2話 サポートセンター
住宅街を抜けて車の通りが少ない道を走る。
痛いなぁ、筋肉痛の時に行くべきじゃなかったか。
位置を確かめるために一度止まる。
サイクルウェアの後ろのポケットから携帯を取り出して、ゴーグルマップを開いた。
自分の位置から500m先の駅を通り、そこから300mほど離れた場所にピンが立っている。
あと800mか。
携帯をポケットに入れて再びペダルを漕ぎ出す。
大通りに出ると見上げるほど大きい駅が見える。
駅には箔宮駅と大きく書かれている。
箔宮駅。金沢駅と東金沢駅との間にある駅で、人や車の通りが多い。
駅を過ぎた辺りで建ち並ぶビルを見渡す。
どれも似たようなビルが建っている中、あるビルからオレンジのデリバリーバッグを担いだ人が出てくるのが見えた。
デリバリーバッグには白字でFi-Eatと書かれている。
あのビルか?
ビルに着くとステンレス製のテナント看板がはめ込まれており、3Fの欄にFi-Eatサポートセンターと書いてある。
ビルの前の歩道には多くの駐輪スタンドが並んでおり、自転車が何台か止められている。
ロードバイクを停めて、チェーンロックとU字ロックで施錠する。
入口は自動ドアで中に入ると広いエントランスがあり、正面には受付がある。
エントランスの左側にはエレベータと階段が見える。
受付には髪を束ねた女性が1人立っていた。
目が合うと笑顔で会釈してくれたので、会釈を返してエレベーターへ向かう。
エレベーターの中は木目調のデザインで、最近建てられたのかと思うほど綺麗だった。
乗る人がいないことを確認すると、3Fのボタンを押して扉を閉めた。
3Fに着くと正面に通路があって、奥の通路に向かい合うようにして部屋が並んでいる。
受付には茶髪でショートヘアの女性が座っている。
受付の奥の白い壁に大きく”Fi-Eat”とオレンジで書かれている。
部屋の通路側の面は透明なガラス張りになっており、腰ほどの高さに太めのオレンジ色のラインが引かれている。
受付に配達員用のアプリの説明を聞きに来た旨を伝えると、女性はこちらから見て右側の2番目の部屋で行っていますと丁寧に答えてくれた。
ありがとうございますと言って部屋に向かう。
歩きながら左右の部屋を覗くと、何人かの人がパソコンに向き合って仕事をしていた。
その光景を見てオフィスで仕事をしていた頃の自分と重なる。
言われた部屋に入ると、パーテーションで仕切られたテーブルがいくつかあり、入口近くに座っていた男性がこちらに気付く。
見た目は細いフレームの眼鏡をかけた黒髪の短髪で、年齢は30代前半に見える。
アプリの説明を聞きに来ましたと言うと、部屋の隅の方にあるテーブルまで案内された。
壁には縁がステンレスの時計が掛かっており、10時15分を指している。
木製の椅子に座ると男性は持っていたタブレットをテーブルに置いた。
「今回担当させて頂く内田 守と言います。よろしくお願いします」
「新城 回です。よろしくお願いします」
「まず、配達員用のアプリの説明をします。アプリにログインするためには配達員登録が必要になります。ですが、配達員登録が完了した時点で注文が入るようになってしまいますので、説明が終わってから登録して頂きます」
そう言うとタブレットを操作し、画面をこちらに見せた。
画面の中心にはマップがあり、周りにいくつか書かれているのを確認できた。
「こちらの画面の左上の3本線を押して頂くと色々な機能が表示されます」
内田さんが3本線を押すと画面左端から細長い枠が出てきた。
機能名がずらりと並んでいる。
「一番上の宅配メンバーリストについて説明します」
宅配メンバーリストのボタンを押すと番号順に名前が表示した。
「ここに書かれているのはFi-Eatの宅配員の名前でランキング順に並んでいます。その人の枠をタッチすると詳細が出てきます。例えば――」
内田さんは1.岡 亮介の名前をタッチした。
画面が切り替わり詳細が出てくる。
「詳細ではランキングと名前に加えて写真やプロフィール、評価、お客様のコメント、オンライン、オフラインなどもご確認できます。写真とプロフィールは配達員登録で載せてください」
「評価はお客様が5つ星評価で付けることになります。お客様のコメントは自由に書き込み出来るようになっていますが、配達員及び他のお客様が不快になるようなコメントは表示しないようになっています。コメントの前にも5つ星評価があります。こちらは個人評価で配達員の名前の横にある評価が平均評価になっています」
個人評価も付けられるのか。そこまで想定していなかったな。それに、岡 亮介。蓮が言っていた人なのか?
「内田さん、Fi-Eatの中に岡という人は他にもいますか?」
内田さんは配達員リストをチェックする。
「岡さんはですね......1位の岡 亮介さんだけですね」
そうか。この人が蓮の先輩か。
「岡さんとは知り合いですか?」
「いえ、ちょっと気になったので。ありがとうございます」
内田さんは一瞬疑問に思う表情を見せたが、説明を続けた。
「配達員リストの下にある注文リストについて説明します」
「注文リストはいつ、配達先はどこか、どの店の商品を頼まれたのかを確認できるようになっています」
注文リストの枠には日付、時間、配達先、お店の住所と商品が注文順で書かれていて、最後に受注確認と書かれたボタンがある。
「最後の方に受注確認というボタンがありますが、これを押すとマッチングし、注文を受けたことになります。また受注確認を押さずに1分以上経つと、サポートセンターが配達員の現在地を確認し、注文に適した配達員に注文を受けるよう指示を送ることになります」
内田さんは3本線を押して細長い枠を戻してマップを見やすくする。
「最後にマップの機能について説明します」
「マップはGoggleマップのように国内のマップを確認することが出来ます。それとここに3つのボタンがあります」
マップの右上には周辺と配達員ON/OFFと+-と書かれたボタンがある。
内田さんは周辺ボタンを押して説明する。
「周辺は半径100mの範囲でマップを表示します。指で縮小、拡大することも可能です」
指を動かして近づけたり遠ざけたりする。
「配達員ON/OFFボタンでONを押すと半径1km以内にいる配達員を表示します。OFFで非表示になります」
配達員ボタンをONにすると駅周辺にいくつも赤いピンが立つ。ピンをタッチすると名前が表示した。
「このようにピンをタッチすることで名前が出てきます。名前をタッチするとチャット画面になるのでメッセージを送ることが出来ます」
かなり多機能だな。
思ったより便利で驚かされる。
「チャット画面は3本線を押して、配達リストの下にあるデリバリーチャットからでも開けます」
3本線を押してデリバリーチャットを指差す。
「あとは+-ボタンを押してもマップの縮小、拡大出来ます」
内田さんはマップの左上にある切り替えボタンを指差す。
切り替えボタンは緑になっている。
「ここが今緑になっているのですが、この状態はオンラインを表しています。これで注文が入るようになります」
切り替えボタンを押して緑から赤に切り替わる。
「切り替えボタンを押すと赤色になります。これでオフラインとなり注文が入らないようになります」
「アプリの説明は以上になります。3本線を押して一番下にあるヘルプでも機能についてご確認出来ます」
「わかりました」
「それと新城さんは始めたばかりなので、研修として初回は経験のある者を付けます。注文が入った時には連絡させて頂きます。」
時計を見ると10時35分を指していた。
20分ほど経ったのか、少し頭を休めたいな。
「今デリバリーバックを持ってきますので配達員登録の方お願いします」
「はい」
内田さんはタブレットを持って部屋を出た。
ぼーっとする頭を整理するために静かに深呼吸し、配達員登録でプロフィールを書いていく。
名前:新城 回
身長:170cm
乗っている自転車:ロードバイク(TROK)
脚質タイプ:オールラウンダー
プロフィール画像は、家で撮ったサイクルウェアを着た写真を貼った。
脚質タイプは全日本メーカー選手権ロードレースのことを考慮して作られた項目だろう。
登録を終えた頃に、内田さんがデリバリーバックを持ってこちらに向かって来ていた。
「少し遅くなりました。これで注文が入り次第配達出来ます。注文が入れば2回ほど短めのバイブがなります」
「ありがとうございます」
デリバリーバックの支払いをして、デリバリーバックを受け取る。
「以上になります。お忘れ物が無いようお願いします」
「わかりました。ありがとうございます」
デリバリーバックを担いで部屋を出た。
誰もいないエレベーターに乗り、閉めるボタンを押そうとした時廊下の方から声が聞こえる。
「すいませーん! 乗りまーす!」
1人の女性がデリバリーバックを担いで走ってきている。
オレンジで半袖のランニングウェアに腕にはアームカバーを付けていて、黒のショートパンツとレギンスを履いている。
靴を見ると靴紐が桜色で白のランニングシューズにadudasのマークが入っている。
マロンブラウンでセミロングの髪がふわっと揺れている。
女性が乗り込むと甘い香りがエレベーター内に流れ込む。
「ありがと~、何とか間に合ったぁ。今日からデリバリー始めた人?」
「はい。ついさっき手続き終わって」
「そうなんだ! 私と同じやね! 名前聞いていい?」
「新城 回です」
「なら、新城くんって呼ぶね」
「はい」
「私は宮野 春。よろしくね」
「よろしく」
彼女の身長は自分よりも少し小さいくらいだ。
「新城くんは年いくつ?」
「23ですね」
「若い! 新城くん年下なんだね、私25だよ」
「2つ上ですね」
エレベーターの扉が開いてエントランスに出た。
周囲には何人かの人が出入りしている。
出入り口に向かいながら話を続けた。
「新城くんはもう研修の連絡入った?」
「いえ、まだ入ってないですね」
「そっかー、私も入ってないんだ」
「そうなんですか」
「うん」
「宮野さんは自転車何乗ってるんですか?」
「私はクロスバイク!」
自動ドアが開いて駐輪スタンドが視界に入る。
「あれ私の!」
彼女が指差す先には白色のクロスバイクが見える。
近付いてフレームを見てみると黒色の太字でLevと書かれている。
「Levはかなり軽いからいいですね」
「そう! めっちゃ漕ぎやすい!」
彼女は嬉しそうに話す。
昔からLevは軽量で漕ぎやすいことから女性に人気がある自転車だ。
「あ、ちょっと待ってね」
彼女は急いで携帯を取り出す。
「私注文入ったみたい! もう行くね!」
そう言うと急いでロックチェーンを取り外してクロスバイクに乗る。
「また会えるといいね、新城くん」
笑顔で手を振って行ってしまった。
彼女が去った後は車が通る音がよく聞こえる。
ロードバイクのロックを外してサポートセンターを後にした。
曇り空から微かに晴れ間が見え、薄明光線が差し込む。
あれからビル群を抜けて箔宮駅とは反対方向へ向かっていた。
ここもいくつかビルが建っているが、駅と違うところは住宅街や飲食店があるところだ。
デリバリーバックは思ってたより軽いんだな。
思っていたよりコンパクトで配達しやすい構造になっている。
信号待ちでふっと目に入るものがあった。
ビルぐらいの広さで自動販売機やベンチが見える。
公園だ。
信号が青になりすぐに向かった。
自動販売機でペットボトルのスポーツドリンクを買い、飲み口とラベルの間ほどの量を飲む。
ベンチに向かう途中周りを見渡すが、誰一人見当たらない。
平日の昼間にここへ来るのは俺ぐらいか......。
ベンチには背もたれがあり、2人は余裕で座れるスペースがある。
デリバリーバックを横に置いて、デリバリーバックの前にロードバイクを立てかけた。
ベンチに座って辺りを見渡す。
公園の周りに植えられている桜の木が風で静かに揺れる。
蕾が揺さぶられ、桜の花びらが静かに散っていく。
もうこんな時期か。会社で働いている時には気にもしなかったな。
桜を眺めて思い出す。
「回、もう一度目指さないか? 日本一のロードレーサー」
点検中のTROKを見つめて考えた。
少しの沈黙が続いて息を深く吐いて答える。
「悪いが、少し考えさせてくれ」
「回、今がチャンスやぞ。もう2度とないかもしれんげんぞ」
「俺は仕事としてデリバリーを選んだ。それにプロの道は現実的じゃない」
「そうか......。分かった」
そういうと蓮は背を向けて点検を始めた。
その背中からは哀愁が漂っていた。
太もも辺りから締め付けられる痛みで現実に引き戻される。
しばらく落ち着いていた筋肉痛が今頃になってまた襲う。
やっぱり今日1日は治りそうにないな。
太ももを優しくさする。
「筋肉痛かね」
――?!
突然声をかけられて驚く。
声をかけられた方を向くと白髪でかなり痩せているお年寄りの男性が隣に立っていた。
チェック柄の紳士シャツにスラックスを履いている。
見た感じ老後生活を送っている80歳ぐらいのじいさんだ。
「ここの桜は毎年綺麗でね」
微笑みながら桜を見ている。
(さっきこのじいさん俺が筋肉痛だと見抜いた!? 偶然か?)
動揺して目を見張る。
「最近リュックを担いで配達する人が増えてるね。君もそうかね?」
お年寄りはベンチに置かれたデリバリーバックを見て話す。
「あ、そうです。今日から始めました」
返事が少し遅れてしまう。
「そうかい。若い人には頑張ってもらいたいねぇ」
こちらを向いて話すお年寄りの表情は穏やかだった。
「君、名前はなんて言うんだい?」
「新城 回です」
「新城君かあ」
背中越しに何度か振動が伝わる。
「ちょっとすいません」
急いで携帯を確認する。
通知には”研修を始めます”と書かれていた。