過去と聖獣、雪の地平線 一部 〜不変ー不動〜
「寒っむ…」
寝覚め一番、すんなり口から出た言葉だった。最近では珍しく、素直な言葉である。いつの間にか寝てしまっていたらしい。
寝る前につけた暖炉の火は完全に消えている。どうりで寒いわけだ。
吐いた息が白くなるのを見る限り、摂氏十三度以下になっている。
早く動かなければ、睡眠中の保温のために体力を使うわけにはいかない。
なかなか動く気になってくれない体を、C₁₀H₁₂N₂Oで叩き起こす。
とりあえず風呂に入ろう。先ずは目を覚ますところからだ。
風呂は良い。血流が良くなり体温が上昇する。また新陳代謝も上がるため関節等の怪我も減る。
ただし、何も考えていないと、何かしらを思いだしたくなるのが人間という生命体である。
なぜ思い出したくもないことを思い出すのか?
答えは簡単だ。
脳みそがデフォルトモードになっているのだ。外部からの情報がカットされ浅い睡眠状態になる。
この時は「デフォルトモード・ネットワーク DMN」という状態になり、「閃き」や不随意な記憶の「想起」が生じる。
彼女の死、というトラウマは私の脳細胞を変形させ、潜在記憶としてリラックス時に復元される。
嫌なことだが、これが一番目が覚める。私は彼女との記憶を忘却してしまわぬように、そして私の目覚めのために、毎日思い出すのだ。
全てのものに利用価値以外の見方を持たない私を認めてくれたのは、彼女だけだった。
唯し、彼女に利用価値はあったのかはわからない。それは意図的に考えないようにしていた。
考えたら、彼女を自己利益のために私が殺したかのように思えてしまうためである。そして、なぜ他者のためにここまで悩まなければならないのかの理由を、彼女になすりつけようとしている自分を俯瞰してしまうその言語化できぬ不快感を味わうことになるのを私は知っている。それが嫌なのだ。私はこれ以上、私を嫌いになりたくない。
この星の人々は、死ぬ覚悟を持つことになる。私はそれができてない。まだ死にたくない。死ねば彼女と同じところに行ける、なんていう甘ったれた理想を持つほど、私の脳みそは宗教的になってはいない。
「死」とは「終了」だ。
壊れたものが、再度動き始めることはないのだ。人間は修理できない。人は物とは違って換えが効かないのだ。
人々の記憶の中で生き続けるなんていうことは、ないのだ。
私は「雪星の獣」を殺すまでは死ねない。これは呪縛だ。
死ねば、その瞬間からその人は「記憶」となり、やがて消える。
などという、かなりひねっくれた厨二病的な思想を持っている私に、
生も死も語る権利はないだろうが。
そんなことを考えていると、目の前の水に赤い染みが生まれた。その染みは突如広がりだし、全体を薄い朱色に染め上げていく。
血だ。
長く湯に浸かりすぎて、のぼせたようだ。湯から出て服を着て、脱衣室から出ると、そこには不快な客人の姿があった。
「誰の許可を得て私の家に入り込んだ。」
そう問いかけると彼はニヤリと口角をあげた。
「あんな簡単な鍵しかかけてない君が悪いんだよ、レヴナント・エヴァレッタ」
こいつとの付き合いは十年とそこらになるが、いまだに私はこの男のことを好きになれない。
常時、不快かつ不気味な笑みを浮かべており、丸眼鏡の奥の目は何を考えているのかよくわからないが、
こちらを見下していることだけはわかる。
ヴィンセント・パヴェルニカ。
この星と雪星の獣の研究の第一人者であり、私の旧友である。
ただし、その実績は正当に手に入れた物ではないのは、聞かなくても明確だ。
こいつに詐欺られたことは、数知れず。
「今回もまた詐欺るつもりか?」
「信用ないなぁ。悲しいよ。」
「信用をなくすことをしたのはどっちだよ。」
彼は軽く声を出して笑った。
「でもね、今回は真面目な話」
彼はそう言って先ほどよりも口角をあげた。
書いてる情報が間違ってたらごめんなさい。