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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暗闇にまたたく

作者: 冬長

ずいぶん昔に自サイトに上げたものを転載しています。

よろしくお願いします。

 どことも知れぬ空間だった。何もない、暗い闇のような空間。

 その中で、いくつもの光の欠片がちらつく。その光のひとつが、ゆっくりと近づいてきて――


「いらっしゃいませー!」


 光が通り抜けたような錯覚の後、すぐに元気な声が正面から向けられる。髪の長い女の子が、にっこにこと満面の笑みで立っている。

 なんだか詐欺にあったような気分になり、すぐさま背を向けた。


「あ、ああ、あああ!? 一言めで背を向けられた! なんで!? むしろ初体験!?」

「お前はもう少し言い方を考えろ」


 ごんっ、と鈍い音が響く。重なるように悲鳴も聞こえてきて、思わず振り向いた。


「そこのお前も。戻るのは勝手だが、ここがどこかは理解しているのか? 何も知らずにここを出たら、消されるだけだ」


 いつの間にか、女の子の後ろに青年が立っていた。黒髪の、やたらと目つきの悪い青年だ。睨みつけられているように感じて、思わずたじろぐ。その目は、恐怖を覚えるくらいに真剣なものだった。


「そっちは知っている、と?」


 それでも言い返してしまったのは、青年が妙に偉そうだったからかもしれない。

 彼は少し驚いた顔をしたが、意外なことに楽しげな笑みを浮かべた。


「当然だ。俺は違うが、こいつは案内者だからな」

「はいはーい、案内者でーすっ」


 青年が女の子の肩を軽く叩く。女の子は存在を主張するように大きく手をあげ、またも満面の笑みを浮かべた。


「君は」

「俺か? 俺は補佐みたいなもんだ。この馬鹿があまりに役立たずだから」

「役立たずってなにー! ここの案内者は私ー!?」


 女の子は憤慨したように肩の手を振り払う。それを見やり、彼は呆れたように目を細めた。


「喧しい。そういうでかい口は、一丁前に役割を果たせるようになって、俺を解放してから言え。あー、くそ、話が進まん」


 苛立たしげに言い捨てて、彼は暴れる女の子の肩を押さえつけた。そして、思わず呆気に取られていたこちらを見やる。


「とりあえず、だ。お前、自分の名前は言えるか?」

「名前?」


 何を当たり前のことを聞いているんだ、と言い返そうとして。

 自分の名前が思い浮かばないことに気付き、愕然とした。

 いや、名前だけではない。何も、なにも知らなかった。自分が誰であるのか、どこから来たのか、どこに行くべきなのか。なぜ、ここにいるのか。

 何ひとつとして、分かっていなかった。


「分かったか。今のお前は迷い込んだ存在であり、ものすごく不安定なものだ」


 震える手で胸元を握り締めていると、彼は容赦なく言葉を向けてくる。


「ここはそういった、迷い込んだ存在たちを、元の場所に戻すための通過点。お前が誰であるのかを探し、戻すための場所」

「ゆえに、案内者なのでーす!」


 言い聞かせるように言葉を紡ぐ彼に対し。女の子はどこまでも楽しげで、奔放だった。またも両手を挙げて笑う彼女を、青年は遠慮なく殴りつける。声もなくしゃがみこんだ女の子は、さすがに痛そうだった。青年の方は呆れ返った顔でため息をついている。


「だから、話が進まん。とにかく、だ。なにか、思い出せることはないか?」


 そう言われても、知りたいのはこっちの方なのだ。彼に言われたところで思い出せるわけではない。


「無理に、思い出そうとしなくていい。そうだな」


 青年は軽く首を傾げたかと思うと、まだしゃがみこんだままの女の子に視線を向けた。


「こいつに会う、直前。何を見た?」


 言われて、その光景を思い出す。そうだ、あの綺麗な景色を見た後だったから、あまりに場違いなテンションに思わず踵を返しかけたのだ。暗い闇に広がる、いくつもの小さな光たち。それは、まるで。


「星、を」


 夜を彩る星。月のように明るくはないけれど。確かに、輝くもの。


「ほし」


 いつの間にか立ち上がっていた女の子が、どこかつたない発音で『星』という言葉を繰り返す。

 ほし、ホシ、星。少女が言葉を繰り返すたびに、ゆっくりと空間が歪み始めていた。

 白かった部屋は、段々と変形していく。ぐにゃぐにゃと空間が捻じ曲げられるような光景に、不快感を覚えて口元を覆う。青年の方は慣れているのか、何ということもない顔をしてそれを見つめている。


「大丈夫か」


 ふとそんな言葉を掛けられて青年を見る。一瞥するように視線を投げてよこした彼は、大丈夫らしいと思ったのか、また女の子へと視線を戻した。

 その頃には、部屋の内装はすっかりと変わっていた。

 いや、もはやこれを、部屋と呼ぶのだろうか。そこは『星空』だった。女の子に会う前、あの光が通り過ぎる前。見ていた、光景。

 闇の中。一条の光も差さないような闇の中に、いくつも散らばる輝き。まるで、夜空に放り出されたかのような。


「……違う……」


 だが、思わず呟いていた。

 違う。俺が見たのは、こんな綺麗な光たちではない。俺が、見たのは。


「見えたものは」


 ふいに、女の子の声が響いた。

 思わずそちらへと視線を向けた瞬間、彼女が腕を掴んできた。とっさに振り払おうとするも、まっすぐな視線とぶつかって硬直する。


「本当に、星?」


 見返した瞳こそが、星のようだった。銀、青銀――さまざまな色に、見えてくる瞳。そういえば、この子の長い髪も、どんな色をしていたのだろうか。先ほどからずっと、視界に納めていたはずなのに、それが妙に掴めない。青年の方はすぐに浮かんでくるのに。


「あなたの見る私は、あなたの映す私」


 いや、そもそも、こんな色彩の人間は、存在していただろうか。


「私は、案内者。あなたを、導く者。あなたが、見た、もの。それが、私になる」


 青年は口を挟もうとしなかった。ただ腕を組み、こちらをじっと眺めている。その視線からは何の意図も感じ取れなかったが、不思議と見張られえているという感覚はなかった。

 そう、何の意図もない。蔑みも、嘲りも、不快な笑い声も――?

 自分で思いついた単語に、自分で疑問を抱く。蔑み、嘲り、笑い声。どうしてそんな、単語ばかりが。

 いくつもの星。溢れるほどの色にまみれた、暗い空間。闇さえ呑み尽くすように輝きながら、なおも色濃い闇を生み出してしまっている不可解なもの。


「違う」


 あれは、星じゃない。

 思い出すのは見下ろした光景。見上げる星ではない。見下ろした、作られた、人工の灯りたち。夜を彩るネオンの、吐き気さえ催すような鮮やかさ。

 口元を押さえて立ち尽くす。気付けば、周りの光景もまた変化しようとしていた。やめてくれ、と叫びそうになる。けれど言葉は喉に引っかかったように形にならない。意味をなさない空気が漏れるような音だけが、かすかに響いた。

 見える景色は、飛び込んだはずの、場所。美しさなど感じたこともない、雑多な光景。無意味に飾り立てられた虚構の街。こんな景色を、綺麗な夜景だという奴の気がしれない。


「夜の街か。随分と電飾が多いんだな」


 青年が小さく呟いたのが聞こえてくる。その声には感動も、嘲りもなく、ただ見ている景色を言葉にしただけのような、そんな味気なさがある。

 けれど今は、その味気なさが救いのように思えた。


「これが、お前の脳裏に焼きついている光景か」


 けれど、次に言われた言葉に愕然とする。

 焼きついている、光景? こんな、腐ったような景色が?


「おい?」


 彼が手を伸ばしてくる。俺は反射的に、その手を振り払った。

 手が痛い。かすかに眉根を寄せて、彼が見返してくる。けれど、そんなものはどうでもいい。見える景色を叩き壊したくなる。けれどそれは叶わないことだ。ならば、せめて、ここから逃げなくては。何も見えなくなるところまで。


「待てっ」


 走り出そうとすると、すぐさま青年に肩を掴まれる。


「離せ!」

「馬鹿野郎、消されるぞ!」

「だから何だ!?」


 そんなものはどうでもいい。ここから、この景色から、逃れられるのならば。


「壊したいの?」


 ふいに耳に滑り込んできた声は、場違いなほど明るかった。思わず動きを止めて、女の子を見やる。彼女は満面の笑みを浮かべた。


「いいよ。壊してあげる」

「な」


 女の子の言葉に青年は愕然としたようだったが、俺には意味が分からない。

 だが疑問を打ち消すように、轟音が響く。鼓膜を裂くような、というが、音という名の攻撃を叩き付けられるような、それほどの衝撃だった。思わず目を閉じる。

 そして目を開いたときに見た光景は、壊れ果てた建物の数々だった。


「な……」


 青年と女の子がいることも忘れて、呆然とその光景を見回す。見下ろしていた光景だったはずなのに、いつの間にか地面へと降り立っている。夜ではなく、薄暗い昼。鼻につくのは、色々なものが入り混じったような不快な臭い。


「う!?」


 赤く染まったアスファルトの上に、人が倒れている。その状態は、言葉にするのも憚られるほど、悲惨なもので。それも、一つではない。倒壊した建物、焼け落ちた家々、その近くに転がる人、の――


「あ、あ、うわあぁぁ!?」


 手にぬるりとした感触を覚え、尻餅をつく。見ると、手にねっとりと赤い液体が纏わり付いている。何であるのか、考えるまでもない。

 これは、血だ。


「あ、あ。あ……」

「壊したかったんでしょ?」


 無邪気な声は、どこまでも場違いで。だからこそ、酷く恐怖を掻きたてられるものだった。軽い足音が、ゆっくりと近づいてくる。


「どうして怯えてるの。壊したい、殺したい、みんないなくなってしまえばいい、そうすれば解放されるって。心で叫んでたの、あなたなのに。聴こえたのに。どうして、そんなに」


 輝くような瞳が、まっすぐに覗き込んでくる。滑稽なほどに青ざめた、俺の顔を映して。


「怯えるの。壊すって、殺すって、消すって。こういうこと、でしょ?」


 違う、と。喉の奥で言葉が絡まる。それと同時に、どこか冷静なもう一人の自分が、心の中で嘲笑った。

 何にも傷つかない、そんな優しい世界など妄想の中にしか存在しないのだと。消えてしまえばいいと、望むことはこういうことなのだと。綺麗に跡形も残さず全てを消し去る、そんなお手軽で、ご都合主義的なもの、存在しないのだと。

 笑いが零れる。一体、俺は、何を――


「よせ」


 固い声が響く。同時に、景色が歪んでいく。ぐにゃりと、一瞬だけ歪みを見せたかと思うと、それはすぐに元に戻った。一番はじめの、何もない空間に。


「あ……」


 いつの間にか、青年が肩を掴んでいた。強い力ではないものの、その感触に安堵と恐怖を覚える。見上げると、彼は目つきの悪い顔をさらに厳しいものに変えて、女の子を睨みつけている。


「極端に走りすぎだ、馬鹿。そんなんだから、お前は何人も帰せずにいるんだよ、阿呆」

「だって。壊れてしまえばいいって、聴こえたんだよ!?」

「限度があるってんだよ、ぼけ。んな凄惨な光景、そうそう見せるな馬鹿が」


 言い訳がましく叫んだ女の子を、青年は鋭く言葉で一刀両断する。そして小さく唸る女の子を無視して、こちらへと視線を向けてくる。


「大丈夫か」

「あ……」

「無理すんな。ただでさえここは、神経使うところなんだ。あれといると、確実に磨り減るが」


 ぽん、ぽん、と何度か肩を叩かれる。その仕草は気遣いに溢れたものだった。


「俺、俺は」

「うん?」

「ただ、解放されたくて」


 息が詰まりそうな、あの日常から解放されたかった。落ちこぼれと笑われる日々。ちょっとした間違いを取り上げての遊び半分の嘲り。邪魔者だと言葉で、雰囲気で向けられる。教室の片隅で、クラスメイトたちの楽しげな会話を聞きながら、一人で俯いて過ごす休み時間のあの虚しさ。少し動くだけでも、何を言われるかと肩を縮めてしまう強迫観念にも似た怯え。

 壊したかったわけじゃない。殺したかったわけでもない。解放されたくて、だから、自分が消えればそれで全てが終わると、そう信じた。

 だから、あの。吐きそうな空間に、身を投げた。


「それで、迷い込んだの」


 女の子がしゃがみこみ、こちらを見上げてくる。涙が視界を覆って、女の子や青年がどんな顔をしているのかは分からなかった。


「でも、思い出したなら、帰れるね!」


 帰る。

 女の子がいとも簡単に言った言葉に、肩が震える。帰る。あの中へ、また、帰らないといけないのか。


「だからお前は、どうしてそう、状況が汲めないんだ……もういい」


 青年が呆れた声で呟き、少しだけ強く肩を叩いてきた。


「俺たちは、帰すのが仕事だ。ここは不安定な場だし、お前みたいに精神だけが迷い込んできているようなただの人間は、呑まれて消されてしまう。お前はまぁ、それでも構わないと言うだろうけど」


 分かっているとでも言いたげな言葉に、憤りを覚える。何が、分かるというのか。


「でも、な。何か聴こえないか?」


 その、瞬間。

 忘れかけていた自分の名を、呼ぶ声が、降ってきた。


「母、さん?」


 母さんと、父さんと、姉さんと。名前を呼ぶ声が、聴こえてくる。

 また、涙が、出た。飛び降りる瞬間、その瞬間まで。他の誰でもない、家族に申し訳ないと思っていた。こんな弱い子に育ってごめんと、何度言いたかったことだろうか。


「行って、やれよ。俺にはもう、手に入らないものだ。その手にあるうちに、きちんと、大事にしとけ」


 青年はどこか、陰りのある顔で笑った。けれどその笑みはすぐに消え、彼は女の子へと視線を向ける。


「準備!」

「あーいっ」


 気の抜けた声で返事をして、女の子が何かしらを唱える。聞いたことのない言葉で、俺には英語じゃないことくらいしか分からない。それは家族の呼び声と、重なって。


「星」


 見えたのは本物の、星空だった。

 いや、違う。先ほどまであんなに汚らしく見えていた夜景が、妙に輝いて見えた。

 その光のひとつひとつは、全て、誰かが作ったものなのだ。知らない俺には無名でしかない、それぞれの道を歩んできた、きちんと名前のある、誰かが。


「迷ったら、また来るといい。俺はお前を覚えたし、次に見かけたら引き上げてやるよ。俺がこいつのところにいる期間限定で、出来れば来ないに越したことはないけどな」


 女の子の頭に手を置いて、青年が笑う。女の子もまた、満面の笑みを浮かべた。


「ばいばーい!」

「ま、適当にやって来い」


 光が、近づいてくる。

 それは眩しくて、痛みを伴うけれど。温かな、ものだった。






 白い病室を眺めながら、思わずため息をこぼす。

 飛び降りたつもりで、俺は五メートルほど下に突き出ていたコンクリの上に落下したらしい。おかげで、命に別状はない。ただし足は折れていて、入院生活を余儀なくされた。間抜けというか、悪運が強いというか。

 夢なのか現実なのか定かではない、あの空間から無事に帰ってきたらしい俺は、そうして今日もベッドの上で過ごしている。


 窓の外には、あの光景が広がっている。相変わらず雑多で、虚構に満ちていて、どう頑張っても好きにはなれそうにない景色だ。けれど、以前ほどは不快感を覚えなくなっていることも確かだった。

 現実は何も解決していなくて、まだまだ前途多難で課題は山積みだ。俺自身もまだ、弱いままかもしれない。けれど、どうにか歩いていくしかない。適当にやれ、だ。

 それでも駄目で、また迷い込んだら。あの名前も知らない、目つきの悪いお節介な青年は、言葉通りに引き上げてくれるのだろうか。

 引き上げてくれる気がする。あの女の子に付き合えるのだ、我慢強さとお節介さはきっと相当なものだろう。そう思うと、少しだけ気が楽になる。


 窓の外には、今日も。虚構に満ちた暗い闇と、誰かが作ったのだろう星が、広がっている。


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― 新着の感想 ―
[一言] ☆よぅ!俺だ!(悪役的セリフ) 題とその内容に沿ったのが書けるっていうのが、ワタクシ的には凄いのだけれど、特に、星とか夜景とかの情景が思い浮かぶ描写が好きだよ。 というわけで、他のも期待。期…
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