4話 初配達
黒い天井に付いている暖色の照明で店内は明るい。
ステンレス張りされた厨房からは、中華鍋と中華おたまが擦り合う金属音が響く。
周りからはすする音が聞こえて香ばしい匂いが漂っている。
料理を持った女性の店員が隅のテーブル席に来る。
店員は黒のタオルを巻いていて、黒のTシャツに赤色の腰下エプロンの下には黒のパンツを履いている。
Tシャツの左胸には”白銀”と白字で縦に書いてあった。
らーめん 白銀。
河川敷から自転車で10分で着く距離で、駅周辺のビル群と午前中に待機していた公園との間にある店だ。
木造の四角い建物で、正面から見て右端には小さいエントランスが飛び出している。
エントランスには灰色の片流れ屋根があって、それは左端まで続いている。
下に小さな電球が一定間隔で付けられている。
エントランスの上には大きな黒い看板があり、”白銀”と銀色で書かれている。
魚介スープと様々な味のラーメンを組み合していることから地元ではかなり有名なラーメン屋だ。
ここに来るまでに配達員用のアプリで、岡さんに昼食のことで連絡を取ってみたが繋がらなかった。
とりあえず近くある店で何か食べておくか。
いつも通り飲食店を探して見つけたのがここだった。
「お待たせしました~、白銀ラーメンとチャーハン(大)です」
料理がテーブルに置かれたことを確認すると礼を言った。
「ありがとうございます」
白銀ラーメンには分厚いチャーシューと煮卵が1つ、ネギとメンマ、海苔が乗っている。
息で麺を冷ましてからすすると、温かい上に柔らかく、塩味のスープが染み込んでいる。
チャーハンは薄茶色のご飯に細切れになったチャーシューとたまご、ねぎが入っていて、隅には紅生姜が置かれている。
一口頬張ると、口の中で具材の味が広がる。
気が付けば、あっという間に平らげていた。
お冷を飲んで、店内を見渡すと席が半分ほど埋まっていた。
店内の時計は12時55分を指している。
もうこんな時間か。そろそろ行くか。
横に置いてあったデリバリーバックを持ってレジに向かう。
「ありがとうございました~!」
店を出るときに後ろから声がした。
空を見上げると先程まで微かに見えていた青空は隠れてしまい、更に暗くなっていた。
本当に雨降りそうだな。
駐輪場に止めてあるロードバイクの傍に寄ってアプリをオンラインにする。
するとすぐに注文が入った。
場所は森林の中にある小さな街だ。
そこは卯辰山公園まで続いていて、注文先はここから4km先にある。
森林の入口は河川敷の向こうの方にある。
慣れていない状態で悪天候の配達はあまりに危険だが......。
その周辺に金色で+1,000円という表示が出ていた。
なんだこの金額は。
ヘルプで調べると、注文が殺到しているエリアに出る場合と距離が遠かったり、地形が悪い場合に出るらしい。
今回は後者だろう。
この天候で山に行くのはやめておいた方がいいか。
直感的に帰った方がいいと思う一方で、ここで引き下がるとチャンスを逃すのではないかという不安もある。
まさにジレンマだ。
行くか。
覚悟を決めて注文を受けた。
商品は、まいまい寿司の”極上セット”の2人前で大トロ、中トロ、赤身、寒ブリ、かつおの塩たたき、金目鯛、のど黒などの寿司が入っている。
極上セットは4,620円で現金払いということになっている。
まいまい寿司はここから1.5km先にあり、ワクドナルドよりも手前の方にある。
店には早く着けるな。
だが問題は、配達が遅くなると寿司の鮮度が落ちてしまう。
さらに寿司は揺れによって型崩れを起こしやすい。
そのため速さと安定した走りが必要とされる。
場所を確認してロードバイクを漕ぎ出した。
が、身体が重い上に満腹感で少し苦しい。
そのため思うように前に進まない。
会社員の時と同じ食事の取り方じゃまずかったか。
店に着いて商品とレシートを受け取る。
慎重すぎるくらいにゆっくりと担いで注文先へ向かった。
ようやく森林の入口まで来ると100m先まで坂が続いていた。
これを登るのか。
マップで確認していたが、思ったより急な斜面だった。
まだ救いなのは道幅が広く、整備された道路だということだ。
再度マップを見ると、坂を上った後の十字路で左に曲がるそうだ。
脚の調子からしてローギアじゃないと登れないな。
坂の手前でローギア側にある2枚目のギアからローギアに切り替える。
ローギアは一番軽いギアだが速度が乗りにくいため、上り坂や向かい風を受けている時に使うことが多い。
急いで上りたいが、寿司の事と身体の重みで早く進めない。
ダンシングで上り始めると再び筋肉痛が襲う。
――きっついな。
やっとのことで上ったが、左に曲がっても坂が50mほど続いている。
スマホを取り出して、現在地から注文先までのルートを見た。
この先も道が入り組んでおり、ここから1km先に小さな街がある。
先程の坂で脚に乳酸が溜り始めていた。
このままでは配達に時間かかりすぎてしまう。どうすれば――。
スマホ片手に立ち止まってしまう。
「配達素人か?」
右の後ろから声が聞こえる。
振り返ると、デリバリーバックを担いだ男性がいた。
所々青色が入っている黒のサイクルヘルメットを被っている。
黒髪のストレートヘア―にシャープな黒縁眼鏡をかけている。
前髪が少し眼鏡にかかっていて、顔は美形だ。
体型は細身だった。
襟から胸下までが紺色で、その下から裾までが黒に近いグレイのサイクルウェアを着ている。
下には黒色のサイクルパンツを履いている。
メタリックブルーでフレームにはGIENTと黒色の太字で書かれているロードバイクに乗っている。
ハンドルにはタブレットがタブレットホルダーで固定されている。
デリバリーバックは水色で”青果館”と白字で書かれている。
「はい。今日から配達始めました」
「道に迷ったか?」
「そうですね」
「今何運んでる?」
「今は寿司運んでいます」
「寿司......配達先は?」
「ここですね」
持っていたスマホを見せた。
「八夫篠だな」
そういうと自分のタブレットを操作し始めた。
「だとこのルートが一番近いな」
男性の様子を見ていると肌に水滴が当たる。
自分のスマホの画面を見ると何滴ものそれが付いていた。
遂に降りだしたか。
男性も気付いて冷静に空を見上げる。
「時間がない。配達先の近くまで案内する。私について来い」
先導する男性の後について行った。
ダンシングして前の坂をなんなく上っていく。
身体を大きく動かせない分、ケイデンスをとにかく回すことを意識するしかない。
登り終えると少し細い脇道に入っていく。
走りづらい場所ではあるが平坦な道が続いている。
何度か坂を上ったが、全て緩やかだった。
おかげで脚に負担がかからずに済んだ。
そのまま2分ほどで住宅街に出た。
本来のルートで入ってくる場所とは反対側の位置にいた。
「私はここまでだ。無事帰れることを祈る」
「ありがとうございます」
「ああ」
右手の人差し指で眼鏡をクイッと押し上げて、ぺダルを漕ぎ出した。
「お名前聞いてもいいですか?」
立ち去ろうとする男性を呼び止める。
止まってこちらを振り返る。
「蒼島だ」