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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

メールテーラー・シュヴァルベ

作者: 四葉静流

昔から、携帯電話というものがどうも苦手だった。

正確には、「携帯電話で文字と文字のやり取り」をすることが。


家庭の事情で、俺は小学校を卒業するまで父方の祖父母の家に預けられていた。

祖父は地元ではそこそこ名が通った人間で、仕事を勤め上げた後の「第二の人生」で、地域活動や趣味の交流に精を出していた。

そんな祖父が自宅の書斎で机に向かっている横で、俺はお構いなしに遊んでいた。

あまりにも入り浸るので、祖母が俺に午後の茶と菓子を出してくれる時は、祖父の分も携えて書斎のドアを叩いた。

そしてたまに、祖父がペンを走らせているのを黙って眺めていた。

祖父に尋ねられた、「見ていて楽しいのか」と。

幼いの俺が「うん」と答えたのを、未だに覚えている。

それが子供心に芽生えた日本語の奥深さへの興味なのか、カゴの中で蠢くカブトムシ代わりだったのか、今となってはそこは定かではないが。

そのことが祖父の一家言を、父を跨いで俺が継ぐきっかけとなった。

祖父はポリシーを持った人間だった。

書斎には、まるで宝石のように磨かれた万年筆や最新型のパソコンが置かれていたが、一方で数百円のボールペンも愛用し、机の引き出しには算盤が出番を待って控えていた。

特に祖父が机に向き合う理由は、手紙が多かった。

机の中に、いつも便箋と封筒と切手を常備していた。

それを支えていたのは、書斎の本棚に並べられた各種の辞書や参考資料だった。

小学校の授業の一環で、自宅に手紙を出すことよりも前に。

俺の初めての手紙は祖父の書斎で書かれ、祖父の書斎に届けられた。

それを教えてくれたのは祖父だった、褒めてくれたのも祖父だった。

それから俺は、手紙を出すことに楽しさを見出した。

クレヨンや色鉛筆で書いたお手製の絵葉書を共に暮す祖母に送り、遠い地の両親に季節の見舞いを差し出すことを習慣にしていた。

時には同性の友人に「女っぽい」とからかわれたが、俺がいたクラスではいつも手紙交換がブームになった。

祖父は言っていた、「手書きの文字、特に手紙は単なる文書通信を超えた情の示し方」なのだと。

それから、祖父は俺が中学生の頃に突然の病でこの世を去り、携帯電話ではテキストの送受信が当たり前になって随分経ったが。

俺は今でも、携帯電話は飽くまで電話とネット接続の端末で、手紙でのやり取りが好きだ。

気がついたらいつの間にか電源が落ちていたこと、二度や三度の失敗じゃない。

ありがたいことに、大学の友人は「俺に用事があるなら、まずその時俺と一緒にいそうな奴に連絡する」を心がけてくれているし、県外の大学に進学した俺と手紙のやり取りをしてくれるかつてのクラスメイトもいる。

俺の名前、「(ふみ)」という名前は祖父が名付けたものだと知ったのは、去年の盆に祖母の口から聞いたことだ。




「ん?」


日曜日の賑わいの、その一角で思わず足を止めてしまった。

昼下がりの商店街の中で、それは特別な雰囲気を纏っていた。

アーケードの屋根の両端、飲食店や銀行、八百屋に呉服店、パチンコ屋にCDショップ、そんな街並みの中に一軒だけ。

正面から眺めて二階建てのビルで、その上階はいたって普通の、どこにでもあるような灰色の建築物。

しかし一階だけ、建物の「顔」という表現できる表玄関だけは、まるで貴族の邸宅のような厳かな両開きの扉が佇んでいた。

純白に塗られ、真ん中から上は磨りガラスが嵌められている。

その周りは本物なのかフェイクなのか見分けがつかない焦げ茶のレンガが囲み、扉と同じく白塗りの西洋式窓二つが通りに面している。

扉の二つの内一つには、取っ手に「OPEN」と書かれた木製の札が吊るされていた。

その文字から察するに、何かの商売を行っているのだろう。

しかし、肝心の店名が入った看板が見当たらない。

扉の上にもない、立て看板も出ていない、扉には件の木札のみ。

これでは何の店なのか分からない。

名は体を表すというが、外見から中身をある程度想像することはできる。

この佇まいでまさか駄菓子屋や佃煮屋ではないと十中八九の予想はできるが、そこまでだ。

洋の外見ならば服屋や美容院、あるいは洋菓子やレストランということもありあえるだろう。

周囲を見渡せば、行き交う人間全てがこの店を素通りしている。

窓から店内を覗くのは、なんだか卑しいことをするような気がして躊躇ってしまう。

これでは今の俺のように、興味を持って足を止めても扉に手を掛けるのは勇気が必要だ。

もし、例えばこれで高級フレンチだったら、先月から一人暮らしを始めて何かと出費がかさんだ俺には自殺行為に等しい。

しかも現在の俺の服装は、アパートを出る前に髪だけはセットしたが、それ以外は赤のパーカーに色落ち気味のジーンズとスポーツブランドの白スニーカーという、いたって飾り気のない装いだ。

しかし、なぜだろうか、「この店に入れ」と俺が俺に命令しているように感じる。

まるで、ここで立ち止まったことが運命であり必然であると言っているかのような。

新生活に慣れるための近所散策、ただのそれだけの為のはずだ。

看板を掲げない店にも非はあるが、用もない店の扉を開けるのは失礼極まりない。

俺には明らかに敷居が高いものだった時に、店員に向かって「ごめんなさい、やっぱりやめます」と言える図太さは持ち合わせていない。

明日は月曜日、地元として通っている大学の誰かにこの店の正体を聞けばいい。

一時の好奇心さえ自制できないなんて、大学生にしては明らかにガキっぽい。

財布の中に余裕はない、バイトが決まるまでは両親からの仕送りのみの生活だ。

今、ここに入る理由はない。


「・・・」


そう考えながらも、俺は扉に手を掛けた。

結局、俺が俺であり、この店がこの店であること。

それだけで理由は十分すぎるようだ。

後悔は、事の後にすればいい。

むしろ、俺の胸中にはどこから湧いて出たのか分からない、ある種の期待を携えていた。




店内に入って真っ先に感じた印象は、「あの日の祖父の書斎」だった。

真っ赤なドアマットの先に広がっていたのは、丹念に磨かれたフローリング。

広さは畳で表すと十二枚程度。

思わず踏みしめるのを躊躇いそうなくらい、その輝きは気品を誇っている。

中央に鎮座するのは天板が一枚ガラス張りのテーブル、それを支えているのは格調高い木材の骨組み。

テーブルを囲む椅子もまた、同じ木調の作りで統一されていた。

指紋一つ付いていないガラス天板の上にはタブレット端末と、マス目の付いた濃緑の下敷き思しきものが何枚か。

店内を照らす照明は大きく分けて三つ。

天井に取り付けられたものと、中央のテーブルを照らすものと、飾り棚の中で輝くもの。

柔らかな暖色の光が、木の枠とガラス張りで構成された縦長のショーケースを照らしている。

入り口から見て、右に棚は二つ、左に三つ。

その右側に近づき確認する。

間違いない、これはトンデモナイ店だ。

ガラス扉の向こうには、わざわざ一本一本スタンドを用いて見栄え良く立てて、ネームプレートまで鎮座している筆記具が。

手紙好き高じてある程度身についた知識が囁く。

ユニのプロッキーからモンブランのマイスターシュテュック149まで、栄えある名品と呼ばれた筆が燦然と輝いてる。

逸る気持ちを押さえながら、今度は左の棚へと移動する。

こちらも、店主のコダワリを感じさせる和紙の便箋や、季節の植物が描かれたものからスマイソンのレターセットまで丁寧に陳列されている。

おそらく、ここは「書く」ことに並々ならぬ信念を抱いた者に向けた文具店だろうか。

ある意味では、俺もそこに含まれるだろうが、残念なことに現在の懐事情は決して暖かくはない。

幸い、未だに誰も挨拶に出てきていない。

「いらっしゃいませ」と言われる前に、恥をかく前に退散するとしよう。

それにしても、棚には一切鍵が付いておらず、こじんまりとした店内とはいえ、これほど店先を空けていては不用心極まりない。

いや、この店そのものが、そのような不届きを働く者を客として迎える意思がないという意味だろうか。


「あっ!いらっしゃいませ!」

「あっ・・・」


つい小声を漏らしてしまった。

爪先を玄関ドアに向けた瞬間、自らの後方から元気を体現しているかのような挨拶が飛びかかってきた。

さっさと退散すれば面倒にならずに済んだものをと、自らの胸中で説教しながら振り向く。

店の奥へと続く扉の手前に設けられた木製のカウンターから身を乗り出して、こちらを眺めて目を輝かせている少年が一人。

その真っ直ぐで大きな瞳に、後ろめたさを覚えてしまう。

第一ボタンだけは外したスタンドカラーの半袖白シャツに、そこを横断する黒のサスペンダー。

この店の雰囲気にふさわしく、シャツの表面には皺一つ見受けられない。

店主の子か孫だろうか。

これほどの信念が盛り込まれた店だ、ほぼ間違いなく個人経営だろう。


「今日は予約が入っていなかったから、初めてのお客さんかな?ようこそ!」

「あの・・・ここって、文房具屋・・・ですか?」


自分より明らかに歳下へ敬語で話すことに若干の違和感を覚えるが、周囲の厳かな雰囲気に背中を押されてか。


「ううん、気にしなくていいんだよ!看板も出してないんじゃ分からないよね!」


そう言いながら少年は、中央のテーブル横に佇む俺に近づいてくる。

カウンターに隠されていた下半身は、センタープレスが施された紺のスラックスに、おそらくは本革である深茶のローファーだった。

これでは俺の服装の方が明らかにガキっぽい。

微かに覚えた羞恥心をよそに、俺の眼前まで歩み寄った少年は、ポケットからカードケースを取り出すと、その中の一枚を両手で俺に差し出した。


「この店と僕はこういうものだよ!」


それは手書きの名刺だった。

少年を包む白シャツと同じような、キッパリとした純白の長方形に達筆で店名と人名が刻まれていた。

少年が書いたものだろうか、身なりから察するにその可能性は高いだろう。

この歳でこの筆使いとは、さぞかし立派な「英才教育」を受けている。

正直、店名の方は流暢な筆記体で、名前として認識できなかった。

幸い、人名の方は片仮名で記されていた、それでもしっかり上手い。


「コトノハ・シュヴァルベ・・・?」

「そう!僕がこの『メールテーラー・シュヴァルベ』のコトノハ・シュヴァルベだよ!店長は僕のおじいちゃんなんだ!だからおじいちゃんが出かけている時は、僕がこうしてお店に立つことがあるんだよ!」


幸い、謎であった店名を計らずとも明かした少年は、コトノハ少年は腰に手を当て誇るようにニンマリ笑った。

店名以外にも、多くの謎が一つの線で繋がった。

その笑顔で思い出した、「シュヴァルベ」は独語で「ツバメ」の意だ。


「・・・」

「もしかして、僕みたいな獣人種が濃い人を見たのは始めて?」

「・・・生で見るのは」

「そうなんだ!触ってもいいんだよ!学校ではよく触られてるから慣れてるよ!」


そう言いながら、翼の両手を胸に当てる。

鳥獣種は冠羽が人間種の髪の毛代わりだ。

肩の上で内側へと緩くカーブを描く、一つ一つの毛が大きい深青のミディアムボブに囲まれた少年の顔は、赤みを帯びた羽毛の上から伸びる嘴は先ほどから笑みを絶やすことがない。


紀元前より昔から、獣人種は貴位の常連だった。

この和国でも、歴史の教科書に載っている将軍や政治家は軒並み彼らが独占している。

戦後の改革から獣人種と人間種の血が混じっていき、今ではその前者の『濃い血の者』は珍しい。

ほとんど人間種の外見性質を備えた俺でさえ、髪が染めたわけでもないのに茶に染まっているのは、この身体に獣人種の血を引く証だ。

格調高いこの雰囲気と純血に近い獣人種、その関連性に納得を覚えるが疑問はまだ残る。


「メールテーラーって・・・なんですか・・・?」

「予約して来たわけじゃないから知らなくて当たり前だよね!この店は・・・あっ!その前に!お客さんのお名前を教えてくれないかな?僕はあんまり『お客さん』呼びはしたくないんだ」


そう言いながら、コトノハ少年が下から俺の顔を覗き込んでくる。

揺れる前髪の下の、そのつぶらな瞳に、たじろぎを感じてしまう。


「文って・・・いいます・・・」


どうして、こうも素直に受け答えしているのだろうか。

俺の方が客で歳上なのに。


「じゃあ、文さんって呼んでいいかな?僕のことはコトノハって呼んでね!敬語も使わなくて大丈夫だからね!」

「じゃあ・・・コトノハ、この店って何の店?」

「よくぞ聞いてくれました!」


後方に一歩引いたコトノハが両手を、両の翼を広げる。

まるで壇上の奇術師のように、この店全てをパフォーマンスとして披露するかのように。


「ここは『メールテーラー』!普通の文房具屋さんとはちょっと違うよ!例えば、オーダーメイドのスーツを作るように、ここでは『手紙を書くこと』に、道具や辞書で最大限アドバイスするよ!もちろん僕自身もアドバイスするし、書きたい文章を言ってもらえれば代わりに書くこともできるよ!ここだけの話、この商店街のとある店の伝票はここで書かれてるんだよ!」


なるほど、棚の品々には値札が一切掲げられいなかった。

その言葉通り、販売を生業としているわけではない「メールテーラー」故か。

親しみを感じさせるコトノハの所作に釣られてか、胸中に残った疑問を投げかけてみる。


「予約制ってのは?」

「いつもはネットから予約して来てもらうようにしてるんだ。ほとんどのお客さんはここで手紙を書いていくから、誰かに見られちゃ恥ずかしいよね?今日はたまたま予約が入ってなかったからラッキーだったね!」

「看板も出していないのに、さらにネットの予約制じゃ全然客が入らないんじゃ?」

「文さんは駅に入ってる『燕屋書店』って知ってるかな?」

「知ってるけど、まさか・・・!」


燕屋書店は、ここから最寄りの駅ビルの中に大きく構えた書店だ。

足を運んだ際には、多くの客が物色しているのを見て取れる。

書籍以外にも文房具の取り扱いがあり、この界隈の学生にとっては一種のライフラインとしても機能している。

この街には未だ疎いが、郊外のショピングセンターにも同じく大型の分店が存在しているらしい。

その名前、今まで疑問に思ったことなんて無かったが、「燕屋」とは。


「今は僕のお父さんのお店で、おじいちゃんから継いだんだ。この店はそっちの方でポスターで宣伝してるんだけど、あんまり人気になるとお客さんがゆっくりできなくなるから、いっぱい宣伝はしないし看板も出してないんだ」

「こう言っちゃなんだけど、それで儲かるのか?まさか・・・!」


コトノハの笑顔で忘れていた懐事情を思い出す。

小さいながらも俺の心境を察したようで、両の翼を横に振った。


「そんなに高くはないよ!詳しいお金の話をすると、例えば普通の葉書一枚で、葉書代込みで500円ぽっきり!葉書とか便箋とか封筒とか切手のお金は貰うけど、ペンや鉛筆は全部タダで好きなだけ使えるよ!」

「・・・逆にこんなこと言うのもなんだけど、それで儲かるのか?」


コトノハの笑みが、はにかみとも苦笑ともとれるものに転じる。

そこから察した俺が言葉を紡ぐ前に、コトノハが先に口を開いた。


「おじいちゃんはね、『手紙を書く文化』を守りたいんだって。僕も同じ気持ち。僕が生まれた頃にはケータイもパソコンも当たり前になっていて、今じゃ年賀状さえケータイで済ませちゃうような時代だからね。お父さんのお店で儲かった分を、おじいちゃんがこの店でお客さんに『かんげん』してるんだ!手書きの文字で自分の気持ちを相手に伝えることを、おじいちゃんは守りたいんだ!僕も同じ!だから名刺は手書きだし、手書きの伝票の『だいひつ』もやってるんだよ」


眼前の少年を黙って見守りながら、胸中で感動のようなものが湧き上がってくるのを、それに身を委ねていた。

これまで多くの手紙を書いてきた、何度も辞書を開いて、何度もペンを握って。

その俺が、何も言えなくなっている。

俺の中で「何か」を突き動かすほどの、それを体現したこの店と、その中で笑む少年の煌めきに。

本当はその「何か」を知っている、ずっと一度も忘れたりはしていない。

ただ、見えなくなってしまったそれを、消えてしまったそれを。

今ここに見出そうとしている。


「文さん、どうする?せっかくなら今ここで手紙を書いていかない?さっきも言ったけどそんなに高くはないよ!文さんが書けば、貰った人は嬉しいと思うし、僕も嬉しいし、文さんも嬉しいと思うよ!」


屈託のない期待を浮かべた瞳が、俺を見つめる。

この少年は知らないことだが、昨晩に目下の返信は全て書き終えて、此処を訪れる前に郵便ポストの中へ投函した。

再度便りを待つだけの今の俺に、手紙を認める理由はない。

相手は店員とはいえ子供だ、「やっぱりやめておく」と軽く言い放つこともできる。

それでも。


「お願いしたい」


俺はテーブルに沿う椅子の背を掴み、引いた後にそこへ座った。

その横のコトノハの視線が俺より上になる、その輝きは一層増す。

俺が俺で、この店がこの店で、手紙が手紙で、コトノハがコトノハで。

それだけで、理由は当たり前より十分すぎる。


「ありがとう!さっそく準備するよ!どんな紙がいいかな?どんな人に書くのかな?どんなペンがいいかな?」


次々と問いを投げかけるコトノハは、顔の左にポケットから取り出した黄色の飾り羽を挿して、そこに髪を掛けた。

それがこの少年にとっての「仕事モード」のようだ。


「封筒と便箋がいい。色も柄も紙質も任せる。俺に合うものを選んでほしい。ペンはあれ」


そう言いながら、俺は右の棚を、その中の一本の筆を指差す。

コトノハの顔に疑問の色が浮かぶ、そして俺の顔を窺う。


「もしかして、あれかな?」


風切羽の指で俺と同じと思しきものを指す。


「じゃあ一緒に名前を言ってみよっか、せーの」

「「インジュニュイティ」」


コトノハが再び満面の笑みを向ける。

やはり俺とコトノハは同じものを、黒と金色のペンを指差していた。


「いいね!とってもいいペンだよ!もしかして、文さん持ってる?」

「家にある」

「一応確認するけど、ちょっと裏抜けしやすいし、お客さんが使ってるものだからペン先が少し癖があるし太くなってるけどいいかな?」

「大丈夫」

「もしかして文さん、字を書くの好き?」

「わりと」

「嬉しいなあ!じゃあそんな文さんにピッタリの封筒と便箋を用意するから、少し待っててね!」


パタパタと小気味いい動きで俺の眼前に、テーブルの上に物書きの準備を整えていく。

まるでコース料理のようだ。

まずは目の前に予めテーブルに置かれていた下敷きが用意され。

その横に、件の筆が乗せられた木製のペントレイ。

テーブルを挟んで対岸の席の前に、分厚い辞書や辞典アプリをスタンバイさせたタブレット端末が控えた。

その様子を眺めていると、「僕も手伝うし、好きに使ってもいいよ」と翼でサムズアップを作る。

最後に、コトノハが左の棚のガラス戸を開け、その中から一組の便箋と封筒を手に取り、俺の前に広げた。

それは。


「星空?」


それは、星空の便箋と封筒だった。

文字を記す部分は白塗りだが、その隅には濃紺の色の上に小さな金や銀の色の箔が散りばめられている。

「失礼するよ」と言って、俺の反対側にコトノハが椅子に腰を下ろした。


「僕から見て、今の文さんに合うのはこれかなと思ったけど、どうかな?」


コトノハは、片方の翼をテーブルの上で横にして、もう片方の翼でもう一度冠羽を飾り羽に掛ける動作をする。

そして真っ直ぐに、俺を見つめてくる。

それがなんだか少しこそばゆくて、つい視線をテーブルに広げられた便箋へと落とした。


「嫌ってわけじゃないけど、少し意外。今の俺って、こんなイメージなのかって」

「あくまで僕から見てだけどね。ねえ、文さん。文さんが手紙を書くところ、見てていいかな?ちょっと恥ずかしいなら奥にいるけど」

「いや、見られるのは慣れてる」


小学校から、休み時間は自らの机で手紙を認めることが多かった。

今更そこに恥ずかしさを覚えるほど若くはない。

俺は視線を下ろしたまま、ペンを手に取り、キャップを外してトレイに置いた。


「ありがとう!もう一つなんだけど、誰に書くか教えてくれないかな?そうすればアドバイスしやすいから」


俺は顔を下に傾けたまま、視線だけを上げてコトノハを見る。

燕の少年は顔を少し傾けて、一つ頬杖をついて微笑んでいた。

もう一度、便箋に戻す。

誰に書くかはもう決めている。

返信待ちの身の俺がたった一つ、いつ書くかいつ出すか、それを見失っていた手紙。

コトノハの「メールテーラー」としての才覚は確かなものだろう。

それを書き連ねるのに、この便箋と封筒は合っているのかもしれない。


「祖父に」

「文さんのおじいちゃんになんだね!きっと絶対文さんのおじいちゃんは喜んでくれると思うよ!」

「どうかな」

「・・・文さんはおじいちゃんとあんまり仲が良くないの?」

「いや、むしろとても良かった」

「『良かった』?」


歳上が子供にこんな話をするのはよくないと、誰かに窘められるのかもしれない。

俺としては、どういうわけかコトノハに聞いてほしかった。

両親や親友にさえ、こういう風に言えなかったこと。

それは単なるエゴかそれに準ずる何かかもしれないが、どうしても話したかった。

ずっと胸の内に抱えたものを。


「もう、この世にいないから」


沈黙。

自分で言ったくせに、次の言葉を見失っていた。

これを言ってしまったら我慢できなくなるのではと予感していたが、不思議と涙はこぼれなかった。

目を伏せたまま、ペンを動かすわけでもなく、そうしていると。


「文さんって、すごくおじいちゃん思いなんだね」


頭の上を、何かが左右に撫でる感触が。

視線を上げると、いつの間にか席を発ったコトノハが俺の横にいて、俺の頭を撫でていた。

その顔には、俺に向けられた少しだけ笑みが。

これまでの、若さと性格に由来するものではなく。

明らかに俺の為を思っての、そんな笑みが。

出会って初めて、その瞳の奥に、力強さを感じた。


「文さんの手紙、絶対おじいちゃんに届くよ、絶対に」

「そうか?」

「うん、絶対に」

「・・・ああ、そうなのかもな」


それからしばらく無言。

その間、コトノハはずっと俺の頭を撫でてくれた。

人間種の手とは違う、あの時撫でてくれた祖父の手とは違う、コトノハの翼の感触。

俺はそれを受け入れた。

俺が求めていたのは、ずっとこれだったのかもしれない。

結局、手紙を書くことの向こうに求めていたものがこれで、それを与えてくれたのが自分より小さな少年だった。

恥ずかしいというより、コトノハに「ありがとう」と言いたい。


それから、コトノハは「今日は何時間でもいていいからね」と言って、玄関の扉を開けると、「OPEN」の札を店内へ仕舞い込んだ。


のち、コトノハがもう一度椅子に座るのを見届けると、俺は便箋に筆を走らせ始めた。


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