだ。そして彼の持っているスキルは小説を書くスキルでまちがいない。
「日記は小説ですか?」
僕は答えられなかった。
ノベルさんが帰ってから、僕は図書館に出かけた。そこでいつもの司書さんに質問する。
「あの、小説というのは、どういうものを指すのでしょうか。知り合いの12歳の子に、日記と小説はなにが違うのかときかれて、答えられなくて」
「小説の定義ですか……」
彼女はいったん奥に引っ込んだ。
しばらくして出てくると、こちらです、と歩きはじめる。
「小説というのは、明確な定義はないようです」
「ない?」
「たとえば、人物や、事件や、そういうものを文章で描いた創作物、といった言い方はできます。では、人物も、事件も描いていないものは小説ではないのか、と言われると、わかりません」
「なるほど」
「それに、日記もそうです。日記形式の小説もありますが、それは、創作が含まれていれば小説なのか。すべて事実だったら小説ではないのか。細かい決まりはありません。しいていうのなら」
「はい」
「その人が小説だと思えば小説なのではないでしょうか」
「ということで、ノベルさんが小説だと思ったものが、小説、ということでもよさそうなのですが、いかがでしょうか」
「わたしが思えば……」
「失礼ですが、ノベルさんは、ふだん、小説を読まれないのでは?」
「ええ」
「そして、ノベルさんは、日記も小説のようなものではないか、と考えている?」
「……たしかにそうです」
ノベルさんはうなずいた。
「であれば、ノベルさんが定義するものが、すなわち、その能力の効果範囲になるということだと思います」
「なるほど……」
ノベルさんはしばらく腕を組んで考えていたが、思いついたように紙を取り出した。
そこに向かって念じる。
すると、文章だけでなく、記号や数式のようなものも一緒にならんだ。
「これはすばらしい」
ノベルさんが言った。
「これは?」
「小説だ、と思えば、仕事で、長々と書かなければならないようなことを、手を使わずに書けるんですよ!」
ノベルさんのメガネの奥の目が輝いていた。
「これで二度と腱鞘炎にはならない!」
「それはよかった」
「いや、実に助かる。これをどうぞ」
ノベルさんはカバンからなにか取り出してテーブルに置いた。
小指の爪ほどの大きさの、赤い石だ。
「これは?」
「おそらく宝石です。わたしはいらないものなので。ああ、もし偽物だったらあらためて別のお礼をいたしますので」
「ちょっと待ってください、本物だったら高価すぎます!」
「わたしには、それくらいの価値があった!」
「定義すればいいというものではないので!」
なんとか宝石を返すのにしばらく押し問答をした。




