9話 揺らぐ心
「宮野さん」
車が来ていないことを確認してこちらに近づいてきた。
「新城くん、また会えたね」
「ほんとですね」
彼女は相変わらず笑顔だ。
作り笑いをしたが、少し引きずってしまう。
「どうしたの? 今日の新城くん少し暗いね」
このタイミングで会いたくなかった。
「あれから全然注文が入らなくて」
「そうなんだ。大丈夫だよ。私もだよ」
会社であったことや末のことが言えず嘘をついた。
「そういう時はね、休息が大事なの! とりあえずあの公園で休まない?」
彼女が向いている先には2日前に来た公園があった。
「そうですね」
公園に入ると、2人でベンチに座りデリバリーバックを下ろす。
桜はまだ咲き続けている。
「宮野さんの脚質タイプはルーラーだったんですね」
「あ~、あれね。よく分からなかった。私、長い距離走るのが好きだからルーラー? にしちゃった」
「宮野さん自転車乗るの好きなんですね」
「そう! ゆっくり走って色んなとこ行くのが楽しくて」
ルーラーってそういう意味で書いたのか。
なんか宮野さんらしいな。
「新城くんは何にしたの?」
「自分はオールラウンダーです」
「オールラウンダ―?」
「色々なタイプがいるんですが、自分はサポート系ですね」
「あ! 新城くんはそんな感じするね」
彼女はニコッと笑う。
こういうところがファンを惹きつけるんだろうな。
そう思うと宮野さんはここよりもっといい仕事についていてもおかしくない。
「宮野さんはなんでデリバリーをしようと思ったんですか?」
「んー」
少し考えている。
聞いたらまずかったか?
焦りを感じ始める。
「自転車乗るの好きだから、かな?」
首を傾げて答える。
さっき答えた通りだったか。
「私、ここに来る前に受付の仕事してたの」
受付か、ピッタリな仕事だ。
「だけど、毎日無愛想な挨拶しかしない人や悪質な嫌がらせをする人がいて楽しくないなって」
宮野さんにそんなことがあったなんて。
自分だけが苦労していると思い込んでいた。
「そんな時にファイートの配達員を見て自転車に乗って仕事するって楽しそうと思ってここに来たの」
「そうだったんですね」
「私の家は、お母さん1人で私と妹を育てくれたから恩返しで受付の仕事を我慢していたけど、こっちの方が安心させられると思ってね」
この人は家族のために頑張っているんだ。
それに対して俺は――。
「新城くんはなんで入ったの?」
微笑みながら聞いてきた。
「自分は......」
当然の問いかけなのに戸惑ってしまう。
ここはなんて答えるべきか。
会社のこと?蓮のことか?
いや、蓮の話には乗っていないからな。
その時に宮野さんの過去の話を思い出す。
俺と同じくらい苦労していたんだ。
この人なら話してもいいのか?
少し考え込んだが、ここまで話してもらって自分は答えないということに罪悪感があるため、話すことを決意する。
「ここで働く前はIT企業にいて、父が大企業にしか勤めることを許さない人だったので高校を出てすぐに入りました」
宮野さんは頷いて話を聞いている。
「入ってからは向かない仕事ばかりして夜遅くまで働く日々が続き、先月の終わりに精神的過労で倒れてしまって......。それが会社に影響する可能性があるということで、上司から”責任をどう取るか任せる”と言われ、その会社を辞めたんです」
「なにそれ。ひどい」
自分のことのように困った表情をする。
「それから求人雑誌でこの仕事を見つけて、高校生の時に自転車競技部に所属してたこともあって入ることを決めました」
「新城くんも色々あったんだね」
穏やかな表情で励ますように話した。
「そうですね」
目を伏せながら微笑んだ。
「もしかして新城くんもプロ目指してる?」
「え?」
直球な質問に動揺して宮野さんの方を向いた。
「入ってくる人のほとんどはプロを目指してるって聞いてね」
このタイミングで言うべきか。
「自分は目指してないです。ただ――」
宮野さんは不思議そうな顔をしている。
「ただ?」
「目指していたことがあったんです。高校生の時に幼馴染と。でも、現実を知って諦めました」
「そうなんだ......」
申し訳なさそうに話す。
「今は仕事をこなすことだけを考えています」
ここまで話したんだ。
あの頃の夢を追うことはもうないだろう。
「新城くん」
「はい」
風が吹いて桜が宙に舞う。
「もし、その夢をまた追いかける日がきたら私は応援するね」
それを聞いて目を大きくしてしまうが、すぐに冷静さを取り戻す。
少し頷いて立ち上がる。
「もうそろそろ行きますね」
「うん」
デリバリーバックを担いでロードバイクに乗る。
「新城くん! ファイト~!」
ベンチに座りながら手を振っている。
笑顔で手を上げてその場を去った。
あれから注文を受けるためにまいまい寿司の方面に向かっていた。
一時は仕事に集中できなかったけど、宮野さんと話して落ち着くことができた。
『もし、その夢をまた追いかける日がきたら私は応援するね』
ふと言われた言葉が脳裏をよぎる。
正直嬉しかった。
あの時、抑え込んでいた感情が一瞬揺らいでしまった。
今なら目指せるんじゃないかって、だけど。
そう簡単なことじゃないんだ――。
唇を噛みしめて前に進む。