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「小説を書くスキルというものを手に入れたようなのですが」

 今日は50代男性がやってきた。ノベルさんという。

 きっちりした身なりで、公的な職業なのではないかと想像する。

 甘いものが好きなようで、ケーキをぺろりと食べていた。


「具体的にいいますと、こう、思っているだけで、紙に書けていくんです」

 ノベルさんは、持参した紙にすらすらと文章を書いた。

「これはおもしろい。でも、書くスキルとはちがうんですか?」

「仕事で使おうと思ったこともありましたが、どうも、そういう使い方はできないようです。ただ、小説ってなんなのでしょうか」

「は」

 思わぬ質問だった。


「わたしが書けるのは、こんなふうな、昨日食べたものや仕事に行ったこと、帰りに一杯、お店で飲んだことなどです。これって日記ですよね? 小説なんでしょうか」

「たしかに」

 言われてみればそのとおりだ。

 彼の書いていることはそういった、特にどうということはないものだ。そして彼の持っているスキルは小説を書くスキルでまちがいない。


「日記は小説ですか?」

 僕は答えられなかった。



 ノベルさんが帰ってから、僕は図書館に出かけた。そこでいつもの司書さんに質問する。

「あの、小説というのは、どういうものを指すのでしょうか。知り合いの12歳の子に、日記と小説はなにが違うのかときかれて、答えられなくて」

「小説の定義ですか……」

 彼女はいったん奥に引っ込んだ。

 しばらくして出てくると、こちらです、と歩きはじめる。


「小説というのは、明確な定義はないようです」

「ない?」

「たとえば、人物や、事件や、そういうものを文章で描いた創作物、といった言い方はできます。では、人物も、事件も描いていないものは小説ではないのか、と言われると、わかりません」

「なるほど」

「それに、日記もそうです。日記形式の小説もありますが、それは、創作が含まれていれば小説なのか。すべて事実だったら小説ではないのか。細かい決まりはありません。しいていうのなら」

「はい」

「その人が小説だと思えば小説なのではないでしょうか」



「ということで、ノベルさんが小説だと思ったものが、小説、ということでもよさそうなのですが、いかがでしょうか」

「わたしが思えば……」

「失礼ですが、ノベルさんは、ふだん、小説を読まれないのでは?」

「ええ」

「そして、ノベルさんは、日記も小説のようなものではないか、と考えている?」

「……たしかにそうです」

 ノベルさんはうなずいた。


「であれば、ノベルさんが定義するものが、すなわち、その能力の効果範囲になるということだと思います」

「なるほど……」

 ノベルさんはしばらく腕を組んで考えていたが、思いついたように紙を取り出した。

 そこに向かって念じる。

 すると、文章だけでなく、記号や数式のようなものも一緒にならんだ。


「これはすばらしい」

 ノベルさんが言った。

「これは?」

「小説だ、と思えば、仕事で、長々と書かなければならないようなことを、手を使わずに書けるんですよ!」

 ノベルさんのメガネの奥の目が輝いていた。


「これで二度と腱鞘炎にはならない!」

「それはよかった」

「いや、実に助かる。これをどうぞ」

 ノベルさんはカバンからなにか取り出してテーブルに置いた。


 小指の爪ほどの大きさの、赤い石だ。

「これは?」

「おそらく宝石です。わたしはいらないものなので。ああ、もし偽物だったらあらためて別のお礼をいたしますので」

「ちょっと待ってください、本物だったら高価すぎます!」

「わたしには、それくらいの価値があった!」

「定義すればいいというものではないので!」

 なんとか宝石を返すのにしばらく押し問答をした。

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