第二十九話 ストーカーと日常
とある公園の側。夜道で化粧の濃い女性が携帯をいじりながら歩いていた。
「あ、やっべ。充電切れちった」
女性は電源の落ちた形態をブランド品のトートバックにしまい、自宅へ向け歩き出す。…その背後を、マスクや帽子で顔を隠した小柄の男がつけていた。
女性は男の気配にすぐに気づき、舌打ちして振り返る。
「ちょっとお客さん。仕事では愛想よくしてあげたけど、プライベートは別…」
ぐちゅ。と聞いたことのない音が女性の耳に届いた。瞬間、抱えきれない激痛が下腹部に走る。
「い、ぎゃあああああああああああああああああああああ!?」
「ふ、ふふ…その声だ。その声が聴きたかった」
男は血みどろのナイフで何度も、何度も女性を刺す。
女性が悲鳴を上げるのを辞めても、何度も何度も…
女性の色が赤く染まったの確認して、男は笑い、ナイフから血を拭きとって何事もなく女性に背を向ける。
「おっと。終電が出てしまう。早く退散しなければな。あぁ、そうそう…帰りに牛乳を買っていかなければ。コンビニに寄っていくか」
まるで今起きたことを忘れたの如く、男は平然と日常に戻っていった。
6/1 AM7:30
「朝顔。顔色悪いね…」
「ああ。ちょっとグロテスクなサスペンスを見てな…」
朝顔はいつも通り武藤あやめと共に通学路の住宅街を歩いていた。
「ねぇねぇ朝顔! 昨日ね、ついにオカルト研究会を設立出来たんだよ!」
「え…本当に? あやめみたいな物好きが他に居たとはな…担当の先生は?」
「岡本先生が科学部と並行して担当してくれた!」
「あの眼鏡かけたオッサンか…」
朝顔とあやめは他愛ない雑談をしながら歩いて行く。
その二人の進行先の電柱に、ピンク髪の少女が身を潜めていた。
「…今日こそお礼言わなきゃ…」
鈴木桜。彼女は前回の裏世界探索において、あと一歩で死ぬというところまで追い詰められた、そしてその窮地を朝顔とホーク・キッドに助けられたのだ。
彼女は何度も朝顔に礼を言おうとしたが未遂に終わっている。ちなみにホーク・キッドにはすぐに礼を言えた。
『ありがとね。ホーク・キッド』
『いえ。仲間ですから当然のこと』
『これ。お礼のプラモデルね』
『おお! これは1900年代を代表する火縄銃…(割愛)』
『えっと、私…あなたのこと勘違いしてて、その件についても…』
『す、素晴らしい…完璧な造形です…コレを一目見るだけで今日一日がんばれるぅ…』
『聞いてないや…』
ホーク・キッドには容易く言えたのに、朝顔にはなぜすぐに言い出せないのか、それは本人でもわからずにいた。
「くそっ…!」
桜の手にはお礼の小包が握られている。
「よし…! 行くぞ!」
と言って足に力を入れると心臓が跳ねて、同時に退いてしまうのだ。
…ちなみに、朝顔は桜が隠れていることに気づいていた。
(なにやってるんだアイツ?)
「よし…次こそ行くぞ、絶対行くぞ…! せーっの!」
「なにやってるの? 桜…」
「うひゃぁ!?」
桜が電柱から一歩踏み出した瞬間、背後から声を掛けられた。
桜は意識外からの問いかけに驚き、足を搦めて転んでしまう。同時に朝顔とあやめの前に放り出される形になった。
桜に声を掛けた少女は転んだ桜に近づいて膝を上品に畳み、問いかける。
「大丈夫?」
「お、おはよう薊…」
薊と呼ばれた少女は桜と同じ制服を着た黒髪の少女だ。前髪は目の上まであり後ろ髪も肩につくほどはない。大人しそうな外見で現に本人もまったりとしたこもった声で喋る。
「うん。おはよう桜。それで、なにしてるの?」
「説明すると長くなるからぁ…秘密」
いたた。と膝を曲げて立ち上がろうとする桜。
桜に差し伸べられる右手、桜は反射的に「ありがとう」とその右手を掴む。そして起き上がった時に、その手の主が薊ではないことに気づいた。
「なにやってるんだよ。鈴木桜…」
「あ、アンタは…」
桜の顔が赤く染まる。
そしてわなわなと唇を震わせ、キッと朝顔を睨む。そして左手に握ったクッキーの入った小包を押し付けた。
「これ! お礼ね! 前に助けて貰ったことの!」
「助ける? 僕がお前を?」
「忘れたの!? 前回の…」
裏世界探索の時。と言おうとして桜は口を閉ざした。裏世界の情報は外漏れ厳禁、周囲にはあやめと薊がいるため絶対に口に出してはいけないのだ。
「と、とりあえず受け取っときなさい!」
「はぁ? おい…!」
桜は小包を押し付けるとダッシュで学校へ向かった。
取り残された三人は顔を会わせて首を傾げる。
「おはようございます。朝顔さん」
薊が言うと、朝顔は一瞬知らぬ顔をするがすぐに彼女のことを思い出した。
「ああ。あやめ妹か」
「薊です」
「あれ? 二人って面識あったっけ?」
「この前お世話になったことがあって…」
彼女のフルネームは武藤薊。武藤あやめの実の妹である。
朝顔や桜が学校に行ってる中、ヒンメルパイロットチームの一員“アザレア・ストック”は一人で病院に来ていた。手にはスーパーで買った果物が袋詰めされている。
アザレアは手元の果物を見て「食べられればいいな…」と呟き、“Nastur Clematis”と書かれた表札のある個室に入る。
扉をガチャッと開けると、綺麗な歌声が扉の隙間から耳に滑り込んできた。アザレアはその歌声を聞くとどこか泣きそうになるが、堪えて笑顔で病室に入っていく。
「おはよう。ナスター…」
髪のない青目の少女。頭には包帯が巻かれている。
ナスタ―と呼ばれた少女はアザレアの声にすぐさま反応し、満面の笑みで窓に向けていた瞳をアザレアに向ける。
「アザレア! おっはよー! ねぇねぇ聞いてよ! また新しい曲考えたんだ~」
仰々しい医療機器を諸共せず、彼女は元気な様子で応える。段々、その元気が増しているのは回復の兆候か、それとも…
「よーし! じゃあ早速、譜面に書き出すとするか!」
不安を押し殺し、陽気な声色でアザレアは言い放った。




