6:永遠に至る為の手順
「俺がもう一度、同じ人物に同じ方法で殺されれば良いんだな」
そう確認してくるアルフレッドに、向かいに座るカティナは窓の外を眺めたまま頷いて返した。
森を抜けてしばらく、運良く辻馬車を拾い今に至る。
窓の外は徐々に夜明けの明るさを見せ、刻一刻と鮮明さを取り戻す景色にカティナが赤い瞳を細めた。眩しい、そう日の光とそこに照らされる景観を前にして思う。
森と墓地以外の景色を見るのは何年ぶりだろうか。
少なくとも、墓地に置いていかれた五年前からは一度も森を出ていない。その前の記憶を遡ってもあまり思い出すことは出来ず、ならば思い出す必要もないかと割り切って窓の外を眺めるのを止め、アルフレッドに向き直った。
過去を思い出して何になる。大事なのは今と、そして今から続くこれからだ。
そう考え、カティナがじっとアルフレッドを見つめた。彼は『これから』の大事な鍵だ。
「二度同じ死を辿らせ、生死の境目を崩す。成功すれば、禁忌を侵した術者は生も死も関係ないものになれる」
「生も死も……」
気圧されるように呟き、アルフレッドが己の左胸に手を添えた。
生前は鼓動を感じられただろうが、今の彼の手には鼓動はおろか人並みの暖かさも伝わってこないはすだ。
彼の心臓は六日前に鼓動を打つのを止めている。
正しくは、止められた、と言うべきか。
「それは今の俺の状態に近いのか?」
「まったく別物。アルフレッドは『死んでるけどまだ動いてる』だけ」
きっぱりとカティナが言い切れば、気遣い一つないその断言が逆に開き直りに拍車をかけたか、アルフレッドが「死に損ないですらないな」と自虐的に笑った。
だが事実、カティナが目指すものは今のアルフレッドとは全くの別物。かといってシンシア達のように死んで体を失ってもなお現世に留まるというわけでもない。
生と死の柵から抜け出し、生きてもいない死んでもいないもの。衰えることもなく、時間が一切関与しない、生き物とは全く別の存在。
朽ちることもなく永遠に生きていられる。いや、生きているという表現にも当てはまらないのだから『永遠に居られる』と言うべきか。
「不老不死というやつか?」
「それに近いけど、そういった人の括りとも違う、なにかもっと別のもの」
漠然としたことを有耶無耶に、それでも焦がれるようにカティナが話す。
ずっと願っていたことだ。禁忌をおかせば老いることも死ぬことも生まれ変わることも無く、ずっとあの墓地に居られる。
人が寝静まる深夜に亡霊達と語らい、人が起き出す夜明けに眠りに着く。永遠に続く楽しくて賑やかな時間。
誰にも疎まれず、誰にも置いてかれない。この赤い瞳も夜の闇が隠してくれる。
そのためならば何だってする。
たとえば、殺された王子の死を引き伸ばして、再び彼を死なせることだって。彼を輪廻の流れから引きずり出して、人ならざるものへと道連れにすることだって厭わない。
非道と言われたっていい。なにせ人の道を踏み外すための儀式なのだ、非道であって当然だ。
そうカティナが心の中で呟き、次いでアルベルトへと視線を向けた。言わんとしていることを察したのか、彼が無言で頷いて返してくる。
片方を眼帯で覆われた深緑の瞳には、片目でも分かるほどはっきりとした覚悟が宿っている。だがそれでも瞳の奥底には微かな恐怖が残っており、それを見てカティナが小さく彼の名を呼んだ。
「……アルフレッド」
「分かってる。覚悟の上さ」
一度死に、再び同じを辿る。呪い師の家系に伝わる禁忌を自らをもっておかすのだ、まっとうな人の死に戻れるわけがない。彼とて「禁忌をおかした暁には生き返れる」なんて都合の良い夢は抱いていないだろう。
自分はどうなるのか、腐敗する体に残った意識はどうなるのか。答えを求める彼の声が僅かに震えている。
顔が青ざめているのは己の――本来であれば既に途絶えているはずの――未来への恐怖か、それとも死んだ名残か。
そんなアルフレッドに、カティナは気遣うでもなく宥めるでもなく淡々と答えた。
「そんなに酷いことにはならないよ。私が人ならざるものになれば、アルフレッドの体も腐ることは無くなるし」
「そうなのか?」
「今アルフレッドの体が腐りかけているのは、糧になってる私が人として老いているから。私が時間も何も関係ないものになれば、アルフレッドも永遠にそのままで居られる。逆に言えば、アルフレッドが失敗したりタイムオーバーで腐ったら私も術が無くなる」
そうカティナが告げてアルフレッドに視線を向けた。覚悟していたよりは良い未来だったのか、表情には安堵の色が浮かんでいる。
その姿は生気に溢れているとは到底言えないが、それでも誰も死者とは気付くまい。白い肌も、精々『不健康』と言われるか、もしくは片目を覆ってもなお隠しきれぬ見目の良さと合わさって『白く美しい』と褒められかねない。
身分を偽ることさえ成功すれば、王宮にだって潜り込める。
だが例えば彼の美しい顔が半壊していたり、果てには首を切断……等というあからさまな殺され方をされていたら別だ。
そんなカティナの例えに、アルフレッドが表情を強張らせて己の首に触れた。そういう殺され方も可能性としてあった……そう考えれば気分も悪くなるのだろう。
「蘇らせる遺体にも条件があるの」
「条件?」
「さすがに私も原型の無い遺体はどうしようもないよ」
例えば絞殺の果てに凍てついた湖に投げ捨てられたり、腹を大きく横断するように切り捨てられたり、高所から突き落とされたり……。目も当てられない姿になられてはどうしようもない。
カティナはあくまで呪い師であって医者ではない、損傷した遺体の修復は出来ないし、そもそも損傷が激しければ霊魂を体に留めておくことも出来ないのだ。腐っていても同じこと。
なんとか動かす程度に仕上げられたとしても、見るからに死に体寸前では辻馬車にも乗れないし王宮にも行けやしない。
そうカティナが説明すれば、アルフレッドが己の体を見下ろした。
黒いローブで覆われた彼の体は、死んだとはいえそれでも五体満足。試しにと腕を動かせば指先までしっかりと反応する。
喉を潰され湖に打ち捨てられた後も無ければ腹も割かれていない、落下の衝撃による損傷もない。迅速適切な防腐処理のおかげで腐ってもいない。
まるで生きていた時のようではないか。血の気の悪さはあるが、遺体の中でも美しい状態と言える。
「俺を殺した奴を見つけたら、まずは礼を言うべきかもしれないな」
「お礼?」
「綺麗に殺してくれてありがとう、おかげでもう一度殺されることが出来た。ってな」
アルフレッドの自虐が過ぎる冗談に、カティナがパチンと一度瞬きをした。
次いでクスクスと笑い出す。なんて悪趣味な冗談だろうか。だがその悪趣味は墓場で亡霊と暮らす墓守の好みには合っている。
だからこそ目尻にたまった涙を指先で拭いながら止まらぬ笑いを堪えようとすれば、アルフレッドが瞳を細めて見つめてきた。
その愛おしむようでどこか切な気な瞳に、カティナがはたと我に返る。
もしかして笑うところではなく、慰めるべきだったのではないか?
亡霊達と暮らしているため人の機微や死生観の繊細さに疎く、物資を運びに来る者達に冷ややかな視線を送られることが多々あった。
ずれている事は自覚している。
「笑っちゃってごめんね。もしかして慰めるべきだった?」
「いいや、君が笑ってくれるなら構わない。それに、綺麗に死ねたのは確かに幸いだ。おかげでカティナの役にたてる。……一蓮托生、そう考えていいか?」
許可を求めるように尋ねてくるアルフレッドに、カティナが「一蓮托生」と呟いた。
だが確かにその言葉の通りだ。
カティナに何かあればアルフレッドの体は腐り霊魂も維持できなくなる。そしてアルフレッドが失敗すれば、カティナは禁忌を侵す術を失いいずれ朽ちる。あの墓場に居られなくなり、それはカティナにとって何より恐ろしいことだ。
そして成功すれば、互いに生も死も関与しないものになる。
これを一蓮托生と言わずに何と言う。だからこそカティナがはっきりと頷いて肯定すれば、アルフレッドの表情が微かに和らいだ。
どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか?
「アルフレッド?」
「そろそろ町に着く。小さな町で品揃えは良くないだろうが、怪しまれない程度の服を調達しよう」
「服? 着替えるの?」
「揃いのローブは嬉しいが、王宮じゃ門前払いを食らうからな」
そう話すアルフレッドに、カティナが己を見下ろし「着替えるのかぁ」と呟いた。
黒一色のローブ以外を纏うのは何年ぶりだろうか。窓の外を見れば既に日が昇り周囲を照らし、その眩さもまた朧気な記憶でしかない。
これから悲願を達成するまで、色と飾りのある服を着て日の光のもと活動するのだ。
なんだか遠くに来てしまった気分。
そうカティナが呟くとほぼ同時に、窓の外に見慣れぬ街の景色が見えた。