偉大なる王の決断 ~今日まで王様、明日からお兄様~
遠い異国から巻き起こった革命の炎は、古き良きアガステレア王国にも迫っている。
王宮の一室に、美しい白金の髪をした男がいた。
彼こそが、この国の若き王クライス。
国の滅亡が目前に迫っている。
だが、それを気にする様子はない。
彼は普段と同じように、己の職務をこなしていく。
戦争など起こっていないのではないか?
そう錯覚しそうな程、いつもと変わらぬ光景。
クライスは、淡々と書類仕事をこなしていく。
このまま日が暮れ、夜が来て、寝て目を覚ませば朝が来る。
もしも国が滅んでいなければ、明日も同じように職務に励む。
その事を疑わせぬほど、王の仕事は淡々としたものであった。
きっと今日もいつも通りに彼は仕事を終える。
誰もがそう感じる光景。
だが、この日は違った。
しばらくすると近くに控えていた執事に声をかけた。
「ルーセに会いたい」
その声もまた普段と変わらない。
威厳と落ち着きのある物であった。
「今は戦時中です。どうかご自重ください」
忠実な執事ヴィクトールが冷静に応じる。
最後の戦いというべきか。
すでに首都に革命軍の手が及ぶ寸前の攻防を繰り広げている。
「指揮権は全て将軍に委ねてある。私に出来ることなど何もないさ」
クライスは窓から外を見やる。
遠くで炎や煙が上がっているのが見えた。
覚悟はできている。
この国の時代は終わるのだ。
「ですが……」
ヴィクトールは言葉に詰まる。
王の権限がもう少し強ければ、首都に戦火が及ぶ寸前に至る前に降伏をしていただろう。
そうすれば戦後の扱いに違いがあったはずだ。
しかし議会が認めようとしなかった。
長年、国を牛耳ってきた議会は、革命軍との和平交渉を拒否し、戦争を強行したのだ。
「お前もわかっているのだろう? この戦は我が国の負けだ。最後の仕事としてこの首を差し出せば、もうあの娘と話すことはできない。最期くらい家族と語り合わせてくれ」
クライスは切なげに言う。
彼には妹ルーセという一人しか家族がいない。
彼女は幼くして病気で寝込んでおり、王宮内で隔離された部屋で暮らしていた。
「最期になるかもしれない家族の語り合いだ。2人だけで話せるように手筈を整えてくれ」
議会の専横に耐え続けた彼の苦労を知るヴィクトールが、その願いを断る事などできようはずがない。
「かしこまりました」
ヴィクトールは一礼して部屋を出た。
王に忠誠を誓う彼は、最後の願いを叶えるために動き始めた。
「最後に笑ってくれればそれでいい」
クライスは、そう心の中でつぶやいた。
彼は願っていた。
物語の良き終わりを。
※
敗戦が確定したのは、王が妹と語り合いたいと願ってからしばらく経ってからであった。
「それで、どうなさるのですか? この状況を」
革命軍の使者は形ばかり詰め寄るも、その顔には戸惑いしかない。
王に仕えていた若き宰相アルベルトも、苦笑いを浮かべる以外に出来ることはなかった。
革命軍側にとっても王国側にとっても予想外であった。
あの王がこのようなことをするなど。
報告を聞いた革命軍はすぐさま王が妹と語り合っていた部屋へと走った。
責任者として王国側の宰相を連れて。
偉大にして聡明なる王。
白金の髪に黒い瞳。そして白い肌という冷たい見た目通りの冷厳な決断を下せる厳しい王でありながら、民へ慈愛の心を向ける優しき王。
もしも国が議会に牛耳られていなければ。
革命軍の進行を跳ね除けて、この歴史ある国に新たな栄光の時代をもたらしていただろうとすら言われる王。
敵対した革命軍ですら、そう評価していた王。
それが──
「陛下のご決断があまりにもお早くて。私どもが気づいたときには、すでにご不在になられていたのでございます」
偉大なる王が逃げた。
部屋に置き手紙を残して。
妹と語り合いたい。
そう告げ2人だけになったタイミングで逃げたのだ。
あの王がまさか!?
という油断が革命軍にあったのは事実だ。
だが、それだけでない。
彼の準備が周到すぎた上に、行動が素早すぎた。
偉大なる王としての能力を全て割り振っての逃走劇。
戦争は王国が負けた。
だが、その後の処理に関しては、王とその妹の2人が最大の勝者と言えるだろう。
アガステレア王国の歴史は、最後の王であるクライスと妹の逃亡という形で幕を下ろすこととなる。
あまりにも締まらない終わり方であった。
※
潮風が吹き抜ける船の上。 一組の男女が海を眺めている。
「あの、お兄様」
金色の髪を青いリボンで束ねた女は12~13歳程度。
まだ幼い容姿は純粋さを感じさせる。
方や男の方は、中性的な印象のある男は20歳前後か。
腰近くまで伸ばした白金の髪は手入れが行き届いており、居を構えていたのが恵まれた場所であったことが窺えた。
この2人こそが、元偉大な王(笑)とその妹である。
「本当によろしかったのでしょうか?」
男が平然としている一方で、少女の方は罪悪感を表情に見せている。
「笑い方を覚えないとな」
クライスは冗談めかして言う。
彼は自分が逃げ出したことについて、全く後悔などしていない。
「お兄様いけません。覚えるだけでは演技になってしまうと先生が仰っておりました。ルーセはお兄様と心の底から笑いたいのです」
ルーセの目は真剣そのものであった。
彼女は兄が苦しんでいることを知っていた。
クライスは逃げ出したことに全く後悔はしていない。
だから、もしも生まれ変わって同じ状況になったのなら、間違いなく同じ選択をするだろう。
しかし罪悪感がないわけではない。
国を捨てた。
民を見捨てた。
自分のせいで戦争が起きた。
それらの想いを、兄が笑ってごまかしているだけだと、ルーセは理解している。
「そうだな。それなら言い直そう。お互いに笑い方を思い出さないとな」
クライスは優しく微笑む。
彼は妹が心配してくれていることに感謝している。
彼女は自分の唯一の家族であり、唯一の生きる理由であった。
「ルーセもお兄様が笑えるようにお手伝いいたします」
ルーセは元気に宣言する。
彼女も兄が幸せになることを願っている。
兄は自分の唯一の家族であり、唯一の希望であった。
※
王の部屋に残されていたのは、置き手紙と書類。
置き手紙に書かれていたのは、王位を退く旨と宝物に関する内容。
宝物庫の全ての所有権を革命軍に譲る。
また宝物庫から盗んだ者がいれば、それを裁く権利も革命軍に譲る。
これらが置手紙に書かれていた内容の一部。
戦争をしたのなら責任を取る者が必要だ。
この責任は王家がとるのが必定なのだが、その王家は今やクライスとその妹のみ。
しかし、どちらも逃げてしまった。
もちろん行方も分かっていない。
これでは誰も納得が出来ない。
だから国の方針を決定する権限を持っていた議会が、当然責任を負うことになる。
この国は欲深き議会に牛耳られてきた。
不正がはびこる国の宝物庫を、欲深い人間が放置するはずもない。
王が革命軍に譲ったのは、宝物庫の中だけではなく関連する権利を含めて全てだ。
与えた物の中には、中身を盗んだ者を裁く権利も含まれる。
少し頭を使えば、それを正式な形で革命軍は行使できることになる。
議会は腐りきった連中だ。
クライスはそれを理解している。
だからこそ、彼はこのような仕掛けを用意した。
仮に議会が騒いでも問題はない。
敗戦国には、いかなる権利もないのだから。
敗戦前から準備をしておいた盗品リストを、革命軍はうまく使ってくれるだろう。
※
どうやって逃げたのか?
それは単純な方法であった。
クライスは妹と話すフリをして、部屋から抜け出しただけだ。
彼は、偉大なる王などと呼ばれていたのだ。
協力してくれる者を見つけるのは簡単だった。
逃げ道に関しても、王家のみが知っている秘密の通路などいくらでもある。
外に出た後は、待ち構えていた馬車に乗り込んだ。
馬車の中には変装用の衣服だけでなく、十分な金品や食料などを詰め込んであり、中々快適な旅を楽しめた。
目的地は港だ。
そこで船に乗り換える予定だった。
事前に船長と交渉しておいた。
金を掴ませ、2人の乗船を承諾させておいた。
船は南の島々へ向かう予定だ。
そこならば革命軍の手も及ばない。
※
アガステレア王国は革命軍に陥落し、議会の主要な者達は処刑された。
これから民は新しい政権に従うこととなる。
王国の歴史は終わった。
王家の歴史も終わった。
しかし兄と妹の物語は続く。
すでに彼らの新しい人生は始まっている。
海を渡って南の島々へ辿り着いた。
そこで彼らは平凡な暮らしを送っている。
クライスは料理屋になった。
ルーセは司書になりたいと言っている。
最初は、慣れないことに戸惑いもあった。
だが、もともと高い教養のあった2人だ。
今となっては、馴染みの客や友人がいるほどに街へと溶け込んでいる。
「お兄様」
「どうした?」
夜を迎え、クライスの営むレストランで2人で食事をしている。
働くようになってから妹も健康状態が良くなった。
城にいた頃は過保護にし過ぎていたようだ。
「今日も素敵な一日でした」
「そうだな」
お互いの視線が合わさると2人は微笑み合った。
「お兄様が笑ってくれると嬉しいです」
「ありがとう。ルーセが笑ってくれて私も嬉しいよ」
いつの頃からか。
2人は微笑み合うようになっていた。
自分の幸せと共に、相手が幸せであると感じられる時間。
それは、かけがえのない時間であった。