第三話 ストーカーvsストーカー
――朝顔、朝顔!
「う、ん?」
「朝顔! もう授業終わったよ!」
朝顔は状況を整理するのに十秒ほどの時間がかかった。
最後に覚えているのはダルそうに授業を進行する科学教師の姿だ。そして現状、帰り支度を終えている生徒達。時計の針は十五時五十分を指している。つまり、朝顔は五限の科学の授業の中盤から今に至るまで爆睡していたということになる。
「…悪い。今すぐ支度を済ませる…」
「でも珍しいねぇ、朝顔が居眠りしてるところ初めて見たよ」
朝顔は手さげのカバンに教科書を詰める。
「…すこぶる調子が悪い。こんな日は嫁菜をウォッチングしよう」
「えぇ!? まっすぐ帰りなって‼ もしくは病院―――」
「僕にとって一番の特効薬は嫁菜だ」
大真面目な顔で朝顔は言い切った。
あやめは慣れた様子で「それで治るなら…」と肩を落とす。
「あ! だけどもう嫁菜帰ってるんじゃ…」
「見るだけなら普通に家を訪ねればいいんじゃないの? 幼馴染なんだし」
「駄目だ! それは僕の主義に反する! 嫁菜のプライベートタイムを僕のためなんかに使わせてはいけない‼」
「まぁ、プライベートを害さないからって限度はあるけどね? まったく朝顔は本当に嫁菜ちゃんのこと大切なんだねー」
あやめはどこか含みのある笑顔で言う。
「嫁菜ちゃんはさっき校門を出たばかりだから、走っていけば間に合うよ」
「本当か!?」
朝顔は慌てて支度を済ませ、ダッシュで教室の前扉の方まで行った。去り際にあやめの方を向き、
「悪いなあやめ。待っててもらったのに」
「いいんだよ朝顔。ほら、早く行かないと嫁菜ちゃん成分充填できないよ?」
「ごもっともだ!!!」
朝顔が立ち去った教室でポツンと一人、あやめは空を眺めた。
「どうせなら僕のことストーキングしてくれればいいのに…なーんて」
PM3:50
朝顔は嫁菜を警護するため走って暗記している嫁菜の通学路を辿っていた。体調は相も変わらず悪いが、嫁菜のためなら力を出せる。そう体が出来ている。
(ようやく追いついた…!)
嫁菜は一人で帰路についていた。いつもは友人の要睡蓮と帰っているのだが今日は一人、なにかしらの事情があったのだろう。
(今日は添加物(要睡蓮)がいない。運がいいな)
朝顔は息を整え、目を閉じる。
気配遮断、発動。
長年のストーキング生活で身に着けた気配遮断能力、続いて耳を澄ませ、目を小さく開く。
周囲の気配を探知。
この間、約一秒。
朝顔は周囲の音と空気の流れを見る。そして、周りの環境を把握した瞬間ピキッと額を絞らせた。
(誰かいる…?)
朝顔の後方、曲がり角の所に人影が蠢いていた。
朝顔は後ろを振り返り、その影を視認すると怒りの炎を胸の内に宿した。
足を止め、嫁菜の姿が見えなくなるのを確認すると、朝顔は人影に近寄る。
「嫁菜をストーキングするとは良い度胸じゃないか。変態め、成敗してやる!」
聞こえるように言ったつもりだが、人影は塀の陰から出てこない。
朝顔はしびれを切らし、大声を上げる。
「出て来いよ! そこにいるのはわかっている!!」
朝顔の言葉に今度こそ影の主は反応した。
ゆっくりと塀から身を乗り出し、その姿を見せる。朝顔は彼を見てほんの少しだけ驚いた。
「鈴木…岸花」
昼休みに朝顔のクラスに来ていた美形の男子生徒。だが纏っている空気は以前見た軟派なものじゃなく、暗くて憂いを帯びたものになっていた。
「影に溶けていた俺を発見した…間違いなくセンサーを持っている。なるほど。やはりお前、裏世界の関係者だな?」
裏世界? と朝顔は首を傾げる。
「適当なこと言って言い逃れさせないぞ。嫁菜のストーキングをやめろ暇人め! 僕は寛容な男だ、一度は見逃してやる!」
「嫁菜? 誰だそいつは。俺が尾行していたのはお前だ、東雲朝顔」
「なんだと?」
「…昼休み。俺を見て迷彩服だ自衛隊だとか言っていたな? その言葉の真意、教えて貰うぞ」
鈴木岸花は制服の内ポケットからとあるアイテムを取り出した。
…それは刃にカバーを付けた包丁ほど大きさのナイフだった。
岸花は黒のカバーを外し、刃先を朝顔に向ける。
「お、おい冗談だろ? お前、なにをする気だ?」
「お前の正体によっては取返しがつかなくなる。とりあえず、無力化させてもらう!!」
ガッ!! と地面を抉りそうな蹴り出しで岸花は走り出した。
朝顔との距離はおよそ三十メートル。朝顔は四の五の言ってられない状況を面し、最も信頼する武器を懐から抜いた。
「拳銃だと…?」
慣れた手つきで標準を絞り、引き金を引く朝顔。パンッ! と軽い音をたて、銃口から弾丸が放たれる。
弾丸は真っすぐと空気を裂き、鈴木岸花の左足を貫いた。
「先に凶器を抜いたのはお前だ。恨むなよ」
左足の脛から血を噴出し、バランスを崩し転倒する鈴木岸花。
普通なら苦悶の表情を浮かべ、激痛のあまりのたうち回る場面で彼は冷淡な顔つき冷静に状況を見極めた。
「ほう。左足を正確に撃ちぬくとは恐れ入った。だがこれで確信した、お前は異常だ。戦闘を続行する」
(なんだコイツ…? 足を撃ちぬかれたんだぞ、何ともないのか!?)
朝顔は目の前の同級生から畏怖を感じ、二歩下がった。
「さて。修復は完了した」
そう言うと岸花はまるで健常者のように、淀みない動きで立ち上がった。それも左足を軸として。
「馬鹿な…!」
そしてそのまま朝顔と再び対面する。
――やばい!!
と思った時にはすでに引き金を引いていた。今度は足じゃない、頭や左胸を狙って。しかし、鈴木岸花は放たれた弾丸を容易く弾き落とした。
「……!!」
朝顔が絶句するのも仕方ない。彼の動きは人を超えていた。人体の反応速度、可動スピード、共に限界を超えている。
朝顔に向けて加速を始める岸花。朝顔は銃弾が見極められた現実を深く受け止め、カバンからある物を取り出す。
「弾丸は防げても…」
朝顔が取り出したのはデジタルカメラだった。
「カメラだと?」
「光は防げないだろ!」
朝顔はカメラのフラッシュを焚き、目つぶしを計る。
「……!!」
岸花の眼は封じた。硬直は一秒とない。だが十分だ。たとえ一瞬でも隙があれば撃ちぬける。
「甘いな」
「なに!?」
一閃。岸花は目を閉じたまま銃弾を弾き、二閃、その勢いのまま朝顔が持つ拳銃を切り裂いた。
「こちらもセンサーを持っているとは思わなかったのか? 霊魂を感知すれば眼を閉じていてもすべての物の位置は把握できる」
岸花はガラ空きになった朝顔の腹に膝を入れる。朝顔の体内から空気を吐き出させた後足払いし、ナイフを上から突きつける。
「ごはっ!!」
「俺の勝ちだ。まずはお前の魂の器、測らせてもらう…」
岸花の瞳の色が黒淡に落ちる。それは切り替わった証、表から裏への視界のシフトチェンジだ。
岸花は見る。朝顔の霊魂、その計り知れない潜在能力を。
「お前―――――!!!!!!!!!!?」