10 1mm
フルーツを選んでいたら、外で悲鳴が聞こえた。
買い物かごを置いて店外に顔を出すと、馬車が通り過ぎるところだった。それと、道の端で、建物に寄りかかるようにしゃがんでいる女性と、その女性の肩に手を置きながら馬車を見送る男性がいた。
「またか」
ミトトマさんが僕のところまでやってきた。
「馬車ですか」
「最近馬車が増えてきたからなあ。いつか大きい事故が起きるんじゃないかって、みんな言ってるよ」
果実を扱っているこの店は、大通りから一本入った道にある。大通りよりは狭いが、商店がならぶ、人通りのある道だ。
なのに、だ。
大通りは馬車を通るために交通料金の支払いが義務付けられたため、裏道を通ることを利便性ととらえた人によって、この道の交通量が増していた。
「ふざけた規則だぜ」
ミトトマさんは吐き捨てるように言って、中にもどった。
僕も店内にもどって、ひとつひとつ選びながら、かごにオレンジを入れる作業を再開した。
「どうだ」
「どれもきれいで、選ばなくてもよさそうです」
「しかも安いだろ」
「最高ですね」
「でも、移転しろって武会が言ってきやがんだよ。馬車の道幅を確保するためだと。バカ言いやがって。立地が変わったら客が減って、この値段で出せなくなるかもしれないのによ」
移転というのは、このあたりの建物を壊して、道を広げるのだという。
「そういえば、隣の店が空っぽですね」
「うちはどかねえよ。それより、大通りに馬車を通らせるようにしろってんだ。ちっ」
ミトトマさんが舌打ちした。
武会の制服を来た人間が三人入ってきた。
「なんだなんだ、くだらねえやつらが来やがった」
ミトトマさんがにらみつける。
「要件はわかっているだろう」
「うちはどかねえよ! ずっとここでやってきてんだ! なあみんな!」
入ってくるのを見ていたのか、他の商店の店主たちがやってくる。
「我々武会は、町の人間の安全を考えた行動をしているだけだ」
「なにが! 馬車は大通りを通らせりゃいいだろ! おい聞いてるぞ、一部のお貴族様は、交通料金を払わなくていいんだってな? なんだあそりゃあ!」
「ひでえ話だ!」
武会の人は表情を変えない。
「裏の敷地があいている。道を広げて、そこで店をやれば立地もそれほど変わらないだろう」
「ふざけんな! その間はどうすんだ!」
「休業補償はする」
「金だけのためにやってるってのか! こっちは客のために働いてんだよ!」
「そうだそうだ!」
「冷静に話そう」
「てめえらは、人の神経逆なでするのはびっくりするほどうめえんだな!」
ミトトマさんは、袖をまくった。
その話を聞いている間、僕には気になることがあった。
「やっと帰りやがった」
武会の人たちは出ていった。どうやらとなりの店に移ったようで、他の商店の人たちも一緒についていったようだ。話し声が聞こえてくる。
武会の人たちがいる間、僕は試食用のオレンジを食べながら待っていた。何度もあることのようで、緊迫した空気ではあったが、暴力はなく、言い合いだけだ。
「やっぱりおいしい」
「だろう」
ミトトマさんは、うれしそうにした。
「そういえば僕この前、中の袋がすごく薄くて食べやすいオレンジをもらって、食べたんですけど。あれって扱ってます?」
「小ぶりなやつか?」
「はい」
「あれ、数がねえんだよな」
「そうなんですか。へえ」
「どこで買った?」
「もらいました。配達だけやったんですけど、配達先の女性に」
「……話好きのおばちゃんじゃねえか?」
「はい」
「あの人はすごいよなあ、迫力が。そうだ、すごいといえばよ」
ミトトマさんはなにか思いついたようだ。
「最近、おれも、なんかスキルってやつを覚えたみたいでよ」
その話がしたかった。
「スキルですか」
「まあくだらねえ。物を動かすやつなんだけどよ」
「すごいじゃないですか」
「1ミリよ」
ミトトマさんは、人さし指と親指で、すき間のような幅をつくった。
「たった1ミリ、物を動かせるっていうんだからくだらねえだろ?」
「もっとくだらないスキルもありますよ。オレンジが他の人より酸っぱく感じるとか」
「そんなのあるのか」
はっはっは、とミトトマさんは笑った。
「やってみたんですか?」
「ほらよ」
手の上のオレンジを、ぴく、ぴく、と左右に動かした。
「おもしろいですね」
「そうか? ま、くだらないもんよ」
「うーん」
僕は腕組みをして、考えごとをしているような顔をした。
「どうした」
「それって、どの程度の範囲まで有効なんですかね」
「なに?」
「つまり、物を動かす能力ですよね? 物ってなんですか?」
「物は物だろ」
「いま、オレンジを動かしましたよね? 中の袋でも、果肉のひとつひとつでもなく。ということは、オレンジを、オレンジだと思えば、まとめて動かせるということになる」
「まあ、そうかもしれねえが。それがどうした」
「ミトトマさん。この店を、ひとつのものだと思えますか?」
「なるほど……」
武会の人間立会のもと、ミトトマさんはスキルを使った。
地面につけた印と比較し、1ミリ、建物全体が動いた。
連続して動かすと、また動くのだ。
「どうだい。これで裏の敷地まで店を動かしちまえば文句はねえな?」
「……たしかに。我々としても、速やかに解決できるのならば望むところです」
「おっと。タダじゃやらねえ。おれたちはよ、お前らのわけのわからん理屈につきあわされてんだ。なんでも思い通りに動かせると思うなよ。こっちが割りを食ってんだからよ。なあ?」
「……持ち帰って検討します」
「へっ。すばらしい能力だ、ぜひお願いします! のひとことも言えねえのか!」
ミトトマさんが言うと、商店の店主たちが手を叩いて喜び、武会の人たちは、それでも表情には出さずに帰っていった。
他の商店の人たちと話すミトトマさんを見ながら、僕は考えていた。
まだミトトマさんには言っておくことがある。
大っぴらに公開した以上、ミトトマさんの能力に関しては、協会から話をききに来るかもしれない。
動かす能力というのは非常に強力だ。
たとえば心臓の血管をふさぐ、といったことが可能なら、おそるべき殺人鬼となりえる。
あるいは盗難。金銭や宝石を盗み出すことにも利用できる。
もちろんミトトマさんはそんなことはしないだろうが、特殊な状況で、たったひとりの相手だけは、その生命だけは奪う、といったことは実際にある。
自分のためではない犯罪こそ、ブレーキが壊れることもあるのだ。
話の流れによっては、ケンカになるかもしれない。
協会はあくまで、なにかあったときの予防として、能力の詳細をきくものであり、決して敵対的なものではない。
そういった注意点が必要だろう。




