私、尻の手術をしてきました
精力がうんたらかんたらの更新遅れて申し訳ありません。ここでいくつかの言い訳を並べさせてください。言いわけのオチはタイトルにある通り手術です。手術と言っても痛みの原因となる膿を排出するだけの切開です。
ことの始まりは肛門の違和感――今にして思えば襲い来る数々の苦難と苦痛は、私が肛門弱者である時点で避けられぬ運命だったのでしょう。
生まれつき特段身体が弱いというわけでもなく、どちらかといえば健康優良児と言って差し支えのない元気な子でした。元気エピソードを一つ上げるならば、五歳のときに交通事故にあい脛をぽっきりと骨折したのですが、どうしても海水浴を楽しみたかった紳士少年はギブスにビニール袋を巻いて防水仕様に換装し、骨折したまま海で泳ぐという暴挙にでるぐらいには元気な子どもでした。
そして弱いところを強いてあげれるとすならば布団と畳の段差から転げただけで抜けてしまう脱臼癖のある肩のぐらいのものでしょうか。この弱肩のせいでメジャーへの挑戦は諦めました。
そんな肩力Fな私ですがもう一つ明確な弱点があります。
それは――肛門です。
勘違いをしてほしくはないのですが、私とて生まれたときから肛門の弱い先天的肛門弱者ではありません。後天的ということは開発でもして弱ったかとおもわれるかもしれませんがそれもちがいます。
日に十時間以上もの勉強を強いられたことにより臀部及び肛門周辺の血行を悪くし、いぼ痔ができやすい体質となってしまったからです。ろくに勉強などしてこなかったため私の尻はストレスに極端に弱く、一度患ってしまえばそれ以後頻繁にいぼ痔を発症するようになってしまいました。
そして今回もまた机に向かっているところ、唐突に肛門に慣れた痛みが走りました。
「いぼの野郎、また許可なく顔を出しやがったな」
当時は肛門周辺の違和感を暢気に受け止め、いつものように勝手に治るだろうと放置することに。これが最悪の悪手でした。いぼ慣れした人間だからこその落とし穴――いいえ、落とし尻穴だったのです。
尻の様子がおかしい、いつもと違う――
違いの分かる男になりはじめたのは違和感をおぼえてから四日五日経ってのこと。いぼ痔にしては痛みが強すぎるので薬の服用と塗布を開始したのがこのころ。
それから数日たっても痛みが和らぐことはなく、漢方を数種類と塗り薬の種類を変えてみました。しかし痛みは一向にひかず増す一方。次第にすわることができなくなり、寝転がることすら困難になっていきました。
さすがにこれはまずいとインターネットを巧みに操り肛門の病状と同じ症状の病気を検索するとドンピシャで症状の一致する病名を見つけました。
「肛門周囲膿瘍」
免疫力が低下しているところに肛門腺という犬にしかないないと思っていた部位に雑菌が侵入、繁殖し、膿をためるという病気だそうな。放置すれば痔ろうへと発展し、最悪は人工肛門や腸ガンにもなるという恐ろしいことが書かれていました。
そこで私が下した結論と決断は「怖いからみなかったことにしよう」というもの。それはあまりにも愚かでした。知り合いの看護師からは今すぐ病院にいけと言われていたのにもかかわらず、誤った決断を下し、ケツ断に至る選択をとってしまったのです。
それから地獄の日々が始まります。
まず、まともに歩行ができなくなりました。一歩歩くたびにダメージを食らうバリアの床を歩くような感覚。このあたりから口癖がホイミになります。このとき唱える呪文がホイミでもトラマナでもなくキアリクだったなら……そう思うと悔やんでも悔やみきれません。
肛門を使うことに恐怖を覚えていたので食事は固形物を避けてウィダーインゼリーのみに。この食生活は術後もあわせて一週間以上つづきました。
痛みは日ごと増していき、ついには痛みのせいで一睡もできなくなります。このころには病院へ行くことは確定していたのですが、最寄りの肛門科は土日が休みであと二日は痛みに耐えないといけなくなってしまいました。
休みなら仕方ない。土日は寝ころがってすごし楽な姿勢でお尻をケアしよう――そんな甘いことを考えていましたが本当に甘かった。アブラムシの尻よりも甘露。痛みの本番はこれからだったのです。
寝返りを打つだけ激痛が走るので、楽な姿勢を探そうにもまず激しい痛みに耐えないといけなかった。ナマケモノが俊敏にみえるような緩慢な動作で、やっとの思いで姿勢を変えてもそれが楽な姿勢だとは限らず、むしろより痛みが増すこともあります。姿勢を変えると尾てい骨の奥から臀部のあたりで「トクトクトク……」というイヤな感覚が。詳しく調べたわけではありませんが、これは内部にたまった膿が動いているのだと思っていましたが、真相は闇の中です。
時間によって楽な姿勢も変わるので常に激痛と断続的な痛みに苦しめられつづけました。
救急車を呼ぶという選択肢も度々浮かびましたが、私以上に苦しんでいる人がいると思うと尻が痛いだけで呼び出すのは大袈裟なのではと踏みとどまってしまう。救急隊員様たちの手を煩わせることにも抵抗があり、生来の小心ぶりを遺憾なく発揮します。
痛みは入浴で誤魔化せるというのは少し前から気づいていたので、風呂場に塩と水を持ち込み朝まで籠城する構えをとり、湯が温くなっては熱くしてを繰り返していましたが、それでも激痛を僅かに和らげて誤魔化せる程度です。
一度の最長入浴時間は五時間。塩を舐めながらぼんやりと思うのは「綾波になった気分だ……」というもの。
自分でもまったく意味がわからないのですが、当時を振り返って考察するにLCLの満たされたカプセルに入っている綾波に風呂で浮かぶ自分を投影していたのだと思います。やはり意味がわかりません。
綾波になるにはシンジくんを好きにならないといけないけれど私が好きなのは静岡の生んだ天才MF小野伸二だけだ――などとまことに意味不明な思考の末、綾波になることを諦めて半べそをかきながら朝を迎える。
痛みのせいで三日間まともに睡眠がとれず、ストレスと恐怖にさらされ幻聴が聞こえ始めたのが病院へ行く前日の深夜。きこえた幻聴は桑田佳祐の歌声と、深夜に聞こえるはずのない保母さんとお散歩中の幼児たちの明るく元気な声でした。
診察当日の朝にはもはや立ち上がることすらできなくなっており、急遽友人に補助を頼み、肩をかりて350メートル先にある肛門科を目指す。
片手には亡き父が四国八十八か所めぐり、お遍路さんで使用したという形見の金剛杖。親から子へと受け継がれた金剛杖を握れば、父が天から見守ってくるような気がして「大丈夫です。心配はいりません」と天を仰いでセンチな気分に浸っているところにデリカシーのない友人から放たれた「パパスの剣じゃん」という言葉がツボに入り肛門に痛恨の一撃がきまる。「今は笑わせるな、殺すぞ」と、わざわざ350メートル歩くために助けに来てくれた恩人に酷い暴言を吐いてしまったのは今も反省しております。
ちなみに私が進んだ350メートルで、亡き父の歩いたお遍路さんはなんと1100〜1400キロ!
なんの関係もありません。運命を感じたかったのですが無駄でした。
肛門科へ向かう道中、不動産屋の掲げるウォーリーの旗が私の行く手を阻む。旗をかわすためには電柱の横に出て車の行きかう公道を早歩きに進むか、少し足をのばして溝をこえるしかない。どちらも当時の私にとっては致命の一撃、ザラキに等しい選択です。世界広しと言えどウォーリーに本気の殺意を抱いた人間は私ぐらいなものでしょう。
やむを得ず溝側を選択するも、やはり肛門への負担は大きく「ギッ、ギギィッ……!」という死にかけたゴブリンの断末魔みたいなうめき声をあげさせられ無様をさらす。友人は笑い声こそ堪えてはいましたが喜色満面。こいつの尻も壊れてなくなっちゃえばいいのに。
肛門科に到着すると椅子に座る余裕のある健康的な肛門を持つ健門者たちが並んでいた。なかには音をたてて座るほどの強者も。お前たちが酷使して気に留めもしない肛門は、私が喉から手が出るほど欲っしている肛門だ。元気なら立ってろよと思わなくもなかった。
しかし当然の権利を行使しているだけの方を恨むのはお門違いの八つ当たり。ここまでくればもう少しの辛抱だ。肛門科の先生なら魔法のように治してくれる。アナル、アナルラ、アナルガなどの回復魔法で私の肛門を修復してくれるんだ。トルナ運河の門を修復して元気いっぱいのシルドラを召喚しサンダーストームを放つんだ――そう言い聞かせ、座ることもできず壁に寄り掛かってそのときをまちました。
診察室に入り、看護師さんに尻を出して寝そべってくださいという指示に従順に従う私。尻を出せと言われて従ったのはこれが初めてだった。そこで頭の位置を前後逆にしてしまう痛恨のミス。ナマケモノが高起動型ザクにみえるほどの緩慢な動作で体の位置を変えていると遅れて主治医登場。
「痛い痛い言われても先生困るしかできないから痛いって言うのやめて。ほら早く早く。時間ないんだから。他にも待ってる人るんだよ? 患者さんは君だけじゃないの。はいはい、痛くない痛くない。大袈裟だよ」
そういって無理やり動かされ悲鳴をあげながら姿勢をかえる。
このとき、ウォーリーに対する以上の殺意を抱いた。
「あーここが痛いんでしょ。ここでしょ」
見ればわかるであろう膿で腫れあがった患部をつつかれ、グーグルレビューに長文で☆1をつけようとこのとき決意した。(一時の迷いで実際には書きません)
――余談だが、後日血液検査の結果をみた先生は「白血球がすごい数値出てたよ。体の限界だったでしょ? これは痛かったねぇ」と悪びれもせずに言ってきたときは私のウォーリーで切れ痔にしてやろうと決意した。(一時の迷いで実際には切れ痔りません)
痛み止めの注射を尾てい骨付近に打ち込まれ手術はサクサクと進む。
詳しい説明は省きますが、手術はバチクソ痛かったです。痛み止めの注射も痛かった。
術後は出血と膿が止まらず下着が偉いことになったものの、痛みはほとんど消え去りナマケモノの三倍の速さで歩けるようになる。その日は三日ぶりの睡眠をたっぷりと貪った――
と、これが更新の遅れている言い訳でございます。
現在、まだ薬による治療は続いておりメスによる切開で強制切れ痔にされているほか、先生からの説明はありませんでしたがパソコンに映ったカルテには内痔核(内部に発生するいぼ痔)も患っているようです。
肛門科の先生によると完治するかどうかは半々。薬による治療が上手くいかなかった場合は肛門腺の摘出手術を行うとのこと。そうならないためにも安静にしつつ、お尻に優しい生活を送らないといけません。楽しみにしてくださっている読者様には申し訳ありませんがもうしばらくお待ちください。
最後に私から言えるのはただ一つ。
WBC、日本優勝おめでとう。腰の炎を燃やして応援していました。