7:墓守モグラと永遠に咲く花
立ち寄った町はアルフレッドが言うには規模の小さいものらしいが、町と言えば虚ろに記憶が残っているか否か程度のカティナにとっては気圧されてしまう程のものだった。というより、生きた人間が行きかっているというだけでも身構え気圧されるものである。
馬車の窓から見える景色に圧倒されるつつカティナがそれを伝えれば、アルフレッドが苦笑を漏らし、「まずはこの町に来て良かったかもな」と冗談っぽく言って寄越す。
これにはカティナも異論を訴えたいところだが、反論の言葉が出てこないので彼を睨んむだけに止めておいた。事実、『この程度』らしいこの町で気圧されているのだ、最初から王宮に連れていかれたら馬車から降りられなかったかもしれない。
だがどうしてそれを認められるのか、なんだか小馬鹿にされているような気がして、馬車が止まると共に扉に手を掛けた。
「腐りたくなかったらさっさと服を買いに行こう」
「はは、そうだな」
「笑わないでよ」
「いや、笑ってなんかないさ」
クツクツと笑みを零しながら否定するアルフレッドの発言に信憑性など皆無だ。なにせ「笑っていない」と訴えるその声が震えている。
だがそれを指摘したところで彼の笑みが消えるとは思えず、カティナはこれ以上言及するまいと決め、彼を置いて馬車を降りた。
眼前に広がる光景はまさに町といったもので、まだ朝早いというのに老若男女問わず行きかっている。店からは店員と客の会話が、周囲からは人々の挨拶が聞こえてくる。規模は小さいが、活気にあふれた町なのだろう。
行きかう中の数人が物珍しそうにこちらを見ながら通り過ぎていくのは、黒いローブが悪目立ちをしているからか、それともこの町に立ち寄る者が珍しいのだろうか。
そんな光景を前に、カティナは赤い瞳をゆっくりと細め……そしてまるで「耐え切れない」と言いたげに両手で顔を覆って俯いた。
突然のこの反応にカティナに続いて馬車から降りてきたアルフレッドが片目をぎょっと丸くさせ、慌てたようにカティナのもとへと近付くと、肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。
「どうした? 何かあったのか?」
「……辛い」
「……そうか。そうだよな、ずっとあの墓場で暮らしていたのに、突然こんな人がいる場所に来たんだ、辛くないわけがない」
「違う……太陽の光が、眩しい。目が開けられない……」
「……太陽?」
両手で顔を覆いながらも呻くようなか細い声でカティナが訴えれば、心配そうな声色で話をしていたアルフレッドがパチと深緑色の瞳を丸くさせた。口が半開きになった彼の表情は元の凛々しさの中にどことなく愛嬌を感じさせるが、生憎と今のカティナには見えない。
両手で顔を覆い、さらにその下で赤い瞳をぎゅっと閉じているのだ。そうでないと目がチカチカしてくる。
なにせ墓場生活。
それも月が登り始める時間に起き出し、周囲が明るみだすと共に小屋に戻りカーテンを閉じて日の光を遮って眠っていた。
まさに昼夜逆転、日の光などここ何年も見ていない。――逆転しているとはいえきちんと決まったサイクルで就寝しており、カティナはこれを胸を張って「規則正しい」と誇っていた。それを聞く墓場の亡霊達も、皆カティナ可愛さに拍手喝采である――
そんな生活から突如、日の光が差し込むどころか降り注ぐ眩しい世界に来てしまったのだ。心理的な負担もあるものの、それより眼球への負荷が大きい。
そう両目を庇いながらカティナが訴えれば、アルフレッドがそっと腕を掴んできた。
引っ張ってくるあたり誘導してくれるのだろう。カティナも大人しくそれに従い、見えない視界ながらにそろそろと足を動かした。
「とりあえず服屋に入ろう。日の光も多少遮れるだろうし、もしかしたら帽子も売ってるかもしれない」
「眩しい……チカチカする……」
「そういえば以前メイド達が飼ってる猫がモグラを捕まえて……いや、なんでもない。ほら店があった」
「モグラと同じ扱いしないで……」
今のところまだ人間だから……とカティナが訴えれば、掴んでくる腕が微かに揺らいだ。アルフレッドが笑ったのだろうか、苦笑をする彼の表情が脳裏に浮かぶ。
これが闇夜に包まれた真夜中であったなら、そんな彼を睨み付けて文句の一つでも言ってやれるのに。そう悔し気に訴えるも、顔を両手で覆った状態では迫力などあるわけがない。それも、彼に誘導されながらなのだから尚の事。
それでも弱々しく笑ってくれるなと訴えれば、アルフレッドが優し気な声色で「全てが上手くいったら立場が逆転するな」と答えてきた。
「立場が?」
「あぁ、全てが成功したらあの墓場で暮らすんだろう。俺は夜目が効かないし、夜の墓場は足場が危なそうだ。慣れるまではこうやって君が道案内してくれ」
そう話す彼の言葉に、カティナが閉じた瞳の中でその光景を想像する。
月が周囲を照らす中、アルフレッドの手を引いて墓場を案内……。きっとシンシアは彼を優しく誘い、ヘンドリックは「俺のパンプキンを案内役になんて!」と怒り出すだろう。ギャンブルはきっといつ彼の目が慣れるかを賭けつつ、段差のたびに声を掛けてくれるに違いない。
それは何とも穏やかで楽しい光景だ。生きている人間が一人もいないとしても、太陽の光など一つとして差し込まないとしても、カティナの胸を暖かくさせる。
「それじゃ、今はアルフレッドに……アルに誘導されてあげる」
「あぁそうだな、今だけは俺に付いてきてくれ。……カルティア」
そう互いに馬車内で決め合った偽名で呼び合い、寂れた服屋の扉をくぐった。
訪れた服屋は狭く古めかしく、店内も煌びやかとは言えない質素なものだった。品揃えも今一つ流行りに乗り切れぬもので、これが王都であったなら一着とて売れることなく店を畳むことになっていただろう。
本来であればアルフレッドが訪れるような店ではない。そもそも、彼は王宮で生活し服屋など行かずとも仕立てが毎日のように訪ねてくる立場なのだ。
だが今の彼は平然と店に入り、店員に対してもそつなく対応し服を選んでいる。カティナはそんな彼の後を着いて回り、服を選ぶ手元を覗き込んだ。
「色のついた服」
「……カルティア、もう少し言い方があるんじゃないか」
「色とリボンのついた服」
「そうだな。君の分も俺が選んでいいか?」
「黒一色で、すっぽりと体が覆えるのが良いな。出来れば顔も隠せるフードがあると嬉しい」
「却下だ。はい、これとこれ。そっちの試着室で着替えさせてもらえるよう話をしてある」
リクエストをさらっと流され、そのうえ服を一式押し付けるように手渡される。
これにはカティナも不満を訴える余裕も無く、手渡された服に一度視線を落とし、店員に促されるまま試着室へと向かっま。
ローブを脱いで渡された服に着替える。
黒一色こそ却下されたものの、アルフレッドが選んでくれたのは濃い灰色のワンピースだ。黒いリボンが腹部から胸元まで編み込まれており、広めにとられた白い襟は裾に刺繍が施されている。それに朱色の短いケープ。
作りも色合いもどれもシンプルなものだ。――といってもリボンをあしらわれたワンピースなどカティナは今まで着たことも無く、飾りだというのに一度解いてしまい、再び結びなおすのに随分と時間が掛かってしまったのだが――
そうして着替え終えて試着室から出れば、アルフレッドもまた黒いローブから目新しい洋服に着替えていた。
白いシャツに灰色のベスト。黒いズボンと同色のブーツが良く映えている。片手に持っているジャケットは必要となったら着る為のものか。
彼はカティナに気付くことなく店に並ぶ小物を眺め、赤いハンカチを一枚手に取すと店員に何やら告げてベストの胸元にあるポケットへとしまった。完璧にしまい込まず端を見せるのは洒落っ気だろうか。
「そうやってペロッと見せるのが流行りなの?」
「いやこれは王宮に行ったときに……」
ハンカチの端を見せることが王宮でいったいどうなるのか、だが言いかけたアルフレッドはカティナを見るや言葉を止めてしまった。
彼らしくなく少し口を開いたまま。深緑の瞳が丸くなっており、眼帯で覆われたもう片方の瞳も同じようになっているのだろうと想像がつく。
明らかに驚きを示すその表情に、カティナがどうしたのかと首を傾げた。
「どうしたのアル。もしかして着方間違えてる? 一度リボン解いちゃったんだけど、どこかおかしい?」
「い、いや……おかしなところはない。似合ってる」
「本当? 良かった。アルも似合ってるね」
そうカティナが告げる。
彼もまたシンプルな服を纏っているが、元々の見目の良さと合わさってそのシンプルさが上品に見える。むしろ簡素な造りの服だからこそしなやかな手足や整った顔つきが映え、眼帯と深緑の瞳を魅力的に見せていた。
店員がカティナとアルフレッドの交互に視線をやり、満面の笑みで「お似合いですよ」と誉め言葉を贈ってくる。
「王宮に行くなら、私もハンカチを買った方が良いのかな? ここのポケットからペロッと見せる?」
「いや赤いケープがあるから大丈夫だろう。……それと、これを」
アルフレッドが近付き、カティナの銀の髪に触れる。
黒いリボンで結んだだけの髪だ。黒いローブを纏っていた時はその雑な結び方と洒落っ気の無さは合っていたが、ワンピースに着替えた今は浮いてしまっているかもしれない。
そんな髪に、アルフレッドが何かを添える。カティナが覗くように見れば、黒い花がリボンに留めるように飾られていた。森や墓場で見かける花とは違うその形にカティナが首を傾げれば、それに合わせて花も揺れる。
「……花?」
「これから王宮に行くんだ、髪も少しくらい飾った方が良い」
「枯れちゃわないの?」
「造花だから大丈夫だ」
枯れないと断言するアルフレッドに、カティナが自分の銀の髪に咲く黒い花を見つめた。
触れば確かに生花と違う手触りがする。特殊な素材を使用しているのか揺らしてみれば細かに輝き、試しにと突っついても傷まない。まるで生花のような繊細なつくりをしているが、実際は随分と頑丈なようだ。
それを確認し、カティナがパッと表情を明るくさせた。
「ずっと枯れないなんて素敵だね。ありがとう」
「気に入ってくれて良かった。枯れないから、ずっと着けてくれ」
「うん、ずっと着ける」
そうカティナが嬉しそうに笑って返せば、アルフレッドもまた微笑む。
その姿はきっと傍目には美しく映るのだろう。見目の良い男がこれまた見目の良い女に髪飾りを送り、「ずっと」と誓いあっているのだ。
現に見ていた店員が表情を綻ばせ、会計を済ませると共に「ずっと大事にしてくださいね」と二人の会話に混ざった。
カティナとアルフレッドが口にする「ずっと」の意味を知らずに。
それでも二人は訂正することもなく、穏やかに笑い、口を揃えて「えぇ、ずっと」と答えた。