5:忌み子のカティナは墓場を出る
「カティナが王宮に行っちゃったら、誰が私のお墓をカラスから守ってくれるっていうの!?」
「シンシアのお墓にはカラス避けを多めに吊るしておくよ」
「可愛いパンプキン、俺がこの地に囚われていなければ、貴女を守る騎士として同行したのに……! あぁ、己の情けなさで胸が凍てつき鼓動が止まりそうだ!」
「ヘンドリック卿の鼓動は99年前から止まってるよ」
分かりやすくかつ大袈裟に嘆くシンシアとヘンドリックをカティナが半ば聞き流し半ば宥めれば、感極まったシンシアが抱き着いてきた。もっとも、いかに彼女が勢いよく抱き着いてこようと体を擦り抜けるだけ、ひんやりとした冷たさにカティナが思わず身を震わせる。
次いでヘンドリックが「俺もパンプキンに!」と抱きつこうとしてきたが、何故か既のところで止まってしまった。曰く、いかに感極まったとしても、みだりに女性に抱き着くのは騎士の精神が良しとしないらしい。
だが目測を謝ったのか若干カティナの鼻先は彼の青白い体に透けており、冷え冷えとした空気を顔面に受けている。いっそ抱き着いてすり抜けて欲しいところだ。
そんなカティナの頭上に、ふわりと白い手が乗った。擦り抜けないよう微かに浮かし、銀糸の髪を撫でるかのように揺れる。見ればギャンブルが愛しむような表情でこちらを見つめていた。
「行ってこいカティナ。なに安心しろ、成功するに決まってる。この私がカティナの成功に賭けたんだから、間違いないさ」
「……ギャンブル伯、死因は?」
「負けが続いて借金が返せなくなって、借金取りに殺された」
反省どころか恥じる様子もなく答えるギャンブルに、カティナが苦笑と共に「信用できない」と返す。もちろん冗談だ。これが彼なりの鼓舞だと知っている。
そしてシンシアとヘンドリックも自分を愛しんでいるからこそ、これほどまでに別れを惜しんでくれているのだ。
それを思えばカティナの胸に暖かな感覚が湧き「直ぐに帰ってくるよ」と告げて二体の亡霊に抱き着くかわりに彼等の実体の無い体をするりと擦り抜けた。
そんなやりとりをしばらく黙って眺めていたアルフレッドが「カティナ、そろそろ」と割って入ってきた。出発の時間だと言いたいのだろう。
今の彼は金の髪を濃紺に染め、深緑色の瞳を片方を黒い眼帯で隠している。もちろん王宮に戻るにあたり、そのままの姿では居られないからだ。髪色の違いと纏う質朴な服が功を奏し、上手く変装できている。誰も彼が第一王子とは思うまい。
もっとも、いくら髪色を変えて片目を隠しても顔つきまでは変わらない、才知を感じさせる端正な顔つきは生前の彼そのままだ。
……だけど、いったい誰が彼を見て『死んだ第一王子が髪色を変えて蘇った』等と思うのか。彼は何者かに殺され、そして王宮近くにある聖堂で眠りについているはずなのだ。
「名残惜しいのは分かるが、そろそろ出発しよう。森を抜けるには半日近く掛かる」
「そうだね。それじゃみんな、行ってくるから」
はたはたと手を振りながらカティナが墓地を出れば、普段はあまり出てこない亡霊達までもがポツリポツリと現れて手を振ってくる。――中には地中から青白い手だけ出して振っている横着者もいるが、見送る気持ちが大事なのだ――
中でもやはりシンシア達の見送りは熱があり、まるで森の中を誘導するように足元を点々と灯る青白い炎に、カティナは小さく笑みを零した。
カティナが墓地を出て数時間後、己の墓石の上に座るようにとどまっていたギャンブルが深く息をついた。
カティナの見送りのために炎を送っていたが、それも限界が来てしまった。彼女はもう炎が届かない距離まで行ってしまったのだ。
500年の亡霊であるギャンブルも、流石に森を抜けるまでは見送れない。だからこそ割り切って、
「心配したってしょうがない。あとは上手くやって帰ってくるのを待つだけだ」
と告げた。
改めるように己に言い聞かせるのは、鼓動を止めて五百年経つというのに不安でざわつく胸を押し留めるためである。……それと、ひとの墓石の周りで陰鬱とした空気を漂わせるこの二体の亡霊に言い聞かせるためでもある。むしろ割合は後者に偏っている。
彼等から漂う空気は鬱々としており、墓地という場所柄には合っているのかもしれないが見ていて気分が良いものではない。それもよりにもよって、ギャンブルの寝床である墓石の周りで辛気臭い空気を纏わせているのだ。
せめて自分の墓石でやってもらいたいところである。いっそ墓石の下にでも引っ込んでいてほしい。
そう考えて咎めたのだが、返ってきたのは恨みがましい視線だけだ。
「あの男よ……あの男が私達からカティナを奪ったのよ……。ちょっと見た目が良くて声が良くて凛々しくて余裕の合格点だからって……!」
「可愛いパンプキンを連れていくなんて非道にもほどがある。あの若造め、大人しく死んでいればいいものを……!」
ブツブツと呟くシンシアとヘンドリックの姿はなんとも情けない。
思わずギャンブルが溜息を吐き、呆れを込めた声色で「お前らなぁ」と呼んだ。それを聞いてゆっくりと顔を上げる二人の顔は変わらず青白く実体が無く、そのうえ絶望を抱くようにどんよりとしている。
その姿、まさに亡霊。命を失ってもなお墓場を漂い恨み辛みを口にしていると考えれば、常人なら恐怖しかねないだろう。
だがあいにくと、この墓場には恐怖するような常人はいない。
「あいつはカティナの今後を決める存在だ。あんまり文句を言ってやるな」
「カティナの今後って? そもそもあの子は何を考えて彼を蘇らせたの?」
回答を急かすようにふわりとシンシアが舞い上がり、ギャンブルの視線の高さで留まる。
ヘンドリックも同様、先程までの陰鬱とした表情を疑問の色に変え、ギャンブルが「いいか」と話し出すと彼の対面にある墓石の上に座るように浮かんで聞く姿勢をとった。
「カティナが呪い師の家系だってのはお前達も知ってるだろ」
「あぁ知ってる。でも呪い師といっても名前だけだ。実際は良く言って占い師、それだって女性や子供が茶会の話題作りに呼ぶ程度じゃないか」
「お前が生きてた時代はな」
「ならギャンブル伯が生きていた時代はどうだったんだ?」
「私が生きてい時代では、確かにあの一族は呪い士の家系だった。特別な力を持ち、呪いも絶大的な効果があった。王家と並ぶほどの権威をもっていたからな」
そうギャンブルが話せば、ヘンドリックが僅かに目を丸くさせた。それほどまでなのか、と、その表情が訴えている。
だが二人の享年には400年もの差が有るのだ。一つの家系が衰退するには十分すぎる時間であり、とりわけ呪いという持って生まれるしかない能力で繁栄していた家なら尚のこと。
一時は王家と並んだ呪い士の家系も徐々に力を弱め、そしてついには茶会の余興レベルに落ちてしまったのだ。ヘンドリックの享年から更に100年たった今、もしかしたら既に『勘の良い一族』程度まで落ちている可能性だってある。
「そんな中、どういうわけかカティナが生まれた。あいつは全盛期の一族を凌ぐ力を持ってる……それに“忌み子”の色もな」
最後に吐き捨てるようにギャンブルが言い切ると、一瞬にして空気が張り詰め、周囲を青白い業火が覆った。
カラスが甲高い鳴き声を上げて飛び去り、森中の木々が揺れてまるでざわつきのように葉を鳴らす。生暖かかった風が一瞬にして冷えきり、底冷えする寒さがあたりを包む。
仮にここに第三者がいれば、亡霊達の姿が見えずとも異常な空気を感じ取っていただろう。不安を恐怖に変え、草場の影を人の姿と見間違えて震えだしかねないほどだ。
冷気と業火の発生源であるシンシアもヘンドリックも普段の見目の良さは無く、カティナを前にした時の朗らかさも無い。生前の色を失った瞳を見開いて怒りを露わにしている。
憎悪、その一言だ。
「私達を見つめてくれる可愛らしい赤い瞳……。それが忌み子の証だとのたまうのはどこのどいつよ! 私が生きていたなら、二度とその言葉を言えないように首を締め上げ喉を潰して、冬の池に落としてやるわ!」
「パンプキン……可愛い……カティナ! あの子のどこが忌むべき存在だというのか! 瞳の色ごときであの子をここに閉じ込めて、それが一族の決まりだというのなら、忌むべきは一族側じゃないか! 俺の剣に実体があったなら、その腹を切り裂いてくれる!」
シンシアが唸るような声を荒らげ呪詛に近い恨みを口にすれば、憎悪を宿すヘンドリックの周囲の炎がより一層強く燃え上がった。陰鬱とした墓場は女の恨み声と青白く冷ややかな業火が覆い、普段の静けさは無い。
反して墓地を囲む森はシンと静まっており、今はもう木々さえも揺れることなく沈黙を保っている。生き物も木々さえも、怒りの矛先が己に向かうのを恐れて息を潜めているかのようではないか。
そんな怒りを露わに、それどころか冷気と業火に変えて怒り狂う二人を目の前に、ギャンブルは恐れることも無ければ飲まれることもなく、ただ淡々と「それでな」と続きを話しだした。