第十八話 裏世界の仕組み
[君…は?]
「…おっさん。僕が連れてってやるよ――娘さんの所まで」
岸花とアザレアは一部の迷いなく朝顔を止める。
「くだらない同情はやめろ。そいつは死人だ、死んだ人間だ。…幸せを願っていい期間は終わっている」
裏世界にいる黒い人間や“色付き”のことをまとめて死人と呼称されている。
「あ、朝顔…あのな――」
アザレアが朝顔を説得しようと言葉を紡ぐ前に朝顔は内線をプツリと切った。
朝顔はホーク・キッドを操って、ボロボロになった“色付き”を抱きかかえる。しかし上半身は動かせるものの、ホーク・キッドが管理する下半身は動かなった。
〔朝顔殿。申し訳ありませんが、賛同しかねます〕
「――なんでだよ…」
〔彼は裏世界の住人! 表と裏は本来交わうことはないのです…‼ いいですか朝顔殿、“色付き”を救うことは絶対にできません!! それがこの世界の理です!!〕
「黙れ…‼ この人は…“東 英雄”は生きてるんだよ! お前には化物にしか見えないかもしれない! だけど、僕にはちゃんと見えるんだ…自分の命を賭けて誰かを救おうとするお人よしの姿が! こんな世界に来てもまだ、娘との約束を守ろうとする父親の姿が!! “絶対”がなんだって言うんだ!! 誰かが何度『絶対に助けれられない』って言ってもなぁ…僕はその倍『絶対に助ける』と叫ぶ! それが僕のやり方だ!! 邪魔をするな!!!」
一ツ目の色付き“つとむ”戦の時、最後の最後でホーク・キッドが見せた輝きを朝顔は放つ。放たれた白光は朝顔からホーク・キッドへの伝わり、周囲ごとホーク・キッドを包み込んだ。
〔くっ…コントロールを…!?〕
朝顔はホーク・キッドの操縦権を完全にパイロットだけのものにし、ループ・ホールのある方向へ飛び立った。
ホーク・キッドの背中を眺めながらアザレアは岸花に問う。
「いいのかよ!? 行かせちまって!!」
「ここで止めに行っても結果は同じだ。俺が百回真実を言おうとアイツは信じないだろう、だから自分の手で見せてやるんだ…この世には、どうしようもないことがあると…」
岸花も、アザレアも、桜も、パンジーも、菫も、マヤも、パオトルも、イラマも、マクイルも、誰も止められたのに止めなかった。
皆、一度は考えたことだ。“死人が生き返ったらどれだけいいか”と。死人ともう一度、表の世界で生活できたら、と。しかし、世界はそんなに甘いものじゃない。
ヒンメルは人間すべてを救う機関ではなく、生者を守る機関だ。彼らは死人すべての敵、そこに善悪の区別はない。
朝顔は上空に浮かびながら、ボロボロの“色付き”に視線を落とす。
[少年…私はもう、力が…]
「踏ん張れよ。僕の百分の一は頑張れるんだろ?」
朝顔の返しを聞いて“ひでお”は、死後はじめて笑った。
[ふふ…まさか、まだこの手を掴んでくれる人がいたとはね。あと少し前に、君が手を差し伸べてくれたなら…]
ループ・ホールは目と鼻の先だ。朝顔は汗をかきながら細心の注意を払って“ひでお”を抱える。
[少年、君には大切な人がいるか?]
“ひでお”の問い、朝顔は笑みを浮かべて答える。
「いるよ。すっごく可愛い女の子だ、ここを出たら写真を見せてやる。特別だ」
[…そうか、それはぜひとも見たかったなぁ…ふふ]
朝顔と“ひでお”はループ・ホールの歪に入り込む。すると、“ひでお”の体に異変が起き始めた。
「なんだよ…これは…‼」
“ひでお”の体はループ・ホールの中に入ると手の先、足の先から砂の様に綺麗に散り始めた。
(散っていく…!? そんな、どうして――)
…死人は表世界に入ることはできない。それが、この世の掟だ。
サラサラと散りゆく“ひでお”。彼は最後の力を振り絞って少年に教訓を送る。
「少年…約束は信頼の証だ。守ればきっと財産になる、だから、大切な人との約束は…」
“ひでお”のノッペリとした顔がはがれ、最後に夢で見た登山好きの優しい父親の顔が現れた。
「死んでも、守れよ…」
朝顔は悔しそうな笑みを浮かべて答える。
「ああ。わかったよ」
最後に、人の姿になって彼は微笑み、次元の狭間に消えて行った。
裏世界から朝顔が帰還した時、ホーク・キッドの手元にはいつか見た結婚式の写真が残った。しかし、現実の写真と違い、花嫁の右後ろには大粒の涙を流した大男が映っていた。
PM8:40
ソファーや娯楽品が詰まった部屋で朝顔は帰りの支度をしていた。ここはパイロット達のVipルームのような場所だ。朝顔だけでなくパイロット全員がそこに集まっている。
「意外ね。アンタがそんなにセンチメンタルだとは思わなかったわ」
パイロットチームの中で最も若い少女、桜が腕を組みながら言う。
朝顔は嫁菜の寝間着写真を眺めながらカバンを手に持った。
「これに懲りたら二度と“裏世界”には関わらないことね」
桜は嫌味ったらしく言い放つ。言葉にはしないがこれは桜なりの心遣いだ、“裏世界”での作戦はとても少年少女が耐えられるものではない。そう、ただの少年少女ならば。
朝顔は部屋の扉の前まで行くとキュッと床を鳴らし足を止めた。
「なぁ、なんでお前らは“色付き”を倒すんだ?」
朝顔の疑問に対し、桜は神妙な面持ちで答える。
「“色付き”含めた死人は表世界に来たがる。だからアイツらは表世界に来るために時空に穴を開けるの、これは“色付き”になった際の反射的行動…“色付き”が生まれるのと同時に穴は開けられると考えて貰えばいい」
「穴ってのは…まさか――」
「そう、その穴がループ・ホールの元。結果的に時空に穴を開けても奴らはくぐれずに穴は放置される。そしてなんの意味もなく開けられた時空の穴はやがて黒い歪みループ・ホールとなる。もし私たちが決められた時間内に“色付き”を倒せず撤退した場合、ヒンメルの手からループ・ホールは離れ、文字通り表世界を蝕む“バグ”となり表世界を侵食する。その被害をわかりやすく言い換えると天災、地震や嵐となって世界を壊すのよ。だから私たちは世界をバグから守るため、“色付き”と戦う…」
“色付き”を野放しにすれば現実の世界に災害という形を持って影響する。それこそがヒンメルが“色付き”を破壊する理由。
「なるほどな…あと、もう一つだけ聞きたい」
朝顔は桜の話を聞いて過去を思い出していた。
「…あのおっさん、スーツ姿の“色付き”は言っていた、“君を喰らってでも”と。喰うってのはどういうことなんだ? 死人たちが僕らを狙う理由は害虫を排除しようとするような動作に見えなかった。――アイツらは一体、僕らのなにを奪おうとしていた?」
桜は気まずそうに口をつまんだ。
すると岸花が横から朝顔の疑問に対して答えを提示する。
「命だ。死人は生者の命を喰らえば生き返ることができる」
「どういうことだ?」
「裏世界の人間が表世界の人間の心臓を食い破った場合、死人はその表世界の人間の殻を被って表世界に転生することができる。例えばさっきのスーツ姿の“色付き”がお前を食べたのなら、奴は東雲朝顔の容姿を持って表世界に回帰することができるということだ」
なんとなく、その話題はタブーのようだ。彼らの表情を見ればそれがよくわかる。
(他者の命を喰らってでも、そうまでして、守りたかったのか…あの、お人よしが――だったら…)
――なぜ、あの時、見知らぬカップルなんかを助けたんだ?
朝顔は扉を開き、帰路へつく。答えの出ない問題を抱えて、少年は前に一歩一歩前に歩いて行く。
朝顔はエレベーターで地上へ上がり、ヒンメルに繋がるルートの一つである駄菓子屋から陽が沈んだ外へ出た。
――『朝顔ちゃんは、ずっと私を見守っててくれる?』
朝顔はある日の約束を思い出し、天に昇った男に誓う。
「おっさん。僕は守るよ」
エピローグ
次の日の朝。
朝顔がなんとなく外を散歩していると子供を抱きかかえた眼鏡をかけた男性と、その妻と思しき女性、そして背後には妻の母親である老年の女性が朝顔の正面から歩いてきた。
朝顔と夫婦達がすれ違う。朝顔はそっと足を止め、後ろを振り向いた。
すると、夫婦の後ろにいる老年の女性の横にクマのような大男が歩いている気がして東雲朝顔は静かにほほ笑んだ。