8:死後という未来への貯蓄
服屋を出て近くにあった軽食屋で食べ物を買い、王宮までの馬車を手配する。
観光らしいことはおろか町並みを見ることもなく急くように事を進めるのは、腐敗を食い止めているとはいえアルフレッドには別の事にかまけている余裕はなく、カティナはさほど周囲に興味がないからだ。ゆえに二人とも並ぶ店に視線もくれず、馭者に目的地を告げると共に馬車に乗り込んだ。
そうして走り出してしばらく、髪飾りと共に買ってもらった帽子をいじっていたカティナが「そういえば」とアルフレッドに視線をやった。
ちなみに、言わずもがなこの帽子はカティナの太陽光避けである。店を出るや「きゃっ」と悲鳴をあげて目を覆ったカティナに――服を変えてもモグラはモグラである――彼が苦笑混じりに被せてくれたものだ。
黒地の帽子はローブのフードを被っているような安堵感を覚え、それでいて広いツバにはレースがあしらわれていて銀の髪と髪飾りによく合っている。
そんな帽子を時に被って、時に膝にのせて眺め、また被って……と繰り返した挙句に話を振れば、買ったパンを袋を開けるでもなくぼんやり眺めていたアルフレッドが視線に気付いて顔を上げた。
「どうした?」
「洋服も食べ物も買って、そのうえ馬車。お金は大丈夫なの?」
「あぁ、用意していたから大丈夫だ」
そう告げてアルフレッドが買った鞄から小さな布の袋を取り出した。――その際まるで袋と入れ替えるようにパンを鞄に戻してしまった。きっと食欲が無いのだろう。今は無いのか、もう無いのか――
彼が手にする袋を見て、カティナがおやと記憶を辿る。見覚えのある袋だ。多分アルフレッドが運ばれてきたとき棺の隅に添えられていたものだろう。特に興味もないので放っておいたが、どうやら彼の私物だったようだ。
さして大きいわけでもなく片手で収まる程度。それでも袋の中には半分以上ものが入っているのか、見ただけである程度の重さがあると分かる。
そんな袋をアルフレッドは軽く揺らして見せつけ、次いで中味を取り出すように傾けた。
布が歪に歪み、中から転がり落ちるように現れたのは……眩い宝石。石そのものや指輪に加工されたものと様々で、色もまばらで統一感はない。
「それは?」
「生前は宝石収集が趣味だった。……ということにしておいたんだ。金を貯め込むよりはこっちの方が怪しまれないだろ。カティナも幾つか持っておいた方が良い」
有事の際と、そして有事で無くとも欲しいものがあれば、そう告げてアルフレッドが袋の中から宝石を取り出してカティナに差し出してきた。
宝石集めが趣味だった、という割には手放すことを惜しむ様子はなく、扱いは雑。適当に袋から出して選びもせず手渡してくるあたり、本当にこの時のための偽りの趣味だったのだろう。
死んだ時の軍資金のために、生きていた時に趣味を偽る。
なんて皮肉な話だ、そう考えつつカティナが受け取った宝石の一つに視線を落とした。
親指の一関節分はありそうな深紅の石。丁寧にカットされており、馬車の窓から差し込む光を受けて眩い程に輝いている。これだけで相当な価値があるのだろう。
もっともカティナは宝石やアクセサリーには一切興味は無く、手にしても「綺麗だなぁ」程度の簡素な感想しか出てこない。それでも高価と分かるのは、シンシアがかつてどれだけ着飾っていたかやどれだけ男達に貢がせていたかを話してくれたからだ。
とりわけドレスや宝石について彼女は熱く語っており、ギャンブルもまた「宝石を賭けてよく勝負をしたもんだ」と話していた。
彼等がそう語るのだから価値のあるものなのだろう、そうカティナは記憶している。物事の基準はいつだって、墓場の亡霊達だ。
「これなら必要な時に少しずつ金に換えられる。それに、これから会う人物の協力を得るには必要不可欠だからな」
「これから会う……リドリーって人?」
宝石が必要とはどういうことなのか、そうカティナが問うように告げれば、アルフレッドが小さな溜息と共に肩を竦めた。
これから会うリドリーという男は、アルフレッド曰く『面倒で分かりやすい男』らしい。そのなんとも言えない表現、そして語る時の呆れきった表情を見るに、微塵も好意が無いことが分かる。
聞けば金と宝石と権力に弱く、そのうえ目の前で餌をちらつかされると相手の身元も調べずに頼み事を請け負ってしまうという。
その厄介な性格に反して高貴な家の出ゆえに王宮でも顔が効き、野心を胸に王宮で一旗揚げてやろうと企む者はまずはリドリーに金や宝石を渡して足掛かりにするのだという。
「いったい何度、身元不明で厄介な者を王宮に連れ込まれたことか……」
そう語るアルフレッドの声色はらしくなく低い。きっと苦労させられたのだろう。
それでも次いで彼はニヤリと笑みを零した。麗しい深緑の瞳が僅かに歪む。きっと眼帯で覆われた片目も同じように歪んでいるのだろう。
元が麗しいだけに今の彼の表情は蠱惑的な魅力を見せており、きっとここに何も知らぬ真っ当な感覚の令嬢がいれば胸を高鳴らせたに違いない。聡明な王子がほんの一瞬見せる歪んだ笑み、普段とのギャップはより彼を魅力的に見せる。
だが残念なことに対峙しているのはカティナのみで、蠱惑的な笑みを前にしても頬を染めることなく「そういうこと」と合点がいったと呟いた。
「その人を利用して王宮に潜り込むんだ」
「リドリーは小心者で、たちの悪い連中までは相手にしなかった。彼が連れてくるのは王宮で名前を売ろうと考えたり、権力者に取り入ろうとする小物ばっかだ。……でも俺は、いつかきっと酷く厄介なものを王宮に招き入れると思ってたんだ。だから見て見ぬふりをしてきた」
歪んだ笑みを浮かべたアルフレッドが口にする『酷く厄介なもの』とは他でもない己のこと、『死因を探る死んだはずの王子』である。
つまり彼は己が死んだ後の事を考え、そのとき利用するために、リドリーを咎めることも粛清することもせずにいたのだという。
その話を聞き、カティナが「もしかして」と小さく呟いた。だが言いかけてパタと帽子で口を隠す。
そんなカティナの態度で言わんとしていたことを察したのか、アルフレッドが僅かに目を丸くさせた後、苦笑と共に肩を竦めた。
「カティナ、気を使わなくていい」
「心の機微に疎いって自覚してる私が、せっかく事前に気付いて気を遣ったのに」
「貴重な気遣いは他のところで使ってくれ。俺には何を言ってくれも構わない、君相手なら傷つかないよ」
「そう? それなら聞くけど、もしかしてリドリーって人が貴方を殺したんじゃない?」
気遣い不要ならばと単刀直入にカティナが尋ねれば、アルフレッドがしばらく考えた後、その可能性は考えられないと首を横に振った。
たとえばリドリーが金に目が眩んだり権力者に屈してアルフレッドの暗殺に……という事もあるのではとカティナは考えたのだが、どうやらそれはないらしい。もっとも、断言するアルフレッドの口調は随分とはっきりとしたものだが、そこに信頼や友情等は一切感じられない。
挙句に、「あれはそこまで出来る男じゃない」とまで言って寄越す。
これは酷い言い草だ。
そうカティナが心の中で呟けば、窓の外に他の建物の屋根より頭一つ高く、やたらと目立つ屋敷が見えた。